逆転の発想で空前絶後のベストセラーとなったカラシニコフ自動小銃。クリアランスをなくすことが至上命題だった世界で、“すき間”の発想が大成功に導いた。
1億挺以上が作られた超ベストセラー兵器、カラシニコフ自動小銃
みなさんがイラクやアフガニスタン、あるいはアフリカ諸国などの紛争地に関するニュース映像をごらんになったとき、よくバナナ型にまがった弾倉(弾薬を入れる着脱式のもの)がついた自動小銃を目にされるでしょう。あれは、旧ソ連や旧共産圏諸国で20世紀後半から大量生産されてきたAK自動小銃、またはカラシニコフ自動小銃といわれる武器です。
我が国の提唱もあって、国連が紛争地の小火器を回収・破壊するプログラムを今世紀に入ってから開始しましたが、その際、原産地ロシアのNGOに依頼して調査したところ、カラシニコフ自動小銃は発展型も含めて世界十数カ国で量産され、その総数は1億挺を超えるとの報告が提出されています。推測では、現在紛争で使われるものを中心に、世界に存在する歩兵用小火器のうちの7割程度をカラシニコフ自動小銃が占めているといいます。
国連がカラシニコフ自動小銃に対して特に着目し、調査を行なったのは、世界の紛争地にあふれんばかりに存在するこの兵器が、地域で利害対立が生じた場合、その手軽さから容易に武器を使用した紛争を引き起こす要因になると考えたからです。そして、日本を含む各国の資金提供や要員派遣により、アフリカ諸国を中心にして古くから使われているカラシニコフ自動小銃を中心とした小火器を食料その他の有用な資材と交換で回収し、破壊する小火器撲滅キャンペーンを展開しています。
しかし、実際のところ世界では、遊牧生活の名残などで各世帯に武器を置く習慣が根強かったり、闇の武器商人が軍縮で放出された安価なカラシニコフ自動小銃をはじめとする各種兵器を紛争地で売りさばいたりといった事情もあって、小火器撲滅キャンペーンはなかなかうまくいっていません。
カラシニコフ自動小銃は、なぜこれほどにまでベストセラーになってしまったのでしょうか。その秘密は、すぐれたコストパフォーマンスと機械としての信頼性、それに扱いやすさがあります。
埃や泥、凍結をものともしない
作動の確実性と取り扱いのやさしさ
カラシニコフ自動小銃の優れた点は、構造の単純さとともに埃や泥、凍結をものともしない作動の確実性です。これにより、原産国ロシアのような厳寒の地でも、赤道直下の熱帯地帯でも、あるいは中近東や北アフリカのような熱砂の地でも故障なく使用することができるのです。
筆者はカラシニコフ自動小銃を零下30度の条件下で他の小火器と撃ち較べたり、泥水のなかにつけて撃ったりして、その性能を確かめました。カラシニコフは、他の小火器の場合、構成部品があまりの寒さで縮んで動かなくなったりした状況でも平気で支障なく作動を続け、泥水から引き揚げてもすぐに発射できました。
これは、カラシニコフ自動小銃が従来の小火器とは逆転の発想である部品間に可能な限り“遊び”をもたせたこと、つまりすり合わせられる部分に十分なクリアランスをもたせたことに起因しています。
武器の一般的な原材料である鋼は、気温の上下や火薬の継続使用による温度上昇で膨張や収縮を繰り返します。一般に、小火器は原産国の気象・地形条件にあわせて設計されますが、カラシニコフ自動小銃の場合は北極圏から赤道直下の熱帯まで対応できるほどのクリアランスが部品間に設けられるとともに構成部品を必要最小限にすることで故障の可能性のある箇所を極力減らしています。
構成部品が少なく、またデザイン上、細かなレバーその他の操作用ボタンなどをなくしていることは、故障を減らすだけでなく操作の容易さにつながります。筆者は、カラシニコフ自動小銃をモンゴルで試験した際、小火器をまったく生まれて初めてさわる知人を同道し、操作を教えました。すると、この知人は30分ほどの教育で正確に射撃することはもちろんのこと、弾薬を正しく装てんすることや、手入れのための分解までこなすことができるようになってしまいました。軍隊やゲリラでいえば、“一人前の戦力”になったというわけですね。
構成部品が少ないということは、加工部分の少なさにつながり、製造コスト低減をもたらします。現在、ロシアのメーカーであるイジマシュ社は、最新型のカラシニコフを邦価換算で1挺あたり約1万3000円にて供給しています。日本の自衛隊が使用している89式自動小銃の20分の1以下です。
世界中であふれかえっている中古品の相場はもっと安く、ヨーロッパや中東地区では1挺あたり5000円、アフリカなどでは1500円程度で出回っていると報道されています。安く手に入り、取り扱いが簡単で操作を容易に教育できる。つまり、ハードとソフトの両面で画期的に低コストを実現した兵器ですから、地域紛争の主役になってしまっているわけです。
異分野から銃器設計界に入ったカラシニコフ
世界的なベストセラー、AK自動小銃を設計開発したのは、すでに80代半ばの高齢に達しているミハイル・カラシニコフ中将です。彼は現在のメーカーであるイジマシュ社の最高顧問をつとめています。
カラシニコフ氏は、もともと蒸気機関車の整備士でした。1930年代にその仕事を通じて野外で使用される機械の部品間には、適度なクリアランスが必要だということを経験から学び取りました。やがて30年代後半に旧ソ連軍の戦車学校に入学し、戦車指揮官になると泥や埃のなかでエンジンのパワーを振り絞って走り回る戦車の整備経験で同様なことを確認していきました。
1941年に独ソ戦が始まり、出征すると戦闘ですぐに重傷を負った彼は、他の負傷兵とともに戦線の後方に送られる際、衝撃的な体験をします。乗せられていたトラックがドイツ軍のオートバイ偵察部隊に襲われ、自動火器をふんだんに装備したドイツ兵によって仲間のほとんどが射殺されたのです。
この体験がきっかけとなって、カラシニコフは自動火器開発に携わる希望を上申し、銃器設計技師への歩みをはじめたのでした。しかし、初めて銃器設計に取り組みはじめた彼にとって、先輩設計者の考え方は大きな疑問をもたざるを得ないものでした。
19世紀末以降、自動拳銃や機関銃、さらに自動小銃の原型が生まれてきましたが、それらの設計者は、「最小限の火薬の力で弾丸を発射するとともに、確実に部品を自動作動させる」ということを「部品間のクリアランスをなるべく狭くし、火薬ガス漏れせずに最大限その力を生かす」という方向で解決しようとしてきました。その結果、零下20~30度以下になるようなロシア戦線の冬には、歩兵の持つ火器はしばしば発射不能となって“棍棒の役にしか立たない兵器”になったり、機関銃などは暖炉や焚き火で焼いた石で暖めてやっと使えるようになったりといった事態に直面しました。
夏でも冬でも、支障なく機関車や戦車を動かしてきた経験をもつカラシニコフは、凍結などの収縮にも対応でき、さらに泥や埃がつまらずに落ちてしまうような部品間のクリアランスを大胆に採り入れた自動小銃の設計に取り組み始めました。しかし、正確な射線が求められる銃身や弾薬装てん部分には、“遊び”を持たせつつも閉鎖時にはしっかりと弾薬と銃身部を固定できるロータリーボルト(米国の技術)を採用し、高い命中精度をも実現しました。
幾度かの試行錯誤を経て、1945年の終戦までには現在のカラシニコフ自動小銃の原型を完成させたのです。以後、カラシニコフ自動小銃は、使用弾薬や一部材料以外、基本的な変更のないまま量産が続けられ、多くの軍隊やゲリラにまで使われ続けているのです。
異分野で生かされた技術的到達や知見で、曇りなく既存の技術や製品を見直すこと――それで新たな地平を開いたということが、カラシニコフ自動小銃の未曾有の成功に示されているのです。
文:古是三春(キャトル・バン)