本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、山本強氏(地盤ネットホールディングス株式会社 代表取締役)です。(2021年3月10日 2021年3月17日 配信)
今回は、地盤ネットホールディングス株式会社の山本強社長にお越しいただきました。
山本氏は平成20年6月に地盤ネットホールディングス株式会社を設立され、代表取締役にご就任されました。平成22年には、ベトナムに進出し、平成24年12月には東証マザーズ上場を果たされました。「改良工事を受注しない唯一の地盤解析専門会社」として、生活者目線の「地盤セカンドオピニオン®」の提供から事業をスタート。
地盤の見える化、住宅業界におけるDX推進にも一早く取り組み、災害大国日本において、生活者がよりよい選択ができ、安心安全で住みよい豊かな社会づくりに貢献されています。ぜひ、経営者インタビューをお読みください。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、地盤ネットホールディングス株式会社の山本強社長です。まずは経歴をご紹介します。平成2年に関西学院大学法学部卒業後、三洋証券株式会社にご入社されました。その後、株式会社アイフルホームテクノロジー(現、株式会社LIXIL住宅研究所)、アメリカンホームシールドジャパン株式会社(現、ジャパンホームシールド株式会社)にてお勤めになります。そして、平成20年に地盤ネットホールディングス株式会社を設立し代表取締役社長にご就任されました。平成24年12月には東証マザーズに上場されています。本日はよろしくお願いします。
山本強:よろしくお願いします。
新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?
山本強:生まれも育ちも大阪です。しかし、大学卒業後に上京したので東京に住んでいる方が長いです。
新谷哲:学生時代はどのようにお過ごしになりましたか?
山本強:高校2年生の9月に、大事故を起こしたことが人生の転換期となりました。その日私は、当時流行っていたマンガのようにカッコをつけて、オートバイで神戸にある六甲山の峠を攻めていました。そして、カーブに差し掛かったとき曲がりきることが出来ず、ガードレールに突っ込み17mほどある崖から落下したのです。そのため、3カ月入院をし、高校には4年間通いました。
新谷哲:お命が無事で何よりです。
山本強:本当に奇跡でした。ビルの5階に相当する高さからスピードが出た状態で落ちたので、通常であれば生きてはいないでしょう。消防士の方々も、とても驚いていました。私は、この一件で悪運を使い果たしたのだから「飛行機が墜落しても生き残れるのではないか?」と得体の知れない自信があるのです。
新谷哲:社長は強運の持ち主が多いと言いますが、そこからの山本強社長は運が強いようですね!
山本強:間違いなく実感しています。人生も運やタイミングが全てだと思います。
新谷哲:その後、関西学院大学法学部に進学されています。こちらを選ばれたきっかけはございますか?
山本強:選んだきっかけも事故に繋がります。私の通っていた高校はスポーツで有名でしたが、進学校ではありませんでした。事故で体がボロボロになり、親から「お前は体がダメだから頭で頑張れ」と言われたのです。迷惑をかけてきたし「なにかで見返したい」という気持ちもあり、そこから一念発起し猛勉強を始めました。そして、私の高校から初めて、現役で関西学院大学法学部に進学し、卒業式には校長先生からメッセージを頂くことが出来ました。
新谷哲:高校で一番頭のいい生徒だったのですね。大学時代の思い出はございますか?
山本強:高校時代の勉強した記憶は今でもありますが、大学入学後はあまり覚えていません。遊んでおり何も残っていないので「無駄な4年間を過ごした」と感じています。
新谷哲:なるほど。大学卒業後、三洋証券株式会社にお勤めされましたが、選ばれた理由はございますか?
山本強:一番の理由は、営業が苦手な分野だったからです。その為、証券会社をいくつか受け三洋証券に決めました。また、私が入社した1990年は、バブルがピークで証券、金融業界はかなり潤っていたからです。前年の1989年12月29日に日経平均は38,957円44銭と過去最高値を記録していました。しかし、株が一番高い時期に入社をしたので、株価が下がっていくのを目の当たりにしてきました。
新谷哲:三洋証券での思い出はございますか?
山本強:証券時代はとても苦労をしました。営業にも向いていない、さらに関西弁の私が当初に配属されたのは、東京の中でも激戦区の銀座支店でした。根っからの東京人も多く散々でした。
新谷哲:なるほど。その後、アイフルホームテクノロジーに移られますが、きっかけはございますか?
山本強:書店でアイフルホームテクノロジーについて書かれた本と、偶然出合ったことがきっかけです。その本がなぜか目に入り、読み進めていくととても画期的な仕組みが紹介されていて「この会社は面白い!」と感じました。会社が上場をしていたこともあり、インタビューも含め会社訪問をしたのです。住宅の値段を3分の1にするビジネスモデルも素晴らしく、さらに興味を持ち面接を受けました。
新谷哲:もともと住宅関連の仕事に興味があったのですか?
山本強:まったく興味はありませんでした。しかし、3分の1の値段で家が買えるというビジネスモデルは「世の中に貢献ができる」と思い惹かれました。
新谷哲:アイフルホームテクノロジーでの思い出はございますか?
山本強:初めて仕事らしいことが出来たと感じています。アイフルホームテクノロジーは、全国に200店舗~300店舗ほど工務店のフランチャイズを組織化していました。私は、工務店・加盟店を毎月訪問し、成功ノウハウや連絡事項を伝える部署に配属され、全国津々浦々の工務店さんを回りました。社長様からアドバイスを頂くなど、いろんな意味で見識が広まりました。
新谷哲:その後、アメリカンホームシールドジャパンに移られますが、きっかけはございますか?
山本強:実はこの会社、アイフルホームテクノロジーの子会社です。移った理由は左遷です。当時の私は、法学部出身ということもあり、正義感が強く大人な対応が苦手なところがありました。担当をしていたある工務店に、本部に無理難題をふっかけ要望を押し通す名物社長がいました。その方と言い争いをして、本気で怒らせてしまったのです。その翌日、アメリカンホームシールドジャパンに出向が決まりました。まったく興味はありませんでしたが、こうして地盤業界に入っていきました。
新谷哲:名物社長を怒らしてしまったことが、現在の地盤ネットに繋がったのですね!
山本強:はい。左遷になりましたが「正義感を貫いて良かった」と今では運命を感じています。私は、地盤業界に1997年に入ったのですが、2000年に地盤調査義務化という大きな法律改定がありました。住宅を建てるには地盤調査が必要なので、ものすごく忙しい会社になったのです。
新谷哲:なるほど。アメリカンホームシールドジャパンでの思い出はございますか?
山本強:10年在籍しましたが、ひたすら忙しく仕事をしていました。帰宅は、ほぼ深夜の2時ごろでした。人数が少なかったこともあり、さばき切れないほどの業務量で、営業、経理などあらゆる業務を行っていました。
新谷哲:その後、地盤ネットを創業されました。きっかけはございますか?
山本強:子どもが出来たことがきっかけです。会社を興したいと昔から思ってはいましたが、勇気もきっかけも無くズルズルとサラリーマンをしていました。しかし、40歳で子どもが出来た瞬間スイッチが入ったのです。子どもなりに頑張っている姿を見て「俺ももう一回頑張ろう!」と独立を決意しました。2月に生まれ翌々月の4月には、妻にも内緒で辞表を提出していました。
新谷哲:当初より地盤会社をやるつもりで会社を辞めたのですか?
山本強:最初は「絶対に地盤以外のことをやろう」と思いシステム開発会社を作りました。それを大手企業が気に入って下さり「出資したい」との申し出を頂きました。出資割合などを知らず「非常にありがたい」と、出資比率75パーセントを喜んで受け入れていました。そして、更迭、失脚と言うのでしょうか、1回目の取締役会で会社を追い出され、1年でポジションを失ってしまいました。
新谷哲:なぜ、システム開発会社をされようと考えたのですか?
山本強:住宅業界はアナログな業界なので、合理化し改革するための業務システムを作り業界を変えていこうと考えたからです。
新谷哲:なるほど。失脚後に地盤会社として活動され始めたのですか?
山本強:はい。当時はかなり落ち込んでいましたが、過去を振り返り考え、「自分が勝負できる分野は地盤業界しかない」と考え、再スタートすることを決意しました。
新谷哲:当初より上場を目指していましたか?
山本強:とにかく「どうやってメシを食うか?」という状況で、上場は考えてもいませんでした。2年間は無給で、1日500円で過ごす生活をしており、生きていければいい、給料が取れればいいという考えでした。
新谷哲:と言いましても、 約4年で上場を果たされていらっしゃいます。
山本強:そうですね。時間は相当あったので、業界の仕組み、問題、生き道のポジショニングなど、2年間必死で考えました。そして、地盤のセカンドオピニオン商材を作ったところ、それが当たり上場のきっかけとなりました。
新谷哲:創業から上場の間に東日本大震災を挟んでいます。上場に向けての苦労はございましたか?
山本強:はい。上場準備を始めたのは2011年1月頃です。当時は社員が10人もいませんでした。ですから監査法人、監査役、取締役会などのメンバーを集めるところからスタートをしました。そして、2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。すると、全く世間から認知されていなかった地盤業界が脚光を浴びるようになりました。地盤が原因の事故や液状化などにより、地盤というキーワードが周知され始め、社会的価値が高いと応援してくれる方が増えていったのです。
新谷哲:インタビュー配信日が震災日の周辺なので、10年前を思い出していらっしゃる方も多いことと思います。東日本大震災の影響も後押しし、上場へと進まれたのですね。
山本強:タイミングが重なったことも、当社の使命と捉えています。東日本大震災により、どのような場所が液状化するのか、また災害が起こるのかなど、様々な教訓が得られました。「それを我々が防ぐ」という思いで活動してきたところ、応援者が増えていきビジネス展開がされていきました。
新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、地盤ネットホールディングス株式会社の事業内容をお教えいただけますか?
山本強:当社は、戸建て住宅専門の地盤調査をメインに展開しています。現在、年間約5万軒、過去30万軒~40万軒ほど請け負っていて、世の中の10軒に1軒~2軒は当社が地盤調査をした家が建っています。それら日本全国の調査結果を、地盤ビックデータとして保有しており「地盤カルテ」というWebサイトや「じぶんの地盤」というアプリで公開しています。住所を入力すると、100点満点で地盤スコアを採点することが出来ます。約100万件のご利用があり、業界内では誰もが知っているほど普及し高く評価を頂いています。現在ではこのサービスを利用して、地盤調査をする前に情報を収集し土地の購入を検討する方が増えています。点数の低い場所は、地震時に大きい被害が出やすいので、点数の高いところを選択していただくのが防災の観点的におすすめです。このように、皆様がより良い選択をして、安全に安心して暮らせる社会づくりへの道筋となるサービス提供をしています。
新谷哲:これからお家の購入を考えている方はぜひ、調べてみてはいかがでしょうか?ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「経営・ベトナム語・ゴルフ」とお答えいただきました。ベトナムに早い段階で進出されていますが、ベトナム語をお話になるのですか?
山本強:まだ、堪能に喋れるほどではありません。しかし、コロナの影響もあり時間が出来たので、この1年で「そこそこいけるかな?」というところまで分かってきました。弊社は去年(2020年)で、ベトナム進出から丸10年が経ちました。今は社員が約100名おり、その内日本人が約70人~80人なので、ベトナムの方が増えつつあります。お陰様でこの方針が好調で、ベトナム人を1000名まで早急に上げようと思っています。すると、ベトナム社員1000人対、日本社員100人となるので「社内の公用語をベトナム語に変えよう!」と自ら提案をしたのです。その責任もあるので、習得するスピードを上げていきたいと考えています。
新谷哲:お好きなことも仕事に繋がっていて素晴らしいです!座右の銘もお聞きして「禍福は糾える縄の如し」と史記の故事成語をお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?
山本強:私は「幸せは不幸の裏にある」と捉えています。人生を振り返ると、バイク事故の一瞬で「人生もう終わりだ」と思うようなことがあっても、その後の努力で、目標の大学に進学することが出来ました。そこから、大学、社会人となっても全然ダメだったのですが、あるきっかけで地盤業界を知り頑張ったことで、会社を興すまでに至りました。しかし、すぐ乗っ取られてしまいましたが、今の地盤ネットを上場まで持っていくことが出来ました。いいことを狙うならば、それなりのリスクを負わなければいけません。不幸を期待している訳ではありませんが、不幸があるとその跳ね返りを期待していることもあります。いろいろな方を見てきて、社員などでも不幸そうな人を見るとその後の成長に興味を持ちますね。
新谷哲:大変深いお話ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。
山本強:成功していると言えるほどではありません。しかし、地盤ネットでは、「人と違う生き道、ポジショニング」の模索を非常に大事にしました。当社は業界で唯一、地盤の改良工事をしない会社という仕組みを作りました。地盤の改良工事は売り上げが大きく、地盤業界では一番の収益源です。しかし、当社は逆にそれを捨てようと考えたのです。地盤の改良工事をせず、第三者の立ち位置で信頼を得るというポジショニングを選びました。すると、小さい会社でしたが、業界内で1対99と、真逆の位置に立ち目立つことが出来たのです。そのため、人と違うポジショニングを行い、社会的正義で繋がると、成功確率は高いと教訓を得ました。今でも当然、人がやっているビジネスはやりません。誰もやっていない領域を常に探しています。
新谷哲:大変勉強になりました。山本強社長、本日はありがとうございました。
山本強:ありがとうございました。
編集後記
今回は山本強社長でした。座右の銘の「禍福は糾える縄の如し」は黒柳徹子の「窓ぎわのトットちゃん」というドラマで向田邦子さんが、黒柳徹子さんに、「人生は幸福と不幸の、2つの縄が寄り合わさって出来ているのよ」と言葉の意味を教えるシーンで取り上げられたことで有名です。良いときにも悪いことが起こりえるし、悪いときの後には必ず良いことも起こってくる。だからこそ、諦めてはいけないということに通ずるのだと思います。社長業をやっていると、苦しいこと、悲しいこと、悔しいこと、などいっぱいあります。それでも諦めなければ上手くいくと山本強社長は示唆してくださいました。気さくなお人柄でありながら、大変深いお話をいただけました。ぜひ、皆さんも幸せは不幸の裏にあると捉え、成功社長を目指していきましょう!
山本強氏
地盤ネットホールディングス株式会社 代表取締役
大阪府出身。関西学院大学法学部卒業後、三洋証券株式会社にご入社されました。その後、株式会社アイフルホームテクノロジー(現、株式会社LIXIL住宅研究所)、アメリカンホームシールドジャパン株式会社(現、ジャパンホームシールド株式会社)にてお勤めになります。そして、平成20年に地盤ネットホールディングス株式会社を設立し代表取締役社長にご就任されました。平成24年12月には東証マザーズに上場されています。住生活エージェントとして、“生活者の不利益解消”という正義を貫き、安心で豊かな暮らしの創造へと邁進されています。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、山本強氏(地盤ネットホールディングス株式会社 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。
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