成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 株式会社ディ・アイ・システム 代表取締役社長 長田光博氏

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、長田光博氏(株式会社ディ・アイ・システム 代表取締役社長)です。(2019年11月13日 2019年11月20日 配信)

高校時代にコンピューターに興味を持ったことがきっかけで、経営情報センターに入社。その後、複数の会社で役員を経験し、株式会社ディ・アイ・システムを設立。2018年にJASDAQ上場しました。コンピューターのCPUが畳2帖ほどもある時代から、最先端の技術に携わり続けた長田光博社長の経営者インタビューでぜひお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、2018年にJASDAQ上場をした株式会社ディ・アイ・システムの長田光博社長です。まずはご経歴をご紹介します。1980年に経営情報センター入社、1989年同社取締役就任。1993年株式会社エム・アイ・シー・システムに転籍、1996年同社代表取締役就任。そして、1997年有限会社ディ・アイ・システムを設立し、1999年株式会社化し代表取締役社長に就任をされました。本日はよろしくお願い申し上げます。

長田光博:よろしくお願いいたします。

新谷哲:最初のご質問ですが、ご出身はどちらですか?

長田光博:大阪です。大阪市内の城東区、今は鶴見区と言われているところです。

新谷哲:小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

長田光博:はっきり言いまして、悪ガキでした。もうどうしようもないガキで、周りの人達にも迷惑をかけてきた小学校・中学校時代です。

新谷哲:ガキ大将みたいな感じですか?

長田光博:ガキ大将というか、集団で悪さをする感じです。

新谷哲:そうでしたか。高校も大阪の高校に進学されたのですか?

長田光博:高校も大阪で、高校時代も相当な悪でしたね。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

長田光博:お恥ずかしいのですが、警察のご厄介になる一歩手前をうろちょろするような高校生でした。

新谷哲:でも今は上場企業の社長ですから、更生されたのですよね?

長田光博:更生するほど悪でもなかったのですが、そこら辺は微妙ですね。当時高校でコンピューターの授業があり夢中なりました。成績もすごく良かったので、将来はコンピューター方面に行きたいと思ったことが、更生のきっかけかもしれません。

新谷哲:それは何年前のことですか

長田光博:今から45年ぐらい前の話ですね。

新谷哲:そうすると、当時はコンピューターを知らない人の方が圧倒的に多かったのではないですか?

長田光博:そうですね。私は今で言う富士通、当時はファコムというブランドで、コンピューターの営業をしていました。CPUのメモリが16K(キロ)の時代です。G(ギガ)とかM(メガ)じゃないのです。大きさも畳2帖ぐらいで、高さ1.5mぐらいボックスが1つのCPUになっています。そこに中央処理装置、記憶装置、アウトプットのプリンターなどが追加されます。記憶装置もハードディスクがないので磁気テープ装置を使います。プリンターも畳1帖分ぐらいのスペースが必要なので、だから全部合わせると畳10帖から15帖ぐらいの部屋がないと納められませんでした。またビルですと床強度が問題になるので床強度を補強するために鉄板を入れたり、コンピューターの発熱に対応するために空調システムを入れる必要があります。空調システムも半端な性能では駄目なのでビルの電源容量を測って、場合によっては変圧器を別で購入していいただいたりもしました。付帯装置を全部入れると、当時のお金で2500万円ぐらい。これは私が売った中で一番安い価格で、高いコンピューターだと当時のお金で億を超えました。ハードウェアにそれだけの費用がかかるのでソフトウェアはタダで付いてくる、そんな時代でしたね。

新谷哲:コンピューターの歴史を聞いている感じがいたしました。最初に勤められたのは会社では、どのようなお仕事をされたのですか?

長田光博:富士通のコンピューターを担いで販売をしていました。

新谷哲:なるほど。就職の時はご苦労をされたのですか?

長田光博:いろんなことがありました。こういうことを申し上げていいのか分からないのですが、私英語が全然駄目でした。社会や国語、数学も割と好きだったのですが、英語がダメだったのです。就職活動をする中、応募要領に「国語、社会、数学」と書いてある企業を見つけて試験を受けたのですが、実際のテストには英語も出てきました。それを見た段階で、「まともに書いたら落ちてしまう」と考えて、演技をしました。穴埋め問題などは一度答えを書いて消しゴムで薄く消しました。「答えは分かってるけど書く意思がない」という意思表示のためです。次に答案用紙に「裏へ」と書きました。裏の白紙には「御社は上場企業にも関わらず、応募要項に嘘があるのか。このような嘘を書く企業を私としては信じられないので、このテストを書くつもりもありません。前の時間に行った2教科の試験も破棄してください」と書いて教室を出たのです。そうすると呼び止められまして、「是非お詫びをしたい。役員面接に」という形に進みました。

新谷哲:素晴らしく頭が良いですね。そのような演技を、一瞬にして思いつくものなのですか?

長田光博:普通に回答したら絶対NGだ、何か芝居しなければ、と思いました。

新谷哲:長田光博社長のすごさが分かる、本当に素晴らしい話でした。この時に入られた会社で、コンピューターの営業をされたのですよね?

長田光博:まずは3ヶ月間、色々な研修を行った後に営業をさせていただきました。営業成績は良くて、最後には表彰をいただきました。

新谷哲:なるほど。やはり何でも本当はできるのですね。その後、経営情報センターという会社に入られた経緯をお教えいただけますか?

長田光博:前の会社を辞めるきっかけになったのが、経営情報センターの経営者に「大阪エリアを任せたい。一緒に仕事をやりませんか?」と声を掛けていただいたことです。当時は仕事が煮詰まっていたので、「自分に期待して、欲していただけるであれば入社させていただこう」と思い、入社をいたしました。

新谷哲:その後、役員に就任されていますが、既定路線で役員に就任されたのでしょうか?

長田光博:すみません、ちょっと経歴を間違えました。役員に就任する前に、もう1社を経験しております。ちょっとややこしいのですが、まず「経営管理センター」の経営者に声かけられて入社します。その後、内部分裂があり「独立するから、一緒にお前も来ないか?」と声を掛けていただき、「経営情報センター」の設立のメンバーの1人として入社をいたしました。

新谷哲:なるほど。それで後から役員に就任されたのですね。その後、エム・アイ・シー・システムに転籍されていますが、こちらも内部分裂ですか?

長田光博:エム・アイ・シー・システムは、経営情報センターの子会社です。

新谷哲:では子会社の社長にご就任されたのですね。

長田光博:「経営情報センター」は3人でスタートをしました。後から技術者などが加わり、650人ぐらいの会社になります。その後、子会社をいくつか作った中の1つがエム・アイ・シー・システムになります。

新谷哲:では経営情報センターの時代に、いわゆる創業の疑似体験をされていたのですね。

長田光博:会社が大きくなるプロセスは分かっていましたが、資金繰りなどは経験していませんでした。私が一から携わったのは、どうしたら従業員が増えるか、お客様とどう取引していくかという分野になります。

新谷哲:株式会社ディ・アイ・システムでは現在、システム開発などの事業を経営されていますが、当初からこの分野で事業経営をされていたのですか?

長田光博:最初はシステム開発を中心に事業経営をしていました。システム開発をしていますと、ネットワーク関係のお話をいただくようになります。その後、ネットワーク関係からセキュリティ関係、セキュリティ関係から教育事業、と事業が横に広がっていきました。

新谷哲:なるほど。株式会社ディ・アイ・システムを起業した当初は、上場を考えていたのですか?

長田光博:株式会社ディ・アイ・システムは、企業規模4人でスタートいたしました。会社を設立して1年経ち、2年経つと、50人になり60人になりと規模が大きくなりなっていき、やがて100人近い規模になります。そうすると、多少なりとも豊かになっていく訳です。豊かになっていくと、私は小さい人間ですから、ついつい贅沢をし始めてしまいます。その時に「これまずい。こんな状態が続くと、自分の身がおかしくしてしまう」と思います。自分自身を律するための方法を考えて「全社員に分かるような形でガラス張りにして1つの目標を作ろう」と決めました。そこで全社員に「株式会社ディ・アイ・システムが上場をする」と上場宣言をいたしました。自分自身を律するという部分以外にも、成長していくプロセスを1つの目標に乗っけて楽しみたいという思いもありました。

新谷哲:上場宣言をしたのは、設立してすぐですか?

長田光博:設立してから1年半後です。

新谷哲:宣言から上場まで20年ほど時間がございますが、その間もずっと上場という旗を降ろさなかったのですか?

長田光博:降ろさずにやってきました。ただ、リーマンショックの時が一番キツイ時でした。当時、ヘラクレスへの上場準備も証券会社の審査も終わっていました。残るは証券会社が上場申請をすることだけの時にリーマンショックが起きました。翌年は減収減益になることが分かっていたので、一旦、上場を諦めました。その時には上場の旗を降ろそうか迷いましたが、旗を下ろさずに続けてきました。

新谷哲:社員の皆様方は、上場の旗を下ろさないことに対して「皆で長田光博社長についていこう」という感じだったのですか?

長田光博:というより、熱くなっていたのは私だけでした。社員の人達は「上場、それ何?できるのであればどうぞ」みたいな雰囲気でした。

新谷哲:そうですか。上場の苦労は何かございましたか?

長田光博:正直言って、いっぱいあります。上場準備を経験して壁に当たって初めて分かったのですが、上場には色々なルールがあります。そのルールをクリアするためには、専門の人間がいないことには始まりません。社内で専門知識を勉強してもらうと時間がかかるので、外部から専門家を雇いました。その後も色々なことをやりながら上場に必要なことを固めてきましたので時間がかかりましたし、それぞれの担当に割り振られた人達は相当な苦労をしてくれました。

新谷哲:なるほど。もしよろしければ株式会社ディ・アイ・システムが現在経営している事業内容をお教えいただけますか?

長田光博:弊社は550人規模の会社で、システム開発からネットワークの設計構築、さらには運用、それと教育サービスをセットにした事業に経営しています。システム開発は設立以来、お客様の要望に応じてカスタマイズしたシステムを提供しており、非常に評価をしていただいております。ECサイトを始め、色々なシステムを提供させていただいておりますが、ソフトウェア開発だけでなくネットワークの提供もしております。ソフトウェアとネットワークが上手くかみ合ってこそ、トータルな意味でのシステムが完成するので、やはりネットワークが必要です。インフラのLANケーブルの設置からセキュリティに至るまで、ネットワークにも非常に幅広い技術を求められています。弊社はそういうネットワーク関連の技術を蓄えております。

他にも、人材教育事業を経営しております。例えば個人情報の漏洩という問題がございます。個人情報1件あたりの賠償は多くありませんが、それが数万件、数百万件となると膨大な金額になります。個人情報の漏洩を防ぐためには専門の知識を持った人が必要ですが、「どうやって育てたらいいか分からない。育てるための研修カリキュラムを提供してもらえないか」とお話を頂戴いたし、人材教育事業を行うことになりました。現在は、「システム開発、ネットワーク技術者、セキュリティ」に関する講座を用意して提供をしております。また「自社内でエンジニアを育てる余力がないので、代わりに教育してほしい」という要望に応えて、教育サービス事業も行っております。

新谷哲:なるほど。もしよろしければ、株式会社ディ・アイ・システムの未来像もお教えいただけますか?

長田光博:分かりやすい形で話をさせていただきます。皆さんご承知のように現在は、IoTやロボットが話題になります。仮に車の自動運転が実現するとしたら、車には自動運転を可能にするためのソフトウェアを組み込まなければいけません。そのソフトウェアを組み込んだ車はGPSを通じてどこを走っているのかを管理しますが、そのためにはネットワークが必須になります。またセキュリティ関連もしっかりしていなければ、悪用されていしまいます。車を例に出しましたが、近い将来、ソフトウェア・ネットワーク・セキュリティが融合した技術が目に見える形で出てきます。弊社はそれらの技術全て対応していけるようなエンジニアを育てた技術者集団として、世の中にサービスを提供していきたいと思っております。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をいたします。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きしたところ、「会社が成長し、規模・売上・利益・組織が拡大したことに喜びを感じる。音楽・映画鑑賞・ホームシアター・オーディオなどが好きで、ゴルフもされる」とお答えいただきました。会社が成長し、規模が拡大したのに喜ぶというお答えに感動したのですが、長田光博社長は会社が趣味なのでしょうか?

長田光博:私は色々な経験をしてまいりました。仲間と一緒に会社を起業し、喧嘩をし、場合によっては人を恨むというようなこともしてまいりました。変な話なのですが、この年になってようやく、人がどういう生き物なのかが少し分かるようになりました。そうすると、全て自分の接し方、対応の仕方で反応が変わってきました。人を恨んだり、蔑んだりした時期もありましたが「人がいなければ喜びも感じない」と痛切に感じるようになりました。一緒に仕事をして仲間が増えて、その仲間の人達それぞれ成長していく。色々な押し方をして人の成長を促し、その結果人が育っていくことに喜びを感じています。「1人でも多くの人たちが、株式会社ディ・アイ・システムを通じて広がりが持っていければ良い」と思っているのが素直なところなので、仕事人間という感じではないです。

新谷哲:ありがとうございます。次は座右の銘です。「一隅を作る」とお答えいただきました。これはどのような意味なのでしょうか?

長田光博:はい。私の座右の銘である「一隅を作る」は、最澄の「一隅を照らす」から取らせていただきました。私なりの解釈になりますが、一隅を照らすとは「自分の存在を明確にして理解するために立場、ポジションをきちんと持っておく」という意味だと考えています。私の座右の銘である「一隅を作る」は、大きなものでなく小さな隅っこでもいいから、自分の存在意義を明確に出来るものが作れればいい、という意味です。それは商品でもサービスでもいいですが、世の中に繋がりが持てる「一隅」を作り、アウトプットできれば良い、という意味で作らせていただきました。

新谷哲:素晴らしい座右の銘ですね。次が最後の質問になります。全国の経営者、もしくはこれから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教え下さい。

長田光博:経営者として成功するために会社を作った訳ではありませんが、ひたすら目の前にあることをやりながら日々を駆け抜けてまいりました。そのプロセスの中で、「人ってどういうものか?」を理解しようとし、理解をしてきました。人と人の繋がりは、切ろうと思えば簡単に切れます。ただ、繋げていこうと思うのはものすごくしんどいです。しかし繋がりを持って何かを続けていくことに、年齢は関係ありません。若い人達含めて他の人たちは私にとって良い存在になってくるので、私も相手にとって良い存在でいられればなというふうに思っています。そのため「人との繋がりを大事にしていく」ことが、経営者として成功する秘訣ではないかと考えています。私は今まで人との繋がりを大切にしてきましたし、これから先も大切にしたいと考えています。

新谷哲:素晴らしいお話をいただきありがとうございました。

長田光博:ありがとうございました。

編集後記

長田光博社長のお話を聞いて、私が感動しました。もしかしたら私が一番、勇気をいただいたのではないかと感じています。特に経営者として成功する秘訣でお話をされた「人と人との繋がりを大切にする」では本当に感動いたしました。自分のことにすごく謙虚で、座右の銘である「一隅を作る」という言葉を実践している経営者です。経営者インタビューをお読みの皆様も、ぜひ参考にしていただけたらと思います。

長田 光博 氏
株式会社ディ・アイ・システム 代表取締役社長

高校時代にコンピューターの分野に興味を持ったことがきっかけで、経営情報センターに入社。その後、複数の会社で役員を経験し、1997年に株式会社ディ・アイ・システムを設立。2018年にJASDAQ上場。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、長田光博氏(株式会社ディ・アイ・システム 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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