本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、中島 康博 氏(メガエフシーシステムズ株式会社 代表取締役社長)です。(2017年6月14日 2017年6月21日 配信)
複数のFCビジネスを展開するマルチフランチャイジーとして有名な、メガエフシーシステムズ株式会社の経営者、中島康博氏にお越しいただきました。牛丼の「吉野家」9店、「牛角」6店、とらふぐ料理専門店「玄品ふぐ」1店など、計25店のFCを経営。中島康博氏は座右の銘で挙げられていた「当たり前のことを当たり前にする」という、凡事徹底の考え方を体現されている経営者です。皆さんもぜひお聞きいただき、経営者としての在り方を改めて見つめ直すきっかけとしていただければと思います!
新谷哲:今回の経営者インタビューは、マルチフランチャイジーで有名な、メガエフシーシステムズの中島康博氏です。まずは、経歴をご紹介させていただきます。1953年神奈川県生まれ。立教大学を卒業後、現在のサトレストランシステムズに入社。ここでチェーンストア理論の基礎を学んでいます。その後吉野家に入社し、一時期ボストン大学留学。吉野家を退社後、中島商事に入社、2000年から代表取締役社長にご就任され、社名変更しメガエフシーシステムズ株式会社となっております。マルチフランチャイジー業界では、大変有名な企業で牛角、吉野家、玄品ふぐなど合せて25店舗の展開企業の経営者です。それでは、最初の質問をさせていただきます。ご出身は神奈川県ですか?
中島康博:はい。神奈川県です。
新谷哲:小学校・中学校時代は、どのようなお子様でしたか?
中島康博:テレビっ子でした。ちょうどテレビが普及する頃に生まれたので、あまり外で遊ぶような子ではなかったです。
新谷哲:そうでしたか(笑)。経営者ですから、快活的なイメージを持っていました。
中島康博:今でも人見知りで、立食パーティーに行くと一人の方と話していて、次の話題に切り替えることが出来ないのです。そのため、いつも数名ぐらいの方としか会えないです。
新谷哲:テレビは、どのようなものを見ていらっしゃいましたか?
中島康博:アメリカの番組です。かなり影響を受けました。
新谷哲:高校時代は、どのような学生でしたか?
中島康博:落語家になろうとした時期があり、落語研究会に入りました。
新谷哲:今でも、落語をやろうと思えばできるのですか?
中島康博:小噺でしたら(笑)。
新谷哲:今の姿から想像ができませんね(笑)。
中島康博:出たがりな所がありまして、人に笑ってもらうのが好きでサービス業に向いていると感じております。
新谷哲:社員さん向けに落語を話すことはあるのですか?
中島康博:それはないです。ただ介護事業をやっていますので、おじいちゃん・おばあちゃん向けに小噺をしたのですが、全く受けなくて非常につらい思いをしました(笑)。
新谷哲:その後、立教大学へ行かれていますが、選ばれた理由は何かありますか?
中島康博:元々、立教大学は気になっていました。憧れもあり、こじんまりしている、みたいなところに好感を持ちました。
新谷哲:大学時代どのようにお過ごしでしたか?
中島康博:勉強した、とは恥ずかしくて言えないです。仲間とディスクジョッキーを立ちあげて、自分たちの好きな音楽をいろいろなサテライトへ行って流させていただきました。
新谷哲:多才でいらっしゃいますね。
中島康博:多才というより、マスコミュニケーションに興味があったのです。当時、僕らの世代ではフォークソングが流行っていて、フォークシンガーを呼んでお金儲けをした経験もあります。正直、女の子にモテたい、というのもありました(笑)。
新谷哲:卒業後、サトレストランシステムズにご就職されていますが、選ばれた理由はございますか?
中島康博:実家が、新規事業として和食屋の店をドライブイン形式やっていたので、現場を知らないといけないと思いました。少なくとも包丁が出来ないといけないと思い、大阪の叔父に紹介されて、飲食店に入りました。
新谷哲:サトレストランシステムズではどんなことを学ばれましたか?
中島康博:店舗のオペレーションから、調理、ホールなど何でもやりました。半年後に、セントラルキッチンに移動になり、全店のソースなどの加工をやりました。ガリバー旅行号みたいで、見張り場の親方みたいなことをしながら作っていました。そこで「チェーンストアはこういう事」と実践として学べました。
新谷哲:その後、吉野家に入社していますが、吉野家に行かれた理由は何かありましたか?
中島康博:大きな理由は、先代が既に、吉野家にフランチャイズ加盟していたことです。後継者として、吉野家のチェーンストア理論を学ぶために入社しました。
新谷哲:吉野家ではどのようなことを学びましたか?
中島康博:ものすごくインパクトがありました。飲食は水商売といわれている事業で、一般の人からは地位が低く見られていました。しかし、サトレストランや吉野家は、感覚で盛り付けるのではなく、規定量を盛り付けたりする。牛丼でいうと、肉を投入するたれの温度や何度、ご飯の量は何グラムなど、どんぶり勘定ではないとびっくりしました。そこでスイッチが入りました。水商売の部分ではなく、きちんと科学されている部分、事業として成り立つ部分が勉強出来たのが、大きかったです。
新谷哲:吉野家は、インダストリアルエンジニアリングを投入し、科学的に行っていますからね!当時から科学的な文化を取り入れていたのですか?
中島康博:そうですね。当時から、コンピューターも導入しておりました。驚いたのが棚卸しを1日に3回やるのですよ。
新谷哲:3回もしていたのですか!?
中島康博:なぜかと申しますと、きちんといい商品が出ているのか、規定量が守られているのか、1kgあたりのお肉が正確に盛られているかなど、確かめるため。本当に感動的で、これは飲食ではないと思いました。
新谷哲:初めてお聞きしますし、大変勉強になります。その経験は、今のマルチフランチャイジーの事業に生きていますか?
中島康博:実は、いま行っている管理項目、例えば「人事管理」「労働生産性」「分配率」など、全て吉野家から学びました。
新谷哲:その後、実家である中島商事に戻られたのですか?
中島康博:そうです、家を継ぎました。
新谷哲:中島商事さんは、何をする会社だったのですか?
中島康博:元々は中島水産という魚屋で、東京や熱海にあり、デパートの地下などに商品を卸していました。
新谷哲:その後、和食の事業を行ったのですね?
中島康博:それにも理由があります。商売の相手は、小売の魚屋ではなく旅館さんでした。売掛け商売でしたので、支払いが3カ月先や9カ月先です。しかし仕入れは現金でしたので、両親はいつも資金繰りに苦労していました。そこで、日銭が入る商売として、先代が和食のお店を経営し始めました。吉野屋とは、和食店の仕入れで築地へ行っている時に、出会いました。
新谷哲:それで、吉野家のフランチャイズに加盟されたのですね?
中島康博:そうです。お魚屋からお肉屋に変わっていくのは、見ていて面白かったです(笑)。
新谷哲:その様子を見られていて、戻られたとき吉野家中心の事業に変わられていたのですか?
中島康博:そうです。吉野家も、かなり出店はしていたと思います。
新谷哲:戻られた後の苦労は何かありましたか?
中島康博:振り返れば、大変さが面白かったです。少し不謹慎かもしれませんが、1980年に吉野家が倒産事件を起こした頃、僕にとっては素敵な経験をさせていただきました。
新谷哲:吉野家の倒産事件があった時、加盟店側としてドキドキしなかったのですか?
中島康博:当時は吉野家の社員でした。先代は本部との関係も非常に良かったので、本部の人も応援してくれました。自身も若かった部分もあり、倒産というのは会社が無くなってしまうと勘違いをしました。そのため、会社更生法を知らずに、「みんなで行くところまで行こう」と踏ん張った部分が面白かったです。
新谷哲:中島商事様に戻られて、他のフランチャイズに加盟しようとしたのは何年ぐらいですか?
中島康博:吉野家が倒産事件を起こした、1980年頃からです。凄いことに、加盟店側は利益が余っていたのです。本部の直営店を閉めても、加盟店を応援してくれました。そうした時に先代は、現状維持か、成長のどちらかを選ばないといけない。経営者としては成長を選びますよね。その時、吉野家は会社更生するために出店を一時ストップしていました。おかげさまで利益が余っていたので、それをどこに投資を行うかというところで、2つ目のフランチャイズにモスバーガーを選びました。
新谷哲:2つ目がモスバーガーだったのですね。そちらはどうだったのですか?
中島康博:やってみて、個人向けのフランチャイズだと思いました。
新谷哲:モスバーガーの次はどこだったのですか?
中島康博:サンマルクです。
新谷哲:そちらはいかがだったのですか?
中島康博:とても売れまして、クレームも、とてもいただきました。
新谷哲:どのようなクレームが多かったのですか?
中島康博:料理が遅いとかです。フルコースを食べたことないアルバイト(高校生や大学生)がホールの主だったので、料理の進み具合が分からず提供も遅れる、という悪循環が起きていました。価格的にリーズナブルでしたので、多くのお客さんが来てくれていました。そのため、来れば来るだけクレームが出て、ホールに出るのが怖くてずっと洗い場にいたのを覚えております。
新谷哲:そうですか。サンマルクのあとは?
中島康博:次は北前そば高田屋さんです。
新谷哲:では高田屋さんの次が、牛角さんですか?
中島康博:そうです。
新谷哲:いろいろなフランチャイズをやられて、「こういうフランチャイズは選ぶべきだ」と、中島康博氏の中で確立していますか?
中島康博:今もお付き合いしているフランチャイズチェーンは、本部さんの面倒見がいいところです。面倒見がいいところは、フランチャイズビジネスをよく分かっているところだと思います。本部と加盟店の機能と役割分担が、きちんとされていると感じます。
新谷哲:本部さんを見極める目が必要ということですね。別のご質問をさせていただきますが、お好きなものに牛丼を選んでいらっしゃいます。吉野家さん命なのですか?(笑)
中島康博:自分の人生の中でのインパクトは、吉野家で仕事をしたことです。もともと魚屋ということもありますが、僕らの世代では、牛肉は非常に高価なものでした。それが廉価な値段で食べられる。おかげさまで牛何頭食べたか分からないくらい飽きない商品だと思っています。
新谷哲:ありがとうございます。座右の銘は「凡事徹底」。本当にフランチャイジー事業を行っている経営者らしいのですが、選ばれている理由は何でしょうか?
中島康博:イエローハットの鍵山秀三郎様の本やお話を聞いて、「大きなことを考える前に、日々何をやるか」という時に、大切なのは「当たり前のことを当たり前にやること」だと気付き感銘を受けて、この言葉を使っております。そして、自分に毎日言い聞かしている状態です。
新谷哲:ありがとうございます。最後に、これから起業される方や経営者の方に向けて、成功の秘訣をお教えいただけたらと思います。
中島康博:多くの経営者が尊敬されている、ドラッカー先生の「顧客の創造」と「雇用の創出」を基本にして事業を考えることが、うまくいくコツなのだと思います。どちらかに偏ってはいけません。
新谷哲:その通りだと思います、中島康博氏ありがとうございました。
中島康博:ありがとうございました。
編集後記
中島康博氏のお話を聞き、さすがだと思いました。マルチフランチャイジーの成功要因は、マネージメントと凡事徹底だと思います。事業をやっていく上で、マネージメントが一番大切。サトレストランや吉野家で学ばれたことを持ち込んで科学し、凡事徹底されている経営者でいらっしゃいました。私自身も凡事徹底出来ておりませんので皆さまと一緒に凡事徹底をやっていきたいと思います。
中島 康博 氏
メガエフシーシステムズ株式会社 代表取締役社長
牛丼の「吉野家」9店、炭火焼肉酒家「牛角」6店、とらふぐ料理専門店「玄品ふぐ」1店、こだわり かつ丼「かつさと」2店、介護施設(デイサービス)「茶話本舗」6事業所、高齢者専門宅配弁当「宅配クック123」1店舗 計25店のFC経営。
新たな業態を続々と開発中。そして何人の起業家を育成できるかに挑戦中。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、経営者インタビュー 中島 康博 氏(メガエフシーシステムズ株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。
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