印刷および版下製作業を立ち上げたTさん。業績は順調に推移したが、突然、得意先のゼネコンが談合事件に巻き込まれて、受注が激減。連日支払いの催促に駆り立てられるTさんは遺書を書くまでに追い詰められた。しかし、この窮地をTさんは乗り越えた。Tさんはいかにして危機に立ち向かったのだろうか。
得意先が談合事件に関与、受注が激減
再チャレンジが容易でない現実は、以前インタビューさせていただいた倒産防止互助会会長・磯崎暁氏の経験が如実に物語っている。磯崎氏は20年以上にわたって経営危機や経営破綻に直面した中小企業の再建、経営者の再起を指導している。指導した経営者は7000人以上。そのうち再起できた経営者は3~5人にひとりという。
磯崎氏の著書『いま、再生へ 勇断の時。』(日新報道刊)に掲載された経営者Tさんの足跡を同書から抜粋しよう。Tさんは昭和60年に独立、資本金1000万円で印刷と版下製作を請け負う会社を2人で立ち上げた。当時、Tさんの義兄が準大手ゼネコンの複写部門を任されており、設立当初から次々に業務を発注してくれて、残業や徹夜がつづくほど多忙な日々となった。
6カ月後には社員が6名に増え、1年後には銀行や政府系金融機関から借り入れができるようになった。オフィスを拡張し、写植機やコピー機を増やした。得意先からの評価も良好で、業務は順調に推移。社員は12名に増えた。ゼネコンにくわえ情報企業も得意先になり、Tさんは借り入れによって設備投資を実行した。売り上げが順調だったので、返済もスムーズに進んでいた。
ところが、突然の不運がTさんを襲った。得意先のゼネコンがある県知事をまきこんだ談合事件に関与したことが発覚。Tさんの会社への発注は激減した。さらに追い打ちがかかった。情報企業が倒産したのだ。支払い先からの催促が連日つづき、Tさんは家族や親戚あての遺書を書き、銀行や支払い先へはお詫びの一筆をしたためた。
専門家に相談して気持ちの整理がついた
Tさんの窮地を救ったのはオフィスが入居しているビルの管理人だった。Tさんの異変に気づいて、倒産防止互助会(東京・千駄ヶ谷)にTさんを連れて行った。同会の磯崎会長はこう諭した。
・企業の倒産はあっても人間の倒産はいけない。
・これ以上会社をつづけても借金を増やすだけ。
・進むことも勇気だが、退くことも勇気。
・本人以上に家族は気苦労している。
・家族と温泉にでも行って体を休めること。
Tさんは紹介された弁護士の指示にしたがって会社の整理、清算を進める一方、最後まで尽くしてくれた社員を義兄の会社に雇用してもらった。気持ちの整理がついたTさんは、肩の力が抜けて、体が軽くなったような気分になったという。ひとりで悩んでいた状況から解放され、再起してがんばろうと決意するにいたった。
Tさんはこれまでを振り返った。家族や友人を巻き込んで借金をした自分が恥ずかしい。このまま進んでいたら家族をもっと苦しめ、借金が増えて、罪作りをしていたと。
平成9年、Tさんは個人破産の宣告を受けて、義兄の力添えで社員として職を得た。自責の念だけが残ったというTさんは、保証人になってくれた友人などへ給料のなかから少しずつ返済をはじめた。不義理をしなかったのだ。仲間もできて、カラオケなどを楽しめるようになったという。その後、自宅を購入できるまでに再起した。
再起にはさまざまなパターンがある。捲土重来を期して株式上場に向かうのも再起、経営者から一サラリーマンに転じて堅実に生きるのも再起。優劣の問題ではない。要は人生の立て直しである。
磯崎氏の元に相談に訪れた経営者のうち、再起できた者は3~5人にひとりという過酷な現実にあって、なぜTさんは再起できたのだろうか。
まず経営悪化のプロセスで独断専行せず専門家に相談したこと。そして、負担をかけた社員や保証人などに不義理をせずに誠意を尽くしたこと。Tさんが再起を果たせた要因はこの2点に集約できる。この2点は再起の鉄則であろう。