成功経営者インタビュー

株式会社トリプルアイズ 代表取締役 山田雄一郎氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、山田雄一郎氏(株式会社トリプルアイズ代表取締役)です。(2022年8月3日 2022年8月10日 配信)

今回は、株式会社トリプルアイズの山田 雄一郎社長にお越しいただきました。
AIエンジン開発・システム開発事業を展開する、東証グロース市場上場企業の社長様です。上場直前の申請期に同社創業社長が急逝され、突然代表を引継ぐこととなった山田氏。類例ない事態の中、生前に託された想いを実現すべく突き進まれるエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社トリプルアイズの山田雄一郎社長です。まずは経歴のご紹介です。1982年生まれ。早稲田大学商学部卒業。2005年 新日本監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)へ入所し、アドバイザリー業務において多数のプロジェクトマネージャーを歴任されます。その後、2020年11月に株式会社トリプルアイズへ取締役として入社し、2021年3月に同社代表取締役へとご就任。2022年5月には、東京証券取引所グロース市場へ上場をされています。本日はよろしくお願いします。

山田雄一郎:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

山田雄一郎:生まれは北海道札幌市ですが、親がJRA(日本中央競馬会)勤務で転勤が多かったため、いろいろな土地で生活をしてきました。北海道から千葉県、兵庫県、滋賀県と引っ越しを繰り返し、中学校3年生からは東京都で暮らしています。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

山田雄一郎:私は、小学校を4回転校しています。そのため当時は、友達付き合いの難しさを感じていて「また引っ越しか…。“はじめまして、山田雄一郎です”をまたやるのか…。」とツライ思いを度々していました。ただ、サッカーをずっとやっていたので、それが共通項となるグループに加わり友人を作ることができました。今になっては “カメレオン”のように環境に合わせ対応していく力を学ぶことができたのではないかと感じています。

新谷哲:中学時代はどのようにお過ごしでしたか?

山田雄一郎:中学校2年生までは滋賀県で過ごし、3年生から東京都へ移り住みました。新しい環境で生きていくためにも、体を張ったボケで笑いを取りにいっていましたね(笑)。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

山田雄一郎:文武両道を掲げる校風に惹かれ、東京都立駒場高等学校に進学をし、引き続きサッカーに力を入れていました。同校はサッカーの強豪校だったので、一緒に全国を目指していたメンバーからは、プロになった者もおります。当時はプレー中の接触で「同じ人間でも、体ってこんなに硬いのか…!」と、衝撃を受けて初めて大きな挫折を味わいましたね。とはいえ、同じ学校で3年間過ごせたのは初めてだったので、今でも仲良くするような友人関係を築くことができた、楽しい高校生活でした。

新谷哲:私と同じ高校出身だったとは驚きです!その後、早稲田大学商学部へと進学されます。スポーツだけではなく成績もご優秀だったのですね。

山田雄一郎:実は、最初の受験ですべて落ちてしまい、そこも大きな挫折でした。そこから浪人をし、努力の末に早稲田大学に進学をすることができたのですが、サークル活動などには興味を持てず、当初は単位を取るため最低限のことだけをするというつまらない大学生活を送っていました。そんな中、簿記の講義を受け始めた頃から転機が訪れます。私はもともと数学が苦手だったのですが、大学で出会った簿記の先生は教え方がとても分かりやすく、想像以上の好成績を頂け喜んでいました。そんな時たまたま、いつもは逆方向に帰宅する友達と駅で居合わせ「資格の学校に通っている」という話を聞き、私も「なに、それ?」というところから、就職活動はせず、経済界の番人である公認会計士を目指そうと決めたのです。こうして、1年生の終りから資格スクールへと通い始め、狂ったように勉強して無事試験にも合格し、大学4年生の12月に新日本監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)へ非常勤職員として入所しました。

新谷哲:新日本監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)と言えば、国内トップの監査法人ですね!こちらでは、どのようなお仕事をされていたのですか?

山田雄一郎:入社から約5年間、監査部隊として勤めました。監査という仕事は「経済界の医者」とよく例えられています。上場企業をはじめとしたあらゆる企業の、事業内容や内部統制システムを理解した上で、財務諸表や決算数字が適正か否かについて監督・検査し、市場へ意見を公表するという業務です。「社会になくてはならないインフラを守っている」と、正義感を持ち取り組んでいましたね。しかし、若かったこともあり仕事に慣れてくると「新しいことをやってみたい」と思うようになりました。私は、勉強しすぎた反動もあり、一人旅が好きでよく海外を回っていたのですが、そんな時にバングラデシュで出会った方から「監査法人の中にも面白い人がいるよ」と紹介された方と連絡を取り合ったことで、コンサルタントの仕事に興味を持つようになります。そこから部署を移動させて頂き、約9年間アドバイザリーコンサルタントとして勤めました。ここでは、省庁・自治体などに向け、制度改革などのアドバイザリーサービスを提供するという業務を主に行いました。例えば、空港の経営を改革しようという億円単位のプロジェクトがありました。基本的に空港の滑走路などは国交省管理で国の予算を消化して運営をしていたため、経営意識が欠けていました。そのため、隣のビルやテナントで多くの外国人旅行客からお土産を購入していただきインバウンドで国を盛り上げるためには、空港に民間経営のマインドを入れる必要があります。そこで「官民のM&A」と言った感じで、空港の権利を民間に売り、コンサルタントとして両者のアイディアを取り入れ形にしていきました。これは、とても大変でやりがいのある仕事でした。また、企業の不正・ガバナンス対応や経営改革など、様々な仕事に携わってきました。

新谷哲:その後、2020年に株式会社トリプルアイズの役員にご就任をされています。こちらに、移られたきっかけはございますか?

山田雄一郎:弊社の創業社長である福原智さんとの偶然の出会いがきっかけでした。新日本監査法人で同期、現在では弊社の社外取締役を務めている方がおります。ある日、彼から突然週末の家族旅行を誘われ、そこに顔を出した際に福原さんがいらっしゃいました。最初は社長とも知らず、娘と遊んでくださっていて本当にいい人だという印象を持ちました。そこから、一緒にお酒を飲む関係となり「実は今、会社がこういうフェーズにあって…」と打ち明けて頂き、意気投合をしたのです。私は、前職で15年間、日本の企業や政治を取り巻く社会構造の課題を解決するプロジェクトに携わる中で、IT人材の必要性を強く感じていました。そんな中、ITエンジニアを束ねる福原さんから「テクノロジーの力で、その課題をぶっ壊していきたい」という熱意とパワーが、とても伝わってきて「一緒に挑戦しよう」と出会ってから1か月ほどでジョインしました。進学や、就職先を決める時もそうでしたが、この時も直感でしたね。

新谷哲:最初の役職はCFOとのことですが、入られていかがでしたか?

山田雄一郎:財務や会計の問題よりも「会社メンバーとどのように一致団結してゴールに向かっていくか?」ということの方がチャレンジングでした。弊社は、前社長の福原をはじめ、社員220名のうち8割がエンジニアです。そこに、これまで全く別の道を生きてきた、監査法人出身の会計士がいきなり役員として入社してきたのです。新しい学校に転校した時と近い感覚ではありますが、皆さん、それぞれの正義や感情もあるので簡単ではありません。私は、会社と言うのは「大きなひとりの人間」のようなもので、社員一人ひとりが器官のように独自の特性を持っていて、それが上手くかみ合わさることで、最大限の能力を発揮することができるのだと思っています。入社当時から社員個々人には非常に高いポテンシャルを感じていましたので、器官を繋いでいく役割を私が果たすことができれば、マネジメントを機能させ組織全体のレベルアップをしていけると確信し、注力しました。

新谷哲:入社から、わずか5か月足らずで代表取締役へとご就任をされています。経緯をお話頂けますか?

山田雄一郎:前代表の福原が、2021年3月5日土曜の夜に、急性大動脈乖離で若くして急逝してしまいました。その翌日の朝に奥さまから電話がかかってきたところから、一気にいろいろな事が動き出します。当時の弊社は、上場申請期で証券会社の最終ヒアリングを受ける段階でした。そのため最初に次期社長を決める必要があり、昼過ぎには執行役員10名超のメンバーが集まりました。上場準備の過程で社外監査役から「何かあった時のために代表者の序列を付けた方が良い」と意見があったようで、福原は亡くなる2カ月ほど前に書類を作成していました。いろいろと考えた上での決断でしょうが、そこには私が次に選ばれていたのです。ただ、入社したばかりで最年少の私が本当に会社を引き継いでもいいものか、改めて一人ひとりの意見を聞き話し合いました。その結果、3月6日の夕方に取締役会で代表取締役選任の決議を行い、私が代表となることになりました。週明けの月曜日には社員や取引先へどのように説明をすればいいのか、また上場が中止になってしまうのではないかと大きな不安がありましたが、一つひとつ乗り越えていこうと、いろいろな方にアドバイスをいただきながら、社長としての日々が始まりました。

新谷哲:社員や関係者の皆様はとても動揺されたのでは?

山田雄一郎:そうですね。皆、言葉も見当たらないような状況でした。ですが、ご家族はその比較にならないほどの思いをされています。私の中には「福原さんの思いを継ぎ目標を必ず実現させる」という選択肢しか生まれませんでした。とはいえ、社長経験もないのに背伸びをしてもみなさんに伝わらないでしょうから、自然体でありながら心を解放して伝えることを心がけてきました。

新谷哲:証券会社や監査法人から、上場を延期した方が良いとの指摘はございましたか?

山田雄一郎:証券会社でもこのような前例は無かったようで、上場することの是非が議論されていたと思います。創業以来13年間会社を支えた社長がいなくなったことによる弊害があるのではないか、というような質問もたくさん受けました。しかし実際には、悲しみの渦中ではありましたが、社員は一致団結していました。また、福原は上場しパブリックカンパニーとなるためにいろいろなことを工夫し権限委譲も進めていたので、取引先への信頼やサービス品質に変わりはありませんでした。私は、この現状をご理解頂くため説明を尽くしましたが、問題が無いか確認する期間を求められたため、上場予定日を2022年3月5日に設定し、それに向けて走り出しました。

新谷哲:なるほど…。それは大変なご苦労でした…。

山田雄一郎:それから順調に2022年1月末に上場承認を経たのですが、2月に入るとアメリカ金利の利上げやロシアのウクライナ侵攻が予見され始め、とても不安定な市況になっていきました。そのため最終的に、市場関係者と議論をした上で、再度2か月ほど上場を延期することになり、また大きな衝撃となりました。タイミングを逸してしまい、長きにわたり上場を達成できなくなってしまう企業は多いのですが、無事に結果を残すための道を作ることができて本当に良かったです。

新谷哲:ありがとうございます。それでは株式会社トリプルアイズの事業内容をお教えいただけますか?

山田雄一郎:弊社は、SI(システムインテグレーション)部門とAIZE部門の2つをメイン事業として展開しています。SI部門では、IT業界やシステム開発機関など幅広い業種の企業様に向け、エンジニア常駐サービスをご提供し、システム企画開発から運用保守までトータルサポートさせて頂いております。次にAIZE部門です。AIZEとは、AIと社名であるトリプルアイズを掛けた造語で、この部門では主にAIエンジンの研究開発を進めています。サービスとしては、独自開発した画像認識AIエンジンを用いて、ビジネスを改善・変革するソリューションを提供しているのですが、実はこの事業「囲碁AI」の研究から応用されています。囲碁はボードゲームの中でも手の選択肢が最も多く複雑で、グローバルに浸透していることなどから、人工知能を用いた研究が盛んになりました。弊社でも2014年より囲碁AIの研究に取り組んでいます。GoogleやFacebook、テンセントといった名だたるグローバル企業と凌ぎを削りながら、囲碁AI世界大会に挑戦してきました。2019年には囲碁AI 世界大会で2位の実績を残しています。技術力の差はそのまま勝敗に表れるので、この成果はディープラーニングの競争力・AIエンジンの優秀性の証明に直結します。今後も、システム開発に実績のあるSI部門とAIエンジンの研究開発を進めるAIZE部門のシナジーによって、あらゆるビジネスにDXイノベーションをご提供してまいります。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして、「思い出、サッカー、子供たちと遊ぶこと、新聞を読むこと」とお答えいただきました。新聞は毎日読まれているのですか?

山田雄一郎:たぶんこれまで一日も欠かさず読んでいます。昔から新聞が好きで、妻との2回目のデートに新聞博物館へ行くほどです(笑)

新谷哲:それは、奥様も驚かれたでしょうね(笑)。

山田雄一郎:私としては結構面白かったのですが、妻は嫌だったかもしれませんね(笑)。

新谷哲:座右の銘もお聞きして「無知の知」とお答えいただきました。これらを選ばれた理由はございますか?

山田雄一郎:これは、哲学の父とも呼ばれるソクラテスが提唱した言葉で、自らの無知を自覚することが真の認識に至る道であるということを表しているそうです。私は今までを振り返ると、幼少期から転校が多かったり、今では急に社長に就任したりと、大きな環境の変化が頻繁にありました。新しい環境に移れば、本当にいろいろな知らないことが溢れています。どのような場面であっても、この「知らない」ということを自覚し、それまでの常識に固執せず探求心を持ち続ける姿勢が非常に大事だと感じています。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、社長、これから起業する方に向けて、社長として成功する秘訣を教えてください。

山田雄一郎:決して「逃げない」ということです。今日の話にもありましたように、人生にはいろいろなことが起こり得ます。しかし、逆境に立とうとも逃げずにチャレンジをし続けていると、声をかけて力になってくださる方々が現れるということを実感してきました。苦しくとも逃げさえしなければ、きっと何かが見えてきます。

新谷哲:大変参考になるお話でした!山田雄一郎社長、本日はありがとうございました。

山田雄一郎:ありがとうございました。

編集後記

今回は、山田雄一郎社長でした。上場直前の申請期に創業社長様がお亡くなりになり、社長を引き継ぐというのは、本当に大変なご苦労だったと感じます。しかし「逃げない」精神で、頭脳と根性を発揮して目標であった上場を果たされるとは、素晴らしいですね。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

山田雄一郎氏
株式会社トリプルアイズ 代表取締役

1982年生まれ。北海道札幌市出身。早稲田大学商学部卒業。2005年、新日本監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)へご入所し、監査部を経て、2011年3月よりアドバイザリー業務を約9年間実施し、多数のプロジェクトマネージャーを歴任されます。その後、AIベンチャーである株式会社トリプルアイズへと移られ、2020年11月に取締役、2021年3月に代表取締役へとご就任。事業を通し、産業発展に寄与することで、日本のIT企業・エンジニアの真価を世界に示すべく、日々邁進されています。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、山田雄一郎氏(株式会社トリプルアイズ代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

『社長の孤独力』抜粋版(PDF29ページ)
無料プレゼント中!

『社長の孤独力』(新谷哲/著) の【抜粋版】を無料プレゼントしております!

71の課題の中から「資金・人材・売上・採用・後継者」の5つを抜粋いたしました。銀行からお金が借りれない社員がすぐに辞めてしまう売上を伸ばしたい、など、具体的なお悩みの解決策が掴めます。ぜひご覧ください。

無料プレゼントの詳細はこちら