成功経営者インタビュー

株式会社関通 代表取締役 達城 久裕氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信
中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、達城 久裕氏(株式会社関通 代表取締役)です。(2022年1月12日 2022年1月19日 配信)

今回は、株式会社関通の達城久裕社長にお越し頂きました。
物流サービス・システム販売事業を展開するマザーズ上場企業です。
Eコマースロジスティクスのパイオニアとして物流業界のDX促進による生産性向上へと取り組まれています。1台の軽トラックからスタートし、業界トップを目指す企業へと成長させたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお読みください。

 

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社関通の達城久裕社長です。まずは経歴のご紹介です。1960年生まれ。大阪工業大学高等学校を卒業後、22歳で軽車両の運搬事業を開業。1991年には配送センターを設立し、2020年には東証マザーズに上場をされています。本日はよろしくお願いいたします。

達城久裕:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

達城久裕:大阪府です。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

達城久裕:「あの子と遊んだらあかん!」と言われるような、悪ガキでした(笑)

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

達城久裕:中学校2年生まではものすごく不良でしたが、3年生になり行きたい高校が見つかりました。そこからというもの、教壇の真ん前に席を移動させてもらい、勉強に専念するようになりました。

新谷哲:志望校を選ばれたきっかけはございますか?

達城久裕:不純な動機ですが、「私服で通える高校に行きたい」と考えたからです。私服通学の高校は、入学試験の難易度が高いところがほとんどでした。私は志望校に合格するため一生懸命に勉強をして、間違いなく合格できる評定平均値にまで到達しました。しかし、試験当日に風疹にかかってしまったのです。結果は不合格となり、大阪工業大学高等学校に進学をすることにしました。

新谷哲:相当な努力をされたでしょうに……。不運ですね……。

達城久裕:不運だったのは確かですが、「大阪工業大学高等学校に行ってよかった」と結果的に思っています。

新谷哲:なぜ、そう思われたのですか?

達城久裕:親のありがたみに気付けたからです。私は、5人兄弟の末っ子です。母は一生懸命に働き、ほぼ一人で子供たちを育ててくれました。学校に行かせるために、経済的な補助制度の申請までしてくれていたことを知り、とても感謝しています。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

達城久裕:アルバイトと遊びです。留年しない仕組みをあらかじめ調べ、そのギリギリの日数まで学校を休んでいました。学校外でいろいろな方に出会うことができ、勉強になりました。

新谷哲:高校卒業後は就職をされたのですか?

達城久裕:はい。3月1日の午前中に卒業式があり、その日の午後から働き始めました。成人向け雑誌の自動販売機を設置する仕事です。なぜ、この仕事を選んだかと言うと、高校3年生の時からアルバイトでダンプの運転をしていた経験もありますし、近場でお給料がよいというところに惹かれたからです。入社後は、努力の甲斐ありすぐに役職をいただきました。そこで「偉い人になった」と勘違いをして仕事をしなかった結果、他の従業員から猛反発を受け、退職することになってしまいました。それが最初の失敗です(笑)。

新谷哲:次はどのようなお仕事をされたのですか?

達城久裕:産業廃棄物の収集運搬の仕事をしました。スコップでダンプに荷物を積むのですが、真夏に作業をしていたところ、熱中症で倒れてしまいました。それで、「この仕事は続けられない」と感じ退職をしました。その後、独立して軽車両の運搬事業を始めました。

新谷哲:22歳での独立と伺っていますが、不安はございませんでしたか?

達城久裕:ありました。当時、私の貯金額が70万円だったのに対し、軽車両の価格帯は70万円でした。貯金を叩いてしまえば生活ができなくなってしまいます。「40万円あれば、3か月間は仕事がなくとも食べていけるだろう……」と考え、頭金を30万円支払い軽車両の購入をしました。いざ仕事を始めたら、1か月目の売上は7万円、2か月目が20万円、3か月目が40万円と、順調に増えていきました。そして、2年~3年ほどで軽車両を10台にまで増やすことに成功しました。

新谷哲:若い時から才覚があったのですね!

達城久裕:たまたまだと思います。うまいこと軽車両でも儲かるビジネスモデルを構築することができました。ある時、10台も車両があるなら、街中の駐車場を借りるのがもったいないと思い、貸倉庫に車両を置き始めました。車両が出ていくと、場所が空くので「何かしよう」と考え、最初はゴルフの練習場を作りました。

新谷哲:ゴルフ好きでいらっしゃる、ご自身のために(笑)?

達城久裕:そうです(笑)。半年ほどたったあたりで、「こんなことをしている場合ではない」と思い、お客さんに「何をしたらいいと思いますか?」と聞いて回りました。そしたら、「物を預かることや、倉庫で何かを加工したら?」と提案をいただきました。そうして、お預かり商品のセットアップ加工や出荷をする、配送センターの走りをスタートしました。

新谷哲:ここから、ビジネスモデルが加速していったのですね!

達城久裕:はい。印刷物を出荷するまでには手作業が多かったので、印刷関連のお客様が非常に多くなりました。そして、2000年にはISO(国際標準化機構による品質マネジメントシステムに関する規格の総称)を取得しました。それにより、さらにお客様が増加し、80坪から350坪の倉庫に移転して、印刷物の物流を始めました。

新谷哲: ISOを取得されたきっかけはございますか?

達城久裕:「楽をして契約を取りたい」と思ったからです(笑)。当時はまだ、ISOを持っている会社は少数でした。非常にお金がかかりましたが、新規顧客獲得のため取得をしました。

新谷哲:やはり、達城久裕社長の商才を感じます。そこから、現在の事業形態に至ったきっかけはございますか?

達城久裕:「楽天アワード(楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー)」に参加したことがきっかけです。その当時は、大きな印刷会社様にもお取引をいただき、従業員も40名ほどに増え、商売は大きくなっていきました。その一方でミスが増加してしまい、お客様に土下座をして謝ったという苦い経験もあります。さらに、2000年に入ると印刷不況が訪れ、値引きを要求されることが増え「こんなん、やってられへん……」と思うようになりました。そんな時に「楽天アワード(楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー)」に参加する機会がありました。会場には、e コマース事業者の方々が多くいらっしゃり、ご挨拶をするや否や「物流屋さんですか!うちのもやっていただけますか?」と皆さんおっしゃるのです。私は通販物流をやったこともないのに、「できます!」と答えました(笑)。お客様からお願いされるということに衝撃を受け「この業界はいける!」と確信をしました。当時のe コマースは、マンションの一室で経営をしていて、売上は30万円ほどという方が非常に多かったです。そのため、受託をすれば一つのショップで5棚~10棚ほどとなります。350坪の倉庫はお陰様で、あっという間に場所が足りなくなってしまいました。そんな時、2500坪ある現在の本社物件を購入するチャンスが訪れ、これを機に「e コマースに特化しよう」と決めたのが分岐点です。

新谷哲:なるほど。

達城久裕:ただ、2000年過ぎたころからe コマース業界が極端にのびたかというと、そうではありません。桁が変わるほど売上げるショップが急激に出てき始めたのは、2010年以降からです。物流会社はお客様の出荷数に応じて売上が決まるので、ショップ売上の急増に伴い、弊社も成長していきました。

新谷哲:e コマース市場拡大の波に乗り、上場を狙い始めたのですか?

達城久裕:上場を考え出したのは、もう少し後になってからです。2010年頃から、倉庫と人の手配に一生懸命になっていました。会社はどんどん大きくなり、人も増えていく状況の中で、「会社の核」について考えるようになりました。そんな時、お取引をしている銀行の頭取がお越しになり、「社長、支援させてもらいますから上場してください」とおっしゃったのです。驚きはありましたが、「人を派遣してくださるのなら、上場をします」と伝え、取り組みを始めました。正直、そんなにうまくいくとは思っていませんでしたが、スケジュール通り3年で上場をすることができました。

新谷哲:2020年に東証マザーズに上場をされました。それまでに努力されたことはございますか?

達城久裕:第一に努力をしたのは、「全ての意見を受け止め素直に行動に移していくこと」です。私は典型的な商売人気質なので、「批判されたくない」、「なにか言われたら言い返す」という性格でした。しかし、是が非でも言われたことの通りにやることを徹底しました。「意外と素直ですね」と、よく言われましたね(笑)。上場するコツは、証券会社・監査法人に抗わず従うことです(笑)。

新谷哲:なかなか、重い言葉です。もしよろしければ、株式会社関通の事業内容を教えていただけますか?

達城久裕:主な事業領域は2つございます。1つ目は、弊社の強みでもある、BtoC特化型物流です。通販事業者の方々を中心に、お客様の商品を保管し、ネット販売のデータを元に毎日商品を出荷しています。2つ目は、ITオートメーション事業です。具体的には、弊社が開発したWMSという在庫管理システムの販売です。また、機械やITソフトウェアを組み合わせるなどして、仕事を自動化し物流品質や生産性を高めるお手伝いをしています。

新谷哲:事業環境の変化に機敏に対応されて、軽車両の運搬事業からDX事業に進展されていますね。何かきっかけがあったのですか?

達城久裕:お客様向けの倉庫見学会をした際に、「このシステムを売って欲しい」と頼まれたことをきっかけに、自社開発のWMS販売を開始しました。WMSのソフトベンダーさんは、自社の現場を持っていません。しかし弊社では、倉庫から年間約1200万個の商品を出荷しています。日々改善を行い、出荷をつつがなく行う仕組みを構築してきました。そんな「当社が使っている」という強みを商売にすることができると気づいたのです。現場の視点を活かした新規事業を、今後も膨らませていこうと考えています。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことで「ゴルフ」とお答えいただきました。本日のお話でも出ましたが、非常にお好きなのですね!

達城久裕:はい。ゴルフを初めた27歳の頃は、倉庫にネットを張って練習をしていました。現在では福利厚生の一環として健康スタジオを構えているのですが、その中にゴルフの練習場があります(笑)。

新谷哲:座右の銘もお聞きして「すぐやる」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

達城久裕:「すぐやる」を実行してきたから今があります。迅速に意思決定をし、行動に移すことが重要です。意思決定が速いからこそ、いろいろな業者さんがいち早く情報を教えてくれます。また、弊社の評価基準は「すぐにやっているかどうか?」です。これ以上の行動規範はありません。すぐ行動することで、すぐ失敗に気付くことができ、成功に辿り着くスピードは速いと考えます。

新谷哲:大変勉強になります。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

達城久裕:意思決定とチェックをすぐやることです。経営者として、「仕事を任せる」ということの意味を理解する必要があります。私は、手は離しても目は離さずに、どちらかは置いておくべきだと思っています。チェックすることと意思決定の速さこそ、社長の仕事です。

新谷哲:大変参考になるお話でした!達城久裕社長、本日はありがとうございました。

達城久裕:ありがとうございました。

編集後記

新谷哲:今回は、達城久裕社長でした。10年来の付き合いですが、改めて素晴らしい経営者だと実感いたしました。私も「決定」「チェック」「すぐやる」を実践し、よい企業にしていきたいと思います。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

達城 久裕氏
株式会社関通 代表取締役

1960年5月12日生まれ、大阪府出身。大阪工業大学高等学校を卒業後、22歳で個人事業として一台の軽トラックから運送事業を開始されます(現・株式会社関通)。その後、一早くEコマースの市場拡大に着目し、通販に特化した物流支援を行うことで事業を成長させ、Eコマースロジスティクスのパイオニア企業としてご活躍されます。2020年には東証マザーズへと上場。現在では、物流アウトソーシングから独自開発システムの提供、さらには経営コンサルティングまで、様々な手法でお客様の物流改善へと取り組み、日本の物流インフラを支えています。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、達城 久裕氏(株式会社関通 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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