成功経営者インタビュー

ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社 代表取締役社長 渡部昭彦氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、渡部昭彦氏(ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社 代表取締役社長)です。(2021年2月24日 2021年3月 3日 配信)

今回は、メンタルヘルスケア事業、人材紹介事業及び人材育成事業を展開する、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社の渡部昭彦氏にお越し頂きました。

渡部氏は東京大学卒業後、日本長期信用銀行(現、新生銀行)に入行されます。その後、株式会社日本興業銀行(現、みずほ銀行)に移られ、株式会社セブン‐イレブン・ジャパン、楽天証券株式会社とお勤めになります。2007年7月に現、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社である、ヒューマン・アソシエイツ株式会社へ入社され、その年の9月に同社の代表取締役社長に就任、2018年4月には東京証券取引所マザーズ上場を果たされました。
厳しい行員時代を経て、日本を代表する実業家である鈴木敏文氏、三木谷浩史氏と共にお仕事をされた渡部氏が語る座右の銘「頑張る」からは、とても深いお言葉を頂きました。ぜひ、経営者インタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社の渡部昭彦社長です。まずは経歴のご紹介です。1979年日本長期信用銀行(現、新生銀行)に入行されます。その後、株式会社日本興業銀行(現、みずほ銀行)に移られ、株式会社セブン‐イレブン・ジャパン、楽天証券株式会社とお勤めになります。そして、2007年7月に現、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社である、ヒューマン・アソシエイツ株式会社へ入社され、その年の9月に同社の代表取締役社長に就任、2018年4月には東京証券取引所マザーズ上場をされました。本日はよろしくお願いします。

渡部昭彦:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

渡部昭彦:東京都世田谷区奥沢です。

新谷哲:小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

渡部昭彦:小学校・中学校共に、地元奥沢の学校に通いました。小学校では2クラスと、年代的にとても生徒数が少なかったです。幼稚園、小学校、中学校と一緒のメンバーが多く、10年以上の付き合いをしてきました。東京でありながら畑がいっぱいあり、友人と多摩川で釣りや水泳をするなど、全員家族のような親密な関係で、素朴にのんびりした生活を送っていました。

新谷哲:奥沢というと、高級住宅街の自由が丘と田園調布の間にあるので、お坊ちゃんだったのではないですか?

渡部昭彦:それなりに発展はしていましたが、山の手の下町な風情も残っていたので、けしてお坊ちゃんではないと思います。祖父が奥沢に移り住む前に、奥沢・自由が丘・田園調布のどこにしようかと悩んだそうですが、自由が丘を選んでいたら今とは違う人生を歩んでいたかもしれませんね(笑)

新谷哲:高校も東京ですか?

渡部昭彦:はい。東京都立青山高等学校へ進学をしました。一昨年に、たまたま青山に本社移転をしたのですが、45年ぶりくらいに故郷に帰ったような気持ちで仕事をしています。

新谷哲:東京都立青山高等学校というと、進学校のイメージがありますが、高校時代の思い出はございますか?

渡部昭彦:レベルが高いと言われていましたが、非常にリベラルで、学生紛争が盛んな時代には唯一生徒が逮捕された高校でした。共学で服装も自由、周辺には青山、表参道があり、非常に楽しかった思い出です。

新谷哲:大学はどちらへ進学されましたか?

渡部昭彦:運よく、東京大学に入学することが出来ました。高校時代はそこまで立派な成績ではなかったので「なんでお前が!?」とたいへん驚かれました。

新谷哲:東京大学ではどのようにお過ごしになられましたか?

渡部昭彦:東京大学では文科二類の経済学部に入りました。高校時代に所属していた剣道部は硬派で、きつい練習ばかりしていたので「大学では遊ぼう!」と思っていました。学校には行っていましたが、マージャン三昧の自堕落な生活を送っていました。

新谷哲:大学卒業後は、日本長期信用銀行(現、新生銀行)に入行されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

渡部昭彦:隣の家に住んでいたおばさんのご紹介がきっかけです。大学4年生の夏休みに、家の庭でブラブラしていたところおばさんに「就職はどうするの?」と声をかけられました。当時は会社訪問が10月1日解禁で、従来であればすでに訪問先を決めていなければいけませんでした。しかし、私はまだ考えておらず、それを伝えると「私の身内に日本長期信用銀行で勤めている人がいるから、会ってみたらどう?」とご紹介を頂いたのです。お会いしてみると、「大学の外国語は何を選択しているの?」と聞かれ「フランス語です」と答えると「アルベール・カミュの異邦人だね」と言ってフランス語を喋りはじめました。私は「とても魅力的な人だ!」と一発でシビレ、入行を決めたのです。その方は最終的に頭取にまでなられ、とても良いご縁を頂いたと改めて感じています。

新谷哲:すごいお話です。日本長期信用銀行というと、東京大学、悪くて一橋大学でないと入行出来ない難関の素晴らしい銀行です。当時の思い出はございますか?

渡部昭彦:銀行では、2年~3年ごとに異動をします。その中でも大きく思い出に残っている仕事が2つあります。1つ目は、まだ若いころ通産省(現、経産省)へ出向をした経験です。当時の通産省では、一般的な国会対応が多かったのですが、通常残業省と呼ばれるほど激務でした。1日16時間~17時間、年間約300日を3年間、つきぬけて優秀な人たちと一緒に仕事が出来たのは、非常に強烈でした。その方々とは、現在でもお付き合いをさせて頂いていて、とても良い経験です。2つ目は、30歳頃に国際金融部でアジア・オセアニア担当をした経験です。アジア・オセアニアは、良くも悪くも距離が近いので時差がありません。その為、日中に英語で対応する必要があるのですが、私は留学経験も無く英語が苦手だったので、とても苦労をしました。当時は、恥を忍んで電話をしていました。語学学校に通う時間もとれなかったので、洋画のビデオを借りて、字幕にガムテープを貼り独学で勉強をした記憶があります。また、30年前のアジアは中国も対外開放をしておらず、上海空港の検知器がベニヤで出来ており、インドにはビルもない、そんな時代でした。アジアの方たちに資金を融資する仕事を通じて、国の発展に資することが出来たのかな、と今になって思います。銀行では本当に様々な経験をさせて頂きました。

新谷哲:日本長期信用銀行らしいグローバルなお話です。その後、日本興業銀行(現、みずほ銀行)に移られた理由はございますか?

渡部昭彦:日本長期信用銀行が実質破綻し国有化されたことがきっかけです。私は、金融庁が出来つつある時は人事部、国有化が決定した時は企画部に配属をされ毎日大変な生活を送っていました。受け先、スポンサー、EXIT(イグジット)が決まり「やっとひと段落つける」と思ったころ、副頭取として日本長期信用銀行に来ていらした日本興業銀行の役員の方が戻られると伺い、私も移ることを決めました。なぜかというと、日本長期信用銀行にはこれらの一連で外資が入ることに、抵抗感を感じたからです。そして、もう一度純粋な日本の金融機関で挑戦しようと思ったのです。この決断が、私の社会人としての転換点であり今日に至ります。

新谷哲:なるほど。日本興業銀行ではどのようなお仕事をされたのですか?

渡部昭彦:フロント(収益を挙げる部門の総称)として、営業回りを3年半ほどやりました。日本長期信用銀行に比べ、日本興業銀行は似ていますが、重厚長大に強いという特徴があります。その中で、最もトラディショナルでハードな鉄鋼会社や重工会社などを担当させていただいていました。取引の厚みがあり、改めて日本の金融界と産業界の深さを感じた有意義な経験です。

新谷哲:ありがとうございます。その後、セブン‐イレブン・ジャパンにご入社されました。銀行からコンビニというのは意外ですが、移られた理由はございますか?

渡部昭彦:知人に、セブン銀行の役員を務めている方がおり、声をかけて頂いたのがきっかけです。日本興業銀行はみずほ銀行に変わり、カルチャーの違いを感じるようになりました。そんな中、セブン‐イレブン・ジャパンはとても良い会社ですが「人事、企画が出来る人間がいないのでやってみないか?」とお誘いをいただきました。「なかなか面白そうだ!」と感じ、目線を変えて新たなチャレンジをしようと移ることを決めました。

新谷哲:セブン銀行が立ち上げられたばかりの時期ですか?

渡部昭彦:セブン銀行はまだ準備室の段階でした。セブン‐イレブン・ジャパンでは、最初に人事、後半には企画を担当しました。入社し驚いたことが2つあるのですが、1つ目は、オフィスの蛍光灯から紐がぶら下がっていたことです。節約のため昼休みには電気を消すのですが、果たして効果があるか分かりませんが、気持ちの問題が大切ということです。2つ目は、全員の机が廊下を向いていることです。これは、「廊下を通るお客様にお尻を向けられるか」ということです。「そこまで企業カルチャーを徹底できていて素晴らしい!」とカルチャーショックを受けたのを今でも覚えています。

新谷哲:イトーヨーカ堂の伊藤雅俊名誉会長、それともセブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長の鈴木敏文さんの御方針ですか?

渡部昭彦:元は伊藤雅俊さんかもしれませんが、基本的に鈴木敏文さんの方針だと思います。私は、鈴木敏文さんのことを「とてもすごい人だ」と今でも尊敬をしています。当時、FC会議といって毎週火曜日の朝に全国からスーパーバイザーが数千名集まるミーティングがありました。冒頭に鈴木敏文さんから30分ほどのお話があるのですが、毎週同じことしか言わないのです(笑)それでも言葉というのは不思議で、それしか言えなかったとしても「なるほど」とみんなが唸るわけです。基本的に順風満帆の会社ですが、厳しい時には、その変わらぬ一言が軸となり会社がブレないのです。人に何かを伝えるというのは、ボキャブラリーではなく気持ちの問題だということがよく分かりました。残念なことに今は辞められてしまいましたが、カリスマ性だけではない、私が知る限り圧倒的に素晴らしい経営者です。

新谷哲:聞いたお話ですが、スーパーバイザーのミーティングは今も毎月行われていているそうです。長いと3日間東京に泊まり、お正月も研修や会議があり集まっているそうですが当時はいかがでしたか?

渡部昭彦:当時は私も出席していましたが、正月の1月1日に全管理職が必ず集まります。そして、1月2日には幹部会議がありレポート報告をします。小売業なので仕方ないのですが、セブン‐イレブンにとって、大晦日も元日も関係は無く、365日お店の状況を把握していなければいけないということです。当時の新入社員にこんな笑い話がありました。大学卒業後に同期と金曜日の夜に飲みに行ったそうです。そこで社員が「俺さぁ!今週末連休なんだ!」と嬉しそうに言ったそうです。すると周りが「月曜日も合わさって3連休か~」と言って「いや、土曜日、日曜日の2連休」と答えたら驚かれたという話です。今はだいぶ改善されているとは思いますが、それぐらいすごいのです。

新谷哲:それはすごいです。その後、楽天証券にお勤めになります。こちらはどのような経緯で移られたのですか?

渡部昭彦:知人から「楽天で銀行を作ることになった。手伝ってくれないか?」と声がかかりました。もとは銀行員としてスタートした人生、楽天グループのような新しいカルチャーの中で銀行を立ち上げるという仕事にとても惹かれたのです。セブン‐イレブン・ジャパンは、素晴らしく今でも大好きな会社ですが、移ることを決め、皆に「頑張ってください!」と見送っていただきました。しかし、ネット企業のスピードはすごいです。入社したとたん、銀行を作るのではなく提携するという話になり、金融周りの楽天証券に籍を置き仕事をスタートすることになりました。

新谷哲:楽天証券ではどのようなお仕事をされましたか?

渡部昭彦:楽天証券では、最初に社長室長として入り、その後常務取締役CFOを務めました。管理部門なので、人事、総務、企画などを所管する役員です。

新谷哲:三井住友銀行の傘下にあった証券会社を買収し楽天証券になったと思いますが、前社の色も残っていらっしゃいましたか?

渡部昭彦:住友銀行OBの方が監査役でいましたが、楽天証券の初代社長は住友銀行の有名な國重惇史さんでした。物理的に色は残っていましたが、カルチャーはまったく違います。住友銀行とDLJというアメリカの会社が合併したものを、楽天グループで買収し、ネットとのシナジー効果を狙い楽天証券を拡大させていきました。私の在籍していた頃は社歴が短いので、ネット系とトラディショナルな銀行カルチャーとの中間でした。当時の楽天は六本木ヒルズに入っていて、それ以外にも類の会社が多く経済の中心でした。おしゃれな食堂がオフィスにあり、そこに行くと誰よりも40代後半の私は年を取っていました。三木谷浩史さんが40歳前後だったので、社員は20代30代が多かったのです。セブン‐イレブン・ジャパンでもそうですが、楽天証券でも、とてもカルチャーショックを受けました。三木谷浩史さんは、若い当時から「世界一のネット企業になる」と宣言し、あらゆることを成していました。今でも覚えているのが、中目黒の小さいオフィスで仕事を始めたばかりの時に、10年後会社がどうなっていくか、社員数、売上高、利益などの出した数字が、10年後にぴったりだったのです。彼も本当に素晴らしい経営者でした。

新谷哲:日本で銀行トップ2の日本長期信用銀行、日本興業銀行そして、小売業トップのセブン‐イレブン・ジャパン、WEB会社のトップの楽天を経験されました。その後、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングスに移られたのは引き抜きですか?

渡部昭彦:結論としてはその通りです。セブン‐イレブン・ジャパンで人事セクションの採用ヘッドをしていた時、私は、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングスのお客様でした。その時に、先方の創業オーナーから「自分も歳なので、うちに来て会社を継いでくれないか?」とお声がけを頂いたのです。しかし、ちょうど楽天に移った直後だったので「まだこちらで仕事を全うしたい」という話をしていました。ところが、人材紹介会社を創業したオーナーだけあり、スカウトが大変上手で毎日のように「やろう!」と電話を頂いたのです。そこから1年ほど待っていただいて「そこまで言っていただけるのならば」と熱意に感化され移ることを決めました。

新谷哲:ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングスの社長になった当初から上場を目指されましたか?

渡部昭彦:頭の片隅に上場を意識はしていましたが、そこまでリアルに考えてはいませんでした。ずっとサラリーマン生活を送ってきて、過去の会社に比べるとケタの違う小さな会社でしたが「経営ってものを挑戦してみよう」という感覚だったのです。

新谷哲:いつ頃から上場を目指されましたか?

渡部昭彦:入社当初は業績が良かったのですが、直後にリーマンショックが来てしまい、上場どころか生き残るためにはどうするかという状況でした。人材型ビジネスは極めてフロー商売で、売上0円が数ヶ月も続くほどシリアスでした。しかし、景気というのはシクリカルなもので、100年に一度の危機と言われたリーマンショックの影響も、現実的には2年~3年で徐々に戻り始めていきました。そこで、創業オーナーが「今度こそEXITするぞ」と言い、証券系投資会社に売却をし、投資をしてもらうことが決定しました。私はその話をしに出向いた際、丸の内の立派な応接に1人通されるとそこには、投資会社の社長以下5人ほどが並んでいて「ご縁があり大株主となります。われわれも将来は株を売り出ていかなければいけないですが、渡部さんはどうしたいですか?」と問われたのです。そこで私は「上場しましょう」と言ったのです。上場を目指す方針が決まった日のことを今でも覚えています。

新谷哲:上場に向けてのご苦労はございますか?

渡部昭彦:上場に向けての苦労は2つあります。1つ目は、ガバナンス強化です。特に、オーナー経営の中小企業にはよくあることですが「その場でやろうと思ったらすぐやる」という、ある意味いい加減さが強みでもあります。そこに、組織作り、規程作りなどのシステムを整えていくことで、明らかに機動性が落ち、日々の仕事がつまらなくなってくる感覚があったのです。2つ目は、社員とベクトルを一致させることです。当社の場合、シニアな方や中途入社の社員も多いです。「別に会社が上場しなくても給料をもらえばいい」「楽をして余暇を楽しみたい」という人もいれば、そうではなく前向きな社員もいました。色々な価値観を持っている人達に、一緒に上場に向いていってもらうことには苦労をしました。

新谷哲:なるほど。もしよろしければ、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングスの事業内容をお教えいただけますか?

渡部昭彦:弊社には3つの事業内容があります。1つ目は、人材紹介です。企業様から「こんな人を探してほしい」とご依頼を受け、あらゆる手段を使い人材を探し、ご紹介をして入社が決まるとフィーを頂きます。2つ目は、メンタルヘルスケア、EAP(従業員支援プログラム)を提供するヒューマン・フロンティア株式会社です。実は、このビジネスモデルで大手3社中の1社まで来ているとてもいい会社なのです。臨床心理士、産業カウンセラーなどの有資格者が社員として全国に80名ほどいます。お客様は、大企業を中心に400社ほどいらっしゃり、社員の方にカウンセラーの連絡先をお伝えし、メンタル面だけではなくあらゆるご相談事を当社にコンタクトをお取りいただいています。そして、北海道から九州まで直接お会いしてカウンセリングをしています。3つ目は、人材育成です。一昨年に20年~30年やっている営業基盤の強い大企業向け人材育成・研修を中心とした会社を買収しました。こちらでは、大変質の高い研修をご提供しています。これら3つの事業ポートを持っている会社は、私の知る限り当社だけです。大企業優良企業様中心の顧客基盤で、ビジネスポテンシャリティや質の高さを誇っています。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「先々週から飼い始めた子犬、物理の本を読むこと」とお答えいただきました。両方興味事項ですが、子犬を飼い始めたきっかけはございますか?

渡部昭彦:同じ動機でペットを飼い始められた方も多いと思いますが、コロナの影響で在宅が増えたことがきっかけです。毎晩のような接待もなくなり健全な生活に戻る中で、去年の4月に横浜みなとみらいに引っ越しをしました。家内と散歩がてら元町商店街まで行ったとき、入り口にペットショップがありました。ショーウィンドウを眺めていると「中に入られて抱っこしてみますか?」と声をかけられました。私は子供の頃に柴犬を飼っていたこともあり、とてもかわいい豆柴のワンちゃんを見つけ、抱かせてもらうことにしました。そうすると、90%の方が買うそうですが、私も同様に一瞬でやられてしまいました。すがるような目でこっちを見られると、もう、嫌とも言えないのです。育てる責任があるので即決はせず「考えます」と言い店を後にしたのですが、「この間に他の人が買ってしまうのではないか……」など気になってしまい、翌週にはペットショップにいきその子犬を家族として迎え入れていました。ワンちゃんは15年ぐらい、私はあと何年生きていけるか分かりませんが「どっちが長生きするかな」なんて言いながら、楽しくかわいがっています(笑)

新谷哲:ちょっと、おちゃめな渡部昭彦社長の一面が見えました。ありがとうございます。座右の銘もお聞きして「頑張る!」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

渡部昭彦:私はとても本が好きで、色々な方の座右の銘を目にしますが、すべて素晴らしいです。その中でもレベルが低く恐縮ですが、日本人が最も使う言葉の1つとされている「頑張る!」はどんなことにも通じるのではないかと思っています。学生時代は漫画をよく読んでいたのですが、少年ジャンプに連載されていた「キャプテン」という、ちばあきおさんによる野球漫画があります。その主人公の谷口タカオ君は、野球の名門の青葉学院中学校から墨谷第二中学校に転校をし、野球部に入部をします。その名門では補欠にも入れない実力でしたが、墨谷第二中学校の野球部員からは「すごい人が来たぞ!」と大きい期待をかけられてしまいました。全然冴えないので「あの人もしかしてダメなんじゃないの?」という声もありましたが、周りの期待に応えるべく陰ですさまじい努力を続け、それを見抜いていた先代キャプテンに見込まれ、キャプテンに抜擢されたのです。その姿にダラダラしていた部員達も刺激を受け、夜や土日も練習をするようになり、最終的には全国大会で優勝することが出来たというストーリーです。谷口タカオ君はキャプテンでありながら素朴な人で、勝ち進んでいくときのインタビューで「ここまで来ることが出来たのはなぜですか?」と聞かれると「みんなで頑張りました」と毎回どんな質問にも「頑張った」と答えるのです。ローマ帝国時代から帝王学にも書かれてある言葉「il bello dorso(毅然とした背中)」のように背中を見て育つという教えや、現代ではサーバントリーダーシップなど自発的な行動を促す理論が言われています。それらを日本語的に表現すると率先垂範だと思います。結局、綺麗事を言っているだけではダメで、目的を達成するためには自ら努力する事が重要です。それを日本のカルチャー一言で表すとするとやはり「頑張る!」ということなのかなと感じています。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

渡部昭彦:秘訣というほどのものはなくて、今の私があるのも自然体で物事に臨んできた結果なのだと思っています。今でこそ転職をお手伝いする仕事をしていますが、大学を卒業し銀行員になったときはガチガチの終身雇用の時代で、今後仕事が変わっていくとは考えてもいませんでした。そこから環境変化の中で、会社が大変なことになったり、お声がけをいただいたり、自分の気持ちと向き合い、転職を3回、4回と繰り返してきました。当社に入ったのも、それらの選択の結果です。こんなことを言ってしまうとIPOを目指している方に申し訳ないですが、上場まできたのも、投資ファンドで「何を目指しますか?」と問われ「IPO」と答えたからです。本来であれば強い意志を持って目標に向かって努力する必要があると思いますが、環境が変わればどうしようもないこともあります。逆に、環境に合えば上手くいくこともあるので、あまり深く考えすぎてもしょうがない「世の中そういうものだ」と思うようになりました。だから、環境に合わせて、周りの人の話を聞き、その中で次の目標を掲げていく。タイミングが良かったこともありますが、私にはそんな自然体な姿勢がちょうど良く、お陰様で上場をさせて頂きました。

新谷哲:大変深いお話です。渡部昭彦社長、本日はありがとうございました。

渡部昭彦:ありがとうございます。

編集後記

今回は、渡部昭彦社長でした。日本で銀行トップ2の日本長期信用銀行、日本興業銀行ご出身。さらに小売業トップのセブン‐イレブン・ジャパンで鈴木敏文さん、WEB会社のトップ楽天で三木谷浩史さんとお仕事を経験されました。王道中の王道を歩まれ、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングスを上場まで導かれた才能は羨ましい限りです。やはり東京大学に行かれる方は違います。実はレコーディングが終わった後も、物理や数学のお話をお教えいただいたのですが、頭がよく、聡明で、かつ話も面白い。それでありながら、子犬が大好きというおちゃめな面も持ち合わせていて、人間の深さを感じる社長様でした。是非皆さんも「頑張る!」で共に成功社長を目指していきましょう!

渡部昭彦氏
ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社 代表取締役社長
AIMSインターナショナルジャパン株式会社 取締役会長

東京都出身。東京大学卒業後、1979年日本長期信用銀行(現、株式会社新生銀行)に入行されます。その後、株式会社日本興業銀行(現、株式会社みずほ銀行)に移られ、株式会社セブン‐イレブン・ジャパン、楽天証券株式会社とお勤めになります。そして、2007年7月に現、ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社である、ヒューマン・アソシエイツ株式会社へ入社され、その年の9月に同社の代表取締役社長に就任、2018年4月には東京証券取引所マザーズ上場をされました。豊富な経験を元に、総合人材サービス企業として、高品位のサービスを提供されています。著書『銀行員の転職力・日本の人事は社風で決まる・失敗しない銀行員の転職』など。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、渡部昭彦氏(ヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

『社長の孤独力』抜粋版(PDF29ページ)
無料プレゼント中!

『社長の孤独力』(新谷哲/著) の【抜粋版】を無料プレゼントしております!

71の課題の中から「資金・人材・売上・採用・後継者」の5つを抜粋いたしました。銀行からお金が借りれない社員がすぐに辞めてしまう売上を伸ばしたい、など、具体的なお悩みの解決策が掴めます。ぜひご覧ください。

無料プレゼントの詳細はこちら