成功経営者インタビュー

株式会社真面目 代表取締役社長 平川アズサ氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、平川アズサ氏(株式会社真面目 代表取締役社長)です。(2024年4月24日 2024年5月1日 配信)

今回は、株式会社真面目の平川アズサ氏にお越し頂きました。23歳までモデルとして活動をし、25歳で自主映画を制作。それをきっかけに映像制作会社に入社。その後「ただ作るのではなく自分の持っているものすべてを出して社会貢献をしたい」と起業。ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:今回のインタビューは、株式会社真面目の平川アズサ社長です。まずは経歴をご紹介します。1982年生まれ、岩手県盛岡市ご出身。23歳までモデルの仕事を始め、フジテレビのドラマへご出演。その後、自主制作映画をお作りになり、製作会社にご入社。30歳で株式会社真面目を創業されていらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。

平川アズサ:よろしくお願いいたします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身は岩手とのことで、小学校時代どのようにお過ごしになられましたか?

平川アズサ:先生から「すごく姿勢が良く、ずっと先生の顔を見てくれる子供だね」と言われていた記憶があります。

新谷哲:社名の通り真面目だったのですか?

平川アズサ:真面目だったのかもしれません(笑)。

新谷哲:では、クラス委員や生徒会長もやっていましたか?

平川アズサ:1年生の1学期に「前を見ていたから」という理由で学級委員長に指名され、そこから「長」と付くものはある程度任せられました。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

平川アズサ:唯一運動をして過ごした3年間でした。運動は「校庭1周走るぐらいなら読書感想文100枚書いた方がいい」と思うほど苦手でしたが、小学校の先輩に「陸上部に入れ」と半強制的に入部させられ、3年間なんとかしがみつきました。

新谷哲:何の競技をされていたのですか?

平川アズサ:走り幅跳びを専門でやっていました。

新谷哲:走り幅跳びの選手は短距離も得意な方が多く、両方される方が多いので、走り幅跳び専門はレアなケースですね。高校はどちらに進まれましたか?

平川アズサ:盛岡の高校です。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

平川アズサ:高校時代は中学の苦い思い出をバネに、運動部には絶対に入らないと決めました。お金を稼ぐという楽しさを覚え、1年生~2年生はバイトに明け暮れました。

新谷哲:どのようなバイトをされたのですか?

平川アズサ:クリーニング屋、ラーメン屋、焼肉屋という高校生の3大バイトは全てクリアしました。やると決めたら結構徹底的に入るタイプなので、かなりの時間をバイトに費やしましたが、その時に稼いだバイト代を何に使ったのか記憶はございません。

新谷哲:その後、モデルになられますが、いつ頃の事でしょうか?

平川アズサ:私は身長が170cmあります。小学校時代、10代から高い身長がコンプレックスで、ずっと2cm~3cmは小さく見えるように背中を丸めて生活していましたが「この生活を生涯続けるのはつらい」と思っていました。その時に新聞のチラシで地元のフラワーショーのモデルを募集しているのを見て、高校2年生の時に応募したことがモデルになるきっかけです。

新谷哲:高校を卒業後は、大学には行かずモデル業を専門にされたのですか?

平川アズサ:そうです。高校の頃は仙台と東京のモデル事務所に所属をして、交通費を出していただいて東京で、という働き方をしていました。高校は進学校でしたが、この仕事を生涯やっていくと漠然と思っていたので、大学進学は選択肢の中にはありませんでした。

新谷哲:進学校ということは、周りはみんな大学へ行ったのですか?

平川アズサ:95%以上が進学しました。先生とは「本当にそれでいいのか」と、何度も面談していた記憶があります(笑)。

新谷哲:モデルの仕事は仙台・盛岡から、東京に中心が移ったのでしょうか?

平川アズサ:はい。東京のCMやグラフィックのモデルのオーディションによく出していただきました。

新谷哲:その後、フジテレビのドラマ「アテンションプリーズ」に出演されます。私は週40本ドラマを見る人間なので「アテンションプリーズ」も見ていました。

平川アズサ:上戸彩さんと同じクラスメイトの役で出ました。今でも友達から冷やかしの連絡が「あの時のお前は本当にイモだったね」みたいな感じで来ますね(笑)。

新谷哲:私の印象では最近の若いモデルは、どんどん女優側に移っていると感じますが、そちらの道に行こうとは思わなかったのですか?

平川アズサ:女優の道に行きたくて、映画の脚本を書いていた時期があります。数多くいる女優の中で「どうやったら目立てるか?他の人と違う能力をピックアップしてもらえるか?」を考えて「脚本が書ける女優なら違う色が出せるのではないか!」と思い書き始めました。

新谷哲:モデルをやりながら女優をやり、さらに映画制作やドラマ制作に携わっていくことを目標にされていたのですか?

平川アズサ:書き上げたその台本を誰かが手に取ってくれればと思っていましたが、制作をしようとは微塵も思っていませんでした。

新谷哲:自主制作映画を作っておりますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

平川アズサ:2年半かけて脚本を書き終えました。映画を撮りたい、脚本を書きたいと思う人は多いですが、書き終えた人は少ないと思っており、少し自信が付きました。その時に、当時一緒にお仕事をしていた方に、脚本を読んでもらいました。本当に恥ずかしく、裸を見られるような思いでしたが「内容的に面白いから映画を撮ってみたらいいのでは!」とアドバイスをいただきました。私はあまり深く考えないタイプなので「やってみよう」と思いました。これが25歳の時です。お金がないと機材も借りられない、関わってくれる人にご飯代も出せないので、そこから出資を募りました。協力費350万円ほど集め、無事に映画を撮りきることができ、渋谷の単館の映画館で上映しました。

新谷哲:ご自身のご評価としてはいかがでしたか?

平川アズサ:作品のクオリティは別として「できないことは何もない」と思いました。それが今の「何でもやってみよう」という原体験にもつながっています。内容については自信がありませんが、会社を立ち上げて3期目ぐらいに社員に見せて「思ったより面白かったです」と評価いただけたので「当時、頑張って良かったな」というのが、間接的ですが私の評価になります。

新谷哲:その後、映像制作会社にご入社されます。これは「映画を自分で撮ろう」と思われたからでしょうか?

平川アズサ:映画作りで唯一できなかったことが編集でした。演技や脚本は想いだけでできたのですが、技術的なものは朝起きて目覚めたらできるものではありません。そのため、編集技術を習得したいと思い制作会社に入りました。ただ、キャリア的に高卒なので入社できる場所が限られており「高卒 制作 会社」みたいな検索ワードで出た2社を受け、そのうちの1社に入社しました。

新谷哲:製作会社ではどのような仕事をされたのですか?

平川アズサ:最初の仕事は、某超一流アーティストのミュージックビデオのメイキングを取ることでした。ハンディカムのような小さなカメラ1台渡され、3日間寝ずにメイキングのカメラを回し続けましたね。

新谷哲:他に思い出はありますか?

平川アズサ:社会人経験がないままに入社したので、A4用紙とB5用紙の差が分からなかったり、「エクセルでも手書きでもいいから資料作って」と言われて手書きで作成したら怒られたり、資料のホッチキス止めができなくて怒られたりもしました。また、当時はモデルというと自分が媒体になって仕事をしていたので、写真をSNSに投稿することが悪いものだと思っていませんでした。なので、アーティストは写っていないが現場の入り口の写真を投稿して、社長から「お前はタレントじゃない」と怒られました。「確かにそうだ」とすごく反省をして、恥ずかしい思いをしたことは今でも覚えています。

新谷哲:その後、30歳で株式会社真面目を創業されますが、創業のきっかけはございますか?

平川アズサ:制作会社は1年しか勤めませんでした。クリエイターあるあるだと思いますが、20代後半になり「ミュージックビデオの監督だけをやりたい」と思い、早々に退社してフリーの映像ディレクターになりました。仕事がなくなったらどこかに入社すればいいと思っていましたが、ありがたいことに1人が生きていくだけのお金は稼げました。ただ、日々の繰り返しに少し飽きがきました。自分は好きなことをやっているが、それが社会貢献になっているという自覚が全くなく、同業者である親友の女性経営者に相談します。すると「あんただったら絶対に会社をやった方がいい」と言われました。私の問いと彼女の解はイコールではありませんでしたが、深く考えずに会社をやってみようと思います。彼女に「私が紹介する行政書士に登記費を払うこと、会社名を作ること、会社の代表名を作ること、この3つをすれば会社はできる」と言われ「会社って意外と簡単にできるんだ」とすごく浅はかに考えて、2ヶ月~3ヶ月で会社を登記して起業しました。

新谷哲:この業種のビジネスをやろう、などの構想はございましたか?

平川アズサ:全くないです。理念もなければ、ミッション・ビジョンも行動指針もないまま、当時インターンでお手伝いをしてくれていた美大生の女の子と2人で立ち上げました。

新谷哲:最初はどのような仕事でしたか?

平川アズサ:映像のお仕事です。私は電通や博報堂に所属したことはなく、代理店に紐づいた天下り案件もないので、周りの事業会社に「会社を立ち上げました、何か仕事はないですか?」とご挨拶に行きました。そこから「1本10万円で映像を作ってくれないか?」とお仕事をいただきました。

新谷哲:会社名がちょっと変わっておりますが、「真面目」にされた理由はございますか?

平川アズサ:クリエイティブディレクターの箭内さんの【 「すき」「あいたい」「ヤバい」 】という会社名にインパクトを受けました。クリエイティブの会社って、基本的に横文字で英語の名前を使う会社が多いと思います。そんな中、日本語で正々堂々している会社名に「めちゃくちゃクリエイティブだ」と思いました。私の起業を後押ししてくれた女性経営者の会社名も日本語で、かつ自分の名前から取っていました。ただ、株式会社アズサや、株式会社平川はちょっとダサいと思いました。私を表現する日本語が何かを考えると、よく「見た目に反して真面目だよね」と言われていたので、株式会社真面目にしました。すごく正々堂々した社名だと思い、当時お付き合いしていたクリエイティブディレクターの方がいたので、その方にも相談したところ「めちゃくちゃいい」と言っていただき、この名前に決めました。

新谷哲:次は株式会社真面目の事業内容をお教えいただけますか?

平川アズサ:もともとは映像制作会社として立ち上げました。商品のプロモーションの映像やテレビのCM、アーティストさんのミュージックビデオなどの、映像1本を作る事業です。ただ、昨今は1本の映像から派生し、映像を軸にしたコミュニケーション設計を提案して、そこが高く評価いただけるような事業モデルになってきました。映像を軸にしたイベントプロデュースにも事業領域を広げて、ここ数年は映像とイベントプロデュースの2つの軸でやらせていただいています。

新谷哲:ここからは全く違う質問をいたします。事前に好きなもの、好きなことをお聞きして「株式会社真面目とそこに集うメンバーたち、社会からの期待を超えていくこと、必要とされること」とお答えいただきました。本当に会社や仕事、仲間が大好きだと伝わるお答えですが、趣味などはないのですか?

平川アズサ:趣味はないです。休日も「他のメンバーは何をしているのだろう?」と考えていて、半分病気ですかね(笑)? 事業のことというよりも「メンバーの幸せは何か?」を考えて、彼ら彼女らが涙流しながら爆笑したり、ちょっと辛い思いをしたけどそのイベントを成功させた時に流している涙を見ると「このために仕事をやっている、私の人生で幸せな瞬間はここだ」と思います。もちろん、レモンサワーや焼肉や娘との休日なども好きですが、メンバーとの時間は私にとって本当に好きな事だと思っています。

新谷哲:次に座右の銘もお聞きして「責任と覚悟」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由をお教えください。

平川アズサ:単純に世の中に責任を取らない人、覚悟決めできない人が多いと思うからです。私が責任を取って覚悟を決めて前に進めば、世の中が少しは変わると思っています。私の小さな責任と小さな覚悟でも、世界や人の人生を変えられるのであれば私が担うといつも思っています。実は20代の頃は「責任は人になすりつけるもの、女性の責任は男性が背負うもの」と思っていました。会社を立ち上げてからは、メンバーの人生、メンバーと共に生きる家族の人生を背負うことが快感で仕方ないので、座右の銘としています。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

平川アズサ:成功の秘訣は「陽気にやり続ける」です。経営者である以上、やるしかない場面は多々あります。それをポジティブに超えるか、ネガティブに超えるかなら、陽気に「やるしかないよね!」と豪快に笑い飛ばすしかないと思っていて、それが唯一の成功だと考えています。色々なインタビューで「失敗した経験は?」とか「挫折したことは?」と言われることがありますが、やり続けているとそれが全て成功に繋がります。陽気にやるしかないのマインドで続けること、成功するにはこれに尽きると思っております。

新谷哲:平川アズサ社長、本日はありがとうございました。

平川アズサ:ありがとうございました。

編集後記

今回のインタビューは、株式会社真面目の平川アズサ社長でした。モデル出身、女優出身の経営者で大変美人で、素晴らしい社長様でした。話の内容も「責任と覚悟、陽気、やり続ける、やるしかない」など、社長らしいものばかりで尊敬いたします。私には足りない部分がいっぱいあると、平川アズサ社長のお話を聞いて反省いたしました。皆様もぜひ、責任と覚悟、陽気、やり続けることを実践して、成功社長になっていただければと思います。

平川アズサ氏
株式会社真面目 代表取締役社長

2013年2月、渋谷区東のクリエイティブシェアオフィスで、株式会社真面目が創業されました。当初は美大インターン生1名と共にスタートを切りました。2014年6月には、渋谷区猿楽町にヘッドオフィスを移転し、社員数は5名にまで拡大。2018年2月には、渋谷区神山町にヘッドオフィスを再度移転し、社員数は10名に増加。2024年2月で創業12年目を迎えます。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、平川アズサ氏(株式会社真面目 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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