成功経営者インタビュー

慈眼寺 住職 柴原幸保氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、柴原幸保氏(慈眼寺 住職)です。(2017年11月 1日 2017年11月 8日  配信)

今回は、経営者でもあり住職であり、そして作家でもある、柴原幸保氏にお越しいただきました。柴原幸保氏は780年続くお寺に生まれ、大学卒業後祖父の代から続くお寺に併設された幼稚園に就職。18年ほどの園経営の低迷を乗り越え、人口減少、少子高齢化、競合多数という幼稚園保育園経営にとって厳しい経営環境の秩父市で、5年連続で園児増を実現されました。この経験をもとに、現在は講演活動を開始。同業者にとどまらず、異業種にも広がっています。「成功の秘訣は成功するまでやること」のメッセージに始まり、住職ならではの奥深いお話をたくさんお聞きいただけます。経営者インタビューをぜひお楽しみください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、780年以上続く秩父のお寺の住職であり経営者の柴原幸保氏にお越しいただきました。まずは、ご経歴をご紹介します。秩父に生まれ、大学卒業後、曹洞宗のお寺で3年間修行。その後、秩父幼稚園に就職し、慈眼寺の住職にご就任をされます。保育園が危機だったのを立て直しをされて、今は大成功。入園希望者が定員の2倍にもなる保育園の経営者であり、住職である柴原幸保氏にお越しいただいております。本日はよろしくお願いします。

柴原幸保:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問ですが、埼玉県秩父市ご出身ですが、小学校・中学校時代はどのように過ごされましたか?

柴原幸保:小学校、中学校、非常に引っ込み思案でした。適当に頭は良くて運動もできましたが、自信がない感じですね。小学校の4年生ぐらいまで自分から積極的に何かをするということができず、手を挙げることもできませんでした。プラモデル屋さんなんかに行っても、恥ずかしくて買えなかったことが記憶に残っています。

新谷哲:今の柴原幸保住職からは想像がつきませんね。

柴原幸保:自分自身でも想像つかないです(笑)。小学校5年生ぐらいの時に、ガラッと変わったのです。多分、何かいろんな役目を当てられたことがきっかけで、自分から先頭に立つように変わっていきました。

新谷哲:では中学時代はリーダーシップがあったのですか?

柴原幸保:中学の時は、自分のやりたいことを積極的にやるという感じです。

新谷哲:では今の経営者としての柴原幸保住職に近い感じですね。

柴原幸保:それよりもっとひどかったです(笑)。中学になると他の学校の人達も来るので、「何で私の足引っ張るんだ」と感じ、ちょっとやりにくかったです。でも中学の時もやりたいことをやりました(笑)。

新谷哲:なるほど(笑)。高校時代はどんな感じでしたか?

柴原幸保:高校は、電車で1時間ちょっとかかる進学校でした。各学校のトップの子達が来るので、「こいつら、無茶苦茶頭が良い。すごいやつや面白いやつがいっぱいいる」とショックを受けました。非常に自由な学校で、皆サンダルや私服。入学式が終わって次の日ぐらいに授業が終わって歩いていたら、中庭を先輩がパンを食べながら歩いているのがすごく印象的でした。でもいわゆる自主自立というか、学生の主体で色々とさせてくれる学校だったので、そこでの刺激が私の人生を大きく変えました。

あと、素晴らしい先輩と先生に出会い、組織やチームの中で自分の役割をどうやって果たせば良いか、チームとして強くなるにはどうすれば良いか、を教えてもらいました。そこがある意味、経営者として行っていることの原点でもあります。

新谷哲:では柴原幸保住職が今やっていらっしゃることの原点は、高校時代にあるのですか?

柴原幸保:そうです。高校時代にスポーツをやっていて、非常に厳しく、苦しかったです。あれが耐えられれば何でも耐えられる、と感じました。

新谷哲:スポーツは何をやっていらしたのですか?

柴原幸保:バレーボールです。一応、全国大会に出ました。

新谷哲:すごいですね!その後、大学に進まれたと思うのですが、仏教系の大学ですか?

柴原幸保:駒澤大学の仏教学部です。

新谷哲:なるほど。

柴原幸保:もう仏教に染まっているので、染まらなかったです(笑)。

新谷哲:そうですか(笑)。高校の時から、住職になるのは決まっていたのですか?

柴原幸保:生まれる前から既定路線でしたが、それが嫌でした。いろいろあって大学は入りましたが、1年目の時は4日ぐらいしか大学に行かず、は毎日映画を見ていました。当然、留年し、さらにもう1回ダブって、卒業に6年かかりました。

新谷哲:卒業後は、曹洞宗のお寺に修行に3年間行かれる訳ですが、既定路線に乗ったということですか?

柴原幸保:そうです、腹をくくりました。そんなに長くいる気はありませんでしたが、入ってしまうと一生懸命やりたくなってしまうので、3年いました。身内で不幸があり、家に帰って幼稚園の経営に携わらなくてはならなくなり、修行を切り上げました。

新谷哲:修行のほうは大変でしたか?

柴原幸保:最初は体が慣れないので大変した。修業は上手くできていて、人間はだいたい3か月で慣れるので、3か月ぐらいで場所が変わるのです。また1年目の最初と、2年目の最初と、3年目の最初に立場が変わる。1年目は自分のことだけ、2年目は上と下がいるので中間、3年目になると指導する立場になります。ただ縦社会なので、下の者は上の者の言うことを何でも聞くのです。それが幼稚園の経営では逆に作用しました。

新谷哲:修業が経営に逆に作用というのは、どういう意味でしょうか?

柴原幸保:下の者は上の者の言うことを何でも聞く、という意識がすごく強かったから、職員は私の言うことを全部聞くものだと思っていました。ところが、人間関係ができていないので、聞くわけがない。それで、組織が崩壊します。新人2人と姉1人と、それを残して辞めてしまいます。

新谷哲:それが、経歴にも出ていらした廃園の危機なのですね。

柴原幸保:それじゃありません。もっとあるのです。廃園の危機は、その後です(笑)。

新谷哲:もっとあるのですか(笑)。では、どうやって経営の危機がきたのかを、お教えいただけますか?

柴原幸保:まず幼稚園の経営の捉え方を間違えていました。「幼稚園の経営なんて適当で良い、どうにでもなる」と思っていました。そしたら、最初の年に組織崩壊しました。次の年に、新人がドカッと入ります。でも先輩がいないので、教育ができない。だけどその時のスタッフはすごく力がある人達で、良い雰囲気ができました。また園舎を建て替えたりするので、入園者は増えました。けれど、私は「自分のやりたいことをやる」という思いが強く、勝手に進めてしまいます。それに下の者はついてこられないので、また崩壊していきました。一時期増えてきた園児が毎年また減っていくのです。幼稚園というのは園児を募集しないと経営できません。マーケティングをしない限り人が集まらないのですが、私はどうやってマーケティングをすればいいか分からなかったのです。

そこでいろんな経営者向け講演会とか、異業種の経営講演会とか経営セミナーに出ました。船井幸雄さんの話や、神田さんの本を読んで、だんだんと「こうやって人を集めるのだ」みたいなことが分かりました。しかし組織として実践するには、自分1人の力だけでは駄目です。トップはやる気満々なのだけど、組織が全然できていないので内部が上手く機能しない。歯車が合わなくて、それが負のエネルギーとして外に出るのです。幼稚園の評判がどんどん悪くなり、結果的に人が集まらなくなります。

ずっと「どうして人が来ないのだろう?」と思っていました。何で「保護者はうちの幼稚園を選ばないのだろう?」「一生懸命やっているのに何で分かってくれないのだろう?」と悩みました。だけど、入園者が非常に少ない年に、「今年、入ってくれた人たちは、何で評判の悪い保育園を選んでくれたのだろう?」と視点が変わり、見方が少し変わってきました。

新谷哲:それは、ネガティブ思考がポジティブ思考に変わった、というイメージですか?

柴原幸保:そうですね。私は非常にネガティブな男なのです(笑)。

新谷哲:そうですか(笑)。

柴原幸保:だから放っておくとネガティブになります。その頃の妻や娘は、「周りに寄るのが嫌だった。家の中に唐辛子が飛んでいるようにピリピリしていた」と言っていました。私は、人を責める人で、とってもネガティブなのです。

新谷哲:柴原幸保住職がそんなネガティブというのは、ちょっと想像つかないです。

柴原幸保:だからその頃のことを知っている人と、その後に会った人とでは、私に対する印象が全然違います。

新谷哲:それはネガティブ思考をポジティブ思考に変えるきっかけがあったのですか?

柴原幸保:見方が「何で選んでくれたのだろう?」に変わったこと。あと、いろんな事件というか事故が起こり、組織がどうにもならなくなってしまったことです。

ある園児が、入園した次の日に他の園児の目の下を引っかいてしまって、傷をつくってしまいました。その時の園長は私の母だったのですが、非常にネガティブな攻撃を受けて参ってしまいます。ストレスで本当に体調を崩し、歩くことができなくなってしまいました。70歳を過ぎており、このまま園長をやるのはきつく、今度は妻が園長になりました。その年に園のバスで事故を起こしてしまうのです。

その時が、大きなきっかけです。それまでの経営者としての私の考え方は、ミスを見つけて、それを責めるというもの。しかしこの時は、被害者の方からものすごく責められ、責められた時に返すことが何もできない。その時に、人間は「どんなに責められても何もできない。責めるだけでは何も変わらない」と気づきました。お釈迦様は解けない宿題は出しません。必ず解けるからこの宿題を出しているのだと気づき、だからずっとやり続けるという思いを持てるようになりました。必ず良い結果に結びつくと信じています。

新谷哲:修行された部分と経営の勉強をされた部分が、思考が変わってきたことによって活きてきたのですね?

柴原幸保:そういう感じですね。

新谷哲:その後、立て直しを成功される訳ですが、どういう理由で成功したのですか?

柴原幸保:「保護者が何でうちを選んでくれるのだろう?」と思った時に、アンケートを取りました。私は保育の内容が理由だと思っていたのですが、保護者は「職員」で選んでいました。それまで職員は「自分の駒、私の思う通りに動け」という存在でしたが、「そうか。一番大切なものって職員だった」と変わりました。だから職員をその入園説明会の時に、「秩父幼稚園の魅力は何といっても職員です」というムービーを流すことにしました。そのムービーを、説明会のリハーサルで職員が見て泣いたのです。そこから大きく変わりました。

新谷哲:なるほど。では経営者としての柴原幸保住職のお考えが職員は駒だったのが、職員の皆様方は財産と考え方を変えたということですね。

柴原幸保:そうです。だからそこで職員と私との一体感が生まれ始めました。

新谷哲:経営者の皆様方は、今のお話は勉強になったと思います。柴原幸保住職は本を出版していますが、出版されようと思ったきっかけはなんでしょうか?

柴原幸保:ある人から「本はたくさんのお母さん方にものすごく役に立つ」と言われました。でも私は本の出し方が分からないので「本を出すことを知っている人に習いに行こう」と思いました。

新谷哲:なるほど。それで経営セミナーで勉強されてご参考にされたのですか?

柴原幸保:そうです。WizBizさんもかかわっている、出版界のジャイアンという吉田浩さんと、本田健さんの出版の関わるセミナーに全部出ました。それで出版のスイッチが入りました。

新谷哲: WizBizと本田健さんと吉田浩さんのコラボの経営セミナーに、いっぱい出ていただいてありがとうございます。柴原幸保住職が出した本は、どのような内容ですか?

柴原幸保:最初に出したのは『仏様に教わった毎日をハッピーにする90の方法』です。今お話をした内容です。見開きで読み切るような感じの90のトピックが載っているので、ある人は「毎日2ページだけ読んでいる」とか「ペラッとめくって開いたのだけ読む」とかという、そんなような使い方をしてくれている人もいます。

新谷哲:今、何冊出版されているのですか?

柴原幸保:出した本は、3種類です。あと2017年中にもう1冊出ます。

新谷哲:なるほど。是非、皆様もご購入なさってください(笑)違う質問をさせていただきます。お好きなもの・好きなことをお聞きしたら、好きなことをいっぱいいただきました。その中でやっぱり一番面白かったのは「仕事」。そんなに仕事がお好きなのですか?

柴原幸保:仕事は好きです。特に子ども相手、子どもの中に入ってしまえばそれだけで楽しいです。あとは職員の育成。私は、「人を支援することがやりたい」と気づきました。子どもの成長を支援することと、職員と組織がどんどん育っていくとことが、面白いです。

新谷哲:使命と理念が一致して、人生さえも一致したのですね。座右の銘は「死ぬまで成長 死んでも支援」。これはどういう意味でしょうか?

柴原幸保:私自身の言葉として作りました。本当は「死ぬまで成長 死ぬまで挑戦 死んでも支援」です。でもその挑戦という部分をちょっと抜きました。死ぬまで成長していたい、人間は死ぬまで成長できると思っています。でも「死んでも支援」というのは、実は父が社会福祉法人を立ち上げて、障害を持った方が高齢になってもずっと支える施設を作りました。創業の時は大変だったのですけど、10年経って全部任せています。父は創業者として退きました。それが先日、後を継いでいる事務長から聞いたら「今社員が250人いる」と言うのです。これが「死んでも支援」だなと思っています。組織がちゃんと育ち、大きくなれば、支えられている人もたくさんいる。私が死んだとしてもずっと支援され続けている、そういうようなことを目指したいと思っています。

新谷哲:今のお話はもう全国の経営者の皆様に、真似していただくべきお話です。本当にありがとうございます。

柴原幸保:とんでもないです。

新谷哲:では最後のご質問です。全国の経営者向け、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教えいただけますか?

柴原幸保:経営の成功の秘訣は「成功するまでやる」。どなたかの言葉にもありますが、自分が何でその仕事をやっているかが明確になっていれば、もう成功しない訳がないのです。成功ってきっと自分が生まれてきた使命に気づいて、それを一生やり続けることができることが成功だと思います。「自分が何でその仕事を始めたのか、何でこれをやっているのか、何で引き継いだのか」が自分の腹の底から気がついて、それを頭なく心で理解して、毎日それに少しずつ進んでいるということができると良いと思います。

新谷哲:簡単なようで深いお言葉です。多分、全国の経営者様方も深く頷いていると思います。柴原幸保住職、今日はお忙しい中どうもありがとうございました。

柴原幸保:ありがとうございました。

 

編集後記

柴原幸保住職のお話をお聞きいただき、多くの経営者様の参考になったのではないでしょうか。特に修行され勉強され、マネジメントやマーケティングを勉強され、そして、上手く自分の考え方を変えることでその学びを活かすことができ、成功されました。ある意味、経営者として成功された住職なのではないかなと思います。私も大変勉強になりました。やっぱり結果的にマーケティングとマネジメント、特に人を財産として生かしていくということが、経営者が死んだ後も事業と企業を大きくすると感じ、私自身が柴原幸保住職のお話を肝に銘じました。

柴原 幸保 氏
秩父札所十三番 慈眼寺20世住職
秩父こども園園長理事長

昭和34年9月秩父市の寺院に生まれる。大学卒業後、曹洞宗大本山総持寺で3年間修行。昭和62年に秩父幼稚園に就職後、平成9年に弘道学園理事長、平成10年に慈眼寺住職に就任。平成11年に墓地改修を発表し檀家から大反対に遭うものの、諦めず対話を継続し、平成16年車いす参拝可能な墓地区画整理を実現。その後、廃園の噂が出るほど厳しい状況の幼稚園を、平成18年に同一園舎内に保育園、0歳から2歳のこどもと保護者のための広場を開設し、幼保一体化施設を実現。また、それぞれの職員が自分らしく力を発揮できる、チーム弘道学園を目指し、オリジナル曲やムービーを制作し、方針発表会などを一体化のために取り組む。さらに自己革新と自分との約束を守るため、マラソン完走にチャレンジ。平成21年、東京マラソン完走。この年から園児が増え始め、平成24年度は、保育園入園希望者は定員の2倍が応募に。教職員幸福度を高め、この学園で働けてよかったと心の底から思える学園作りに取り組む。現在は、幼稚園保育園、寺院、中小企業経営者を支援するため未来創造経営研究所を設立し、三宝経営塾を主宰。セミナー、講演、研修会を実施している。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、柴原幸保氏(慈眼寺 住職)の経営者インタビューを取り上げました。

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