成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 松井忠三氏(株式会社良品計画 名誉顧問)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、松井忠三氏(株式会社良品計画 名誉顧問)です。

「無印良品」を展開する良品計画の名誉顧問である松井忠三氏にお越しいただきました。松井忠三氏は、一時38億円の赤字を抱えるまでに低迷していた2001年に社長に就任。そこから業務を見える化する企業改革を断行することで、わずか1年で業績をV字回復させた功績は、多くのメディアなどでも取り上げられています。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、松井忠三氏です。まずはご経歴をご紹介致します。1949年5月生まれ。静岡県ご出身で、大学卒業後、西友にお勤めになります。その後1991年、良品計画に出向。取締役、常務取締役、専務取締役を担われ、2001年に良品計画、代表取締役社長に就任。松井忠三氏が経営者にご就任してから、かの有名な無印良品が急速に拡大し、成長し、成功しています。現在は、良品計画の名誉顧問を務めていらっしゃいます。本日は宜しくお願いいたします。

松井忠三:宜しくお願い致します。

新谷哲:それでは最初のご質問ですが、ご出身は静岡ですか?

松井忠三:そうですね。

新谷哲:静岡のどちらですか?

松井忠三:静岡の、韮山(にらやま)町におりました。世界遺産となりました反射炉という施設があります。

新谷哲:なるほど。小学校・中学校の時は、どのようなお子様でいらしたのですか?

松井忠三:私は、農家の18代目でした。その頃は田植えとか稲刈りとか、そんなものを手伝った記憶があります。いつも嫌だなと思いながら、手伝っていましたね(笑)。中学校からはバレーボール一筋になりました。

新谷哲:18代ということは、凄い歴史のある農家ですね。

松井忠三:そうですね、長いですね。

新谷哲:昔は地主さんだったのですか?

松井忠三:自作農でずっと続いています。私の息子が19代目で、孫が20代目です。ただ農家をやることはきっとないと思いますね(笑)。

新谷哲:そうですか(笑)。高校時代はどんなふうにお過ごしになられたのですか?

松井忠三:高校時代もバレーボール一筋でした。我々の一つ上の世代の頃、全国大会7連覇をやった学校だったのです。ですから、非常に練習が厳しかったと思います。

新谷哲:バレーボールの選手としては、ポジションはアタッカーだったのですか?

松井忠三:そうですね。身長も177cmとそんなに大きくはないのですが、実はジャンプ力が結構ありました。走り高跳びで県大会に出たり、バスケットボールでダンクシュートするくらいのことは出来ました。

新谷哲:その後は、今の筑波大学の体育学部に進んでおりますが、運動が大変得意で入られたということですね。

松井忠三:私が入った時は、東京教育大学という名前でした。教師になって、チームを率いて国体に出たい、と思ったことがきっかけです。

新谷哲:大学時代もバレーボール部に所属して、体育会系ですね。

松井忠三:ええ、そうです。

新谷哲:社会人で、バレーボール部には進もうとは思わなかったのですか?

松井忠三:大学の1年生、2年生の時にデモに参加して逮捕された経験があるのです。

新谷哲:そうなのですね。

松井忠三:それで教師の道も自動的にダメになって、一般社会人の道に入るということで、西友に入社しました。バレーボールで一生食べていくっていうほどの選手でもありませんでしたから、教師でやるくらいのことでしか考えていなかったです。

新谷哲:そうですか。いわゆる、安保闘争とかですね。

松井忠三:ちょうど、1970年の全共闘運動が盛んな頃ですね。

新谷哲:存じ上げない部分があって、びっくりしました。西友を選ばれた理由はございますか?

松井忠三:当時は「流通革命」というのが非常に盛んになっていました。ダイエーの中内功さんが、「流通革命」ということで先頭を走っていたのです。そんなこともあって、たまたま西友受けました。面接をして頂いた人事課長も、京都大学の全学連のリーダーでした。そんなこともあって、おおらかに採って頂き、西友に入社しました。

新谷哲:その後、順調にご出世されていますが、出世のコツはございますか。

松井忠三:そんなのはないです(笑)。西友時代は、人事部で長く過ごしました。人事部には70人くらいいたのですが、西友の主流派はほとんどいませんでした。私は学生運動やったりしたので、反権威みたいなのが結構あったのです。西友で課長になったのは41歳ですから、かなり遅かったですね。使いにくいと思われたのですね(笑)。

新谷哲:松井忠三氏のセミナーを聞いても、本を読んでも、素晴らしいというか大変勉強になるので、全く想像つかないです。左遷されたのですか?

松井忠三:そうですね。使いにくい社員だったと思いますよ。主流派にいる人達って、上を向いて仕事をするのです。ですから、人事部にいても、商品部の専務とか、販売部とか常務の要求に屈しちゃう。人を動かすようなことをしていたので、僕はそれを決して良くないと思っていました。

新谷哲:びっくりするお話です。良品計画にご出向される時、いま左遷というお話ございましたが、お気持ち的には嫌だな、と思われていたのですか?

松井忠三:西友に18年入っていまして、性格的に転職をするという価値観がなく生きてきました。結果的に西友と無印良品で、ほぼサラリーマン人生は終わっている訳ですから。そういう意味では、良品計画に出向が決まった時は、寂しいっていう気持ちが最初にきました。その時に、人間模様が非常によく見えました。「これで松井も終わりだろ」と掌を返すような態度をする人と、そうではない人の、2つに分かれます。これはもの凄く勉強になりましたね。

新谷哲:どういう人が、掌を返すタイプになられるのですか?

松井忠三:自分にとって得になるかと考え、付き合いをしている人は、掌を返すと思います。

新谷哲:良品計画に出向されてからは、まさにトントン拍子で出世したのですか?

松井忠三:当時、西友は1兆円を超える売り上げで、良品計画は245億円だったので、1/40です。通常、西友の課長が良品計画に行けば、最低でも部長クラスになるのです。でも小さな会社だったので、部長になるには実績をあげなきゃいけない。私は1年で部長になったので、実績は出たと思います。その翌年に、実は取締役にしてくれたのです。だから良品計画に行ってからは、もの凄いスピード出世をしましたね。

新谷哲:経歴を見てみると、1、2年でどんどん上がっていく感じで、凄いです。それはやはり、実績を出されたからですか?

松井忠三:西友という会社は、ご機嫌伺いをして、ステップアップをしていく人達が非常に多かったのです。僕はそれと正反対だったので、実績を残すように頑張ったと思います。

新谷哲:課長として良品計画へ入った時、どんな役割を担ったのですか?

松井忠三:総務人事部長です。

新谷哲:部長になられてからも、人事関係の仕事だったのですか?

松井忠三:はい、そうですね。部長も総務人事でそのままやりました。

新谷哲:その後、常務、専務と上がられるわけですが、そうなってくると範囲が広がりますか?

松井忠三:常務になる前の、営業本部長という仕事が、範囲が一番広がりました。社員も8割くらいここにいました。

新谷哲:部長になられて以降、いろんな分野を経験されるのですね?

松井忠三:そうです。それまではほとんど人事一筋できたのですが、そこから先は色んな分野を、山のようにやりましたね。

新谷哲:部長になられたのがおいくつの時ですか?

松井忠三:43歳です。

新谷哲:では44歳以降くらいから、色んな分野をやり始めたのですね。

松井忠三:44歳が取締役になった歳で、ようやく取締役になったと思ったら営業本部長の異動でした。「厳しいな、これでそろそろ終わりかな」というくらい激しく動いた。

新谷哲:でも、営業本部長としても成果は出されたので、専務となったわけですよね?

松井忠三:営業本部長の頃は、私の実力というよりは、業績が右肩上がりでしたからね。毎年3割くらいの増収、増益を続けていました。私も予算を落とすということは全く無くやってきたのです。

新谷哲:素晴らしいです。その後、良品計画の代表取締役社長に2002年になってらっしゃるわけですが、社長に就任されるきっかけは何だったのですか?

松井忠三:良品計画は2000年に、初めて減益という経験をするのですね。ですから2000年2月末の株価って17,350円だったのですが、1/6の1,750円まで落ちてしまうのです。そんなこともあって、私の前の社長が辞めることになって、それで私が急遽社長になる、というのがきっかけですかね。なんか青天の霹靂みたいに、突然、辞令が降りてきたものですから、正直にいうと一番重い荷物がきた、というのが当時の率直な感想ですね。

新谷哲:では、抵抗というか、嫌だと、断るとかそういうことはあったのですか?

松井忠三:それは断れませんでした。言われた以上は、受けざるを得ない。それはしょうがないので、ハイという返事はしました。それから1週間後が記者会見でしたか、記者会見で気の利いたことは全く言えなかったですね。

新谷哲:その後、いわゆる今の無印良品の基礎、礎を築かれますが、どんなご苦労がありましたか?

松井忠三:色々なことがありました。セゾングループがなくなる前で、その原資がファミリーマートと無印計画の株だったのです。成長性をあげなきゃいけませんから、通常の年の10倍くらいの出店をする。これが見事に失敗をして、すごい赤字を叩き出しました。こいつをとにかくリストラしなきゃいけない。人員の整理をやらざるを得ない。まあこんなところに追い込まれますね。在庫も山のようにありました。原価で38億円の在庫を燃やして処分しました。あるいは、品質が非常に悪かったので、品質でものすごいクレームがくる。したがって品質も直さなきゃいけない。出血をどんどん止める、というのが当時1年でやった内容です。

新谷哲:凄く大変だったんじゃないかと思います。社長に就任された1年目なんてのは、ほとんど家に帰れないとかそんな感じだったのですか?

松井忠三:半年間休みなしでやろうと思っていたので、本当に半年間休みなしでやりましたね。

新谷哲:逆にそれくらいやらないと、改革できなかったのですか?

松井忠三:やっても上手くいくかどうか分からないですね。なので、1年間くらいは、先が見えない日々が続くわけです。ですから、やっていることが復活に結びつくかどうか分からない。結論から言うと、リストラで会社が立ち直ることもない、と気付くのです。ですから他の手を2年目以降は少しずつ打っていきました。

新谷哲: 2年目以降、無印良品さんの仕組み化が出来てきたのですね?

松井忠三:そうです。3年くらい経ってくると、本当の原因が、セゾングループの社風だと気付く訳です。「この人が辞めてしまうと財産が何も残らない、見えない」となると、会社の成長がほぼなくなるので、しょうがないので仕組み作りをする。人を育てる、販売をする、出店をする、とかを仕組みにしていったのです。仕組みにすると問題が見えるので、8割は解決をする。そして、標準化という過程を踏むので積み重なるのですね。本格的に入り込んでいくのが、2~3年の時ですね。

新谷哲:標準化というのは、チェーンストア理論の1つだと思うのですが、それは西友にご入社された時に学ばれたのですか?

松井忠三:チェーンオペレーションは、現実的にセゾンでは機能しなかったですね。例えば前橋とか、郡山に西武百貨店を作る。でもこの西武百貨店は規模も小さいので、西友が運営する西武百貨店ということになるのです。もちろん池袋には大きな西武百貨店もある。地方には、量販店をちょっと大きくした西武百貨店もある。西友のようにGMS(総合スーパー)がある。スーパーマーケットもある。ファミリーマートの着手も早くて、コンビニもある。つまりこれだけ多岐多様な店の大きさを持っていると、チェーンオペレーションが基本的にできないのですよ。ですから僕が、良品計画の営業本部長になった時に、お店を3つのタイプに分けて、チェーンオペレーションをやることにしたのです。

新谷哲:松井忠三氏が、チェーンオペレーションを学ばれたのは渥美先生からですか?

松井忠三:そうですね。すべての商業技術みたいなものは自然と身に付いてきます。チェーンオペレーションは、今でも有効な量販店スーパーマーケットのオペレーション技術だと思いますね。

新谷哲:私自身も、チェーンストア理論を勉強していないと、チェーンのコンサルタントはできないと言っておりますから。やっぱり勉強されてらっしゃるのですね。違う質問をさせて頂きたいと思うのですが、好きなことが「料理」ということですが、料理をされるのですか?

松井忠三:食べるのが好きなので、必然的に料理もせざるを得ない。我が家では、料理は全部、私が作るのです。

新谷哲:毎食ですか!?

松井忠三:ええ。だから女房は冷蔵庫に何が入っているかよく知らないと思います(笑)。

新谷哲:今風の旦那様でいらっしゃいますね(笑)。

松井忠三:いや、食べたり呑んだりするのが好きだから、やっていただけです。

新谷哲:得意な料理は何かございますか?

松井忠三:僕、居酒屋料理は大抵できます。食べに行ったら、居酒屋料理はほぼ確実に再現できますね。ただ、ミシュランの星がついているところのような料理は無理です(笑)。

新谷哲:松井忠三氏のお話を聞いていると、運動神経も良くて、経営もできて、そして料理もできる。20代の女性からすると一番結婚したい男性像だと思います。

松井忠三:そんなことはないと思います(笑)。

新谷哲:もう一つ、好きなものが「優れた経営者の言動に触れるということ」で、これは経営者になってからそう思うようになったのですか?

松井忠三:なる前からも思っていたのですが、経営者になってから痛切に感じました。1年間、経営者やってみて「自分の器以上に会社が大きくなることはない」と、痛切に感じたのです。したがって、そこを補わなければいけない。そうすると経営者としてメンター(指導者、助言者)がいるって思ったのです。その時に選ぶ経営者は畏敬の経営者です。例えば私が2km先まで見えるとする。でも、5km先が見える経営者がいるのですよ。5km先が見える人がいたら、5km先が見える人から聞いたほうが早い。そういうことで、今で言うガバナンスじゃなくて、メンターとして、社外取締役を招聘したのです。アクセル役をやっていただき、非常に勉強になりましたね。

新谷哲:経営者にとって一番良いお話で、経営者インタビューをお聞きの皆様も、勉強になったのではないかと思います。座右の銘は「右か左かの岐路に立ったら、難しいほうを選択する。そちらのほうが真理が隠されていることが多い」。どうしてこれを座右の銘にされたのか、お教え頂けますか?

松井忠三:経営者になった時、アウトレットというのを当時7店舗運営していました。アウトレットというのは無印良品の衣料品で、我々のようなSPA企業(製造小売業)というのは在庫コントロールが命になる。例えば、原価で10億円の不良品の在庫があった。これを捨てられると、経営としては一番良い状態。だけど「これ勿体ない、アウトレットへ行って売ろう」となる。例えば売上が4億円あったとすると、捨てるのが6億円で済むので、経営的には助かる。それでアウトレットがどんどん増えていったのです。

でも私は、そのアウトレットを0にしました。なぜそんなことをしたかというと、世界で戦う優良企業は、アウトレットを持ってないのです。つまり、アウトレットなしで処分する。それだけ、生産をする仕組みとか、販売をする仕組みとか、出店をする仕組みというのが優れているんですね。例えば夏物とか春物は沖縄から売り出す、逆に冬物、秋物は北海道。日本の気候差というのは丁度1カ月、世界の気候差は2カ月あるので、秋物はヨーロッパとアメリカから売り出す。それから、移動する仕組みをつくる。

3週間経つと、売上が全部分かるのです。売れない商品は、世界中どこも売れませんから、瞬時に処分する。売れる商品はアクセルを踏んで増産をする。でも、増産も納品が3カ月じゃ無理なので瞬時に作って持ってこなきゃいけない。そうするとEDI(電子データ交換)で、全工場を結ばないといけない。そういうことをずっとやる訳ですね。この営々とする努力が、結局本当の経営力になるのです。遠い道を選んで苦労したほうが、明らかに経営力があがる。したがって僕は迷った時に、最短距離に正解はないと思うので、必ず遠い道を選んできましたね。

新谷哲:深いお話で、本質というのが大変大切だということですね。真似するのは難しいと思います。

松井忠三:ええ、ですから1回できた仕組みは真似がほぼできない。つまり会社の風土とか、社員の価値観とかと一緒なのです。簡単に真似できると、みんなトヨタさんになれる。だけども1社たりともトヨタさんにはなれない。社風ってやつが真似できない最大のポイントです。結論から申し上げると、社風を築き上げれば、相当長い間成長する企業が作れるということです。

新谷哲:前半のお話と一緒ですが、セゾングループの社風に問題がある、という話と通ずる部分があって、私自身の反省が始まります。最後に、これから起業したいと思っている方が、経営者の方に、成功の秘訣をお教えいただけたらと思います。

松井忠三:世界で元気な企業に流れている本質は何か、アメリカでもう研究されていて、そこに出てくる答えは、「オーナーズアイ」つまり、創業者精神です。創業者で大変なのはお客様の対応です。うまく出来ない限り生きていけない。したがって商品でもサービスでも、本気で本質をやるのです。創業オーナーは自分では限界がありますから、人を使って仕事をしなければいけない。優秀な人も初めは入りませんから、人を育てなきゃいけない。そうすると、人材育成も本質的なことを追求していく。だから創業して間もない企業で考えている人材育成っていうのは、大手企業の人事部がやっているものとは違うレベルの人材育成なのですね。つまり、個人も企業も、上手に経営をやっていくための変わらぬポイントは、創業者マインドだと思います。これを持っている人は、サラリーマンにもたくさんいるのですよ。彼らをうまく見つけ出して、配置をしてポストアップしていくと、良い企業になりますね。

新谷哲:創業者精神、本当に勉強になるお話をありがとうございます。松井忠三氏の本はいくつも出ていまして、私もいくつか読みましたけれども、大変勉強になるので、皆さまもぜひ一度お読み頂いたら良いのではと思います。本日はどうもありがとうございました。

松井忠三:どうも、ありがとうございました。

編集後記

本当に素晴らしいお話でした。特に最後の「経営者はオーナーシップを持つべき」「社員の中にもオーナーシップを持った人を上に上げるべし」、という創業者精神のお話は、大切だと感じております。私の会社でも、社員達に創業者精神を植え付けたいと思います。

松井 忠三 氏
株式会社松井オフィス 代表取締役社長
株式会社良品計画 名誉顧問
ほか社外取締役多数

西友時代は主に人事畑を歩み、各種制度の構築、幹部社員の意識改革研修等を担当する。良品計画に移ってからは、人事・営業・物流・インターネットビジネスを担当。 2001年、急激な業績不振の責任を取って退任した前社長のあとを受け、急きょ社長に就任。38億円の赤字を経て大掛かりな経営改革を断行。一時は撤退したアジアにも再出店。 創業以来11年続いた海外の赤字も2002年には黒字に転換させ、現在25の国と地域に300店舗を展開する礎を築く。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、松井忠三氏(株式会社良品計画 名誉顧問)の経営者インタビューを取り上げました。

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