来たる6月6日は、史上最大の作戦として名高いノルマンディー上陸作戦の日だ。近年では『プライベート・ライアン』などの映画も製作され、血と砂がはじけ飛ぶリアルな映像が話題となった。まさに第二次世界大戦の趨勢を決めた「決戦」だったわけだが、なにがその勝敗の分かれ目となったのか。
連合軍が「青年の集団」であった事実
ノルマンディー上陸作戦は、第二次世界大戦中の1944年6月6日に行なわれた、ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦であった。300万人近い兵員がドーバー海峡を渡って北フランスのノルマンディーに上陸した歴史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年以上が過ぎた現在でも、これを超える規模の上陸作戦は行なわれていない。
上陸作戦は5日深夜の落下傘部隊の降下からはじまり、上陸予定地への空爆と艦砲射撃と続く。その後乾坤一擲の上陸作戦となったわけだが、当時は悪天候が続いており、一時的な好天と予報されたのはこの6日だけ。まさに“いましかない”と、連合軍の5000隻もの大船団がドーバー海峡を渡り、北フランス沿岸に押し寄せた。この日以降、アメリカ軍を中心とした連合軍はベルリンへの進撃を続け、翌年5月7日にはドイツ軍は無条件降伏をする。
この「史上最大の作戦」が、なぜ成功したのか? それは多くの歴史家が指摘している。「連合国のほうが、『すばやく学び、大きな変化にも対応できる集団』であったからである」と。ではその柔軟さはどこから生まれたのか。さまざまな論議があるが、ひとつの考え方としてあるのが連合軍が「青年の集団」であった事実だ。
一説によれば、この海岸の砲台に着任していたナチスの兵隊の平均年齢は45歳。なかには、56歳を超える兵士もいたという。しかも、古参兵などが幅をきかせ、官僚的となり無気力な組織に変わっていた、と。
そのうえ、遠く離れた独裁者ヒトラーの命令によって動かされていた。たしかに映画『史上最大の作戦』のなかでも、連合軍上陸にともないドイツ軍は機甲師団の移動をヒトラーに求めるが、そのときヒトラーは睡眠薬を服用し就寝中。側近から起こすことはできないと拒否され、最前線の将軍が敗北を確信することがあった。官僚的、権威的なドイツ軍の特徴がよく現われていたシーンだ。
断固たる執念が燃えたぎる!
一方、攻める連合国の軍隊の平均年齢は25歳。いかなる変化にも臆さない、勇敢なる「青年の集団」であった。さらにはつねに師団長・副師団長クラスが最前線に立って、陣頭指揮を執っていた。絶対に退くな!必ず勝つ!という「断固たる執念」が燃えたぎっていたのだ。
事実、上陸の総指揮を担ったイギリスのモントゴメリー将軍は、直前、全部隊を回り、こう訴えたという。「現在われわれがもっとも必要とするものは、強固な精神力である。たとえいかなる困難に直面しても、これを克服して踏みつけていく気概である」
ドイツ軍は、連合軍の上陸作戦を予測しながら、ドーバー海峡でいちばん狭いカレー地方への上陸が常識と判断。さらには悪天候続きなので攻撃してこないだろうと油断し、すべての対応が後手後手になった。 連合軍とドイツ軍とでは、“この一戦”に賭けて戦う執念が、まったく違っていたのだ。
組織の勝利とは、躍動する集団、集団を躍動させるリーダー、統一した理念・精神があってこそ成就する。そんなことに思いをめぐらせながら、『史上最大の作戦』『プライベート・ライアン』を読み、かつ観てみることもいいだろう。