成功経営者インタビュー

MIKAWAYA21株式会社 代表取締役社長 青木慶哉氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、青木慶哉氏(MIKAWAYA21株式会社 代表取締役社長)です。(2021年10月6日 2021年10月 13日 配信)

今回は、MIKAWAYA21株式会社の青木慶哉社長にお越し頂きました。
行政の仕組みだけでは解決に至らない高齢者の方々の「ちょっと困った」を解決する「まごころサポート」事業をソーシャルフランチャイズ展開されている経営者です。
青木慶哉社長は、異例の販売力で新聞販売会社を関西最大級にまで成長させましたが、新聞は売れない時代に突入……。
事業を立て直そうと顧客の声に耳を傾けていくうちに、高齢化社会・地域の課題に気づき「まごころサポート」事業をスタートさせます。現在では、開始1年で急速拡大し、顧客からも加盟先からも愛され「友達や家族に紹介したいフランチャイズNo.1」へと選ばれています。経営のヒントが得られますので、ぜひインタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、MIKAWAYA21株式会社の青木慶哉社長です。まずは経歴のご紹介です。高校卒業後、伯父様の新聞販売店で飛び込み営業を2年間経験した後、20歳でリフォーム事業を起業されます。その後、23歳で読売新聞の販売店の経営を始め、27歳には関西最大の販売会社の代表に就任し、数々の販売表彰を受賞。新聞が売れない時代に突入すると、新聞販売店にソフトバンクショップを併設させ、iPhone月間販売台数日本一を3回達成し大活躍をされます。その後、新聞販売会社を売却しMIKAWAYA21株式会社を創業。現在は、「まごころサポート」というシニア向け生活サポートのフランチャイズ本部を展開されています。本日はよろしくお願いします。

青木慶哉:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

青木慶哉:大阪府枚方市です。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

青木慶哉:小学校一年生のころ、「自転車を買って欲しい」と親にお願いをしました。すると、従姉妹のさやかちゃんが乗っていた、ピンク色をした「リボンの騎士」の自転車をもらってきたのです。私はその自転車に乗るのがどうしても嫌で、考えました。そうして「自転車を買うために、学校帰りはアルミ缶拾いをしよう!」と思いついたのです。しかし、普通にアルミ缶を拾っているだけではいじめの対象になってしまいます。そのため、いかに多くのアルミ缶を持って帰れるかを競う「スーパーマリオごっこ」という遊びを考案し、ゴールを私の家に設定しました。やり始めると、10人ほどの友達が集まり、毎日約30個のアルミ缶が集まっていきました。当時はアルミ缶を売るといいお金になったので、3ヶ月で6000円を貯め、念願の青い自転車を買うことができました。この頃から、「どうお金を稼ぐか?」を考えていました(笑)

新谷哲:小学校一年生から商売の才覚を現していたのですね!

青木慶哉:当時はがむしゃらでしたが、今振り返るといいトレーニングをしていたのだと感じます。「ピンクの自転車に乗るのか?」それとも「自転車に乗らず走って行くのか?」というAorBの選択に迫られた時「新しいアイディアを考えてC案を作る」という方法があることに気づけました。今でも当時のことを思い出し「AかBで迷った時はCだ」と事業展開に活かしています。

新谷哲:すばらしいです。さらに、小学校一年生で友達10人をマネージメントしていたとは驚きです。

青木慶哉:そんなに恰好いいものではありませんが、「楽しいところに人は集まる」がビジネスの根本だと思っています。お祭りがまさにそうです。太鼓を叩いて、笛を吹いて、花火を上げたら人が集まります。そこに屋台ができ、ビジネスが生まれていく。やはり、楽しくてパワーのあるところに人は惹かれるのですね。

新谷哲:ありがとうございます。中学校・高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

青木慶哉:このあたりから「皆と一緒」が得意ではなくなりました。中学のときは週末になると、一人や、弟を連れてよくキャンプへ行っていました。その延長線で、高校生に上がると週末ごとにアジアを回る、バックパッカーになりました。勉強よりも旅をしていた思い出です。

新谷哲:親御さんは心配されませんでしたか?

青木慶哉:自由にやらせてくれました。高校一年生の時に阪神大震災が起こりました。私はボランティア組織が立ち上がるよりも早く、物資を持って被災地支援に向かいました。電車が動いていたのは西宮北口駅までで、そこからは片道6時間かけて神戸まで歩き、小学校でボランティアをしました。そして、日が落ちないうちにまた6時間かけて家に帰っていたのです。そんな時も、父は心配していましたが、母はいつも「行っておいで」と言ってくれるいい両親でした。

新谷哲:素晴らしい行動力です!

青木慶哉:ベンチャー界隈では、向こう見ずな方が多いですよね。私も後先考えずに一歩踏み出してきたので、ベンチャーに来るべくして来たという気がします。

新谷哲:高校卒業後は、伯父様の経営していた新聞販売会社へとご入社されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

青木慶哉:高校生の頃に行ったフィリピンでの、衝撃的な出来事がきっかけです。私は、マニラから田舎へ向かった村に宿泊をしました。当時のフィリピンは発展途上だったこともあり、その村の失業率は約60%、平日の昼間から男性が仕事もなくウロウロと歩いていました。泊めて下さった家族のお父さんも失業中だったのですが、なんとその日「絶対母ちゃんに怒られる~!」と言いながら自転車を買って帰ってきたのです。しかし、1時間後には「家まで5ペソで送るよ」と自転車タクシーを開始していました。「ビジネスはこんなにも簡単に立ち上げることができるのか!」と非常に驚きました。

ちょうど進路に悩んでいる時期だったこともあり、その光景を見て「自分探しのために4年間大学へ行くよりも、ビジネスを立ち上げたい」と感じました。帰国しすぐに会社を作ろうとしましたが、父と伯父から「どんなビジネスにも営業が必要になる。まずは営業力をつけたらどうか?」とアドバイスを頂きました。どこでその力を付けようかと考えていたら、「1000万円のベンツを売るよりも難しい営業、それは新聞屋の営業だ」と言われました。ベンツは売れる金額は大きいですが、店を訪れるのは車が欲しいお客さんです。それに対し新聞屋は、突然家に訪問をして契約を迫る、歓迎されない営業です。私は営業力を付けるために、営業以外の業務は免除してもらうという条件で、20歳までの2年間伯父の新聞社で雇っていただきました。

新谷哲:当時の思い出はございますか?

青木慶哉:飛び込み訪問営業を2年間きっちりやったことで、営業に関して「何も怖いものはない」という度胸がつきました。また読売新聞の営業コンクールでは、2年連続優勝をしました。一気に自信を付けることができた、重要な経験だったと思います。

新谷哲:その後、20歳でリフォーム会社を創業されたきっかけはございますか?

青木慶哉:7つ上の先輩で、リフォームに関して専門的な技術を持っていましたが、寡黙な方がいました。そのため「私が先輩の代わりに営業を回ります」と、一緒に会社を創業しました。

新谷哲:当時の思い出はございますか?

青木慶哉:3年間で従業員を5名雇える規模に会社は成長しました。そのきっかけは、大きなマンションをいくつも所有する地主さんとの出会いです。その方は、旦那さんを亡くされたお婆様が1人でマンションオーナーをされていました。営業に伺ったところ、まずはワンルームマンション一室のクロス張替えを任せて頂くことになりました。施工日にはオーナーもいらっしゃり、仕事ぶりを後ろで見ていました。私は張替えの経験が全然ないものですから、なんとか手の遅さを誤魔化そうと「私たちは、ホルムアルデヒドという化学薬品が入っていないノリを使っていますよ」など、職人あるあるのお話しをしながら作業をしました。すると、「普通の業者は六畳一間のワンルームを半日で張り替えて帰っていく。しかし、貴方たちは1日半もかけて丁寧にやってくれた」と喜んでいただけたのです。そこから一気に、スポーツ選手が住むような家賃100万円を超える高級マンションまで、全てを任してくださったのです。営業マン上がりのトークで手の遅さを誤魔化しながらも、丁寧な作業を心がけたことが大きな仕事に繋がりました。

新谷哲:その後、23歳で新聞販売店の経営を開始されました。こちらは、リフォーム事業と両立をされていたのですか?

青木慶哉:リフォーム事業は抜けました。当時、私が営業コンクールで優勝したことを憶えてくださっていた読売新聞社の幹部の方から、大阪にできたばかりのリッツカールトンホテルに呼ばれました。そこのピアノバーで「君の営業力を必要としている」と言われ、23歳の私は雰囲気とお酒に酔わされ、「頑張ります」と返事をしてしまいました。翌朝酔いが覚め、共同経営していた先輩のところへ行き、「読売新聞社から販売店を一つ任されることになったので抜けます」と伝えました。

新谷哲:先輩からの引き止めはございませんでしたか?

青木慶哉:その時にはスタッフも増えていたので、円満に新聞業界へ戻りました。その会社は、今でもしっかり存続しています。

新谷哲:その後、27歳には関西最大の販売会社代表に就任されています。別の販売店も任されていったのですか?

青木慶哉:23歳のときに、顧客数1200件の小さなお店を任されました。そして4年後の27歳のときには、10倍の1万2000件というたいへん大きなエリアを担当することになりました。読売新聞社では、1年で100件お客様を増やすと、ナベツネさん(株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆 渡邉 恒雄氏)から表彰してもらえます。これは、最高のステータスです。私は1年目からお客様を600件増やすことに成功し、たいへん注目をして頂きました。新聞社は、あまり大きな会社にせず、顧客数が平均2000件~3000件の社長をたくさん作るという戦略でしたが、いくつもお店を任され、あっという間にエリアが拡大していきました。

新谷哲:読売新聞としては、青木慶哉社長のことをものすごく大切にされていたのでしょうね。

青木慶哉:そうですね。読売新聞のライバルは朝日新聞でした。当時の私は若かったこともあり、切り込み隊長としていろんな作戦を用いて、15年で6社の朝日新聞販売店を倒産に追い込みました。今考えると恐ろしいですが、これは大変名誉なことだったのです。あまりかっこいい話ではありませんね。

新谷哲:その後、新聞販売店にソフトバンクショップを併設されます。なぜ、このような戦略に出られたのですか?

青木慶哉:インターネットが普及し、iPhoneの3Gスマホが発売され始めた頃を境に、新聞が売れない時代に突入したことがきっかけです。いくらイケイケの営業でライバル企業からお客様を奪っても、バケツの底に穴が開いているかのように新聞の購読者は減っていきました。その波は、20代~30代の若い世代から始まり、最終的には40代の方までに及びました。そして、読者の年齢調査を行ったところ「50代以上の人しか新聞を読んでない」と言うことがはっきりしたのです。この時、敵は朝日新聞ではなく、新聞を読まない「無読」の人たちだと気づきました。そこから、2つの戦略を立てていきます。1つ目は、ソフトバンクショップの代理店登録をすることです。若い人たちのニュースを受け取る手段が変わったのならば、無理やり売るのではなく、手に取りたいと思っているだろうiPhoneを売ろうと考えたのです。スティーブ・ジョブズや、孫正義さんが憧れの社長ということもあり、ソフトバンクショップに決めました。2つ目は、「まごころサポート」サービスです。ソフトバンクショップと同時に立ち上げました。

新谷哲:「まごころサポート」は、どのような経緯で立ち上げたのですか?

青木慶哉:購読層であるシニアに愛されるお店作りをしようという思いから始まりました。私は、残った読者様と1日でも長くお付き合い頂くためにはどうすればよいのかと考え、直接お訊きすることにしました。ランダムに選ばれた20名を会社に招き、「新聞業界はこれからどう変わっていけば良いですか?」と、グループインタビューをしました。すると、「今まで野球チケット、洗剤、ビールを持ってきてくれたけど、もう必要ない」や「草むしり、カーテンを外すのを手伝ってくれた方がありがたい」など、さまざまなご意見を頂きました。それを聞き「遠くにいるご家族より、近くの新聞屋を頼りに生活して頂けたら」と、生活のサポートをする「まごころサポート」を立ち上げたという経緯です。

新谷哲:当時から「まごころサポート」の顧客満足度はとても高かったそうですね。新聞販売店、ソフトバンクショップにも好影響をもたらされたのですか?

青木慶哉:たいへん大きな効果を生みました。新聞販売では、続々とお客様が乗り換えをしてくださいました。あるお婆様は、祖父の代から90年間朝日新聞を購読していました。しかし、お隣がまごころサポートを活用し、庭を綺麗にしてもらっているのを見て、「明日から読売新聞に変えます。こういうサービスを待っていました」と言って下さいました。また、市役所から「窓口に、猫の砂を持って帰れなくて困っている、おばあちゃんが来ています。手伝える職員がいないので、サポートに来てくれませんか?」と電話が掛かってきたこともありました。このサービスを通して、まさに役所からも頼りにされる会社となることができたのです。そして、ソフトバンクショップでは、初年度に3回、iPhone販売台数月間1位を獲得することができました。銀座、渋谷、梅田などの店舗よりも、奈良県生駒市の店舗でiPhoneが売れるということはあり得ません。1日に50人も人が通らない辺鄙な場所ですから。しかし、まごころサポートを受けた方々が、「いつも生活のサポートをしてくれる新聞屋さんが携帯ショップを始めたから、そこでiPhoneを買い替えてね」と家族に伝え、連れてきて下さるのです。お盆休み、ゴールデンウィーク、年末年始になると、帰省したご家族の分も含め、一度に4台~5台の買い替えをする方も多くいました。お陰様で、長期休暇の家族丸ごと乗り換えは、他の店舗の約6倍の売れ行きでした。これも、まごころサポートで出会った、おじいちゃん・おばあちゃんが支えて下さった結果です。

新谷哲:読売新聞の全販売店で「まごころサポート」を展開する動きにはならなかったのですか?

青木慶哉:そうですね。「業界が変わっていくとき、過去の成功体験による副作用は強い」と言われます。新聞業界では、読者に寄り添うきめ細かいサービスをしても、購読者は増えてこなかった過去があります。また、新しい手法が出てくると困る方が大勢いるのです。お配りしている洗剤だけで、年間数十億円の売り上げを作る会社があります。そこと新聞社の幹部はセットなので、新しい戦略にはなかなか踏み切れなかったのかもしれません。

新谷哲:その後、2010年に新聞販売会社を売却しMIKAWAYA21株式会社を創業されました。何かきっかけがあったのですか?

青木慶哉:新聞販売会社では、最年少でありながらたいへん大きな規模を任せて頂き、毎日パーティーができるほどの利益を生み出していました。正直、30代は「一気に上り詰めたな」と満足していました。しかし、ソフトバンクの孫正義社長の弟である孫泰蔵さんにお会いしたことをきっかけに、考えは一転しました。孫泰蔵さんには、iPhone販売で結果を出したことで目に留めて頂き、東京で開催されるベンチャー経営者の集まりにご招待をして頂きました。そこで、「青木さんのiPhoneが売れたきっかけは何?」と訊かれたので、まごころサポートの話をしました。すると、「何故そんないいことを関西の一部でしかやってないの?これから日本は高齢化社会になるのに何故全国に広げないの?」と言われたのです。「新聞業界にはテリトリ―があるのです……」と理由を告げると、泰蔵さんは「スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、ビル・ゲイツのような方達は、パソコン1台・従業員0のスタートから、世界有数の大企業をシリコンバレーに築き上げた。「テクノロジーの力で世界を良くしたい」という一心で取り組みを続け、気づけばアップル、Facebook、Microsoftが誕生していった。だから、会社の規模や業界のルールには縛られないのが『志』だよ」と語って下さいました。私は、まごころサポートを通じて、3年間で4000件ほどのお手伝いをさせて頂きました。「こんなにも不便を我慢しているお年寄りがいる」と気づき始めていたし、街が変わっていくのを実感していました。そんな時に、志のお話をお聞きし、大きなインパクトを受けるとともに、「私は志を持ってビジネスをしていなかったな」と痛感しました。そこから、すぐに新聞会社を売却し、全国にまごころサポートを広めることに一点集中するため、2012年にMIKAWAYA21株式会社を設立しました。

新谷哲:読売新聞からの引き止めはございませんでしたか?

青木慶哉:「東京でシニア向けソリューション事業の会社を設立します」と伝えたところ、「いつか卒業していくと思っていたよ」と、皆さん応援して送り出してくださりました。そもそも、読売新聞では「新聞以外の事業をしてはいけない」と契約書に記載をされています。しかし私は、ソフトバンクショップ、レストラン、コールセンターなどいくつも別会社を立ち上げていました。例外を認められてはいたものの、「なんであいつだけOKなのだ」との意見もあり、手に負えないフェーズだったのでスムーズでした。

新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、MIKAWAYA21株式会社の事業内容をお教えいただけますか?

青木慶哉:弊社では、「まごころサポート」事業をソーシャルフランチャイズ展開しています。この事業では、「子供からシニアまで安心して暮らせる社会」を、地域密着型企業様と共に築いていくことをビジョンに掲げています。元々、MIKAWAYA 21では、「新聞業界を変革することで、日本の高齢化社会を支える新しい仕組みを作る」というビジネスモデルで、6年間で述べ480店ほどの新聞社と販売店にコンサルティングを行ってきました。しかし、時代の中で経営が苦しくなっていても、変革をあまり求めていない方が多くいました。そのため、2年前から他の業界の皆さんにも対象を広げ、「まごころサポート」のフランチャイズ本部として、10年間で培ってきたノウハウの提供を開始しました。高齢者の方々は警戒心が強く、よそ者から新しいサービスを受けることに対しとっつきにくいことが多いです。なので、地域に根差したご商売をされてきた企業様にこそ、地元の高齢者を支えるサービスを新規事業として、ご検討頂きたいと考えています。この事業は、現在たいへん順調に伸びております。バックアップをいたしますので、社会課題の解決、地域課題の解決を目指す人たちに、ぜひご加盟いただきたいです。

新谷哲:私は、ついこの間まで両親の介護をやっていました。ご高齢の方は、重いものが持てない、高いところへ手が届かないなど、日々の生活で多くのご不便を抱えています。まごころサポートの事業内容をお聞きして、「これは社会に必要だ」と確信をしました。おすすめの事業なので、ご興味のある方はぜひ説明会にご参加ください。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして、「料理。若い起業家の壁打ち相手になること」とお答えいただきました。料理がお好きですか?

青木慶哉:はい。料理の中でも特に、野菜を切っている時間が好きです。会社経営をしていると、投資家や大手の事業会社さんたちに求められることが多く、なかなかお休みが取れません。これがベンチャーの面白いところでもありますが、たまに時間が取れたときには、大量の野菜を買い、3時間ほど粛々と切り続けます。これが私のストレス発散法です(笑)。気が付くとびっくりする量のサラダと、野菜スープが出来上がっています。

新谷哲:また、「若い起業家の壁打ち相手になると」とお答えいただきました。どなたでもお相手してもらえるのですか?

青木慶哉:土日の午前中と夜の時間を、4社~5社ほどの若い起業家の皆さんに使うようにしています。私は現在45歳になりますが、約10億円の資金調達を経験し、来年にはもう少し大きな額の調達をしようと思っています。高卒の元新聞屋であっても、いくつかのポイントを押さえることで、投資家の方たちとこれだけのお付き合いができようになりました。かっこをつけずに「誰でも大きなチャンスを掴める」と伝えると、皆さん参考にしてくれてとても面白い時間です。また、若い方の新しいアイディアに触れることで、自分の事業にも化学反応が起きます。面白い事業をやっている方は、ぜひご利用下さい。

新谷哲:座右の銘もお聞きして「思ったことはやったことにならない。言ったこともやったことにはならない。やったことだけがやったこと」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

青木慶哉:この言葉の本当の意味を理解できるのは、もしかすると死ぬ前日かもしれません。失敗を恐れて行動にしなかった場合、後悔はどんどん大きくなっていきます。一方で、行動をしたことの後悔は、失敗をしてしまったとしてもいつかは武勇伝に変わっていき、小さくなっていくのだと思います。悔いのない人生の最後を噛みしめることができるよう、自分に言い聞かせている感じです。

新谷哲:たいへん深いお話です。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

青木慶哉:私の考える成功の秘訣は、「目線を下げず、粘り強く前進させ続けること」です。弊社は私と、UUUM株式会社の代表取締役を務める鎌田和樹さん、株式会社アストロスケールCEOの岡田光信さんの3人で、100万円ずつ出資し創業をしました。現在でも、2人は株主です。鎌田和樹さんは、私の運営していたソフトバンクショップのスーパーバイザーでした。当時「会社を作ろうと思う」と彼に伝えたところ「僕も一緒にやります!」と言って下さいました。同じタイミングで会社を辞め、秋葉原のジョナサンで一緒に社名を考えたときのことを今でも覚えています。その後、鎌田さんは人気YouTuberのヒカキンくんと出会いました。「YouTuberって何?」という時代から、先見の明を持ちUUUMを創業し、たった4年で上場させるまでに会社を成長させたのです。岡田光信さんは、孫泰蔵さんとお話をしている際に隣にいらっしゃったことがきっかけで知り合いました。そこで私のまごころサポートの話を聞き、「世界の課題はスペースデブリ、日本の課題は高齢化だ。ぜひ一緒にやろう」と言って、創業メンバーとして加わって下さいました。彼は、世界で初めて宇宙ゴミの回収にチャレンジしています。昨年から国際宇宙航行連盟の副会長に就任されていますし、NASAのメンバーを副社長に招き入れ、二百数十億円もの調達をして上場に向けて取り組まれています。やはり、この2人を見ていると健全な嫉妬を抱きます。そして、必然と「絶対に諦めない」という気持ちが湧いてきます。2025年以降、日本には高齢化社会が大きな闇となって襲いかかります。そこに一筋の光を射すために、どんな苦難があろうとも目線を下げず「どうすればできるのか?」を考え続けていきたいです。私はまだまだ足元に及びませんが、粘り強く前進させ続けることで、成功に辿り着ければ良いなと思います。

新谷哲:大変参考になるお話でした!青木慶哉社長、本日はありがとうございました。

青木慶哉:ありがとうございました。

編集後記

今回は、青木慶哉社長でした。小学生の頃からマネージメントができ、事業を作れるセンスは羨ましいです。そして、高い志を持っているからこそ、孫泰蔵さん、鎌田和樹さん、岡田光信さんなど素晴らしい方々が周りに集まってくるのだと感じました。謙虚でとても素晴らしい社長様だと改めて感じました。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

2025年には100兆円にまで拡大するシニアマーケット。日本の重要課題を解決する唯一無二のビジネスモデルにご興味後ある方は、ぜひ下記リンクをご覧ください。
https://wizbiz.jp/seminar/1007/

青木慶哉氏
MIKAWAYA21株式会社 代表取締役社長

大阪府枚方市出身。高校卒業後、伯父の新聞販売会社にて飛び込み営業を2年間経験し、読売新聞の営業コンクールで2年連続優勝を獲得されます。その後、20歳でリフォーム事業を起業。23歳には、読売新聞販売店の経営を始め、27歳で、当時、全国に11社しかなかった本社直営店の代表に就任されます。さらに、新聞販売店にソフトバンクショップを併設させ、新聞とスマートフォンの販売戦略としてシニア向け生活サポート「まごころサポート」をスタート。以降、顧客満足度の向上に繋がり、iPhoneの月間販売台数日本一を3回達成されます。そして、2012年に新聞販売会社を売却し、MIKAWAYA21を創業。高齢者の方々の「ちょっと困った」を解決する「まごころサポート」事業をソーシャルフランチャイズ展開し、少子高齢化社会の中、皆様が安心して暮らせる社会の実現に向けて邁進されています。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、青木慶哉氏(MIKAWAYA21株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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