成功経営者インタビュー

株式会社フーディソン 代表取締役CEO 山本徹氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、山本徹氏(株式会社フーディソン 代表取締役CEO)です。(2023年3月29日 2023年4月5日配信)

今回は、株式会社フーディソンの山本徹社長にお越しいただきました。飲食店で漁師に出会い「魚が高く売れない・息子に継がせられない」という悩みを聞いたことがきっかけでフーディソンを創業。水産を軸とした生鮮流通業で上場を果たしたエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、フーディソン株式会社の山本徹社長です。まずは経歴の紹介です。北海道大学工学部卒業。不動産会社を経て、2003年に株式会社エス・エム・エスへ創業メンバーとして参画。ゼロからIPO後の成長戦略まで、人材事業のマネジメント新規業開発に携われました。2013年にフーディソン株式会社を創業、代表取締役CEOに就任。2022年に、東証グロース市場へ上場をされています。本日はよろしくお願いいたします。

山本徹:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身はどちらですか?

山本徹:埼玉県の本庄市です。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

山本徹:ごく普通の小学生でした。勉強も運動も優秀な姉がいるので、コンプレックスを感じていたと思います。

新谷哲:中学時代はどのようにお過ごしになりましたか?

山本徹:中学時代もごく普通でした。姉がさらに成績優秀になり、家族内ですごく褒められているのを見て、コンプレックスが強化されました。また、私と同級生の親戚がいたのですが、その親戚もまた優秀で、さらにコンプレックスが強くなったと思います。

新谷哲:埼玉県内の高校に進まれますが、高校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

山本徹:それまでのコンプレックスの裏返しで、勉強で見返したいと思っていました。地方は都心部と違い、私立高校よりも公立高校の方が学力は高い傾向があります。私がいた本庄市もそうでした。県立の高校を受験しましたが失敗し、地元の私立高校に進学しました。入学した高校は大学進学の実績がほとんどなく、学校のカリキュラムだけでは学習量が足りないと感じていました。そのため、1年生から自分で勉強のプログラムを考えて、自分なりの学習をしていくことを実践していました。

新谷哲:では、高校時代は勉強一色だったのですね。

山本徹:そうです。「コンプレックスを取り払いたい」という気持ちが強く、いろいろ試行錯誤しながら勉強をしていました。結果、その高校で初めての旧帝大合格者となることができました。自分でよく考え工夫しながら実践していったことが、良い結果に結びついたと思っています。この実績は成功体験を得たと共に、その後の人生に相当影響を与えてくれたと思っています。

新谷哲:大学はどちらに行かれたのですか?

山本徹:北海道大学の工学部に進学しました。

新谷哲:北海道大学ではどのようにお過ごしになりましたか?

山本徹:北海道大学では、これまで出会ったことのないタイプの人と出会いました。象徴的な出会いは、入試の時から始まります。
北海道大学を受験することを決めたのは、入試直前でした。埼玉の実家から出ればどこでも良いという感覚と、修学旅行で行った時に雰囲気が良かったという印象で北海道大学を選びました。直前だったので、受験用の宿が軒並み埋まっていました。そのため、不便な場所にあるホテルを取ります。現地に入った段階で、ホテルから受験会場に行くには1時間くらい雪の中を歩かなければいけないことが分かりました。しかも、ホテルで朝食を食べてからでは試験に間に合いません。「朝食は何としても食べたい」と思い、ホテル周辺で食事がとれるお店を探しました。すると60代くらいの男性がいたので「この辺で朝食のとれる店はありますか?」と尋ねると「この辺にはないから、うちで食べて行きなさい」と言って、ご自宅でご飯をいただきました。
その方は翌日も朝食を食べさせてくれて、試験会場にも連れて行ってくださいました。そのおかげで無事に試験に挑むことができました。無償の愛のようなものを感じる機会でした。それまで親からは自立を求められて生きてきたので、強く生きていかねばと感じていました。身内以外で助けてくれる人がいるという経験は、精神面でも助けられたと思います。
北海道在住の間は、この時に出会った方が北海道の両親のような存在として、私の生活を支えてくれました。大学で友人はたくさんできましたが、日常生活の中では年配の経営者の方との出会いもありました。このように、これまで付き合ったことのない方と繋がりができたことが、すごく印象的でした。

新谷哲:北海道大学を卒業後、新卒で不動産会社に入社されますが、どのような会社でしたか?

山本徹:新興の不動産デベロッパーです。当時50名ぐらいの規模で、東証一部に上場したばかりの会社でした。

新谷哲:その会社を選んだ理由はございますか?

山本徹:大学を感覚的な理由で選んだ時のように、就活に関しても事前に動かず、自己分析などの準備をしないままでした。北海道は首都圏よりも就活の始まりが早くなく、かつ私の周りの学生は99%ぐらい大学院に行きました。そのため、気付いたら就活の最終段階くらいになっていました。
大学生活の間で複数の経営者との出会いがありましたが、その中に不動産の経営者がいました。その方からも影響を受けています。私の父親は公務員で、公務員の職業観から目的もなく大学に進みました。工学部を選んだのも理系の勉強が得意だったからで、授業を受けてもあまり興味が持てませんでした。そうすると、生活の主軸が大学ではなく、大学以外になります。その中で経営者の方々と出会うことになり「経営の世界が楽しそう!」と感じるようになりました。出会った経営者の方には「お前みたいな大学の名前でいい会社に行こうとするやつは、どこかで生きていくことが出来なくなる瞬間がきて、生きる力が問われる」と言われました。実際にその方から世の中を切り開いて生きていくバイタリティを感じ、自分で会社を経営することの面白さを肌で感じました。
その影響で、まずは販売できる力を身に着けようと、不動産会社を選びました。就活をする中で「成功の秘訣教えます」と書かれたDMが届きます。それは東証一部に上場をしたばかりの、新卒で入ることになる会社からでした。かなり短絡的に「成功の秘訣を学びに行こう」と入社試験を受け、内定が出たので入社をしたという流れです。

新谷哲:他の方のように、大学院に行こうとは思わなかったのですか?

山本徹:思わなかったです。大学4年間の中で「学校を辞めよう」と思っていた時期があったぐらいで、早く社会に出たいと思っていました。

新谷哲:年配の方や年上の経営者の話が出てきましたが、年上に好かれるご性格をされているのですね。

山本徹:よく言われます。おそらく、育った環境ですね。中学生の頃、父親が単身赴任になり、近くに父親像を感じないまま育ちました。これは推測ですが、社会に出てから、父親的な存在を無意識に求めていたのかもしれません。入試の時に朝食を食べさせていただいた方も、私から声をかけています。新卒入社した会社で出会った友人で、後に一緒に起業する方がいるのですが、その人も当時の私にとっては、同じような存在でした。やはり、自分を受け入れてくれる父親的存在を求めていたのではないかと思います。

新谷哲:論理的に分析するところは、理系らしいです。不動産会社での思い出はございますか?

山本徹:不動産会社は1年半だけ働きました。マンションのデベロッパーでしたが、マンション販売の営業が主な仕事でした。それ以外にも、チラシ配りからモデルルームの設営等、マンション販売に関わる様々なことをすべて社員がやっていました。相当ハードに働いていたと思います。

新谷哲:その後、株式会社エス・エム・エスの創業メンバーとして転職されますが、こちらはどのような会社ですか?

山本徹:エス・エム・エスという会社は「高齢社会の情報インフラを構築する、構築して社会に貢献し続ける」というビジョンを掲げている会社です。
介護保険制度ができたタイミングで創業しました。今まで国が行ってきた介護に関わる業務を、介護サービスという形で民間企業が提供する、介護領域という新たなマーケットに着目しました。介護の情報を整理する媒体が存在しなかったので「介護に関する情報を繋げて情報インフラを作っていくこと」を目的にしました。
これが後に「知らない事業領域での起業の仕方」という部分で大きく関係していきます。ある事業領域にポテンシャルがあり、大きなマーケットになると思ったとき、まず小さく一手を打つことが重要です。特に、その領域のスペシャリストでない場合は、マネタイズをしながら領域の学習を進めていくことができます。私たちは「介護系老人ホームの販売代理店」から事業をスタートしました。不動産のノウハウで家を売りながら、業界内の介護保険の知識をつけ、ビジネスを通じて事業領域への理解を深めることができました。その流れで気付いたことは、人材ニーズがすごく強いということです。この気づきから、ケアマネージャーさんのマッチングに入っていくという流れで事業領域を広げました。

新谷哲:どのような経緯で、株式会社エス・エム・エスを創業されたのですか?

山本徹:創業前に勤めていた不動産会社の同期の1人と「2人で一緒に起業しよう」と話をしていました。起業を考えた時は、会社自体がすごくハードだったことと、自分たちのパフォーマンスを含めて将来に希望が見えませんでした。それであれば「自分たちで起業した方がリスクは少ない」となりました。そんな時、同じ会社の先輩社員が会社を辞めて起業する、という話を聞きました。自分たちでゼロから起業するよりも、このタイミングで先輩の会社で経験を積んだ方がリスクが少ないと感じました。起業することはほぼ決めていたので、その思いを伝え、何の会社か分からないまま創業メンバーになりました。

新谷哲:株式会社エス・エム・エスでの思い出はございますか?

山本徹:一番の思い出は、自分たちで考えて事業を創り、そのサービスがお金を生んだ時です。すごく感動する瞬間でした。お金を生むとは、つまりお客様に喜んでいただけたということです。登録いただいた求職者の方の就職が決まり、企業側にも喜んでいただき、それがお金になって口座に入金されることで、初めに喜びを感じました。
同時に改めて思ったのは「社会人として組織で働き、給与が決まったタイミングで定期的に入ってくるのは、当たり前でない」ということです。自分たちで稼がなければお金を生むことがなく、サービスが結実するまでは「自分たちは社会から爪弾きにされている、誰にも貢献できない」という感覚を持ち、辛かったです。これも後々に関係していきますが、私が会社経営するということは、世の中と繋がりを持つことが一番のベースにあります。会社は世の中と繋がりを持つための媒体で、世の中と繋がりを持つために重要なのはミッション・ビジョンです。どういう思いを持った組織なのかが重要です。起業準備をしているとき、社会から疎外感を感じていた時期があったのですが、株式会社フーディソンを起業して社会と繋がりたい、という動機に影響していたと気付きました。

新谷哲:その後、株式会社フーディソンを創業されますが、どのような経緯で創業されたのですか?

山本徹:エス・エム・エスでは、何をやるかではなく、誰とやるかが重要で、不動産会社時代の尊敬する先輩と一緒に創業することに喜びを感じていました。創業メンバーなので、社会人2年目から取締役になりました。資質があったからでなく、創業メンバーだから取締役というのがポイントです。今なら分かるのですが、私は取締役としての役割を果たせていませんでした。「何をやるか」というビジョンがなく、「社長を成功させる」ことに強い思いがありました。社長が優秀だったため経営は社長に任せ、私は営業で成果を上げて会社の成長を支えることが、良いことだと思ったのです。
しかし、経営に口を出さない取締役では、ガバナンスとして機能しません。役割を果たせないというのは、良い結果を生みません。「自分」と「人生」それぞれのミッション・ビジョンを持たなければいけないと思い至り、これを大前提とした会社経営をする道を選び、起業しました。その時に、自分の思いを乗せて、社会との接点になる組織を作ることを重視し、会社経営をすることが自然であると認識しました。

新谷哲:株式会社フーディソンの事業内容をお教えいただけますか?

山本徹:フーディソンは「生鮮流通に新しい循環を」創り出すことをビジョンにしています。現状は国内の生鮮流通、特に水産に軸足を置いて流通改革をしていますが、長い時間軸では「世界の食をもっと楽しく」をミッションに掲げています。当面は、日本国内を中心にした生鮮流通をより良くすることで、世界の食を楽しくアプローチします。生鮮流通がアップデートされて、もっと良い状態になったときには、また違うビジョンにアップデートしようと考えています。例えば、世界の食品ロスをなくしていく、貧困をなくしていく、などです。

新谷哲:その事業を思いつくきっかけはございますか?

山本徹:企業テーマを考えるとき、まずデスクトップ調査を行いましたが、多種多様な社会問題があり、いろいろ解決しなければいけないことがあると感じました。そこで、私自身がやりたいことよりも「100年、200年と、社会から必要とされる存在」になっていこうと思いました。事業を行うのであれば、大きなマーケットで勝負していきたいと、可能性のある場所を模索しました。
しかし、衣食住などの大きなマーケットほど、ベンチャー企業がチャレンジする余地がありません。業界の専門家でないのでインサイトもなく、デスクトップ調査の限界に至りました。いくつかのプランにチャレンジしてみようと思い、同時に投資の必要性に迫られた瞬間、自分の中にパッションがないので、投資という恐怖を乗り越えられませんでした。やはり手触り感のある自分事にならないとスタートさえ切れません。
そこから舵を切って、人に会いに行くことを始めました。
課題を持った当事者と対話することで、アプローチとして十分な理由になるのではと思い、1年間くらいの時間を費やします。探している期間に、ビジネストレーニングのための会社も設立します。その時の仕事関係で東北に行く機会があり、飲食店で地元の漁師さんとお会いしました。漁師さんから「サンマを1キロ10円~30円くらいで売っている。漁師を続けるのもしんどいし、息子に継がせられない」という話を聞きます。当たり前のように食べている魚が、自分の知らないところで持続不可能な難題となり産地再度を悩ませていると気付きました。私自身話を聞くまで一度も認識したことがなかったですが、誰も知らない大きな問題なので「創業テーマのアプローチとして良いのではないか」と思いつきました。

新谷哲:これから起業しようと思っている方にとっては、事業の探し方などの勉強になるエピソードですね。その漁師さんたちの話を聞かれたとき、年上の方に好かれるご性格が活きたのでしょうか?

山本徹:コミュニケーション能力は、現在の事業である水産領域のあらゆる側面で影響していると思います。

新谷哲:上場は初めから狙っていましたか?

山本徹:「100年、200年続いていく会社を作る」という思いからスタートしているので、考えていました。長期で続いている会社であれば、一定の経営品質を担保している状態が必要です。上場することで、一定の品質を担保しようと目指しました。

新谷哲:上場するにあたり、ご苦労などはありましたか?

山本徹:一番大変だったのは、資金調達をした後の混乱です。私の経営能力が足りない状態であり、マネジメントの仕組みも構築できていない時に、資金調達をしました。成長を加速させたい、という気持ちが強すぎました。足場がしっかり作られていない段階でスピードを上げたら、もろくも崩れていった感じです。離職者もすごく増え、赤字の幅も増え、株主の対応や社員からの厳しいフィードバックもかなりあったので、この時期が一番大変でした。

新谷哲:どのようにして、その時期を乗り越えたのですか?

山本徹:「自分を知る」状態を作り乗り越えました。
人間の体は、DNAが持っている情報を中心に作られます。会社も同じで、経営者が中心となり、経営者に合った形になっていきます。経営者を中心に組織がつくられるので、客観的に見ることが難しくなります。自分自身を深く理解していないと、周りで何かが起こった時に「なぜ、起きてしまったのか」が分からなくなります。例えば「自分は優しく接している」と思っても、感情的になった時は無意識に人から嫌われる行動を取ってしまいます。その時の行動が原因で人が離れていったとしても、無意識なので気付きにくいです。自分はどんな色眼鏡があるかを理解しなければ、無意識に実施している95%くらいの意思決定が、経営の邪魔になってしまいます。まずは自分の行動に自覚的になること。それを通じて自分自身の形を明らかにして、メタ認知レベルを上げていきました。

新谷哲:素晴らしいお話でございます。ここからは全く違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして、「バカラのウィスキーグラス、キラキラして好き。ゴルフ、キャンプとキャンプ料理、特定の家庭料理」とお答えいただきました。キャンプは毎月のように行かれるのですか?

山本徹:キャンプは去年ぐらいから行くようになりました。1月もマイナス2度ぐらいの中でキャンプに行ってきたので、装備と経験はかなりのレベルになったと思います。

新谷哲:バカラのウィスキーグラスとありますが、ウイスキーはよく飲まれるのですか?

山本徹:いいえ、ウイスキーを飲むよりも、グラスが好きという感じです。物に対するこだわりは薄いと思っていますが、なぜかウィスキーグラスだけは惹かれてしまいます。でも、時々いいウイスキーも飲んだりします。

新谷哲:ありがとうございます。座右の銘もお聞きして「謙虚にして驕らず」とお答えいただきました。大変すばらしい座右の銘ですが、こちらを選ばれた理由をお教えいただけますか?

山本徹:会社経営をするあたり、誠実であることは大前提だと思っています。誠実でない企業はそもそも存在してはいけないと思っているので、誠実であることは意識しています。例えば、会社が上場したことにより、勘違いし始めないように意識する、などです。上場したことで急に偉くなるわけでも、すごい会社になるわけでもありません。今までやってきたことを積み上げて、その先に偉大な結果が出る可能性はありますが、現時点では上場する前とほとんど中身は変わりません。毎年、1月にテーマを決めて、子供たちと大きな紙に書き初めをします。2023年は、2022年12月に上場したので「自分はまだ何者でもない。これから何かをなそうとビジョンを掲げているが、まだ一歩目である」という意味を込めて「謙虚にして驕らず」を選んで書き初めにしました。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

山本徹:成功の秘訣は「外に向かってビジョンを掲げて何かを成そうとするのであれば、まず自分を知ること」です。私が資金調達後の混乱期にやっていたことで、遠回りのようで最短距離であると、自分自身の経験から感じています。起業して何かをチャレンジしようとする方は、心の中に強いエネルギーがあるはずです。それはプラスのエネルギーですが、自立することを人に強要するマイナスの影響も含んでいます。大切なのは、マイナスを変えていくことではなく、客観的に気付いたうえでコントロールしていくことです。上手に包容することが成功するために重要です。

新谷哲:大変参考になるお話でした。山本徹社長、本日はありがとうございました。

山本徹:ありがとうございました。

編集後記

本日はフーディソン株式会社の山本徹社長でした。自分を知ることが一番重要というお話しは「なるほど!だから上場できたのか」と私も大変勉強になりました。ぜひ皆様も、山本徹社長のように謙虚に驕らず、自分を見つめ直して成長していっていただければと思います。

山本徹氏
株式会社フーディソン 代表取締役CEO

埼玉県本庄市出身。北海道大学工学部卒業。不動産会社を経て、2003年に株式会社エス・エム・エスの創業メンバーとして参画、取締役にご就任。2013年にフーディソン株式会社を創業。代表取締役CEOにご就任されます。2022年に、東証グロース市場へ上場をされています。生鮮流通の業界改革に取り組みながら、「世界の食をもっと楽しく」というミッションのもと、日々アップデートしながらグローバルな事業展開を目指し邁進されています。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、山本徹氏(株式会社フーディソン 代表取締役CEO)の経営者インタビューを取り上げました。

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