“大空のサムライ”が突き抜けた戦果をあげた真相

読む、計算する、ラジオを聞く、話を聞く、それらを整理する。この行為を同時にできるようになった坂井三郎氏(故人)。人間の能力の70%は使われずに終わってしまうのではないか。太平洋戦争で“撃墜王”と称された坂井氏は、そう指摘した。坂井氏は、並はずれた訓練によって、このことを実感したのである。

太平洋戦争で“撃墜王”と称された海軍航空部隊の坂井三郎氏。坂井氏は200回を超える空中戦を経験し、64機を撃墜した。その足跡は自著『大空のサムライ』(正・続/光人社NF文庫)に発表されたほか、同じタイトルで映画化もされた。

筆者がお目にかかったときにはすでに80歳を過ぎていたが、後ろ姿は60歳代だった。ピン!と伸びた背筋といい、さっそうとした歩き方といい、若々しいとか矍鑠(かくしゃく)としているといった次元ではなく、凄みすら感じられた。歓談が進むうちに、筆者は坂井氏から「ところで、真剣勝負の意味がわかりますか?」と質問された。

いきなりの、それも多様な解釈がありうる質問に「……」という筆者に対して、坂井氏は明快に説明した。
「真剣勝負に引き分けはありえません。戦場で敵国の戦闘機と戦うことを考えてみてください。負ければ命を失います。勝てば次の戦いの舞台に進めます。では引き分けたら、どうなるのでしょう。戦場での引き分けというのは同士討ちです。たしかに同士討ちなら形のうえでは引き分けには違いありませんが、そこで命を失うのですから負けと同じなんですよ」

きわめてシンプルな理である。勝つこと以外に先に進めないのが真剣勝負だ。「真剣勝負においては勝つこと以外に、次の舞台に進むことがありえないのです。言い替えれば、真剣勝負に勝つことは、次の舞台に進むということなのです」(坂井氏)

坂井氏によれば、空中では人間の能力は大きく低下してしまうという。だが、戦闘機の操縦者はあらゆる能力を最大限に発揮しなければならない。しかも機内では、複数の行為を同時にできなければならない。坂井氏はさまざまな訓練に取り組んだ。

たとえば反射神経を鍛えるために、トンボやハエを素手でつかむ訓練。トンボやハエを敵機と想定して、トンボやハエの速力を判断しつつ、飛んでくる前方をつかむのだ。やがてトンボやハエは、自ら坂井氏の手の中に飛び込んでくるようになったという。あるいは、町の中で自分の周囲の情景を一瞬に把握する訓練。車が来れば、その車だけでなく反対側の車にも注意を払う訓練――等々。

訓練の結果、坂井氏は読む、計算をする、ラジオを聞く、話を聞く、それらを整理する。これだけの同時作業が可能になったという。これらの能力を坂井氏は「第二の天性」と表現し、「私の性格は、完全に第二の天性の方が、私を支配するようになってしまった」(『大空のサムライ』正)。

半端ではない――卓越した事象をそう形容することがあるが、坂井氏は半端でないどころか、日常的に極限を追求し続けた。極限の日常化ともいえるだろう。だからこそ、能力が突き抜けたのだ。すぐれている、という範疇(はんちゅう)を超えて。

坂井氏は説く。「生まれてから自然に死んでゆくまでの長い期間に、自分が持って生まれた人間としての性能の何パーセントを使って、この世から去って行っているのだろうか……と。私は、平均三十パーセントくらいだと考えている。あとの七十パーセントは捨てているのである」(同上書)

能力とは、つねに未開の状態におかれているのである。

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