成功経営者インタビュー

monoAItechnology株式会社 代表取締役社長 本城嘉太郎氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、本城嘉太郎氏(monoAI technology株式会社代表取締役社長 )です。(2023年4月12日 2023年4月19日 配信)

今回は、monoAI technology株式会社の本城嘉太郎社長にお越し頂きました。初期のオンラインゲームに出会ったことで、自身で作りたいとmonoAI technology株式会社を設立。ソーシャルゲームに携わる中、大手企業参入を機に上場を決意したエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

新谷哲:本日の社長に聞く! in WizBizは、monoAI technology株式会社代表取締役社長、本城嘉太郎社長です。まずは経歴をご紹介します。1978年神戸生まれ、サーバーエンジニアの会社に入られ、その後大手コンシューマゲーム開発会社を得て2005年にmonoAI technologyを創業。2022年に東証グロース市場に上場されました。本日はよろしくお願いいたします。

本城嘉太郎:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身は神戸ですが、小学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

本城嘉太郎:小学校時代はゲーム少年でした。

新谷哲:小学校時代からテクノロジーに興味を持っていたのですか?

本城嘉太郎:いえ、普通にゲームが大好きな内気な子でした。なかなかファミコンを買ってもらえなくて、ファミコンをしに友達の家に行き、友達の家のお母さんに怒られたりもしました。

新谷哲:世代的には、どんな種類のゲームが多かったのですか?

本城嘉太郎:ちょうど「ドラゴンクエストⅠ~Ⅲ」の世代で、ファミコンが一番盛り上がっていた頃です。ドラクエⅢの熱狂をリアルタイムで感じていました。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

本城嘉太郎:中学校時代は、部活動でひたすらテニスをしていました。

新谷哲:その頃は、ゲームはあまりやらずにテニスに打ち込んでいたのですか?

本城嘉太郎:その頃もゲームはしていました。あまり勉強せずに、テニスとゲームをしていた中学校時代です。

新谷哲:高校は、そのまま神戸の高校に進まれたのですか?

本城嘉太郎:兵庫県の育英高校に進学しました。こちらでも勉強せずに、ゲームとアルバイトをしていました。

新谷哲:どのようなアルバイトをされたのですか?

本城嘉太郎:ファミレスでアルバイトをしていました。バイト代は高校の最寄り駅の近くにあるゲームセンターに、全額投入しました。格闘ゲームが全盛期だったので、ゲームセンターが盛り上がるのをリアルタイムで体験していましたね。

新谷哲:本当にゲーム好きですね。高校時代は部活には入られなかったのですか?

本城嘉太郎:文芸部と言いながら、部室でゲームだけをする部活に入っていました。基本的にはすぐに帰宅して、ゲームセンターに行きました。

新谷哲:卒業後は、大阪工業大学に進学されますが、こちらを選ばれた理由はございますか?

本城嘉太郎:ゲームを作りたいという思いがあり、プログラマーになるかデザイナーになるかで悩んでいました。しかし、大学に行くには新聞奨学生になり、学費を稼がなくてはなりませんでした。美大や芸大は新聞社が援助をしてくれなかったので、プログラマーになろうと決めました。大阪工業大学を選んだのは、就職先にカプコンがあったからです。

新谷哲:新聞配達は長くやっていたのですか?

本城嘉太郎:大学を1年間で中退したので1年間だけやりました。

新谷哲:では、大阪工業大学時代の思い出は新聞配達ばかりですか?

本城嘉太郎:新聞配達以外では、コンピューターサークルに入りました。凄くギークな先輩達と一緒にプログラムしたり、ゲームしたりっていう割と楽しい思い出があります。

新谷哲:大学を中退されたのは、経済的な理由からですか?

本城嘉太郎:電子工学部という学部に入ったのですが、ハードウェア系の学部でした。プログラマーになりたかったので「間違った学部に入った。自分で学費を払い続けるよりも、独学でプログラムの勉強をしよう」と思い退学をすることにしました。しかし、退学した直後に情報工学の学部ができて「もうちょっと遅ければ行けたのに」と思いましたね。

新谷哲:大学中退後は就職をされたのですか?

本城嘉太郎:まず、新聞社に「1年で新聞奨学生を辞めます」と伝えに行きましたが、当時は昼夜逆転していたので間違えて約束の1日前に行ってしまいました。新聞社には引き留め役の人がいるのですが、その人がおらず上司の方が出てきました。その時に「プログラマーを探している会社があるから受けてみたら?」と言っていただき、そのままプログラマーとして19歳で就職することになりました。

新谷哲:なるほど。そちらの会社での思い出はございますか?

本城嘉太郎:工場の入出管理システムなどを作る会社でした。社員10名以下の小さな会社で、プログラムなど色々なことを教えてもらいながら仕事をしました。今、当時のことを振り返ると、意識の低いダメな新入社員でした。オンラインゲームにハマっていたので、会社の休み時間になった瞬間にオンラインゲームを立ち上げ、休みが終わったら閉じて仕事に戻りました。そして定時までに仕事を上げて、すぐに帰宅して家でまたオンラインゲームをするダメな社員です。しかし、仕事の成績だけは良かったです。プログラミングだけは集中できたので、向いている仕事だったと思います。

新谷哲:その会社には、何年ほどいらしたのですか?

本城嘉太郎:その会社も1年で辞めました。会社で使用する言語が、ゲームにあまり使われない言語でした。ゲーム作りがしたくてプログラマーになったので「勉強になりづらい」と考えて退職させていただきました。それからの2年~3年は、フリーランスのプログラマーをしていました。

新谷哲:それは、個人事業主としてフリーランスのエンジニアをしていたということですか?

本城嘉太郎:そうです。大学の先輩にフリーランスとして働く方がいて、はじめはその方と仕事をしました。その後、自分で仕事を取りプログラムの何でも屋をしました。

新谷哲:フリーランスをされたのは、恐らく2000年頃だと思いますが、儲かったのでしょうか?

本城嘉太郎:あまり儲かりませんでした。フリーランスの方はご存じだと思いますが、フリーのプログラマーに来る仕事は、大手が断った仕事や、炎上して手が付けられなくなった仕事ばかりです。火消しの仕事ばかりしていたので、すごく鍛えられましたが。

新谷哲:寝る時間もないくらいの仕事量でしたか?

本城嘉太郎:在宅で仕事をしていたこともあり、時間を自由に使えました。遊びながら仕事もして、みたいな形で楽しく仕事をしましたが、やはり不安定でした。納品してもお金が貰えなかったこともあり、収入が安定しません。平均すると、新卒より少しマシくらいの給料だったと思います。

新谷哲:フリーランスを辞めた後は、就職をされたのですか?

本城嘉太郎:22歳の時、同じころに大学に入った仲間が就職をし始めました。ゲーム会社に入った人もいて、ふと「自分は何をやっているのだろう?」と思ってゲーム会社に就職をしました。

新谷哲:ゲーム会社での思い出はございますか?

本城嘉太郎:京都のゲーム開発会社にアルバイトとして入りました。仕事をドーンと任せてくれる会社で、色々なプロジェクトにも関わらせていただきました。思い出深いのが「バイオハザード0」というタイトルです。カプコンの優秀なスタッフと一緒に仕事ができ「ゲームってこんなスピード感で作れるのか」と勉強になりました。

新谷哲:その後、2005年にmonoAI technology株式会社を創業されますが、創業に至った経緯をお教えいただけますか?

本城嘉太郎:フリーランスの頃に、MMORPGにすごくハマりました。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーみたいな世界観で、家にいながらその世界の中で人とコミュニケーションが取れます。ゲームの中では冒険者になっても、狩人になっても、料理人になってもいいのですが、お互いにリソースを融通し合わないとゲームが回らないので、ゲームなのに経済が回っていました。そんなゲームの中で海外の方と英語でコミュニケーションを取りながら冒険をする体験をして「こんなすごいテクノロジーやエンタメがあるんだ!」と感動をしました。これが、1999年~2000年の話です。当時の日本のゲーム会社は、オンラインゲームでなくパッケージを販売するばかりでした。僕だけがサーバーの知見を持っており、オンラインゲームの仕事があれば僕に話が来るようになっていたのですが、話が来ませんでした。会社には「オンラインゲームの需要はこれから増える」と伝えたのですが、お客さんから話があれば力を入れる、という方針でした。そこで「自分でオンラインゲーム専門の会社を作れば、自分の理想とする世界が早く来る」と思い、創業をしました。

新谷哲:創業する時、怖さなどは感じましたか?

本城嘉太郎:フリーランスをしていたので、交渉して仕事をもらい、商品を納める流れは理解しているつもりでした。しかし、フリー時代は一人だったので、一番下流の仕事しかできませんでした。創業をしたので最上流の企画から全部、自分達でやれるような組織にしなければと思い、最初から組織化して始めたところが、フリーランス時代とは違いました。

新谷哲:なるほど、前に学んできたことをそのまま活かして創業、という形だったのですね。

本城嘉太郎:創業すると決めてから、1年半ぐらい準備してmonoAI technology株式会社を設立しました。創業を決める前はプログラムの技術書とかを毎月何冊か買っていたのですが、それを営業や経営、経理、財務などの本に切り替えて、経営に必要な知識を頭に入れました。情報から入るタイプかもしれません。

新谷哲:monoAI technology株式会社を創業して、苦労されたことはございますか?

本城嘉太郎:どの会社も同じだと思いますが、中小企業は浮き沈みがどうしてもあります。そこをカバーするための資金繰りや採用に苦労しました。創業したばかりの会社には優秀は人がなかなかこないので、新卒採用をして育てていく文化を作ったりしました。マネジメントの経験がそんなにあったわけじゃないので、今だったらもっと上手くやれたと思うことがたくさんあります。

新谷哲:上場は、最初から狙っていたのですか?

本城嘉太郎:当初は狙っていませんでした。むしろ「上場するとチャレンジできなくなる、思うような経営ができなくなる」という噂があったので、漠然と上場は怖いものと感じていました。上場を考えるきっかけは、2010年頃にソーシャルゲームのブームがきたことです。創業時から「オンラインゲーム」と言っていた弊社は独自のポジションにいました。早いうちからソーシャルゲームに参入したところ、日本中のVCから「出資させてほしい」という話がきました。当時は知識がなかったことと、怖かったのでお断りをしましたが、周囲では色々と動きがありました。時代に乗って大成功する会社もあれば、死んでいく会社もあります。弊社も借入金を元にして数タイトルを出し、大ヒットはないけど死ぬこともない、という結果です。それから数年すると、ベンチャーが中心だった市場に、大手メーカーが参入します。大手メーカーは資金があるので、とんでもない量を出します。中小企業が1本~2本作る中、50本のタイトルを同時に出します。その上、強力なIPを持っていたり、中小企業では手が出せないほどの広告宣伝費を投下します。広告を出さないと売れませんが、広告費が売上を上回った瞬間に資金繰りが破綻します。大資本がある大手メーカーが圧倒的に有利な状況になり、自己資本だけでビジネスをしてはいけないと思いました。それで一旦撤退をして、オンラインゲームを作る技術に戻ろうと思い、通信ミドルウェアなどといった物を作り始めました。

新谷哲:そこからは、VCから資金調達して上場を目指してチャレンジしにいったのですか?

本城嘉太郎:はい、そうです。上場する過程で、初めて会社法を勉強しました。外部から調達した資金ではなく会社のおを使って失敗すると、払えたはずのボーナスが払えなくなるなど、従業員の待遇などに跳ね返ってきます。そのようになっては良くないと思い勉強をし、30%ほどであれば外部から入れても問題ないことが理解できました。また、お金を集めることも含めて経営なのだと思い、資金調達しようと動きました。それで調達するのであれば上場をしてリターンを返さないといけないので、上場をできる仕組みを作ろうと思考のレベルが一段階上がりましたね。

新谷哲:上場に向けての苦労はございましたか?

本城嘉太郎:管理部を作ることにとても苦労しました。月次決算などを迅速に出さなければならないので、内製化が必要だと管理スタッフを増やしました。しかし、最初はなかなか上手くいかず苦労しました。まあ、今のCFOが入ってきて引き締まったので、いい会社になりましたね。

新谷哲:ありがとうございます。次はmonoAI technology株式会社の事業内容をお教えください。

本城嘉太郎:monoAI technology株式会社は「XR CLOUD」というメタバースのプラットフォームと、その上で行うイベントを主にやっている会社です。1つの空間に同時に多くの人が入って撃ち合いをする、フォートナイトというゲームがあります。弊社はあのような空間を作り、ゲームではなくあえてビジネス利用しています。会社説明だったりカンファレンスだったり、人が集まってコミュニケーションを取って何かを生み出すようなイベントを開催しています。また、イベンターとして企画をして、イベントを成功するまでお付き合をするという事業もしています。後は、プラットフォームを改造して、OEMで提供して会社独自のメタバースを作る、といった事業をしております。

新谷哲:ありがとうございます。メタバースの最先端を行く企業ですので、私も注目していきたいと思います。ここからは違う質問をいたします。事前に好きなこと、好きなものをお聞きして「仕事に活かせる事、新しいテクノロジーのキャッチアップ、ハードウェアを一通り触っている。子供と遊ぶ(全員男の子)、子供の成長は見ていて面白い」などとお答えいただきました。仕事に活かせることが好きということですが、具体的には何があるでしょうか?

本城嘉太郎:土日は一応オフにしていますが、会社経営をしている関係上、常にアンテナを張っている状態です。会社の成長自体が楽しいので、あまり趣味に走らず、いかに会社の業績が良くなるかという方向に時間を使いたいと考えています。本だったりメディアだったり、その時に使う時間の割り振りには気を使っている感じですね。

新谷哲:次に座右の銘もお聞きして「人間万事塞翁が馬」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由をお教えいただけますか?

本城嘉太郎:会社経営をしていると色々な浮き沈みがあります。「人間万事塞翁が馬」の逸話のように、目の前で起こった悪いことが、実は中長期的には良いことかもしれません。逆に、目の前の良いことが実は悪いことになるかもしれません。そのため、目の前のことに右往左往していると、安定して意思決定をしづらくなります。何かが起きても必ず上がる良い波もあれば、絶対に下がる波もあるので、良い時に浮かれず、悪い時に悲観せず、常に平常心でいることが、経営者にとって一番大事なことだと考えていますので、「人間万事塞翁が馬」を常に心掛けています。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

本城嘉太郎:成功の秘訣は「諦めずひたすら好きなことを続けること」です。座右の名とも少し被ってしまいますが、私は19歳の頃にオンラインゲームを通じて今のメタバースの世界観に触れました。その時に感動をして、そこから20年近くブレずに続けてしました。その中で、たまたま好きなことと時代がマッチしたことで、上場企業になることができました。途中で様々な浮き沈みがありましたが、その人の好きな事やテーマが、時代とマッチするタイミングはいずれ来ると思うので、成功するには続けることが大事だと思っています。

新谷哲:本城嘉太郎社長、本日はありがとうございました。

本城嘉太郎:ありがとうございました。

編集後記

新谷哲:今回は、monoAI technology株式会社の本城嘉太郎社長でした。大学を中退しても自分の目指すことを貫いて、フリーランスになったり転職をしながらも夢をかなえていらっしゃいます。成功の秘訣である「諦めない」ことを着実に行いつつ、情報収集をし知識を増やし続けたからこそ、成功されたのだなと思います。経営者の皆様もぜひ、本城嘉太郎社長を真似して成功社長になってください。

本城嘉太郎氏
monoAItechnology株式会社代表取締役社長

1978年神戸生まれ。ゲーマーだった19歳の時、世界初の本格MMORPG「ウルティマオンライン」に出会って強い衝撃を受け、将来ネットワークゲームを作ることを決意。サーバエンジニア、大手コンシューマゲーム開発会社を経て、2005年にmonoAIを創業。ゲームの開発を行いつつ、まだ日本でネットワークゲームを作る文化がなかった頃からネットワークゲーム開発の研究開発に着手。その成果を元に、2013年からモノビットリアルタイム通信エンジンの販売を開始。2018年に本社を東京から地元神戸に移転。2020年に大規模仮想空間基盤『XR CLOUD』をリリース。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、本城嘉太郎氏(monoAItechnology株式会社代表取締役社長 )の経営者インタビューを取り上げました。

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