成功経営者インタビュー

オープンワーク株式会社 代表取締役社長 大澤陽樹氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、大澤陽樹氏(オープンワーク株式会社代表取締役社長)です。(2023年7月26日 2023年8月 2日 配信)

今回は、オープンワーク株式会社の大澤陽樹氏にお越し頂きました。国内最大級の社員クチコミ数を有する、転職・就職のための情報プラットフォーム事業で上場。投稿されたクチコミから、会社の問題点などが分かるというお話から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

新谷哲:本日の「社長に聞く!in WizBiz」は、オープンワーク株式会社の大澤陽樹社長です。まずは経歴をご紹介します。福島県いわき市に生まれ、西宮と松戸でお育ちになりました。筑波大学にご入学後、イギリスのマンチェスター大学を経て、東京大学大学院修士課程に進まれます。卒業後はリンクアンドモチベーションにご入社。そして2018年にオープンワーク株式会社に兼務出向し、2019年にリンクアンドモチベーションを退職してオープンワーク株式会社に参画。2020年4月に代表取締役社長にご就任され、2022年12月に東証グロース市場に上場されました。本日はよろしくお願いいたします。

大澤陽樹:よろしくお願いします。

新谷哲:まず、最初のご質問です。ご出身はいわき市で、西宮や松戸で育ったとのことですが、小学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

大澤陽樹:算数が非常に得意で、非常にインドアな小学校時代でした。体が弱くて、運動神経も悪くてどんくさい子どもでしたので、得意なものを作ろうしました。公文式に通っていて、小学校2年生のときには高校生でやる微分積分が終わっていましたね。

新谷哲:では頭のよろしい子供だったのですね。神童と呼ばれたことはございますか?

大澤陽樹:いえいえ、そんなことはないです(笑)。運動神経の悪さが目立っていて、隠れた才能くらいの感じだったと思います。数学もパズルみたいな感じで、ゲームよりハマっていたと親からは聞いています。

新谷哲:中学時代はどのようにお過ごしになられましたか?

大澤陽樹:茨城県にある私立の江戸川学園に、中学・高校と通いました。中学校時代は体の弱さがコンプレックスだったので「運動神経が悪くても努力すれば強くなれる」と勧誘されて剣道を始めました。おかげで体も強くなり、病気にもならなくなりました。また、途中で生物学にも興味を持つようにもなり、真面目に勉強しなければ大学に行けないので高校2年生くらいからは徐々に受験にも力を入れました。

新谷哲:では、高校時代も剣道中心の生活だったのですか?

大澤陽樹:週6日~週7日と言いますか、朝から晩まで剣道でした。ただ、剣道は小学校からやっている子の方が強いので、中学生時代は1勝もできませんでした。高校では数十人もいる剣道部の部長をさせていただき、大将も務めさせていただき大会でも良いところまで進みました。努力は報われることを学んで、すごく夢中になっていた時代でした。

新谷哲:では、お若いときから努力家だったのですね。

大澤陽樹:運動神経が悪すぎてついていけなかったので、この時の経験が今にも通じているかもしれませんね。

新谷哲:卒業後は筑波大学に進学されますが、こちらを選ばれた理由はございますか?

大澤陽樹:もう20年以上前の話になりますが、当時は生物工学や遺伝子工学が流行っていました。例えばテロメアと呼ばれるような、人間が不老不死になるのではないか?といった研究が進んでいました。私も高校生の時に、科学雑誌を紹介してくれる先生に出会ったことで興味を持ちました。筑波大学にはこの分野を研究する教授が何人もいらっしゃったので、どうせ行くなら筑波大学で生物工学を思いっきり学びたいと思い選びました。

新谷哲:生物工学というと理系ですよね。では、高校の時に相当勉強をされたのですか?

大澤陽樹:推薦入試で合格することができました。試験科目がラッキーなことに、得意だった英語と生物学だけだったので、奇跡的に合格することができたという状態です。

新谷哲:筑波大学時代はどのようにお過ごしになられましたか?

大澤陽樹:大学に入ってすぐ挫折をしました。遺伝子工学には植物もありますが、私が興味を持ったのは動物の方でした。そうすると解剖の実習があり、今もそうなのですが私は血を見るのが苦手なのです。解剖がどうしてもできなくて「授業を受けても単位を取るのは難しい」と思いました。卒業に必要な最低限の単位はとったのですが、やる気をなくしてしまい途中から大学に行かなくなります。大学の友人たちと遊びつつ、アルバイトをしてお金をためて、バックパッカーとなって海外旅行をするという大学生活を送りました。

新谷哲:どのようなアルバイトをされたのですか?

大澤陽樹:本当に色々なアルバイトをしました。コンビニや飲食店、ライブの警備員や引っ越しなど、ありとあらゆるアルバイトを週10回ぐらいですかね。下手したらそこら辺のサラリーマンよりも稼ぐくらいのめり込みました。

新谷哲:では、ダブルヘッダーで働く日も多かったのですか?

大澤陽樹:朝から夕方まで働いて、合間に大学のレポートなどをして、夜からまた朝までコンビニのバイトをする生活でした。大学に行っていた意味がほぼなかったっていう状態ですね。

新谷哲:バックパッカーとして、どんな国に行かれたのですか?

大澤陽樹:40ヶ国くらいです。高校時代に「深夜特急」という沢木耕太郎さんの小説に感銘を受けて「紹介されている国を歩きたい」と思いました。ヨーロッパが多いですが、中東やアジア方面も周りました。

新谷哲:「深夜特急」を読んでバックパッカーになった方のインタビューは、大澤陽樹社長で2人目です(笑)。

大澤陽樹:あっ、ほんとですか(笑)。

新谷哲:上場企業の社長を目指す方は「深夜特急」を読んだ方がいいのかもしれないですね(笑)。筑波大学の他に、イギリスのマンチェスター大学にもお進みになられています。これは留学でしょうか?

大澤陽樹:はい、留学です。筑波大学は小さな大学で、それぞれの学科に人生相談に乗ってくれる担当の教授がいました。私があまり大学に行かなくなった頃、担当の教授から「海外でも行ってみたら」という話をいただき、友人からも「海外目指しているから一緒にいかないか」と誘ってもらいました。友人や師に恵まれましたね。一定条件をクリアしたので学費や単位を交換できる交換留学で、マンチェスター大学に行くことになりました。何をやるかは全く決まっていませんでしたが、大学に興味を持っていない状態を改善したかったことが留学のきっかけになりました。

新谷哲:マンチェスター大学では、どのようにお過ごしになられましたか?

大澤陽樹:英語がまったく話せなかったので、研究室にも入らずに最初はひたすら語学学校に通いました。1ヶ月くらい突き詰めて、研究室やゼミで議論できるレベルになりました。それから研究室をいくつか訪問し、面接をして受かったところが砂漠の緑化を勉強する研究室でした。世の中のためになる研究で、動物でなく植物を扱い、遺伝子工学にも絡んでいましたので、私にとっては面白かったです。このあたりから、勉強したいという熱が復活して6割~7割ほどを研究に費やすことになります。残りの3割~4割は、せっかく海外にきたのでサークル活動をしました。イギリスらしいことでなくテコンドーのサークルでしたが、試合に出たり、友人たちとイギリス旅行をしたりしました。

新谷哲:日本にお戻りになってから大学を卒業されたと思いますが、その後、東京大学大学院にお進みになられます。大学院での研究は環境学ですか、それとも生物学でしたか?

大澤陽樹:環境学の研究をしました。イギリスの研究を通して「遺伝子工学は倫理的な問題がつきまとう」ことを一番に感じました。研究がいくら進んでも、倫理的な問題から社会に広まらない事例は多くあり、社会学とセットで進めていく必要性を実感しました。筑波大学に戻った時に、社会学や社会工学と呼ばれる領域、例えば街づくりやその環境、区役所や市役所などの行政と連動して動かしていく分野に従事したいと思いました。ただ、私が卒業するタイミングで、その研究をされている教授が、東京大学への移ることが決まってしまいました。その教授から「俺の研究室に来たければ東大を受けろ」と言われ、急遽、東京大学大学院を受けることになったという経緯です。

新谷哲:大学院では、どのようにお過ごしになられましたか?

大澤陽樹:100%研究しかない2年間で楽しかったです。厳しいことで有名な教授だったので苦しいことも多かったですが、正月も含めて研究に没頭しました。今だから言いますが、1ヶ月の間に家に帰れる日が1日や2日しかありません。今はそんなことないと思いますが、ほとんど研究室に寝泊まりです。私が所属していた研究とは地下にシャワーがあるので本当に寝食を忘れて研究に打ち込み、学会賞などたくさんの賞をいただきました。非常に大きな学会で発表させていただく機会もあり、私が出した論文を今も引用していただいくことがあり、ここでも努力は実を結ぶ経験をさせていただきました。

新谷哲:東京大学大学院卒業後、リンクアンドモチベーションにお進みになります。環境系の企業ではありませんが、環境系の企業に行こうとは思われなかったのですか?

大澤陽樹:最後までとても悩みました。大学院で一緒に研究をしていた企業の方や、大学院時代に業務委託で環境系のコンサルをさせていただいた企業から「うちに入らないか」とお声をかけていただきました。自分の経験を活かす道を選びたかったのですが、業務委託でコンサルをやっていた時に「どんなに綺麗な企画を作っても、実行する人・組織が動かなければ世の中は変わらない」ことを強く経験しました。基礎研究やシンクタンクは非常に大事ですが、向き不向きがあります。私は「手触り感を持って社会が変わっていくのをもっと味わいたい」と思い、ビジネスの世界を経験したいと思いました。リンクアンドモチベーション社を選んだのは、人・組織のコンサルティングのリーディングカンパニーの1社に行って修行しようと決めたからです。

新谷哲:リンクアンドモチベーションでの思い出はございますか?

大澤陽樹:ここも思い出は多いですが、1つ目は1年目です。私は口下手でコミュニケーションが得意ではありません。1年目に営業をやらせていただいたのですが、全く売れなくて新入社員でビリのような成績を出しました。ただ、その後に少しずつ成果を出し、コンサルタントとしてプロジェクトマネージャーをやるようになりました。2つ目は、同年代の経営者の方々を担当したことです。私は同年代の経営者の方の支援をさせていただくことが多かったです。今の上場企業では、ラクスルの松本社長や、現在ではご退任されましたが、アカツキというゲーム会社の方も支援をいたしました。他にも多くの経営者を支援する中で「自分と同年代の人が命をかけて社会を変えようとしている、哲学を持って仕事をしている」と強く影響を受けました。私自身も「リンクアンドモチベーションで面白い事業を作りたい、社会にもっと大きな影響を与えていきたい」と思ったことが、非常に良い経験だと思っています。

新谷哲:ここで、リンクアンドモチベーションに在籍しながら、オープンワーク社の事業に参画されるのですか?

大澤陽樹:リンクアンドモチベーションでの職責の中にCVC、ベンチャー向けの投資事業がありました。その担当をしていた1社にオープンワーク株式会社(旧Vorkers)がありました。出資の際に資本を入れるだけでなく事業の立ち上げも支援しようと、資本業務提携を締結しました。私が週4日リンクアンドモチベーション、週1日オープンワーク社で働くという形でスタートしました。当時は、現在の4分の1や5分の1くらいの事業規模で、現在のCTOも平社員でした。その中で、現在は主力事業となっている「OpenWorkリクルーティング」という採用支援サービスの立ち上げに取り組ませていただきました。

新谷哲:その後、リンクアンドモチベーションを退職されてまで転籍されます。転職までしようと思われた理由はございますか?

大澤陽樹:理由はいくつかあります。1つ目は、私が社会人10年目ぐらいで「自分の命をどのように使っていくか、何に投資すべきか?」を考える機会が多かったこと。2つ目は、リンクアンドモチベーションでチームの後任が育っていたこと。私がいなくてもチームが回りますが、オープンワークは新規事業が立ち上がるかならないか分からないという苦しい状況でした。もし、自分の命をフルに次の10年使うとしたら、私が必要とされるのはオープンワークではないか、思う気持ちが強くなりました。また、オープンワークの創業者からもお誘いをいただくことが多かったので、転職をさせていただきました。

新谷哲:社長就任は、転職した当時から決まっていたのですか?

大澤陽樹:いえいえ(笑)そんなことはありません。営業のマネージャーからスタートしました。ただ小さい会社でしたので、広報、企画、人事などの職責を兼務する中で「執行役員をやってほしい、副社長をやってほしい」などのリクエストがありました。最後には「自分の代わりに社長になってほしい」と当時の社長だった創業者に言われました。成果やパフォーマンスを評価いただき、バトンタッチをしたのだと思います。

新谷哲:社長に就任されるとき、怖さを感じましたか?

大澤陽樹:ありました。「なぜ私なのだろう?」と本当に思いました。カリスマ性がある創業者だったので「あなたについていきたいと思って来たので、お受けできない」と1回断っています。しかし、創業者から「(自分が)会長としてサポートする」とおっしゃっていただき、一緒に働いているメンバーからも「大澤さんが社長になってくれたら嬉しい」と言われました。怖さはありましたが、これらが支えになって社長に就任できたと思っています。

新谷哲:社長に就任後に、東証グロース市場に上場されましたが、上場に向けての苦労はございましたか?

大澤陽樹:2つありました。1つは、どの企業もそうだと思いますが、事業の構造転換です。弊社には社員クチコミサイトの「OpenWork」というサービスだけでなく、「OpenWorkリクルーティング」というダイレクトリクルーティングのサービスがあります。事業構造の転換をしていると、どうしても片方の事業が停滞してしまいます。他の上場企業と比べ成長率が低い、と言われたりすることも多かったです。一般的なベンチャー企業と違い、イケイケどんどんで成長できなかったことが、難しかったと思っています。もう1つは、日本独特ですが、当社は親会社のリンクアンドモチベーションがすでに上場をしているため、「親子上場」という観点でガバナンス面にかなり注視された点が、上場で苦労したことになります。

新谷哲:つづきまして、オープンワーク株式会社の事業内容をご説明いただけますか。

大澤陽樹:大きく2つの事業を展開しています。1つは社名と同じ「OpenWork」という転職や就職を考えた方に向けたサービスです。1500万件(収録当時)を超える社員クチコミを基軸としたプラットフォームになっています。従来の転職就職サービスは、企業の人事や経営者が「うちの会社は明るいですよ」とか「家庭的な会社ですよ」と情報を発信しています。これらを見て転職や就職をされると「想像と全く違う会社だった」や「聞いていた話と違う」となります。これはリアリティショックと呼ばれますが、日本社会において問題になっていました。「OpenWork」は、その企業で1年以上働いた経験のある社員・元社員の方から、会社の風土、ワークライフバランス、年収や残業時間、女性の働きやすさなど様々な項目から評価をいただきます。この情報を事前に見た上で、会社選びの参考にしたり「OpenWork」上で求人に応募できたりします。もう1つは「OpenWorkリクルーティング」という企業向けの採用支援サービスです。「OpenWork」でのスコアに応じて、ユーザーに対して送ることができるスカウトの数が変わってきます。簡単に言うと「スコアが良くない企業は多くのスカウトはできない」というものです。ちょっと厳しいルールですが、これは私たちはユーザーの皆さんに悪い会社を紹介したくないからです。「OpenWork」上でユーザーにスカウトをし、入社が決まると「お1人様いくら」という形で成功報酬をいただくのが「OpenWorkリクルーティング」というサービスです。弊社ではこと2つの事業で成り立っています。

新谷哲:ここからは違う質問をいたします。事前に好きなもの・好きなことお聞きして「愛犬、愛鳥、マンガ、サウナ、社員クチコミを読むこと」とお答えいただきました。社員クチコミを読むことは仕事だと思うですが、お好きなのですか?

大澤陽樹:社員クチコミを読むことはライフワークみたいになっています。私自身、リンクアンドモチベーションに入社してからずっと、組織人事の領域を見てきました。同じ業種の会社でも、組織風土は全然違います。1人ひとりが笑顔で挨拶をしても会議が始まると社長以外誰も発言しない会社もあれば、誰も挨拶しないけど会議が始まると新人でも社長に対して物申す会社もあります。このように組織風土は全然違いますが、時価総額は似るケースがあることが面白いです。実は、クチコミを見るとどんな会社かがよく分かります。ちょっと社名は言いませんが、ある世界を代表する会社は、お昼休みになると必ず本社の周りをランニングさせる文化があります。この会社は非常にチームワークを大事にする文化で、こうした企業文化に馴染めて、チームでしっかり規律を守って仕事をすることがビジネスの価値に繋がっていきます。こういうのを読んでいくと止まらなくなり、休日中ずっと社員クチコミを読んでいることがあります。これはもう本を読んでいるみたいな感じでやっています。

新谷哲:次に座右の銘をお聞きして「健康・家族・法令遵守≧コミュニケーション≧サービス提供≧営業」とお答えいただきました。式を持ってこられるのは数学がお得意でいらっしゃると感じるのですが、こちらを選ばれた理由はなんでしょうか?

大澤陽樹:これは座右の銘というよりも、社内ではジャッジメントポリシーと呼んでいる基準です。もちろん、これを全部両立してほしいと思っています。ただ、もし万が一、究極的に二者択一になったときに何を大事にするか、というときにこの優先順位で選んでほしいと社員に伝えています。私は正直、営業先は1社がダメになったとしても他がある、代替可能性が高いと考えています。例えばですが、会社としての目標達成率が99.9%まで来ているとします。あと0.1%を埋める方法を考えて努力すべきですが「自身の体調が悪い」や「子供が大病を抱えて今すぐに病院に行かねばならない」とします。自分があとちょっと頑張れば全社が達成するかもしれない時でも、迷わずに家族や健康を取ってくれと話しています。これは家族や健康が、代替可能性が著しく低い、一度でも失ったら取り返すことができないからです。そうしたものを後回しにする会社組織になればなるほど、モチベーション、エンゲージメントは下がっていきます。なぜなら、自分が大事にしたいものを大事にできない会社であれば、ユーザーやクライアントも大事にできない組織になっていくと思うからです。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

大澤陽樹:宣伝になりそうで嫌ですが、社員クチコミを見ることをおススメしたいと思っています。2022年に、人手不足で倒産した企業が25%増えている、というデータがございました。これは笑い事ではありません。人材の奪い合いになっている中で、人から選ばれない会社になればなるほど、企業経営は困難になっていきます。当社の社員クチコミを読み続けていくと、選ばれる企業と選ばれない企業が、どういうコメントが書かれているかが如実に分かります。見ていて痛ましいクチコミも多くあり、私が投資家だったら「こんな企業に投資したくない」といったクチコミもありました。人から選ばれる企業はどのような工夫をしているかのヒントが、社員クチコミには隠されていると私は思います。1ヶ月に10分でもいいので、色々な社員クチコミを読んで、自社の課題は何か、何を改善すればいいのかを考えることをおススメしたいです。

新谷哲:大澤陽樹社長、本日はどうもありがとうございました。

大澤陽樹:ありがとうございました。

編集後記

今回のインタビューは、オープンワーク株式会社の大澤陽樹社長でした。やや淡々とされていますが頭脳明晰で、地に足のついたという表現が非常にぴったりくる経営者です。お話する内容も当たり前といえば当たり前ですが、それをきちっと努力ができる努力家で、クチコミをよく読むというのも素晴らしいですね。私も社員クチコミを読むことを検討したく思います。ぜひ、大澤陽樹社長のマネをして成功経営者を目指してください。

大澤陽樹氏
オープンワーク株式会社 代表取締役社長

福島県いわき市で生まれた後、兵庫県西宮市と千葉県松戸市で育つ。筑波大学、The University of Manchester(英)を経て、2009年、東京大学大学院修士課程修了。リンクアンドモチベーション(LM社)に入社。中小ベンチャー企業向けの組織人事コンサルティング事業のマネージャーを経て、新規事業の立ち上げや経営管理、人事を担当する。2018年、オープンワーク(旧Vorkers)に兼務出向。2019年12月にLM社を退職し、オープンワークに参画。2020年4月より現職。 オープンワークは2022年12月、東証グロース市場に上場。転職・就職のための情報プラットフォームを運営し、社員・元社員によって投稿された社員クチコミや評価スコア、数値データを掲載。企業の採用をサポートするリクルーティングサービス「OpenWorkリクルーティング」事業などを展開する。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は大澤陽樹氏(オープンワーク株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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