成功経営者インタビュー

株式会社SKIYAKI 代表取締役 小久保知洋氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、小久保知洋氏(株式会社SKIYAKI 代表取締役)です。(2021年4月21日・2021年4月28日 配信)

今回は、株式会社SKIYAKIの小久保知洋社長にお越しいただきました。
ファンビジネスのデジタル化を牽引したパイオニアである、マザーズ上場企業の社長様です。

小久保氏は、堀江貴文氏が代表を務める、株式会社オン・ザ・エッヂ(株式会社ライブドア)、NHN JAPAN株式会社(現LINE株式会社)、ミクシィ社の子会社Diverse取締役などを経て、株式会社SKIYAKIの代表取締役社長へと就任されました。

IT業界の前線でご活躍されている小久保氏の考える「人間とはどんな生き物か?」情報化社会の中で信念を貫き自身とのテーマと向き合われる姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社SKIYAKIの小久保知洋社長です。まずは経歴のご紹介です。大学卒業後、富士フイルム株式会社、光画印刷株式会社を経て、株式会社オン・ザ・エッヂ(株式会社ライブドア)へ入社し、執行役員にご就任されます。その後、NHN JAPAN株式会社(現、LINE株式会社)の執行役員にご就任。そして、株式会社Diverse 取締役を経て、マザーズ上場企業である株式会社SKIYAKIの代表取締役社長へご就任されました。本日(2021年3月1日収録)は、Yahoo!とLINEが経営統合された話題で持ち切りですね。よろしくお願いします。

小久保知洋:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

小久保知洋:埼玉県の入間市です。アウトレットが出来たことで、少し認知されるようになりました。埼玉県民あるあるかもしれませんが、東京と同化したいという思いがあり、そこまで地元への思い入れは無いかもしれません。

新谷哲:小学校時代・中学校はどのようにお過ごしでしたか?

小久保知洋:小学校は地元の公立校でしたが、中学校から新宿にある私立の中高一貫校へ通学をしました。当時の入間市は、中学受験をする人が学年で2人ほどしかいませんでした。そのため「当然、勉強できるでしょ」というキャラになってしまうのは辛いので、塾通いを友人たちに隠していました。ところが、新宿の私立校に入学したところ、レベルが全く違い「世の中は広い」と気づかされました。優秀な人の周りに囲まれ「自分は大したことない」と実感し、逆に解放された感覚を持った記憶があります。

新谷哲:なるほど。高校での思い出はございますか?

小久保知洋:中学はサッカー、高校はテニス部に入部しました。中高一貫校だったので、みんな当然のように大学受験に向けて予備校へ通い、突飛なことをした記憶はありません。普通の学生生活でした。

新谷哲:大学はどちらへ進学されましたか?

小久保知洋:東京大学の理科一類、機械工学科に入学しました。

新谷哲:もともと頭がよかったのですね!

小久保知洋:私は全く東大に受かるような学力ではありませんでした。理系だったので早稲田大学、慶應義塾大学を目指していましたが、公立は受けるところが無く、東京大学を記念受験しました。合格発表も見に行っておらず、たまたま受かった感じです。

新谷哲:東京大学ではどのようにお過ごしになられましたか?

小久保知洋:インカレのサークルに入り、バイトも始め、楽しい毎日を送っていました。そのため「いかに大学へ行かず卒業できるか?」ばかり考えていました。理系では大学院に進学される方が多いですが、私は就職を選択しました。

新谷哲:大学卒業後は、富士フイルム株式会社に入社されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

小久保知洋:選んだ理由は「誰もが知っている会社」だからです。就職活動では、研究室に貼られていた就職斡旋先を何社か面接を受けました。その内の1社として、富士フイルム株式会社も選考に入れていました。化学系の会社ですが、デジタルカメラ、プリンターなどを発売するため、機械系の人材を求めている部署があったのです。どの企業様も大学柄とてもウェルカムで迎えて下さいました。消去法で「ここであれば親には怒られないだろう」と、何も考えず就職先を決めました。

新谷哲:富士フイルムでの思い出はございますか?

小久保知洋:当時の私はあまり明確にやりたいことがありませんでした。入社後は設計部に配属されました。生産トラブルで仙台工場まで飛び、直るまで帰れないということも良くありましたね。当然、プライベートと仕事は分けられると思っていたのですが「働くということは、こんなにも時間拘束をされるのだ……」と知り「好きなことをやらなければ駄目だ」と痛感しました。

新谷哲:その頃から社長を目指し始めたのですか?

小久保知洋:社長になりたいとは全く思っていませんでした。趣味で毎年、年賀状用の版画を掘るなど、経営よりも物を作ることの方が好きでした。

新谷哲:その後、光画印刷株式会社に転職されます。移られたきっかけはございますか?

小久保知洋:Adobe(アドビ)製品に触れたことがきっかけです。私は就職をするまで、まともにパソコンに触れることはありませんでした。富士フイルム株式会社での業務では、印画パターンを作成するのにPhotoshop(フォトショップ)と言う画像編集ソフトウェアをよく使用していました。そこで「なんて凄いことが出来るのだ!」と魅了され、Illustrator(イラストレーター)やFlash(フラッシュ)と言うツールを使用した、Webページの映像作りにも興味を持ち、土曜日に専門学校に通い始めました。そこから真面目にインターネットか映像編集、どちらの世界に行くか悩むようになり、インターネット業界を選択しました。そして、高島屋のハウスエージェンシーから印刷物の仕事を受けている光画印刷株式会社が、WEB部門を立ち上げるということで転職を決めました。最初のうちは、秋冬物のブランドサイトイメージをもらいIllustratorで作成したものを提案し、OKが頂ければHTMLを組みFTPに上げるという仕事をしていました。

新谷哲:なるほど。その後、ホリエモン(堀江貴文氏)が立ち上げた、株式会社オン・ザ・エッヂ(株式会社ライブドア)へと入社されます。こちらに移られた理由はございますか?

小久保知洋:「IT業界では技術が無ければ通用しない」と感じたからです。私はスキルが無かったので、いったん光画印刷でWEBデザインディレクションを経てから、頭一つ抜けていたベンチャー数社の面接を受けました。そうして、採用して下さったのがオン・ザ・エッヂでした。

新谷哲:ライブドアでは、入社から約5年で執行役員にご就任されました。モバイルメディアの新規立ち上げや、ライブドア事件後の再建をご担当されるとは、やはり、ご優秀でいらっしゃいます!

小久保知洋:優秀と言うよりは「なんとか粘った」と言う感じです。ライブドアでは、上の人からどんどんいなくなり、ポストに空席が出来ていきました。これは、ライブドア事件の影響と言うよりも、当時のネット業界全体に見られた傾向です。技術的にも成熟していなく、手探りで商品を作り、期日までに納品するという過酷な労働環境の中、脱落していく方が多くいました。

新谷哲:なるほど。ホリエモンさんとご一緒にお仕事をされてきたのですか?

小久保知洋:私の入社時はすでにマザーズ上場をしていたので、面接以降お話することはしばらくありませんでした。先ほどYahoo!とLINEの経営統合のお話が出ましたが、現在同社をグループとして抱えている、Zホールディングス株式会社の代表取締役Co-CEOを務める出澤剛さんと言う方がいます。当時、彼は私の直属の上司で、非常にうまくマネジメントして下さいました。そのため、堀江さんの思いつきの強風に当たることなく、生き延びることが出来ました。

新谷哲:なるほど。ホリエモンさんが席を外されてからメディア事業部長を担当されたのですね。

小久保知洋:はい。そこからが私の転機となります。当時のライブドアは、祭り事が好きな方が多く集まってきて、収束に向かうにつれて皆いなくなってしまいました。そんな中、出澤剛さんが率いるチームはとても結束力が高く、事件後も残っていました。「自分たちのお金は自分たちで稼ぐ」と言う通念があり、毎日コツコツサイトを作る地味な一派でしたが、必然的に見る領域が広がっていきました。

新谷哲:当時の辛かったこと・面白かったことなどの思い出はございますか?

小久保知洋:入社当初が一番辛かったです。このころには耐性も出来、多少のことで驚きはありませんでした。上の者から順番にいなくなってしまったので、私はマネジメントスキルなど全くない状態から、業績をV字回復させていく必要がありました。1つ役が上がったと思うと、すぐに別の方が辞め、もう1段上がるという状況で、毎週のようにレベルアップが求められました。金融で儲けようという動きもあったので、必要な業務ではないPL(損益計算書)も見ることになり「1秒!で財務諸表を読む方法」と言う本を買い、明日判断するPLと見比べ「減価償却とはこういうことか」と理解していました。当時の私は、勤勉で率先して動くタイプでは無かったので、なかなかレアな体験が出来たと感じています。

新谷哲:PLをすぐに理解されるとは、やはり素晴らしいです!その後、NHN JAPAN株式会社(現、LINE株式会社)の執行役員にご就任されました。こちらはどのようなお役目でしたか?

小久保知洋:ライブドアが現在のLINE株式会社に売却をされたので、経営統合などを担当しました。また、メディア事業部長として、ニュース事業・CGM(掲示板やクチコミサイト)事業など様々なサービスがあり、それらの判断をする中間管理職的な役を担っていました。すでに、本来やりたかったサービスを作る仕事からは外れていて「自分よりも適任な人がいるのではないか?」と思いながら仕事の整理をしていた記憶があります。

新谷哲:なるほど。その後、LINEの結婚支援事業がミクシィ社へ売却され、子会社として株式会社Diverseを設立し取締役に就任されました。こちらの事業を始められたきっかけはございますか?

小久保知洋:実はこの結婚支援事業、始めたのではなくライブドアが買収した事業です。それが、課金ビジネスの重要な収益事業として事件後も残り、メディア事業部で運営していました。当時のマッチングサービスはまだまだ「出会い系でしょ」と言われてしまう時代でしたが、思い入れを持って取り組んでいました。私は、IT業界にいながらも情報にそこまで興味を持てず「自分が本当に興味あるものとはなんだろう?」とよく考えていました。そんな中、結婚支援事業を通して、インターネットが人と人の距離を近づけ、これがなければ出会えなかった人たちを目の当たりにしました。この様な価値のある場を作り提供できることにとても面白味を感じたのです。そのため、LINEが上場するタイミングでミクシィに売却されることになったのですが、私も事業と共に移ることを決断しました。こうして、ミクシィの子会社として株式会社Diverseが設立されたという経緯です。このころから「人間とはなんぞや?」を解明するのが私の中で一つのテーマです。

新谷哲:株式会社Diverseでの思い出はございますか?

小久保知洋:Diverseでは取締役として様々な経験をさせて頂きました。結婚支援事業では、街コンを展開している事業を買い取り、オフライン・オンライン、カジュアル・シリアスを問わず婚活領域のポートフォリオを展開していきました。また、結婚支援事業の背景には、日本の少子化や人口動態・出生率・生涯未婚率・婚外子問題などが深く関わってきます。それらをグローバルな視点で見たとき「今の常識は50年以内で作られたものである」と気づきました。そして、渋谷区では日本で初めて事実婚を認めた制度を作られました。インターネット企業ではありますが、「これからの人間の結婚とは」「恋愛とは」などセクシャルマイノリティに関する考え方や、多様性などについて、前提を疑い深く考察していました。

新谷哲:ありがとうございます。その後、株式会社SKIYAKIの取締役にご就任されました。こちらはヘッドハンティングですか?

小久保知洋:当時SKIYAKIの代表を務めていた宮瀬卓也と役員が高校の同級生で、声を掛けて頂いたのがきっかけです。私はライブドア時代から言うと述べ10年ほどマッチング事業をやってきました。市場を取ってない業界だったので、同業者同士も仲が良く、社団法人を作っていました。現在マッチングサービスを展開している企業の代表、役員はみんな友達と言う感じです。そこからPairs(ペアーズ)、タップル、Tinder (ティンダー)は徐々に勢いをつけ社会から認知され始めました。しかし、残念ながらDiverseはトッププロダクトにはなれず、やり切られた感を覚えていました。と同時に、毎年の結婚数も減少傾向にあり少子化を食い止められず、結婚というフォーマットが年々難しくなっていると感じていました。Diverseはその後、ミクシィからIBJ社へ売却されることになり、親会社がよく変わる状況がありました。その時に前代表の宮瀬から誘いを受けたのです。私はもともと「社会性のある動物はどうあるべきか?」に興味があり、結婚という一つのコミュニティ形態に関わってきました。話を聞いていくと、SKIYAKIの展開する、好きなものを発信していくというファンコミュニティのビジネスは「これからの時代にどんどんマッチしていく、めちゃくちゃやることがありそうだ!」と感じました。彼のビジョンもすごく面白く、ジョインしました。

新谷哲:その後、2年足らずで代表取締役社長にご就任されていますね!

小久保知洋:私は、世界中のクリエイター・ファンを繋げるという思いの元、プロダクト開発に2年ほど専念していました。そして、「ミッションの実現が出来るのではないか?」と言うタイミングで私が代表になり、プロダクト事業を牽引していくことになりました。社内ではSKIYAKIの第二創業期と呼んでいます。

新谷哲:ご優秀で社長抜擢をされたのですね。もしよろしければ、株式会社SKIYAKIの事業内容をお教えいただけますか?

小久保知洋:弊社は、音楽アーティストを中心としたファンクラブビジネスをメインに創業しました。現在では、ファンクラブ運営だけではなく、ECの立ち上げ・ファン旅行・ライブ制作など、360度幅広くファンビジネスを展開しています。創業当初からプラットフォーム思考で作っていて、そこに400サイト~500サイトを保有しています。自分で言うのもなんですが、ファンクラブビジネスのデジタル化を牽引したパイオニア的な会社です。また、現在は個の時代へと移行しています。そのため、特に力を入れているのが、弊社のノウハウをオープン化し、あらゆる人に使って頂くことの推進です。2020年11月には、「革新的な優れたサービス」を表彰する「第3回 日本サービス大賞」において、当社が運営する、誰でも無料で簡単に作れるオールインワン型ファンメディア「Bitfan」が「総務大臣賞」というありがたい賞を頂きました。その際に、「このようなプロダクトが音楽業界のみでなく、様々な業界で使われることで、日本企業の活性化がされるのではないか」と評価コメントをいただきました。まだまだこれからですが、ファンマーケティング・ファンビジネスの領域をどんどん広げていきたいと感じています。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「サッカー・テニス・BAR・人間とはどういう生き物か?を解明するのは自分のテーマです」とお答えいただきました。東大の理系ご出身でありながら人間好き、とても親しみを感じます。

小久保知洋:人間は好きですし、飲み会もとても好きです。特に人間関係で悩んだ記憶はありませんが「人間とはどういう生き物か?」は永遠の課題であると感じています。事業を展開していく上で、マーケティング一つとっても全て人間の問題にぶつかります。インターネット業界はとても流れが早く、10年後に今得ている知識は役に立たないと感じています。そうならないためには「本質的なことを理解する」ことが重要です。マッチングサービスでは、人間の本質的な欲求が関わっていました。マネジメントでも試行錯誤をしながら、いろいろな人間関係を知り、経験を積むことでヒットする確率を上げていけるのだと思います。人間のことをよく知っていれば、食いっぱぐれることはありません。

新谷哲:なんとも深いお話です。座右の銘もお聞きして「人間万事塞翁が馬・温故知新・知行合一」と3つお答えいただきました。これが一番好き!や共通点などはございますか?

小久保知洋:私は気になったことをまとめているメモがあるのですが、時々アップデートをしてもこの3つは変わらず残っています。1個に絞ることは出来ませんでしたが、インターネット業界にいるからこそ、その逆が気になるという共通点があります。例えばSNSでは「早く知ったもの勝ち」という風潮があります。今では「Clubhouseまだやってないの!?」みたいな感じです。以前は私も「知らないとやばい!」と思い、SNSに時間を費やしていたこともありました。しかし「その情報を1週間早く知ったところで価値はあるのだろうか?」と疑問に思うようになりました。結果、ツイッターを追いかけることにも疲れ、辞めたのですが、何も困りませんでした。本当に重要なことは必然と向こうからやってきました。私は、情報化社会の弊害がいろいろなとこで起きてしまっていると感じています。特に、やる前に結果を知った気になってしまうという問題が大きいです。「人間万事塞翁が馬」何が幸せか不幸せかは結局最後まで分からないので、この精神で取り組みチャレンジしていく必要があります。「温故知新」人間の欲や活動も根本的には変わっていません。「知行合一」知っているだけで実行できないことには何の意味もありません。自分は今何を為すべきかを考えなければいけない。情報化社会が過ぎる中で流されてしまわないよう心に留めています。

新谷哲:勉強になります!次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

小久保知洋:全然成功はしていませんが心がけていることがあります。現代は「人生100年時代」と言われていていますが、その「100年をどう設計するか?」ということです。昔、ITエンジニア35歳定年説というものがありましたが、その寿命はどんどん伸びています。私は今46歳ですが「45歳までしか現役とは言えないのではないか?」と考えていました。しかし、いざこの年になってみると「50歳までいける!」と感じます。この間LINEで一緒に働いていたメンバーと「いつまでここにいるのか?」と話しをしていました。世間からすれば「そのままいればいいじゃん」と感じるかもしれません。しかし、価値があり続けられるよう、自分自身と向き合い、変化に適応し、次に何をやるかを模索し、人生を設計し続けることが大切だと感じています。そうすることで、選手生命を伸ばし、私のようなものでも社長になり仕事を頂けていると感じています。

新谷哲:とても参考になります。小久保知洋社長、本日はありがとうございました。

小久保知洋:ありがとうございました。

編集後記

今回は小久保知洋社長でした。
やはり、東京大学を出ていらっしゃる方は「考える」ことのレベルの違いを感じます。理系でありながら、人間について考えてらっしゃるとは奥深いです。お話を聞いていて「なるほど~!」と思うことばかりでした。ぜひ皆様も深く考えた経営をすることで、共に成功社長を目指していきましょう!

小久保知洋氏
株式会社SKIYAKI 代表取締役

埼玉県入間市出身。東京大学理科一類をご卒業後、富士フイルム株式会社にご入社されました。そこで、Adobe製品に触れることでWEBの世界に魅了され、光画印刷株式会社へ転職しIT業界に飛び込まれます。その後、堀江貴文氏が代表を務める、株式会社オン・ザ・エッヂ(株式会社ライブドア)にご入社され、モバイルメディアの新規立ち上げから、ライブドア事件後の再建などを担当されました。そして、ライブドア売却と共に、NHN JAPAN株式会社(現LINE株式会社)へ移り、執行役員にご就任されます。その後、担当していた結婚支援事業がミクシィ社へ売却され、子会社のDiverseを設立し取締役に就任されました。そして、2019年4月に株式会社SKIYAKIの取締役、2020年12月には代表取締役社長にご就任されました。人々の幸せのため「世界中の創作者とファンをつなげるプラットフォーム」をアップデートし続け、そのプロダクトを他業種にも提供することで日本企業の活性化へと貢献されています。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、小久保知洋氏(株式会社SKIYAKI 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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