成功経営者インタビュー

タメニー株式会社 代表取締役社長 佐藤茂氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、佐藤茂氏(タメニー株式会社 代表取締役社長)です。(2021年3月24日 2021年3月31日 配信)

今回はタメニー株式会社の佐藤茂社長にお越しいただきました。
婚活、カジュアルウェディング、テック、ライフスタイル、法人領域で独自サービスの提供を行い、2015年には東証マザーズ上場を果たされています。

世のため人のため、接するすべての人の笑顔、よりよい人生をつくるという想いの下に活動されるエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、タメニー株式会社の佐藤茂社長です。まずは経歴のご紹介です。大学在籍中から、広告代理店で営業として勤務されました。その後、大手結婚相談所(企業)に転職をされます。2006年には、ウェディング事業を展開していた一部上場企業が婚活支援を行うため、子会社として旧・株式会社パートナーエージェントを設立。その準備に携わり、2007年3月より同社代表取締役に就任されます。2008年には、新・株式会社パートナーエージェント(現、タメニー株式会社)として独立し、2015年に東証マザーズ上場を果たされました。本日はよろしくお願いします。

佐藤茂:よろしくお願いいたします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身は東京とのことですが、小学校時代・中学校はどのようにお過ごしでしたか?

佐藤茂:生まれは東京都世田谷区ですが、4歳に引っ越し千葉県の我孫子市で育ちました。親からいっぱい愛情をもらい、兄弟も仲良く、先生や友人にも恵まれていました。小学校では剣道、中学校はバスケットボールをやりました。田舎だったので、やんちゃな時代も過ごしましたが、進学は都内の高校を受験する、そんな普通の学生でした。

新谷哲:どちらの高校に進学されたのですか?

佐藤茂:本郷高校という男子校です。

新谷哲:私の息子の先輩です!偏差値が高く水泳が強い高校ですね。

佐藤茂:松平家が設立した由緒ある高校です。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

佐藤茂:本郷高校に進学した理由は、当時付き合っていた彼女に「あなたは浮気性だから男子校に行ってほしい」と言われたことがきっかけでした。彼女が巣鴨駅にある女子校だったので、同じ駅にある本郷高校を受験することに決めました。私の両親は公務員で裕福な家庭ではなかった為、姉2人と同様に「公立に行け」と言われていました。しかし、親にパンフレットを見せ、理念を語り、何とか説得し本郷高校への入学を認めてもらいました。ところが、入学して1~2週間で彼女にはフラれてしまったのです。そこから高校生活の全てが終わった気持ちになり、池袋、上野、渋谷で遊びまわっていました。

新谷哲:その後、駒澤大学に進学されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

佐藤茂:最初は、大学へ進学はせず就職をしようと考えていました。高校では勉強もしていなかったので「どこの大学にも行けない」と思っていたのです。そんな時、普段は私の人生に口を出さない父に「大学だけは行け」と、生まれて初めてアドバイスを受けました。話を聞くと、父は志望校ではない大学に通った結果中退。高卒なので公務員試験では苦労をしたそうです。その為、1年浪人して試験を受け、唯一受かった駒澤大学に進学を決めました。

新谷哲:駒澤大学での思い出はございますか?

佐藤茂:ほぼ大学には行かず、毎日アルバイトをしていました。勉強を好きではなかったし、学びたいことや目的は無く「大卒」という学歴を残すためだけの進学でした。定年が60歳だとすると、約40年間仕事をすることになります。就業年数の10%にあたる4年間を大学で学ぶより、実際に働いた方にアドバンテージがあると思っていたからです。

新谷哲:広告代理店のアルバイトに力を入れていたのですか?

佐藤茂:はい。大学3年生の10月に、創業したばかりの広告代理店だった、株式会社オプトにアルバイトとして入りました。決めた理由は、固定給+歩合の営業職で一番稼ぎが良かったからです。そして、大学卒業後はそのまま正社員として雇用していただきました。オプトは、私のビジネス人生の出発点です。

新谷哲:株式会社オプトは現在、社名変更されて株式会社デジタルホールディングスと言う東証一部上場企業になられていますね。創業会長が以前、弊社に訪ねてきたこともありました。それにしても、最初にオプトを選ばれるとは素晴らしいです!

佐藤茂:選んだわけではなく、たまたま登録した派遣会社に紹介されたのです。本当に運命の出会いだと思います。

新谷哲:なぜ、そのままオプトに就職をされたのですか?

佐藤茂:正直、就職活動をする時間、余裕がありませんでした。ほぼ大学には行かず営業の仕事をしていて、チームを任され、社会人の部下もいました。いくつか会社は見ましたが、ベンチャー企業創業者の近くで仕事をしていた私にとって「本当にその会社楽しいの?」「本当にそのサービス愛しているの?」と会社説明会は嘘っぽく聞こえていました。その為「このままオプトでいいかな」と思い、創業者の鉢嶺さんに「オプトに就職してもいいですか?」と聞くと「当たり前でしょ」と言って頂き就職を決めました。

新谷哲:株式会社オプトでの思い出はございますか?

佐藤茂:私は、オプトの創業2年目に入社をしました。当時は、社長、取締役、アルバイト4名でワンルームマンションからのスタートでした。その後移転をし、原宿にある焼肉屋の2階を事務所として使わせていただいていました。なので、酔っぱらったお客さんが上がってくることもよくありましたね。就業規則・会議体・評価制度もない。もっと言うとプロダクトもさほどない、ド・ベンチャーな環境でした。会社を仕組み化・組織化する、事業立ち上げフェーズを大学生の頃から生で学べたのは、本当にいい経験でした。

新谷哲:オプトが上場する前にお辞めになられたのですか?

佐藤茂:はい。私は2000年に退職をし、オプトは2004年に上場をしました。

新谷哲:なるほど。その後、大手結婚相談所(企業)に転職されました。こちらは引き抜きですか?

佐藤茂:オプトで6年弱勤め、「自分の実力を試したい」「もっと大きな権限が欲しい」と感じ、外の世界を見たくなったのです。若気の至りもあり、最後はケンカ別れのようになってしまいました。そんな辞め方をしたので、すぐに就職は考えずフリーで活動をしていました。そんな時、オプト時代の先輩から「佐藤君助けて~」と連絡が入ったのです。先輩は、大口をたたき大手結婚相談所のマーケティング、広告担当として就職をしたのですが、思ったよりも上手く行かなかったようでした。そのため、委託契約を結び週何回か先輩を手伝う、という話になり会社に向かいました。すると、雇用契約書が出てきて「話が違う……」と感じましたが、委託も社員もコミットすることには変わりないので、1年契約で結婚相談所に転職をしました。

新谷哲:面白い経緯ですね!結婚相談所での思い出はございます?

佐藤茂:当初は1年で辞める予定でしたが、結果6年間在籍をしました。当たり前のことではありますが、会社の利益を上げるためには、その業界・会社への理解を深めることや、サービス・社員の皆さんを愛し、どっぷり浸からないと結果はついてきません。入社1年後にはスイッチが入り、外部からの助っ人としてでは無く「この会社をどう良くしていくか?」と中心になり活動をしていました。当時の会社では、厳しい経営状況がいくつかありました。特定商取引法や個人情報保護法の施行や、グループ会社の倒産により資金繰りに行き詰まり、最終的には、会社を売却することになりました。オプトでは、会社の立ち上がり急成長フェーズを経験しましたが、2社目では会社の浮き沈み、仲違い、倒産危機などを経験しました。なかなか出来ない経験も多く、非常にいい6年間でした。

新谷哲:なるほど。その後、ウェディング事業を展開している上場企業にて、旧・株式会社パートナーエージェントの設立準備に携わりますが、こちらは引き抜きですか?

佐藤茂:親会社である株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ(上場企業)代表取締役会長、野尻佳孝さんと私は、もともと知り合いでした。2社目の結婚相談所が倒産危機となり、事業売却のプレゼンをさせて頂いた時も「この会社はいらないが、お前が欲しい。うちの会社に来ないか?」とお声がけを頂いていました。途中で投げ出すような無責任なことは出来ないので、その時すぐに返答はしませんでした。そして、事業譲渡が落ち着いたころに会社は退職し、約半年間フリーで活動をしていたのですが、その内の1社としてテイクアンドギヴ・ニーズのお手伝いもするようになったのです。同社の子会社の社長が私の友人で、「婚活事業のプロジェクト立ち上げが行き詰まっているので手伝ってほしい」と依頼を受けました。そのため、アルバイトとして週3回~4回、事業計画作りなどを半年間行うことになりました。ちなみに時給は1000円でした(笑)

新谷哲:時給1000円!?それでもやろうと思った理由はございますか?

佐藤茂:報酬で仕事をしているわけでは無かったので「いくらでもいいですよ」と言ったところ「1000円」と返答があったからです。常識的に考えれば2万円~5万円が妥当ですが、言った手前「安い」とは言えず了承をしました(笑)しかし、私が6年間培ってきた、結婚相談所・婚活のノウハウを活かし事業計画を作成する中で、前職では実現できなかったことを載せることが出来るのは楽しい仕事でした。

新谷哲:なるほど。その後、代表取締役に就任されました。こちらは、どのような経緯ですか?

佐藤茂:テイクアンドギヴ・ニーズとは、5月にアルバイト契約をし、9月15日の取締役会でプレゼンをし、新会社設立の承認を受ければ、9月末で契約終了する予定でした。しかし「そのままパートナーエージェントの代表をやってくれないか?」と言われたのです。まさか自分が、テイクアンドギヴ・ニーズグループで働くとは思ってもいませんでした。しかし「前職の婚活業界でやり残したことを果たしたい。そして、野尻さんと一緒に新しいチャレンジをしてみたい」と感じ、旧・株式会社パートナーエージェントの代表取締役を引き受けました。

新谷哲:その後、経営陣で共同出資をして、新・株式会社パートナーエージェント(現、タメニー株式会社)として独立をされました。こちらはどのような経緯ですか?

佐藤茂:パートナーエージェントが立ち上がって1年半後の出来事でした。親会社であるテイクアンドギヴ・ニーズの業績が悪くなり、2期赤字が続き「これ以上は資金提供が出来ない」となってしまいました。パートナーエージェントは計画赤字でしたが「会社をクローズするか、買い取って欲しい」と言われ、買い取らせて頂くという判断をしました。

新谷哲:なるほど。そのとき、マネジメント・バイアウト(MBO)する恐怖感などはございましたか?

佐藤茂:当時のパートナーエージェントには、社員が100人、会員様が1000人ほどおり「この会社・サービスを潰すわけにはいかない」と使命感にかられていました。2008年4月末にMBOの事業譲渡契約が成立したのですが、年度営業利益はマイナス3億円弱ほどで、毎月2200万円~3000万円もの資金が出ている状況です。私は、オプト株を所有していた為、ある程度の資産はありましたが、3億円もの金額をまかなうことは出来ませんでした。赤字会社だったので銀行からの融資は受けられず、資金調達・資金繰りには大変苦労をしました。毎月2000万円~3000万円を調達すると考えると不可能に感じますが、「〇ヶ月でいくら必要だ、〇ヶ月後には売上と利益でどっかりにしよう」と少し乱暴ではありますが、深く考えず資金調達に奔走していました。途中2回ほど心が折れそうになりましたが、なんとか取引先様や社員の協力があり、黒字化することが出来ました。

新谷哲:インタビュー前に「あまり、苦労を苦労と思わないタイプ」だと伺いました。そこまでの赤字を抱えていてもそう捉えることが出来たのですか?

佐藤茂:物理的には大変でしたが、心的苦労とは思っておりません。前職でも倒産危機、役員の仲違い、会社売却のクロージングなど、大変なことは多数ありました。しかし「やらなきゃいけない」という使命感のエネルギー量が勝り、不安で心が折れたり、やる気がなくなることはありませんでした。孫悟空の「元気玉」みたいなエネルギーが沸いてくる感じです。

新谷哲:素晴らしいです。その後、タメニー株式会社は2015年に東証マザーズ上場をされます。当初より上場を目指されていましたか?

佐藤茂:最初から上場を目指しておりました。

新谷哲:オプトさんが上場するのを間近で見ていた影響ですか?

佐藤茂:違います。この先会社が10年、30年と存続していくためには「IPOをして社員や株主に一定の株を持っていただく形がいいのではないか?」と思ったからです。2009年に「婚活」という言葉が流行語大賞にノミネートされ一般化され始めました。しかし、当時の結婚相談所は、マーケット規模も500億円と小さくニッチな業界でした。業種の特殊性からいって、会社を子供に譲っていくよりも、いい会社・サービスを作りパブリックカンパニーにしていく以外はないだろうと考えていました。

新谷哲:上場までのご苦労はございますか?

佐藤茂:業績はマーケット競合によってアップダウンはしましたが、これといった苦労はありませんでした。弊社では、システム作りやマニュアル化などを当初から進めていました。僕も取締役メンバーも比較的、規定・ルール・ガバナンス・会計基準・KPI管理・予算管理などをきちんとさせたい性格だったこともあります。上場の際は「管理系の準備が大変だ」とよく伺いますが、初めて監査法人のレビューが入ったとき「よく出来ています」と評価していただけました。上場までは、良いサービスであればお客様が付いてきてくださいます。お客様数も伸び、取締役・パートナーにも恵まれ、とても順調に上場まで行くことが出来ました。むしろ、上場後の方が大変でした。

新谷哲:上場後はどのような苦労がございましたか?

佐藤茂:2つあります。1つ目は、戦略ミスによるものです。当時、業界のテレビCMが解禁されました。テレビCMか上場かで悩んだあげく「IPOをした方がいいだろう」という方針になりました。その選択により、他社のテレビ攻勢を受け、認知度・入会数で苦戦を強いられてしまいました。2つ目は、上場の翌年にシステムトラブルを起こしてしまったことです。お客様の1週間分の活動状況、お取引先様の顧客情報や活動履歴が全部飛んでしまったのです。そのため、当時の営業利益の半分に当たる1億5000万円ほどの金額を、お客様・お取引先に返還をしました。上場半年後は通常決算でしたが、実質、丸1年過ごした2年目の決算では下方修正となってしまいました。継続的に平均110%~115%成長をしていましたが、IPO後3年間~4年間は3%~5%の成長率でした。株主の皆様、社員の方々に「この会社は伸びないのではないか?」とご不安を与えてしまい、本当に苦労をしました。

新谷哲:それを突破した戦略はございましたか?

佐藤茂:私が本部長を降りることで業績が良くなりました(笑)20年間もの婚活業界経験により、ある意味「知りすぎ・詳しすぎ・こだわりすぎ」で、必要ないものも多くあったのだと思います。新しい本部長が事業を監督することで、私の想像を超える今までにない打ち手で戦略を立てていき、組織状態・サービス共に良くなっていきました。

新谷哲:またまた、ご謙遜だと思います!もしよろしければ、タメニー株式会社の事業内容をお教えいただけますか?

佐藤茂:弊社は、婚活事業を展開しているパートナーエージェントが母体となり、そこにウェディングプロデュース等を行う株式会社メイションをグループ化した組織です。婚活とウェディングが半々の売上で、主力の事業となっています。婚活領域は、創業事業である「パートナーエージェント」という結婚相談所事業の他にも、自治体へのサービス・システム提供や、同業会社様向けのプラットフォーム提供、パーティー、アプリといったエントリー型サービスなどがございます。ウェディングサービスでも、今流行りのフォトウェディング・披露宴・挙式・二次会まで、幅広く展開しています。また、去年の4月から、ライフスタイル事業部を立ち上げました。グループで接点がある約1万組の新婚様に対し、結婚以降の生活へもサポートを行っています。その他、法人領域、テック領域などへもチャレンジをしています。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「自転車、GoPro、トライアスロン、トレーニング」とお答えいただきました。GoProとは、どのようなものですか?

佐藤茂:アクションカメラです。水中や自転車に乗りながら空撮が出来るなど、いろいろな用途に使えます。

新谷哲:トライアスロンをされているときなどに使用しているのですか?

佐藤茂:はい。自転車、トライアスロンはここ2年~3年ハマっています。そこで、GoProを買ったので走りながらの映像を撮っています。一度始めると楽しくてしょうがなく、自転車も改造するなどこだわっています。しかし、趣味が移り変わりやすい性格なので、好きなこと・好きなものを回答するのに20分もかかりました(笑)ハマるときはとてもハマるのですが、極めると飽きてしまうのです。変わらないのは、20年以上続けているゴルフですね。

新谷哲:こだわられるあたりが経営者らしいお答えです!座右の銘もお聞きして「正しきによりて滅ぶる店あらば、滅びてもよし、断じて滅びず」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

佐藤茂:これは、商業界の主筆をつとめた新保民八氏の言葉です。元は中国のことわざが由来のようです。私は、20代の前半から経営経験を積んできました。ビジネスを展開する上で、志・お客様マインド・従業員ファーストなど、当初はあたり前のように大切にされていると思います。しかし、会社が窮地に立たされたときこそ、大義名分という名のもと、情報操作などが行われてしまうことがあるのかもしれません。私の在籍していた会社がどうかではなく、様々な経営者と接する中でそのように感じたのです。そんな時この言葉に出会い「正しいことをやってお店が潰れるなら、それでいいじゃないか。ただし、決してお店は潰れないよ」という言葉が刺さり、信念となりました。弊社の理念に「正道を歩み、信頼を得る。」という行動指針があります。嘘は万引きみたいなもので、100円の物、100万円の物、どちらを盗んでも罪の重さは同じです。さらに、1回嘘をついてしまうと、1回も10回 も変わらないと感じてしまうのではないでしょうか?理念として掲げることにより、人間の心にある陰の部分を戒め「正道」を歩みつづけていけるように取り組んでいます。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

佐藤茂:私が成功しているかどうかはさておき「目標を明確化する」ことが大切だと思います。漠然とした目標、思っているだけ、願っているだけで行動を起こせなければ、当然成功は出来ません。明確な目標を描くことが出来れば、あとはそこに向け諦めずやり続けるだけです。目標を立てる上で重要なのは、大きい小さいではありません。私がメンバーに良く言うのは「金持ちになりたい、成功したいという目標では程度が無い」ということです。もし、1000万円貯金するという目標を立て、1500万円貯金が出来たら大成功です。明確化することで、充実感・達成感さえ得られます。仮に、目標が達成できなくても、突き進み続け一生を終えたとしたら「出来ない」というトラックレコードは残りません。あきらめないことが大事です。

新谷哲:心に響くお話です。佐藤茂社長、本日はありがとうございました。

佐藤茂:ありがとうございました。

編集後記

今回は、佐藤茂社長でした。収録前には「苦労してないから苦労話はないな~」と仰っていましたが、様々なエピソードをお聞かせ頂けました。その中でも、人としての正しい生き方を示す「正道」という言葉を理念にも入れていらっしゃるというお話がありました。毎月2200万円~3000万円もの赤字が出ていて苦しい状況でも、正しい商いで利益を出し、資金調達をしていったのでしょう。信念を持ち「やるべきだ」と感じた正道を貫くことは、苦労と感じないということが良く伝わりました。また、とても肝が据わっていると感じました。論語の世界では「知識・見識・胆識」の三識と呼ばれるものがあります。このステップを踏み、胆識まで行くことが重要とされています。まさに、佐藤茂社長はこの「胆識」がしっかりしており、肝が正しい方向に据わり行動に移されている、素晴らしい経営者でした。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

佐藤茂氏
タメニー株式会社 代表取締役社長

昭和48年東京都生まれ。駒澤大学在籍中から、広告代理店営業としてアルバイトをし、大学卒業後同社に就職されました。その後、大手結婚相談所(企業)に転職し、マーケティング担当取締役として広告戦略等を担当されます。そして、ウェディング事業を展開していた一部上場企業の婚活支援を行うための子会社、旧・株式会社パートナーエージェントの設立準備に携わり、2007年3月より同社代表取締役に就任。結婚相談所の成婚率10%以下が一般的であった時代に、成果=成婚を追求し成婚率の高い結婚相談所へと導かれました。2008年5月には、経営陣等の共同出資で新・株式会社パートナーエージェント(現、タメニー株式会社)として独立し、2015年10月には東証マザーズ上場を果たされます。現在は、婚活、カジュアルウェディング、テック、ライフスタイル、法人領域で独自サービスを創出し幅広く展開。長年の業界経験を活かし、豊かで持続可能な社会実現のために歩まれています。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、佐藤茂氏(タメニー株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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