成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 三條慶八氏(株式会社Jライフサポート 代表取締役)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、三條慶八氏(株式会社Jライフサポート 代表取締役)です。

幼い頃はあがり症だったという三條慶八氏は、ある時に出会った「何でもいいから日本一になりなさい」という言葉を胸に、学生時代から商売に興味を持つようになります。そして大学入学と同時に父親の会社に入社。阪神淡路大震災後、会社が負った負債140億円を自力再生して完全復活させた経験から、現在は中小企業の事業再生のサポート業を経営されています。自身が倒産の危機という逆境を乗り越えられたからこそ、重みのあるお言葉はすべての経営者様必見です!

新谷哲:今回の経営者インタビューは三條慶八社長です。まずは、経歴をご紹介いたします。株式会社Jライフサポート代表取締役、神戸生まれでいらっしゃいます。負債140億円を背負った会社を自らの力で再生し、完全復活させた経験に基づき、悩める中小企業経営者に真の会社再生法を伝授。何があっても大丈夫をモットーに、経営者の人生の再生を最優先した、経営者とともに戦う、真の会社と家族を守る、経営アドバイザー、経営コンサルタントです。最初のご質問ですが、兵庫県の神戸市ご出身ですか?

三條慶八:はい、そうです。

新谷哲:小学校・中学校時代は、どのように過ごされましたか?

三條慶八:普通だったとは思いますが、小学校の時はテストの答案用紙が真っ白に見えてしまう程のあがり症でした。

新谷哲:そうだったのですね!

三條慶八:今はこんな図々しい顔をしていますが、駄目でビビリの子どもでした(笑)。

新谷哲:今は経営セミナーの講師などをやっていらっしゃいますよね?

三條慶八:はい。人生分からないものですね。

新谷哲:高校時代はどんな感じでしたか?

三條慶八:「大学受験に向けて勉強しなくてはいけない」と思いつつも、心の底から大学受験に向き合おうとはしませんでした。受験勉強の本を読むふりをして、商売や経営の本を読んでいました。

新谷哲:高校時代から商売や経営の本ですか?

三條慶八:そうです。

新谷哲:それはやっぱり経営者であったお父様の影響ですか?

三條慶八:それもありますが、友達でダイエーの息子がおり、よく交流をしていたので、中内功社長とも喋る機会がありました。

新谷哲:ダイエー創業者の中内功社長の息子さんと同級生だったのですか?

三條慶八:そうですね。ちょうど中内功社長が本を出された時期で、本を読んで感動して、お会いした時にサインをしてもらいました。サインには「挑戦」という文字が書いてあり、その時に一言、「何でも良いから日本一になりなさい」と言われたのです。それがずっと頭の中に残っており、高校ぐらいの時に沸々と思っていました。

新谷哲:では今の経営者、経営コンサルタントとしての原形は、高校の時に作られたのですね。

三條慶八:あの時は「将来は経営者になって商売したい」と思いながら、受験勉強の本をしまって、商売や経営の本を読んでいましたね。

新谷哲:大学は立教大学に進まれていますが、選ばれた理由はございますか?

三條慶八:希望校に落ちたことと、商売人や経営者の息子が多いと聞いていたからです。また経営者の親父から「一度は東京を見てこい」と言われたので、「東京はどんなものだろうか?」と思ったことも理由です。

新谷哲:どんなことを大学ではしたのですか?

三條慶八:大学生の楽しみはほとんどしていないです。大学に入る前、経営者の親父は「大学に入ったらいろんな経験をしなさい。いろんなところに行け。世界中を見てこい」と、非常に夢のあることを言っていたのですが、大学に入った瞬間に親父の会社の社員になりました(笑)。別に「社員にしてくれ」と言った覚えはないのですが、仕送りが給料振込になっていました。ちょうどゴールデンウイーク前に経営者の親父から電話がかかってきました。私は、ゴールデンウイークは遊びに行こうと計画とかを立てていたのですが、経営者の親父は「お前いつ帰ってくるんだ?お前、給料もらっているだろう、働け!」と言われまして、泣く泣く帰りました。それ以降も、ちょっとした休みの時は必ず帰って、朝7時ぐらいから夜の1時2時ぐらいまで仕事をしていました。だから全然面白くない。2年生のちょっと過ぎたぐらいに、私だけ遊んでいるような雰囲気に言われたので、「じゃあ神戸から大学に通う」と新幹線通学をすることにしました。ところが、お金がかかるので給料がすぐなくなる。これは嫌だと思いまして、初めは2週間に1回、だんだん1か月に1回、最後には半年に1回しか大学に行かなくなり、ほとんど神戸で仕事をしていました。

新谷哲:卒業はできたのでしょうか?

三條慶八:できました。立教って卒業論文がなくて良いところだったので(笑)。

新谷哲:三條慶八社長の頭が良かったから卒業できたのだと思います(笑)。では、大学時代は高卒の社員さんと変わらない感じだったのですね。

三條慶八:大学を卒業する時に、普通は卒業旅行に行きますよね。私は行けずに、1人寂しく神戸で仕事をしていました。

新谷哲:お仕事は不動産事業とお聞きしましたが、不動産賃貸業やリース業ですか?

三條慶八:不動産賃貸業と飲食事業をやっていました。

新谷哲:三條慶八社長はどのような役回りだったのですか?

三條慶八:全てやらされました。飲食だったらレジから調理補助、ウエイター、在庫管理、店の運営・経営。事務所では総務・庶務とか、経理、それこそ資金繰りも行いました。経営者だった親父のことは「大学生に借入をさせるとんでもない親父」だと思っていますね。

新谷哲:その時の経験が、現在の事業経営に活きている気がします(笑)。卒業後はお父様が経営する会社に入社したのですか?

三條慶八:大学卒業後、「ほかの会社に就職したい」と経営者の親父にお願いしました。そしたら「何を考えているんだ。お前なんか誰も雇ってくれないから、こっちにこい」と言われ、「俺は大学卒業してこんな会社にいたくない。他の会社に就職させてくれ」と言ったら大喧嘩になり、えらい目に遭いました(笑)。

新谷哲:喧嘩されてどうなったのですか?

三條慶八:母親に泣きながら「お父さんに謝りなさい。育ててもらったんだからちゃんとお父さんの言う通り、帰って来て仕事をしなさい」と言われ、泣く泣く社員継続となりました。

新谷哲:そうですか。でもお父様の経営する会社にそのまま入り、順調に事業を伸ばされています。それは三條慶八社長のおかげだと思うのですが、いかがですか?

三條慶八:いや、そんなことないですよ。

新谷哲:地域No.1企業になったのですよね?

三條慶八:「飲食はだんだん駄目になる」と思っていたので、テナント事業をどんどん増やしていきました。昔は1つの店を出すにも、保証金や内装代などで結構お金がかかったので、リース業をいたしました。リース店舗ビルを事業家・経営者に貸して、リースのためのビルをどんどん建てたので、テナントの数が増えて、地域でシェアが高くなったということです。

新谷哲:リース業を経営することは、当時は先駆け的な感じですよね?

三條慶八:飲食業を経営していた時にも、似たようなことをしていました。古い社員に店を持たせて内装をして、会社を創って経営者にして運営を任せて、家賃プラスアルファを貰う。その延長線上でリース業を経営しようと考えたのです。

新谷哲:その後、阪神淡路大震災が起こって、バブル崩壊という流れになってくるのだと思いますが、阪神淡路大震災の時はどちらにいましたか?

三條慶八:朝5時半ぐらいですから、家にいました。

新谷哲:ご自宅に被害は出たのですか?

三條慶八:マンションの低層に住んでいました。下からのすごい揺れがあって、商売上いろいろトラブルもありましたので、「トラックが突っ込んできたのか!」と初めは錯覚しました。

新谷哲:マンションはご無事だったのですか?

三條慶八:大丈夫でした。

新谷哲:所有、経営していたリース物件の被害はいかがでしたか?

三條慶八:貸しビルが1つは、完全に潰れてしまいました。あとは全部半壊状況になりました。

新谷哲:どのぐらい損害が出たのですか?

三條慶八:トータルでいくと、40億円以上だと思いますね。自社の資金でテナントの改修工事を一斉にやり、完全復活するまで家賃は貰わない大盤振る舞いをしました。後でツケが回ってきて、非常に痛い目に遭います。

新谷哲:当時は阪神淡路大震災の後、テナントさんのために家賃をもらわないとか、すごいことをされたのですね。

三條慶八:シェアが高かったうちが厳しくすると他社はもっと厳しくするので、一番緩い形にしました。

新谷哲:その後、倒産の危機を迎えることになりますが、危機に至った理由は地震ですか?

三條慶八:地震と、バブル崩壊で金融機関が潰れていったことです。山一証券や北海道拓殖銀行が潰れ、うちのメイン銀行も潰れて、取引銀行もどんどん潰れていきました。銀行が潰れていれば、取引している企業のことは考えられなくなるので「これはやばい」と思って東京の再生会社にお願いしましたが、そこが銀行と喧嘩しました。法的処理を銀行が打ったことがきっかけで、倒産の危機に追い込まれます。

新谷哲:借金が140億円になられたとお聞きしましたが、どうやって返済し、復活させたのですか?

三條慶八:その頃というのは今と違って、企業の再生ということに対し金融機関は後ろ向きの時代でした。今はリスケという方法がメジャーで簡単にできるようになっています。しかし当時は、銀行員によってはリスケなどの方法が通じないことがあり、リスケをするのに約半年かかりました。今だったら違うやり方をしたと思いますが、リスケをするために何度も銀行に足を運ぶ時代でしたので大変でした。リスケ以外にも、銀行がサービサーに債権を売って、そのサービサーから買い戻して処理をする方法も取りました。これは銀行も非常に協力的で「こういうふうにしたら良いよ」とアドバイスをいただきました。銀行との間に信頼関係がありましたので、色々とご協力いただき、その中で上手くいったので、140億円を1円単位で全部返していった訳ではないです。

新谷哲:それは、三條慶八社長のお人柄が銀行を動かしたのですね。

三條慶八:今となっては「銀行に対してどう信頼を築いくかが大切だ」と思います。

新谷哲:その経験を活かし、現在は、事業再生を支える事業を経営し、コンサルタントやアドバイザーをされていますが、これを事業にして経営しようと思ったきっかけはございますか?

三條慶八:倒産の危機を迎えた時、非常に悔しい思いをしました。大企業がよくおかしくなった時は、金融機関は何千億円もの債務カットし、大企業の社長が記者会見をして「すみませんでした」と言って再出発をすることがあります。そういうのを見て「中小企業はそんなことは絶対できない。個人保証しているし、経営者はケツの毛まで抜かれて全て失う。これはおかしい」、「中小企業にとって不条理な制度が色々あるので、それを改正したい」と思います。今の中小企業制度は、商売をして一度失敗をすると、なかなか浮上できません。簡単に今は金融機関や役所は、そういう経営者に対して「じゃあ自己破産したら良いではないですか?」と言うけど、自己破産するともっとマイナスなことがありまして、10年間、島流しみたいな状態になります。自己破産をすると、才能のある中小企業経営者が這い上がれません。私は「これはおかしい。一度失敗しても再チャレンジできる社会を作るのが正しいやり方だ」と思い、「失敗した経営者が再チャレンジできる社会になるように働きかけができたらいい」と考えたことが、現在の会社を設立した一番の目的です。

新谷哲:私も「チャレンジ社会を作るのだ」と思い起業し、経営者となっているので、非常に共感します。

三條慶八:ありがとうございます。

新谷哲:不動産事業は、今は手放され経営をしていないのですか?

三條慶八:会社を再生した後、母親はがんで亡くなり、親父が心臓病で倒れました。親父は前にも心臓で倒れたことがあり、後継経営者がいなかったので、将来的には会社を売ろうと思っていたので、一部を残して売り、残した事業は兄貴が経営しています。私は継がないで東京へ出てきて新たなチャレンジをしようと思い、今の会社で経営者をやっています。

新谷哲:別の質問をさせていただきます。好きなもの・好きなことで、「食・美味しいもの・趣味が基本的にないので仕事?」とお答えいただきましたが、趣味はないのですか?

三條慶八:不器用で、あれもこれもできないタイプです。友人の経営者仲間には、いろんな趣味を持たれて、博学な方がいっぱいいますが、私は駄目です。

新谷哲:事実上、趣味は仕事ですか?

三條慶八:仕事をしている方が休まるタイプなのです(笑)。

新谷哲:本物の経営者ですね(笑)。座右の銘が「めげない・諦めない・くじけない」。三條慶八社長らしい座右の銘ですが、選ばれた理由ございますか?

三條慶八:自分の会社を再生したこと、人生嫌なことがいっぱいありましたが、「諦めたら駄目だ、くじけても駄目だ、めげても駄目だ」とずっと自分で言い聞かせ、自分を奮い立たせて頑張ってきました。それを基本に人生を歩んできたので、選びました。

新谷哲:最後のご質問になります。全国の経営者向け、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教え下さい。

三條慶八:私が思う一番大切なことは「お客さんの目線で自分の会社なり商品なりをどうやって入れるか」、「失敗した時のリスクをどう考えてやっていくか」です。色々な経営者から相談を受けますが、成功する姿しか描いていない経営者がたくさんおります。私は商売や経営は失敗する方が多いと思うので、失敗したときのリスクを考えることが、経営者として成功する秘訣だと思っています。

新谷哲:お客様目線とリスクを考えることですね。私も成功ばかり考えているタイプの経営者なので、リスクを考えようと思います。三條慶八社長、本日はどうもありがとうございました。

三條慶八:ありがとうございました。

編集後記

三條慶八社長のお話を聞いて、経営者、事業再生コンサルタントとして優秀で、いろんな経験をされて素晴らしいと思いました。また、高校生の時にダイエー創業者の中内功さんとお会いになったのがきっかけで経営者を目指された、というお話は、「出会いはすごく重要だ」とも感じました。経営者として成功する秘訣では「リスクを考えて経営すること」と仰っておられ、私も「もうちょっとリスクについて考えた方が良い」と反省をしております。

三條 慶八 氏
株式会社Jライフサポート 代表取締役

立教大学経済学部経済学科卒業。大学入学と同時に父親の会社に入社し、新幹線通学しながら大学に通う。阪神淡路大震災で40億以上の損害を受けた負債140億の会社を自力再生して完全復活させる。その後、東北の大震災を契機に本格的に中小企業経営者のサポート事業を本格化させる。中小企業経営者の再チャレンジ社会の構築を目指し奮闘中。著書に『会社と家族を守って借金を返す法』(フォレスト出版)『あなたの会社のお金の残し方、回し方』(フォレスト出版)『借金回収リーマン日記』(徳間書店)

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、三條慶八氏(株式会社Jライフサポート 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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