成功経営者インタビュー

モビルス株式会社 代表取締役社長 石井智宏氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、石井智宏氏(モビルス株式会社 代表取締役社長)です。(2025年4月23日 2025年4月30日 配信)

今回は、モビルス株式会社の石井氏にお越し頂きました。会社に所属しながら、アメリカでMBAを取得。その後、多数の日本企業の海外進出を実行支援。2014年にモビルス株式会社に参画し、同社を成長させたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをご覧ください。

新谷哲:今回のインタビューは、モビルス株式会社の石井智宏社長です。まずは経歴をご紹介します。1998年早稲田大学卒業、2009年ペンシルベニア大学ウォートンMBA所属。ソニー株式会社にて11年間ラテンアメリカ市場における政府マーケティングに従事。その後、クオンタムリープ株式会社にて多数の日本企業の海外進出を実行支援。2017年にモビルス株式会社に参画し、2021年には東証グロース市場に上場を果たされました。石井智宏社長、本日はよろしくお願いいたします。

石井智宏:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身はどちらでしょうか?

石井智宏:千葉の市川です。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

石井智宏:小学校は千葉ではありませんでした。親の仕事の関係で海外に行き、ドイツのデュッセルドルフという、日本人が多い地域の小中学校に通いました。

新谷哲:ドイツの小学校での思い出はございますか?

石井智宏:日本人学校で、日本人のコミュニティの中にいました。やはりドイツだけあってサッカーが盛んで、私もサッカーをしていました。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

石井智宏:中学校もドイツで、サッカーはずっとやっていました。海外にいるので聴いている音楽もロックや洋楽で、それぞれ好きなバンドがいて、そのバンドの大きなワッペンをジージャンに貼って学校に行っていました。

新谷哲:高校時代も、そのままドイツですか?

石井智宏:高校は日本です。千葉県の県立千葉高等学校という、地味な学校に通いました。

新谷哲:千葉高校はトップクラスだと思いますが?

石井智宏:私が通っていた時代は、東大進学率が高いと言われていましたね。今はだいぶ下がったようです。

新谷哲:それでもトップ校だと思います。高校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

石井智宏:千葉高校は、千葉駅から一駅奥に行った所にあり、周りには何もありませんでした。その分、校則はゆるかったです。学ランが制服ではありますが、好きな服を着たりと自由な校風でした。高校時代の思い出は、1年間まるまるアメリカへホームステイをしました。高校2年生の夏に帰ってきて、高校1年生として復帰しました。当時は2年生で戻ることができましたが、受験の問題など色々あり、1年生にしました。長く通えて友達ができたことは、私にとって大きかったと思います。

新谷哲:アメリカのホームステイではどのようにお過ごしになられましたか?

石井智宏:最初は英語もそこまで喋れないので無我夢中でした。サウスカロライナという南部の田園部の町で、ちやほやされると思っていましたが誰も声をかけてこなかったです。これはマズイと思い、英語はあまり喋れないけど大きな声を出して自分の存在を目立たせる、というところからスタートしました。

新谷哲:積極的な性格をされていたのですか?

石井智宏:いや、無理をしたという感じです。ドイツにいたときにロックなども聞き、いつか行っていたいと憧れていたアメリカでしたが、イメージと違う田園部で誰も近寄ってこない。せっかく来たのだから目立たなければと思い無理をしたのが、おそらく自分の性格を変えたのかもしれません。

新谷哲:ロックはどんなバンドをお聴きになっていたのですか?

石井智宏:ハードロックという分類になります。例えばモトリークルーとかボンジョビ、バンヘイレンなどが流行っていた時代です。

新谷哲:大学は早稲田大学に進まれていますが、学部はどちらでしょうか?

石井智宏:政治経済学部です。

新谷哲:大学時代はどのようにお過ごしになられましたか?

石井智宏:授業に行った記憶がないくらい遊び惚けていました。スキューバダイビングのサークルに入ってほとんどその活動をしていました。私は三宅島の方が多く、夏はずっと住み込みバイトみたいな感じでした。普通の週末も、金曜日に船に乗って、月曜日まで帰ってこないという感じです。

新谷哲:では、インストラクターやアドバンスのような資格を持っていたのですか?

石井智宏:今は失効していますが、インストラクターは1回取っていました。

新谷哲:年間ではどのくらい潜られたのですか?

石井智宏:最後の方は面倒くさくなって数えていませんが、学生の時は600回~700回くらいです。

新谷哲:すごい潜られていたのですね。大学卒業後はどうされましたか?

石井智宏:大学三年生の時にゼミがありました。私の学部ではゼミが必須ではありませんが、皆ゼミを選ぶくらいちゃんとしていたので、私も申し込みます。しかし、申込日に寝坊をしてゼミの届けができず、ゼミなしになりました。ゼミに入らなくとも卒業ができますが「遊び惚けたまま就職活動をし、社会人になっていいのか?」とハタと気付いて怖くなります。その時ちょうど親がアメリカに駐在をしており、一年間休学させてもらいアメリカの大学に通いました。自慢じゃないですが、その時は結構勉強をします。何もないところにある、すごく小さいコミュニティの大学でしたが、セールスの授業やスモールビジネスマネジメントとか、起業するにはどうするか、という実践的な授業が多くありました。そこでアメリカの大学の最高峰にMBAがあるのを知り、チャレンジしたいという気持ちが芽生えます。日本に戻ってからは就職活動をし、新卒でソニーに入りました。

新谷哲:アメリカの大学での思い出はございますか?

石井智宏:毎日3時間寝られるかどうか、という生活です。授業に行って、金曜にはフラフラになって、土曜日には半日寝るという繰り返しです。自分でもなんかよくやった、という記憶はあります。

新谷哲:大学では起業に関することを学ばれたとおっしゃいましたが、それが後の起業に繋がったのでしょうか?

石井智宏:何を学んだかはあまり覚えていませんが、アメリカは起業することが特殊ではありません。若い人だけでなく、50代や60代の人も起業をしています。そうした世界に触れたことで影響を受けたかもしれません。

新谷哲:新卒でソニーに入社されますが、こちらを選ばれた理由はございますか?

石井智宏:商社に行こうと思っており、商社を中心に受けて内定もいただきましたが、ソニーからも内定が出ました。父親が家電メーカーの東芝だった影響で「ソニーも面白いのかな?」と思いました。ソニーからは「まずは海外向けからキャリアがスタート」という話をされますが「商社に行こうと考えている」と伝えました。すると「あ、そう、行けばいいじゃん」と冷たく返されます。商社の方は、月に1回くらい声がかかり、OBがご飯に連れて行ってくれました。私は面接時に食品を扱いたいとアピールをしたので、食品部門の事情を聞きました。食品部門に行くと、その分野のスペシャリストになることを求められます。例えば、タコイカ課というタコとイカを専門に扱う部署が本当にあります。それと比べた時に「ソニーで海外に行く方が、幅広い道があるのではないか?」と思い、最終的にソニーに入社することを決めました。

新谷哲:ソニーでの思い出はございますか?

石井智宏:ソニーは当時景気が良いこともあり、今思えば乱暴ですが入社して半年くらいで「日本にいてもしょうがないから出張に行ってこい」と言われました。配属先が中南米課になり、販売会社の国のソニーパナマにも行きました。南米の上の方を担当する窓口みたいな部門で、そこの課長や部長の皆さんは駐在員をずっと経験している人でした。最初から1年間の半分くらいは出張です。コロンビアに2か月行ってミッションがあって帰ってくるとか、パナマに4か月行って帰ってくるとかしました。2年目が終わる前にはパナマ駐在になりました。そこでは自分の部門が与えられ、10人くらい部下がつきます。部下は全員が年上で、前任者も私より7歳は年上の先輩でした。全員から「この若造が」という目で見られるスタートを切って、ノイローゼになるくらい痛めつけられました。この経験が、今は生きているかもしれません。

新谷哲:パナマ時代の思い出はございますか?

石井智宏:マネジメントも分からないのに、チームを率いらなければなりませんでした。最初は「自分はパーフェクトでなければいけない、正しくなければいけない」、という思い込みがあり、そのことで、人がボロボロと辞めていきます。カナダ人の同僚から「お前大丈夫か?」とか「あいつはダメなんじゃないか?」と横やりが入りましたし、寝ても覚めても仕事の夢を見る感じで辛かったです。ただ、パナマの社長は「失敗してもいいからとりあえずやれ」という懐の深い方で、今でも頭が上がりません。パナマには3年ほどいたのですが、最後の方には自分の部門のメンバーが「もっと俺に任せてくれ」と直接言ってきて、実際にその人にやってもらった方が自分よりパフォーマンスが良かったりと、本当に教えられたというかすごく良い経験になったと思います。

新谷哲:ソニーにいらっしゃる時にMBAを取得されていますが、MBAは「どうしても取ろう」という決意があられたのでしょうか?

石井智宏:入社の際にソニーか商社を選ぶ前から、就職する会社の条件として「MBAの派遣制度」がある会社という条件で就職活動をしていました。ただ、私がパナマにいるときに人事の方が出張にきて「その制度は辞めた」と聞かされます。ただ、新卒面接の時に「MBAに行く」ことを条件にしたことを覚えていて、私は行かせてあげると凄いことを言われました。ただ「アメリカで2年はダメ。ヨーロッパに1年制のMBAがあるので行くならそっちだ」となりました。私はどうしてもアメリカの2年制のMBAに行きたかったので、最後には自費でいく決断をします。

新谷哲:MBA取得後は、国内の投資ファンドに移られていますが、なにが転職のきっかけとなられたのでしょうか?

石井智宏:全員とは言いませんが、基本的にはキャリアを作りにMBAに行きます。私が行った学校はファイナンス校と呼ばれる金融に強い場所で、投資銀行家コンサルに行く人が多かったです。私はソニーに戻る気はあまりなく、次のステップはどうするか考えました。そこで「投資銀行は合わない。ならコンサルだ」と考え、インターンを夏に2社ほどやらせていただきましたが、結局合わないと思いました。ソニーに戻ろうかという考えが頭をよぎり、クラスメイトに相談をします。アメリカ人だったと思いますが、彼から「ソニーに戻ったらどんな役職でどう仕事をするのか」と聞かれ「課長になるのにあと5年くらいかかると言われた」と言います。すると「お前はバカか、何をしにここにきた」となり「あ、そうだよな」と思いました。やはりチャレンジするためにMBAを取りにきたのだから、マネジメントを追求したいと考え、国内のさわかみ投信という会社に入ります。実は創業者の方が私のクラスメイトで、当時はまだ会社にいました。その方から「一緒にやらないか」と声をかけていただき、当時70人くらいの会社に飛び込んだという流れになります。

新谷哲:さわかみ投信ではどのような仕事をされたのですか?

石井智宏:創業者から最初に「社長を譲るからその仕組みを作れ」と言われました。社内では創業者は神のような存在で、皆が創業者を見て仕事をしています。しかし、次の社長は神でない方がやらなければいけません。それをどうするかが私のミッションだと認識してスタートをしますが、当たり前ですが創業者は右に左に振れまくります。振られる中でどうミッションを果たすか、どう折り合いをつけながら実現するかというのは、難易度が高かったと思います。他には、広報やマーケティング、経営企画なども行いました。あと、今に繋がるものとして、コンタクトセンターみたいな場所から受発注を受ける部署がありました。受発注は電話で行われますが、システムが入っていないので、社内で一斉に電話がなります。それを誰が一番に取るかみたいな世界で、社員はトイレにも行けない状態で疲弊していました。解決するためにシステムを入れることになり、これもやったという記憶があります。

新谷哲:その後、さわかみ投信からクオンタムリープ株式会社に移られますが、どのような経緯があったのでしょうか?

石井智宏:さわかみ投信での社長交代が実現して、それがちょうど2年くらいでした。自分の中で「一旦やりきった」となりました。ソニー時代から私の中に海外というテーマがあり、もう1回海外に関わりたいと考えます。クオンタムリープは、私のソニー時代に海外営業部門のトップをされていた出井社長が作られた会社で、たまたまお会いする機会がありました。その時に「外資系への転職を考えている」と相談すると「外資系はやめなさい」という話になり、クオンタムリープにお世話になったという感じです。

新谷哲:クオンタムリープ株式会社ではどのようなことをされたのでしょうか?

石井智宏:当時のクオンタムリープは数名の小さな会社でした。ソニーでは10万人規模、さわかみ投信は70人規模と、ダウンサイジング感が半端ないですが、出井社長は私の憧れの人です。その方と一緒に仕事をするという高揚感と、数人の会社はいつ潰れるかわからないというハラハラで、しびれるものがありました。クオンタムリープでの仕事は、日本企業、中小企業の海外進出をハンズオンで手伝っていくことです。私はそこに、例えばファンド的にお金を入れる、という仕事をやりたかったのですが、井出社長からは「やりたいことがあるなら、子会社作れ」を言われました。そこで子会社という形でパートナーのみんなと作ったのですが、井出社長は100万円の資本しか入れないこともあり、ジリ貧から会社経営を始めることになります。会社を経営することは難しく、自分の腕1つで売上を作り、自分に給料を支払うことは本当に難しいと痛感しました。

新谷哲:クオンタムリープアジアで、アジア地域の海外進出を何社もお手伝いしたのでしょうか?

石井智宏:そうですね。メンバーはそれぞれ得意な国を持っており、私はベトナムとインドネシアを中心に事業展開をしていました。中小企業の社長さんは海外に興味はありますが、基本的にはうまくいきません。海外に行きたいが、どのような事業をするのかがなく、気持ちだけで進出して途中で頓挫するケースが多いと、仕事をする中で気付き事業のスタイルを変える必要があると感じました。アジアの場合は政財界が一体になっていたり、狭いエリートのコミュニティがあることが多く、そこへのアクセスはありました。例えば先にベトナムの企業に行き「こういう日本企業と組みたい」というニーズと取り、それに合致する日本企業を探すことで徐々に事業が回るようになります。井出社長の名前を使うとフィーを高くとれることもあり、最初はポンポンと案件が取れます。これは楽勝だと思ったのですが、1年ほど経過すると誰も営業活動や次の仕込みをしていないと気付き、ある日収益がパタッと止まりました。メンバーや私に払うお金がないので、10ヶ月とか給料を止めざるをえなくなり、家族からは「口座に給料が入ってないけど?」って言われて「あれ?おかしいな」って言ってごまかしながら経営を続けました。これは中々得られない経験でしたね。

新谷哲:それは子会社の経営というよりは、完全な創業ですよね?

石井智宏:完全な創業ですね。だから子会社作れよっていう出井社長の言葉はまやかしだったっていうことです(笑)。

新谷哲:素晴らしい経験でしたね。その後、モビルス株式会社に参画されますが、どのようなきっかけでしょうか?

石井智宏:私がベトナムの事業をやっている時に、ベトナム側の投資銀行の方から「ご兄弟が日本で事業をやっているからぜひ紹介したい」と、モビルスの創業者だったラン・ホアンさんを紹介いただきました。最初はコミュニケーションを取るだけでしたが「何か一緒に事業をやろう」という話になり、外国人の開発エンジニアの方の派遣事業の会社を作ることになりました。この時に、モビルスというベトナム人エンジニアのいる会社があり、そこを箱として使うことになったことがきっかけです。この事業は私がクオンタムリープに所属しながら稼働をして、半年くらいである程度軌道に乗りましたが、モビルスの役員の方々は「どの方向に事業を進めればいいか分からない」という状態になっていました。そこからモビルス本体の事業も見てくれないかという話になり、参画したという流れになります。

新谷哲:では、石井智宏社長が参画されたときは、代表ではなかったという感じでしょうか?

石井智宏:代表ではありません。詳しくは覚えていませんが、最初は営業部長とかごもっともなタイトルをつけて新規事業をやっていました。モビルス本体に受け入れられるときには一時的に役員の形で入り、元々あったサーバー技術を活用した事業展開をしようとします。当時のモビルスは製品の開発をしておらず、受注開発という形でモバイル開発を粛々と受けていました。受注開発の事業を拡張するのはスケールが大きくならないので、プロダクトを持つ会社にしようと考え、元々持っていたチャットのサーバー技術を使おうということになります。かなりの開発投資が必要で、投資を募ろうとする時期に社長が不在の状態になりました。その時、私が社長にならないと出資が受けられないので、社長に就任したという形です。これが2014年末くらいです。

新谷哲:そうすると、ファンドが入ってくることになるので上場を目指されたという感じでしょうか?

石井智宏:そうですね。MAやIPOと言ったところは、イグジットがベースの資本構成になっていくので、何らかのイグジットは求められるということになりました。

新谷哲:ご経歴から考えると、社長を引き受けるときに怖さは全く感じていないと思われますが、いかがでしょうか?

石井智宏:もっと怖い思いをしていたので、怖さはなかったです。

新谷哲:上場をするうえでご苦労されたことはございますか?

石井智宏:VC(Venture Capital(ベンチャーキャピタル))に入っていただいた際、上場を唯一の選択肢に置かないように思っていたことがあります。スピード感をもって実現させる意味ではMAも選択肢に入れていました。私は事業を作り込む上で、仲間が1番の成功要因だと考えています。どのような人と一緒に仕事をするか、どのような人と成功を積み上げるかというところですが、ネームバリューも採用費もない会社では、応募者が少なくなります。入ってくれた人たちにどうアップサイドのインセンティブをつけるかを考えると、上場を目指すのがベストだろうと考えて、上場を目指しました。

新谷哲:なるほど、ありがとうございます。ご苦労なんてございましたか?

石井智宏:正直、あまりありません。もちろん、業績がないと話にならないので、売上や利益を出すところでは苦労しましたが、上場に関しての準備は、今、CFO(Chief Financial Officer(最高財務責任者))をしている者が行いました。彼からは言われたのは「徹底的に売上と利益を作れ」というもので、上場するための部分はすべて引き受けてもらったので、私自身は上場のプロセス自体であまり苦労していません。

新谷哲:次に、モビルス株式会社様の事業内容などをお聞かせいただけますか?

石井智宏:企業と企業の顧客との間には、必ず顧客接点というものがあります。これを広い言葉ではCX(カスタマーエクスペリエンス、顧客体験)と言い、このCXの領域に特化したテクノロジーを提供するのが弊社の事業モデルです。分かりやすいところでは、コンタクトセンターがあります。電話でのお問い合わせを受けるコールセンターや、メールやチャットを受けるものがコンタクトセンターにあたり、そこで使われるソースのソリューションを提供しております。これまでは人海戦術でなんとかしていた業界でしたが、生成AIが登場したこの3年で大きく変化しました。これまで人が質問に答え、対応や手続きをしていた部分をAIで行えるので、CXの領域が一気に変化し、生成AIが変える一丁目一番地と言われています。この辺りも我々がソリューションとして提供しています。

新谷哲:ここからは全く違う質問をいたします。事前に好きなもの、好きな事をお聞きし「釣り、登山」とお答えいただきました。釣りは毎週行っているのですか?

石井智宏:疲れるので毎週は行きませんが、月に2回~3回行っています。

新谷哲:何を釣りに行かれるのですか?

石井智宏:海釣りです。最近は鰆を釣りたくて通っていますが、難易度が高いです。今までで4回いきましたが、釣れたことがありません。

新谷哲:地域はどちらになりますか?

石井智宏:東京湾、相模湾が多いです。ただ場合によっては沖縄に行ったり北海道まで行ったりもします。

新谷哲:次に座右の銘もお聞きしていまして「マネジメントは太陽であれ」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由をお教えください。

石井智宏:若いころにソニーで良い経験を得られました。ソニーはもちろん大企業ですが、中南米の販売会社に行くと中小企業の規模でした。大きい会社でも300人とか500人とかの規模で、日本から行くと最初からマネジメントポジションなので、結構揉まれました。マネジメントによって、会社の雰囲気や業績はコロッと変わることを目の当たりにします。底時に、すごく尊敬している方が「やっぱりマネジメントは明るくなければダメ。皆ついてこない」と言っており、座右の銘はここからきています。太陽は出ているだけで暖かくなるので、皆そっちに向かいます。彼はまさに太陽を体現されており、私の彼のようになりたいという意味でこの座右の銘を選びました。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

石井智宏:「やり続けること」が成功の秘訣だと考えます。私の周りには起業をしている経営者が多いですが、その方々はどんな小さな事業、ニッチな事業でも諦めずやり続けています。自分や彼らの経験から、やり続けることで成功への芽というか、道筋が生まれていると感じます。自分のやり続ける原動力やモチベーション、どんな仲間と一緒にやっていくかが成功の秘訣ではないかと思っております。

新谷哲:石井智宏社長、本日はどうもありがとうございました。

石井智宏:ありがとうございました。

編集後記

今回は、モビルス株式会社の石井智宏社長でした。大変頭が良く明るく前向きな方でいらっしゃって、典型的な上場企業の経営者、成功している経営者だと感じました。諦めないとかマネジメントは太陽であれなど大変すばらしいお言葉をいくつも残して頂き、仲間や社員さん、部下の皆さんを大切にされているからこそ、成功されているのだと思います。私も社員を含めた仲間たちを大切にし、太陽になって成功していきたいと思った次第です。

石井智宏氏
モビルス株式会社 代表取締役社長

1998年 早稲田大学卒、2009年 ペンシルベニア大学ウォートンMBA取得。ソニー株式会社にて11年ラテンアメリカ市場におけるセールスマーケティングに従事。MBA取得後、国内投資ファンドにて執行役員。その後クオンタムリープ株式会社のエグゼクティブパートナーとして多数の日本企業の海外進出を実行支援。2014年モビルスに参画。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、石井智宏氏(モビルス株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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