佐伯泰英が書き下ろす「居眠り磐音江戸双紙」は、平成の大ベストセラーといわれる人気時代小説だ。2002年の刊行以来、シリーズはすでに23巻、累計545万部を突破。かくいう筆者もシリーズ全巻を一気に読破した。
政策を決定する両替商の存在
九州・関前藩の重役の嫡男でありながら、わけあって江戸の地で浪人暮らしをする主人公・坂崎磐音(いわね)と、江戸下町を闊歩する人々との交流。さらには居眠り猫が突然目覚めるがごとくに、磐音が当代一流の剣さばきを見せる活劇シーンとあいまって、読む者を飽きさせない。とともに、磐音が交流する人々の生活が、江戸期の経済状況を点描していて非常に興味深い。
武士である磐音が信頼を寄せ、後見人として出入りを許されているのが、両替商・今津屋だ。それも免許制で江戸府中で は60軒しか開業を許されていない両替商の、いわば総元締めという豪商である。
両替商とは、為替取引や預金・貸付け、手形取扱いなど、いまの銀行と同様の事業を行なっていたのだが、おもしろいのは江戸、大阪、京都という当時の三大都市間においては、本格的な為替取引が行なわれていたということ。作中にも旅に出る磐音に対し「金が足りなくなったら為替を送りますから」との言葉が出てくる。為替とは、現代と変わらぬ日常的な取り引きであったことがうかがい知れる。
また「居眠り磐音江戸双紙」は、米経済から貨幣経済へと移行していた江戸中期が舞台だが、当時はまさに商人が政治の肝をも握っていた。諸大名は参勤交代などで出費がかさむ一方で、年貢収入は頭打ちだったために、財政が逼迫。そこで江戸家老などが自ら頼み、両替商から借金をすることとなる。事実、今津屋にも大名、旗本が日参し、時が時ならば同席も許さないような商人風情に頭を下げるシーンがでてくる。
さらには時の将軍が、全国の大名、旗本と徳川家康を祀る日光東照宮に参内するさいにも、幕府だけでは予算が組めず、今津屋をはじめとした両替商が立て替える。そのために幕府の勘定方とともに今津屋の老分(大番頭)が参内に同行し、金銭関係の一切の決裁を行なうのである。両替商がいなければ、幕府の政策が立ち行かなくなっていたのだ。
武士が商いに乗り出し財政改革
磐音の出身藩である関前藩も、ご多分にもれず財政が破綻寸前。国主自ら清貧に甘んじた日々を過ごしていたのだが、そこで財政改革に立ち上がったのが磐音の父にして国家老の正睦だ。改革案とは関前藩の海・山の産物を舟により一挙に江戸に持ち込み、商いをするというものだった。
当時江戸の消費需要が盛り上がるにつれ、日本全国から多種多様な物産が水運で運び込まれるようになった。上方の物産を江戸に運ぶために、大阪と江戸間に民営の定期航路が発達した。二つの組織がそれぞれの定期便を運航して、明治に入るまで、競争を続けた。また江戸時代以前に確立していた北前船(大阪と日本海経由で北海道を結ぶ)、西廻り廻船(大阪と瀬戸内、九州を結ぶ)と合わせて、日本列島全体を結ぶ民間による定期商業航路が完成していたのだ。
今津屋に紹介された卸商の手により関前藩産の商品は厳しく精査され、一度、二度と江戸で売りさばかれるうちに関前ブランドが確立し、着実に利潤をあげていく。まさに旧態依然とした殿様商売、米経済システムから市場経済システム、貨幣経済システムへと武士自らの手で脱却していくのである。
進化しつづける市場経済システム
というように「居眠り磐音江戸双紙」のなかでは、移りゆく江戸の経済事情も描かれているのであるが、それ以外にも江戸時代には、通貨政策にともなう物価安定策や問屋株仲間(=業界団体)を結成し、売り上げから運上(=間接税)を徴収、また金と銀との兌換は変動相場制によって行なわれるなどのシステムが稼動していた。まさに現代の雛型となる経済構造がそこにはあったのである。
明治維新後の「文明開化」が急速に進んだのも、こうした近代的な市場経済システムが実態として存在していたからであり、その意味では日本の市場経済システムは環境に適応しながら、400年間にわたって進化してきたといえる。それはロシアや中国、インドにはない歴史だ。日本経済はもっと自信をもってよいのではないか。