成功経営者インタビュー

株式会社みらいワークス 代表取締役社長 岡本祥治氏 インタビュー 

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、岡本祥治氏(株式会社みらいワークス 代表取締役社長)です。(2021年4月7日 2021年4月14日 配信)

今回は、株式会社みらいワークスの岡本祥治社長にお越し頂きました。
プロフェッショナル人材が100年人生を生き抜く為のプラットフォームとして、「独立・起業・副業・転職 」 といった働き方や働く場所を自由に選択できる社会創りを目指し、プロフェッショナルに特化した人材サービス、ソリューションサービスの提供、地方創生活動などを展開されている企業様です。
岡本社長は大学卒業後、外資系コンサルティング会社、ベンチャー企業を経て、2012年に株式会社みらいワークスを設立されました。そして、2017年には東証マザーズ上場を果たされます。
大学時代は、やりたい仕事を見つけられずにいた岡本社長が、日本47都道府県・海外93ヵ国を旅する中で芽生えた「日本を元気にしたい」という想い。自らの信念に忠実に邁進される姿から経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社みらいワークスの岡本祥治社長です。まずは経歴のご紹介です。2000年に慶應義塾大学理工学部を卒業後、アクセンチュア、ベンチャー企業を経て、株式会社みらいワークスを設立されました。2017年12月には東証マザーズに上場されています。本日はよろしくお願いします。

岡本祥治:よろしくお願います。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身はどちらですか?

岡本祥治:神奈川県の新百合ヶ丘です。

新谷哲:ニュータウンの住宅街ですね!

岡本祥治:私が生まれた頃は、家から駅まで建物も見えないほど田舎でした。小学校の頃は、近くの田んぼや山でカブトムシ・クワガタ・ザリガニ採りなどして遊んでいた記憶があります。親からすると、元気で好奇心旺盛な分かりやすい少年だったようです。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

岡本祥治:桐蔭学園と言う私立中学校に通い、部活動はバレーボールをしていました。進学校だったこともあり、規則はとても厳しく、登下校の際にヘルメットをかぶっていないところを先生に見つかり、良く叱られました。しかし、今となっては優秀な大学・会社に進む仲間がつくれた良い思い出です。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

岡本祥治:高校でもバレーボール部に入部しました。中学校時代とは比べ物にならないほどほどの厳しさでした。正直、そこまで追い込まれるのは、社会人になった現在でも経験していないと思います。大人になりOBメンバーで、コーチの異動祝いをしたのですが、壇上からコメントをくだったときは全員姿勢がビシッと伸びていました。幼い頃に得たものは、ずっと体に染みついてますね(笑)

新谷哲:とても体育会系な高校時代を過ごされたのですね!その後、慶應義塾大学理工学部に進学されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

岡本祥治:私の頭の中は完全に理系で、特に得意なのが物理学でした。しかし「もう少し実践的な学問の方が良い」と考え、理工学部の機械工学科を受験し、現役で進学することが出来ましました。

新谷哲:大学時代の思い出はございますか?

岡本祥治:友人と、サーフィン・スノボ・麻雀などをしながらお酒を飲むなど、本当に遊んでいた記憶しかありません。ほとんど勉強をしていなかったので留年をしてしまい、大学には5年間通いました。結局、機械系の仕事には就かず、大学で学んだことをどれだけ活かせているかは疑問です。しかし、そこで出会った友人たちは、公私共に掛け替えのない存在となり「私の大学時代は間違いではなかった」と感じています。

新谷哲:大学卒業後は、アクセンチュア株式会社に入社されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

岡本祥治:就職活動のとき、やりたい仕事を見つけられずにいました。機械工学科の同級生は、95%以上が大学院への進学を決めていました。そこから、メーカー・研究機関などに就職されるのですが、私にはそのイメージが湧きませんでした。とはいえ、世の中にどのような仕事があるのか知識もないので「たくさんの業界・仕事を見ることができて、短期間で成長できる会社に入ろう!」と考えました。それには外資系コンサルが最適だろうと、就職活動ランキングトップ20に入っていたアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に目が留まりました。また、当時はIT業界が伸びてきた時代で、ITに強いコンサルという点も選んだ理由の1つでもあります。

新谷哲:アンダーセンコンサルティングでの思い出はございますか?

岡本祥治:とにかく優秀な人が多い会社でした。就職ランキング上位だったので尖った人もいて、お互い刺激し合い、切磋琢磨しながら、熱心に仕事をさせて頂きました。今でこそコンサルティング業界にも働き方改革が進んでいますが、当時は終電で帰れないのが当たり前でした。しかし、辛さはなく、サークルのノリでコンサルティングプロジェクトをしていました。居心地よく、本気で仕事に向き合うことが出来るという非常に良い環境でした。

新谷哲:なるほど。その後ベンチャー企業へと移られました。こちらは何かきっかがあったのですか?

岡本祥治:たまたま大学時代の知人と再会し「手伝ってほしい」とお誘い頂いたのがきっかけです。当時はまだアクセンチュア(旧・アンダーセンコンサルティング)に在籍していたので、副業として片手間で手伝い始めました。ところが「もっと本格的にやろう!」と言う話になり、ノリと勢いでその会社に転職をしました。

新谷哲:その後、株式会社みらいワークスを創業されました。独立のきっかけはございますか?

岡本祥治:行き当たりばったりの成り行きで創業まで話は進んだのですが、その根底には「日本を元気にしたい」と言う思いがありました。実は私、2012年にみらいワークス立ち上げの前、2007年に独立をしています。当時は何をやるかも決まっておらず「やりたいことを見つけよう」と約4年半フリーランスのように活動をしていました。そして、47都道府県を回ったり、様々なビジネスを立ち上げては潰したりをくり返していました。リーマンショック後ということもあり、仕事が全然ないマーケット状況で苦しい思いもしましたが、営業に力を入れることで次第に仕事が取れるようになっていきました。ところが1人では仕事がやりきれず、周りの方々にパスをするようになりました。そうするうちに、自然と間に入り仕事を紹介する斡旋ビジネスが始まっていったのです。仕事が無くて困っていた、友人のフリーランス・スタートアップ社長たちから「ありがとう!」という言葉を多数いただき「世の中のためになっている」と実感し、事業化することを考え始めました。そして、仕事を振る際には、スキルチェックのみではなく「どうして起業したのですか?」「これからのどのようなことをして行きたいですか?」と聞いていきました。すると、「独立起業する人たちの3大テーマ」が見えてきたのです。1つ目は、中小ベンチャー企業、またはその支援。2つ目は、地方創生。3つ目は、海外との繋がり(インバウンド・アウトバウンド等)です。これらは、どれをとっても日本を元気にする仕事です。私と同じように「日本を元気にしたい」という思いで活動されている、起業家・フリーランスの方々が沢山いるのだと知ることが出来たのです。しかし、そんな思いを抱えている方々は、仕事が無く苦しんでいる状況がありました。そのため「もっと仕事の機会をつくれる社会の仕組みを作ろう!」と本格的にフリーランスのマッチングプラットフォーム立ち上げへ動き始めました。その後、順調に進み、売り上げは1億円を超えました。あまりの仕事量に「1人ではもうどうしようもない」と感じていた時、友人からの誘いで、一緒に株式会社みらいワークスを設立しました。

新谷哲:株式会社みらいワークスは当初より上場を目指されていましたか?

岡本祥治:いいえ。みらいワークス設立当初は共同代表として経営をしていました。その時、私から出した条件は「上場は絶対に目指さない」でした。プライベート・カンパニーの方が融通もきき自由に出来る、という価値観を持っていました。

新谷哲:いつ頃から上場を目指されましたか?

岡本祥治:2015年に、共同代表を解消することになった頃からです。当時の私は、フリーランスのマッチングプラットフォームで一気に市場を取り「新しい働き方を広め、日本を変える!」と意気込んでいました。しかし、友人はインキュベーション(事業の創出や創業を支援するサービス・活動)をやりたい方でした。創業当初はお互いのベクトルが「バチッ」と合っていましたが、売り上げが10億円を超えてきたとき、色々な事業を立ち上げたくなり、経営方針の違いが出てきて「これ以上一緒にやっていくのは無理だ」となりました。そして、議決権が50%・50%だったので、話し合いの上、今後の方針を決めることになりました。ところが、これだけの会社規模になると、譲渡するとしても自分で出せる金額ではなく、M&Aで売却しようという話が出ました。それなりの金額で売却出来たでしょうが私は「男として本当にそれでいいのか!?」と感じたのです。独立してからやりたいことを見つけるまでに何年もかかり、もがき苦しんできました。やっと心からやりたいと思えるビジネスを見つけ、目の前で繰り広げられ、マネタイズも出来てきました。プロフェッショナル人材のプラットフォーム事業では、当時日本一となり、本当に日本の働き方を変えることが出来るかもしれない所まで来ていました。そのため「勝負をしよう」と覚悟を決めたのです。その上で、自分が否定していた「上場」という選択肢は最も理に叶っていました。当時、一ベンチャー企業だった弊社は、大手金融機関様と仕事をしようと思った際に、帝国データバンクの点数が少し足りず口座開設が出来なかったこともありました。上場をすることで、財務基盤を強くし、社会的信用力を得てよりよいプラットフォームにすることが、結果としてフリーランスの方々に多くの機会を提供することが出来ると考えたのです。自由が奪われることへの抵抗感はありましたが、目標実現のために舵を切り、2年半で上場までに至りました。急ピッチで準備を進めたので、いろいろと大変でした。

新谷哲:上場までにどのようなご苦労がございましたか?

岡本祥治:一番苦労したのは人の面です。N期(申請期)に入る直前のN-1期(上場直前期)の離職率は60%でした。ほぼ社員が入れ替わっていても、売り上げを右肩上がりにしていかなければいけません。今思うと、あの離職率でよく証券会社がOKを出したなと感じています。

新谷哲:証券会社から労働基準法などに引っかかっていないかの調査はございませんでしたか?

岡本祥治:ご自身から辞めていったので、問題はありませんでした。上場を目指すことで、自由な状態から一気に会社のスピードが上がっていきました。ルールを整備していくにつれ「堅苦しい」と感じてしまった方が結構いたと感じます。

新谷哲:ありがとうございます。株式会社みらいワークスの事業内容をお教えいただけますか?

岡本祥治:弊社は「日本のみらいの為に挑戦する人を増やす」というミッションを掲げています。ビジョンは「プロフェッショナル人材が挑戦するエコシステムを創造する」ことです。「プロフェッショナル人材がライフステージに応じて、独立・起業・副業・転職を自由に選択して働ける社会創り」をし、人生100年時代の未来の働き方を支えるプラットフォームとなることを目指しています。これら実現のため、いくつかの人材サービスを提供しています。1つ目は、「フリーコンサルタント.jp」と言うマッチングサービスです。こちらは、月100万円以上稼ぐようなフリーランスの方向けとなっています。2つ目は、「大人のインターン」と言うサービスです。フリーランスの方々が、業務委託で仕事をし、両者にとって、スキル、カルチャー共にフィットし、両者が望んだ場合、転職していただきます。3つ目は、「プロフェッショナルキャリア」と言う転職エージェントです。これら3つは東京向けに展開をしています。4つ目は、「Skill Shift(スキルシフト)」と言う地方副業WEBプラットフォームです。2019年から取り組み始めた地方創生ビジネスです。専門スキルを求める地方中小企業様と都市部副業人材をWEB上でマッチングし、月3万円~5万円程度の値段で優秀な副業人材を採用できます。5つ目は、「Glocal Mission Jobs」と言う地方転職WEBプラットフォームです。こちらは2020年にM&Aをしました。都市部人材が地方中核企業へと転職するご支援をしています。これら5つのサービスは、プロフェッショナル人材が対象です。プロ人材の方々に、正社員・フリーランス・副業や、都市部・地方など様ざまな働き方の選択肢を提供しています。それとは別に、オープンイノベーション事業として、三井住友銀行様から「アクセラレーションプログラム」を受託し共同運営をしています。このように弊社では、都市部・地方、大企業・中小企業・スタートアップ企業様を、様ざまなサービスを通じ多角的にサポートしています。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「読書、ゴルフ、焼肉、旅行」とお答えいただきました。旅行は、日本47都道府県・海外は93ヵ国も渡航されているそうですね!毎年海外に行かれるのですか?

岡本祥治:今はコロナの影響で行けていませんが、ゴールデンウィーク・年末年始は何もなければ旅行をしていました。こんなに海外に行けていないのは、初めてです。

新谷哲:ストレスが溜まってしまいますね。

岡本祥治:めちゃめちゃストレス溜まっています!ただ、コロナという時期があったからこそ、働き方改革が進み、地方にも目が向けられるようになりました。マイナスだけではなく、プラスの面も受け止め早く開けることを切に願っています。現在ではリモートワークも浸透してきたので「海外を旅しながら仕事することも出来るのではないか?」と想像し、わくわくしています。

新谷哲:ありがとうございます。座右の銘もお聞きして「Dream as if you'll live forever, live as if you'll die tomorrow」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

岡本祥治:Dream as if you'll live forever(永遠を生きるかのごとく夢を見て)live as if you'll die tomorrow(明日死ぬかのごとく今を生きろ)。これは、「永遠を見ながらも、目の前のことに一生懸命頑張ろう」という考え方です。初めてこの一文を目にしたのは、アクセンチュアの研修でクアラルンプールにあるオフィスに訪れたときです。窓にこの文字が貼ってあり「かっこいい!」と思い写真に撮りました。それからというもの、誰の言葉かも知りませんでしたが、頭に残っていました。ある日テレビを見ていたら、若くして成功しておきながら20半ばと若くして亡くなってしまった、映画俳優のジェームズ・ディーンの言葉として紹介されていました。私は、23歳の頃、会社帰りに横断歩道を渡っているところ右折車に轢かれる交通事故に遭いました。吹き飛ばされ数秒の間意識を失ったのですが、その時に走馬灯のようなものを見たのです。一時的な記憶障害でよくあるそうですが、初めて「死ぬかもしれない」と感じる恐怖体験をしました。それ以来「死」を、意識するようになりました。人の生命はいつ亡くなるかわかりません。だからこそ「常に今を一生懸命に生きること」そして「将来成し遂げていきたいこと」の2つを持ち続けなければいけません。死を意識するからこそ、生を意識することが出来る。そんなことを思うようになり「Dream as if you'll live forever, live as if you'll die tomorrow」が座右の銘となりました。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

岡本祥治:私はまだまだビジョン実現の道半ばですが、大切にしていることは「諦めない心」と「コミットメント」です。やると決めたら、何が何でもやりきります。どんなことがあろうと自分自身に嘘をつきたくはありません。大変な時に辞めてしまうのも、頑張り続けるのも、決めるのは自分です。諦めずに一歩でも前に進み続ける限り、どこかで光が見えゴールにたどり着けるはずです。そうすることで、次々と新しいチャンスが巡ってくる、その連続だと思っています。

新谷哲:大変深いお話です。岡本祥治社長、本日はありがとうございました。

岡本祥治:ありがとうございました。

編集後記

今回は岡本祥治社長でした。お若く、元気で、イケメン!考え方もしっかりされていて、理系で論理的、頭が良いのがとても伝わってきました。それに加え結果に対して「コミットメント」するまで諦めない真の強さ。完敗を通り越して尊敬です!経営者は常に、自身と向き合いコミットメントをすることが重要です。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

岡本祥治氏
株式会社みらいワークス 代表取締役社長

神奈川県出身。2000年に慶應義塾大学理工学部を卒業後、アクセンチュア、ベンチャー企業を経て、株式会社みらいワークスを設立。働き方改革やフリーランス需要の拡大とともに急成長し、2017年12月には東証マザーズに上場。一般社団法人新経済連盟幹事、一般社団法人日本スタートアップ支援機構顧問、公益社団法人経済同友会幹事、同友クラブ理事、Entrepreneurs‘ Organization(起業家機構)会員。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、岡本祥治氏(株式会社みらいワークス 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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