経営者インタビュー 早川洋平氏(キクタス株式会社 代表取締役) Vol.2|経営ノート

経営者インタビュー 早川洋平氏(キクタス株式会社 代表取締役) Vol.2|経営ノート

「社長に聞く!」経営者インタビュー 〜活躍する現役社長に、経営者としての半生をお聞きしました!

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、早川洋平氏(キクタス株式会社 代表取締役)です。今回は、この経営者インタビュー「社長に聞く!in WizBiz」の配信をお願いしております、キクタス株式会社代表取締役の早川洋平氏にお越しいただきました。早川洋平社長は現在プロインタビュアーとしてもご活躍中で、羽生結弦、コシノジュンコ、高田賢三らトップランナーから、国内外のプロフェッショナル、戦争体験者にいたるまでジャンルを超えて取材されています。少年時代はサッカー漬けの日々だったという早川洋平社長が、広島での新聞記者時代を経て、現在の「聞くメディア」をプロデュースするキクタスの事業経営をスタート。多くのトップランナーへのインタビューを通して自らをアップデートし続ける、早川洋平社長の経営者インタビューは大変参考になります。ぜひお聞きください!

(2018年5月配信)



前回に続き、早川洋平氏(キクタス株式会社 代表取締役)の経営者インタビューをお届けします。(Vol.1はこちら

新谷哲:新聞記者時代のことをお話いただきたいと思いますが、どのような仕事が中心でしたか?

早川洋平:市政記者クラブと県警記者クラブだったので、いわゆる新聞記者です。サツ周りや、夜討ち朝駆けをし、事件事故が起きたら、上司から家に電話がかかってきて「行け」と言われました。しかし新聞社に入ったのは「サッカーのフリーライターになりたい」という動機だったので、耐えられず辞めてしまいました。

新谷哲:辞めた後はどんなことをされていらっしゃったのですか?

早川洋平:辞めた後は、半年ぐらい休んでいました。僕は極端なので、休んだ後は「24時間365日、電話がかかってくる仕事」ではなく「9時~17時の公務員になりたい」と思い、地元が横浜だったので横浜市役所の公務員試験を受けようと決意しました。しかし家族に相談したら「あなた絶対に向いていないからやめなさい」と、普段、絶対に言われないことを言われます。そこで踏みとどまり、もう一度自分のしたいことを考えました。不思議なもので、新聞記者は辛かったのですが、色々な人に会い、色々な場所に行ったことで、自分の価値観を広がったので、「自分が得た情報を伝えることで、世の中もアップデートさせる」といったことに興味を持ちました。「サッカーじゃなくても良いか」と自分の幅を広げてマスコミにもう1回就職し、2年ぐらいで辞めます。その後は、某大手新聞社の系列の広告制作会社が拾ってもらいました。

新谷哲:では、広告の仕事も学ばれていたのですか?

早川洋平:そうです。

新谷哲:広告事業には、何年いらっしゃったのですか?

早川洋平:3年ぐらいです。

新谷哲:そこで学ばれたことは、何かございますか?

早川洋平:広告制作会社は、クライアントさんありきの仕事です。僕の入った会社の場合は、親会社である某大手新聞社ありきなので、取材に行っていても記事体広告が多かったです。書く記事は当然、クライアントが要求する記事を書かなければならないという、社会人に必要な部分を学ばせていただきました。もちろん取材や執筆の経験も積ませていただきましたが、そこも好き勝手にやれないという、当たり前のことを考えさせられました。

(※記事体広告とは、タイアップ記事広告という広告こと。広告なのでお金をもらっていますが、記事風に書いて宣伝をするというものです)

新谷哲:広告会社をお辞めになった後は、キクタスを起業し経営者となったのですか?

早川洋平:プロフィールだと結構割愛していますが、まだあります。広告制作会社に勤める中、いろんな有名な方にも取材いただきました。会社は編集プロダクションとしては大きな会社、ライターとデザイナーの方が20人ずつおり、お給料も上にいけばかなりよかったです。ただ、僕が上の方達を見た時に「目がキラキラしていなかった」のです。おそらく「クライアントさんを始めとした、いろんな意向に沿って取材し、記事を書いていたこと」が理由だと思うのですが、「僕には無理だ」と思いました。あと直感として「この新聞と広告のモデルは続くのか?」と疑問に感じ、会社に内緒で転職活動をしました。

地元横浜も大好きだったので「横浜でライターの仕事、取材の仕事をしたい」と企業を探します。その時に見つけた会社が、横浜にあるインターネット系の新聞社です。まだライター経験5年ぐらいでしたが、面接に行ったら「すごく欲しい」と言ってくださり、給料の話になります。その会社の母体はNPOだったので、提示された給料が生活ギリギリでした。1人なら飛び込んでいたと思うのですが、結婚していたので就職はしませんでした。その時にその母体であるNPOの女性理事が「生活が心配なら、うちの主人がやっているイベント会社に来たら?独立採算制で自分が好きなことを何やっても良いよ」と言われ、いわゆるイベント企画制作会社に飛び込みました。

新谷哲:どのようなイベントを開催する会社ですか?

早川洋平:横浜市公共事業のイベントや、大手企業からお金をもらい企画して、街全体で行うようなイベントを開催しました。

新谷哲:何年ぐらいらしたのですか?

早川洋平:そこも3年です。

新谷哲:イベント会社で学ばれたとはございますか?

早川洋平:結果として、経営者としての基礎を学びました。僕はどの会社も3年以内に辞めており、職人としてライターをやっていただけなので、まともな社会人ではありませんでした。例えば、原価が50万円のイベントを企画し、「クライアントに80万円で請求書を出すように」と経営者から指示を受けます。そのとき「原価が50万円のイベントなのに、80万円の請求書を出して良いの?」と疑問を持つレベルでした。もちろん稼げるはずもありません。完全ノルマ制なので、どんどん給料が落ちていきました。この後、キクタスを起業して経営者になった話に入りますけど、話してもいいですか?

新谷哲:はい、ぜひお願いします。

早川洋平:会社に入って2年ぐらい経ち、「色々な場所に行って、色々な人に取材したいのに何やっているのだろう?」となった時、「Podcastをやってみたい」と思いました。しかしPodcastどころか、そもそも稼げないので会社での立場も悪くなっています。しかも、ちょうど子供が生まれる時で「どうしようか?」と悩みました。本当に八方塞がりだったので、スティーブ・ジョブズの言葉じゃないですけど、「このまま人生終わって良いのか?」と自分に問うた時に、「このままじゃ嫌だ」と思います。「何の制約もなかったら何をするか」を考えた時に、「本を読むのが好き、ラジオ・Podcastが好き、インタビューが好き」と、なぜかその3つが出てきます。この3つを掛け合わせて、「本の著者にインタビューをするPodcastを始める」というアイデアが降りきたことが、キクタスを起業し経営者となるきっかけでした。

Vol.3へ続く

 

[プロフィール]早川洋平氏
キクタス株式会社 代表取締役

新聞記者等を経て、2008年キクタス株式会社を設立。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。同社代表取締役社長、プロインタビュアー。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。

 

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。

今回は、早川洋平氏(キクタス株式会社 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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