成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 吉田直人氏(株式会社イオレ 代表取締役社長)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、吉田直人氏(株式会社イオレ 代表取締役社長)です。

今回は、PC・スマートフォン向け各種サービスの事業を経営する、株式会社イオレの代表取締役社長の、吉田直人氏にお越しいただきました。吉田直人社長は、1995年に咽頭がんの発覚、1997年に倒産そして自己破産という経験をされています。これらの苦難を乗り越えて、2001年に株式会社イオレを創業、2017年12月に東証マザーズに上場を果たしました。これらの経験を踏まえて、今、経営者の皆さんに伝えたいことは、「明けない夜はない」という言葉。大なり小なり、迷い悩みながら進んでいる吉田直人社長のお話は、経営者の皆様の大きな勇気となります。ぜひ、経営者インタビューをお聞きください!

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社イオレ代表取締役社長の吉田直人社長です。まずは経歴をご紹介させていただきます。北海道函館市生まれ。立教大学を卒業後、広告代理店に入社。2年後に広告代理店編集プロダクションを創業し経営者となります。その後、優良職業紹介所とゲーム会社を創業しますが、1995年に咽頭がんを発症。1997年にゲームの会社が倒産し、自己破産なさいます。その後、現在の株式会社ザッパラスを創業し、株式会社イオレを創業され、そして2017年12月にマザーズに上場されました。いろんな経験もされている私の尊敬する経営者の1人でございます。吉田直人社長、よろしくお願いいたします。

吉田直人:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問になりますが、函館ご出身ということで、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

吉田直人:普通の子でした。スポーツができる訳でも、勉強ができる訳でも、絵が得意な訳でもなかったです。

新谷哲:高校も函館に進まれましたか?

吉田直人:函館ラサール高校というところですね。

新谷哲:では、頭は大変良かったのですね。

吉田直人:どうなのでしょうね?高校時代の成績は後ろから2番目とかでしたから、劣等生と言ったほうが良いいかもしれません。

新谷哲:でも函館ラサールへ入られていますので、中学時代は勉強ができたのではないですか?

吉田直人:中学時代の成績は、真ん中ぐらいだったので、普通でした。

新谷哲:函館ラサールを選んだ理由というのは、何かあったのですか?

吉田直人:特にありません。うちの中学校から函館ラサールへ行くメンバーが多かったので、「僕もとりあえず受けよう」と受けたら「受かっちゃった」という感じです(笑)。

新谷哲:なるほど(笑)。すごく活躍されている経営者ですので、「小学校・中学校から普通とは違うのかな?」と思っていました。高校卒業後、立教大学にお進みになっていますが、選ばれた理由はございますか?

吉田直人:「どうしても立教に行きたかった」という理由はないです。流れで何校か受けた中の1つが立教だった、という理由です。若い頃の僕は、本当に普通の子でした。

新谷哲:では、起業をして経営者になろう、と目指されたのはいつ頃ですか?

吉田直人:「起業して経営者に」という部分に関しては、実家が事業を経営していました。子どもの頃から「家を継いで経営者になるんだよ」と両親や祖母、祖父に言われていたので、「函館の実家の商売を継いで、経営者になるのだろう」と漠然した将来のイメージがありました。

新谷哲:立教大学時代は、どのようにお過ごしになりましたか?

吉田直人:大学時代で、実家の経営が傾きました。それまでは、「地方のちょっと裕福な家の子、あまり努力をしない子」という感じでしたが、経営が傾いたので仕送りとかが来なくなります。授業料は大学に奨学金のお願いをし、生活費を稼ぐためにアルバイトしました。大学1年生の夏過ぎから「大学生なのか、フリーターなのか、よく分からない」という状況に陥ってしまいます。

新谷哲:では大学時代は、バイトばかりの生活でしたか?

吉田直人:バイトばかりの生活です。どんなバイトをして良いのかも分からず、家庭教師、塾の先生、飲食店、老舗のホテルの客室係など、色々なバイトをやりました。

新谷哲:では、大学時代は苦労をされたのですね。

吉田直人:全く想定していませんでした(笑)。平々凡々と暮らしていた、地方のお坊ちゃんが東京に出てきて、急に苦学生になってしまうという感じです。本当に人生はよく分からないです。

新谷哲:なるほど(笑)。大学卒業後、広告代理店に就職されていますが、選ばれた理由は何でしょうか?

吉田直人:大学3年生ぐらいの時に、世の中で「大学生ブーム」が起こりました。大学生を使ったマーケティングの仕事が、至るところで花盛りになるのです。その時に、友達がバンドでデビューしました。自分の友達でもありましたので、彼らに売れてほしいと「レコード会社さんのお手伝い、プロモーションのお手伝い」をします。それが非常に楽しくて、商売に繋がったものですから、「イベントの仕事ができる会社に就職したい」と思ったので、広告代理店に就職しました。

新谷哲:広告代理店は2年ぐらいでお辞めになっていますが、勉強になったのですか?

吉田直人:新卒の会社説明会やOB訪問の時に質問したところ、「イベントをやるんだったらセールスプロモーションだ」とお答えいただきました。そのため、頭の中に「セールスプロモーション」という言葉が頭に残ります。結果的にセールスプロモーションの事業を専門に経営する会社に入社しますが、僕の考えていたセールスプロモーションとは違ったのです。メーカーさんのプレミアムグッズや、おまけを使ったスーパーマーケットでのイベントなど、同じイベントでもバンドで経験したものとは雲泥の差でした。それで悩んでしまい、会社を辞めました。

新谷哲:会社を辞めて、すぐに起業して経営者となったのですか?

吉田直人:経営者というよりも、フリーで仕事を始めた感じです。フリーで仕事を始めて、1年ぐらい経ってから起業し経営者となります。

新谷哲:起業経営者になるとき、「怖さ」とかは感じなかったのですか?

吉田直人:今の若い子が起業して経営者になるとき、理念・理想が高く、色々なことを考えて経営者になることが多いと思いますが、僕が経営者になったのはバブルの頃でした。志とか理念・理想はなく、アルバイトの延長線上で経営者になったのです。バブルだったので、世の中に仕事がいっぱいあって、至るところから仕事が降って湧いて出る時代背景でした。ですので、怖さとかはなく、「いただいた仕事を一生懸命こなすことを連続して行う日々」という感じですね。

新谷哲:広告代理店の事業は、何年されたのですか?

吉田直人:最初は広告代理店と申しますか、編集の仕事から事業経営を始めました。大手の出版社からの仕事が多く、「若者はこんなことを考えている、あんなことが面白いと思っている」という、自分の目線で捉えられる企画を提案させていただき、編集の方と一緒にページを作っていく仕事です。

新谷哲:その事業経営は、何年されたのですか?

吉田直人: 3年~4年ぐらい経営していたと思います。

新谷哲:その後、1991年にシオンコーポレーションという会社を起業されていますが、職業紹介所の事業を経営する会社ですか?

吉田直人:職業紹介というよりも、請負とかの派遣業に近い事業でした。その会社は知り合いの経営する会社と合併しまして、一度マザーズに上場をしています。株式会社セレブリックスという名前で、博報堂プロダクツさんの100%子会社として存続しています。

新谷哲:その会社は「編集の事業経営を続けながら、別の会社を創業しよう」と思い、事業経営を開始したのですか?

吉田直人:当時は、人材が流動化していく時代でしたので、数多くの請負業や派遣業の事業を経営する会社が出てきました。その中で、「僕らも新たなチャレンジをしようと、見よう見まねで経営をはじめたところ、上手くいってしまいました。

新谷哲:それは編集プロダクションの会社も経営しながら、派遣の会社も経営する、ということですか?

吉田直人:新規事業の一環として立ち上げたので、両方の事業を経営しました。

新谷哲:ゲーム事業を経営する会社も、同じ年に創業ですか?

吉田直人:派遣業の会社から、ちょっと経ってからです。ただ、ゲーム事業を経営する会社の立ち上げに関しては、半年間ぐらい悩みました。先程言った通り理念・理想もない形で、流れの中で企業経営者となりました。ある時「自分が本当に経営したい事業は何か」を考え、悩み、立ち止まってしまいます。半年間ぐらい考え出た結論が「ゲームが好きだから、ゲームを作ろう」でした。急に会社を創業しましたので、無茶な立ち上げだったと思います。

新谷哲:その後、1995年にがんを発症されたということをお聞きしているのですが、今は完治しているのですか?

吉田直人:20数年経っていますので、がんに関しては完治していると思います。しかし他の場所でがんが出る可能性がありますから、年に2回、しつこく検診しています。

新谷哲: 1995年にがんが見つかった時は、どんなお気持ちでしたか?

吉田直人:「がんが見つかった」と告知はなされなかったです。最初は「声帯にポリープができているので、これは切らなきゃ駄目だね」という話でした。手術は無事終わり、4日~5日後に退院する時、「実は放射線を来週からやるから」と言われました。「うん?ポリープなのに放射線?それはポリープじゃなくて、まずい病気じゃないの?」と思いながら「先生、それは何かまずい病気でしょうか?」と聞いたのですが、がんだと告知されませんでした。そこから放射線治療が始まって、だんだんとヒドくなるので、母親にかまをかけました。すると「発見が早かったので大丈夫」と言うので、そこで初めて「がん」だったと認識しました。

新谷哲:その当時は、3社の経営をしていたのですか?

吉田直人:ゲーム事業が会社メインでしたが、3社とも経営を続けていました。ゲームの会社は、20億円ぐらいの規模で、200人~300人ぐらいに急成長していた時期だったので、本当に青天の霹靂でした。

新谷哲:がんだと分かった後、会社経営についてどのように考えたのですか?

吉田直人:がんになって、考えました。実は僕ががんになる前年に、僕の友達がリンパ腫で亡くなっているのです。それを見ていたので、「人生は非常に儚いな」という気持ちもあって、「このまま死ぬのかな?」という気持ちのほうが強くなり、焦ってしまいます。死ぬのであれば「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」とか、そういうすごい作品を残して、世に名前を残して死のう、と思いました。

新谷哲:その思いは、ヒットに繋がったのですか?

吉田直人:実は作品を作っている最中に、会社がなくなってしまうのです。銀行からの借り入れも結構していましたので、「がんで作品を残して死ぬから、みんな手伝ってくれ」と言えないじゃないですか。もし言ったら、みんなが死ぬ気で手伝ってくれたかもしれないのですが、当時は言えませんでした。85kgの体重だったのが60kgになり、狂ったように仕事をしましたが、理由を知らない社員から「狂った」と言われました。ずっと苦楽をともにしてきたメンバーには、「大作を残して死にたいから」と言えば、会社が倒産する結果にはならなかったかも、と今でも思います。

新谷哲:ゲーム事業で経営していた会社が倒産される訳ですが、他の2社はどうなったのですか?

吉田直人:編集プロダクション事業で経営していた会社は、その段階で閉じています。人材派遣業で経営していたシオンコーポレーションは手放して、それが結果的にマザーズに上場しています。私自身は、自己破産という流れになりました。

新谷哲:自己破産は、銀行借入の個人保証でしたか?

吉田直人:そうですね。20数億円を個人保証していました。

新谷哲:自己破産する前に、その後のことは、お考えになられたのですか?

吉田直人:当然ですが、自己破産の経験がある方は少ないと思います。僕も周りを探しても、自己破産をした経験のある方はおらず、「自己破産したらどうなるのだろう?」と、半分パニック、半分開き直るしかない、という中で時間が過ぎていきました。破産期間である半年間は、ダメージが大きいので立ち直れず、アルコール漬けの生活を送るような状況に陥りました。徐々に「こんなことやっていてもしょうがない」と、少しずつですが、普通の感覚を取り戻していきます。

新谷哲:自己破産から立ち直ったきっかけなどはございますか?

吉田直人:破産期間の半年間が、大きかったと思います。最初は、銀行のことを恨んだりとか、自暴自棄になったりとかしましたが、徐々に「元いた場所に戻りたい」という気持ちが大きくなりました。一旦免責を受けますと、個人保証している分も含めてゼロに戻ります。ゼロベースからまた経営をスタートできる環境をいただけたので、新しい事業を経営する環境はあります。その時に感じたのは「周りの友達」についてでした。自己破産することで離れていった友達は多かったのですが、自己破産したことで友達が増えてしまいました。これまで経営の仕事ばっかりやっていたので、人付き合いをしない人間だったと思います。でも自己破産をして、毎日楽しく飲むしかないダメ人間になるのです。そうしたら、飲んでいるうちに友達が増え、気がついたらすごい数の友達に囲まれていました。また昔からの友達も新しい友達も「もう1回頑張りなよ」と応援してくれるのです。そういう意味では、友達に恵まれたような気がします。

新谷哲:吉田直人社長のお人柄が素晴らしいので、友達が多くなったのだと思います。

吉田直人:死ぬほど飲んだのが良かったのかもしれませんね(笑)。

新谷哲:自己破産後は、どのような仕事を始めようと思ったのですか?

吉田直人:「リラクゼーション系のビジネスを経営しよう」と思いました。本当は、インターネットや、ゲーム、エンターテイメントの世界に戻りたかったですが、自信が回復していませんでした。リラクゼーション系のビジネスを経営しようと思った理由は、毎日深酒をする生活を送っていた時、マッサージで癒される経験を何度もしました。そこで、「どん底の人間を癒すことができるなんて、すごいビジネスモデルだな」と感じ、日本で初めてのタイ古式マッサージの店を作るのです。

新谷哲:これまでとは、全く違う分野の事業ですね。

吉田直人:そうなのです。そろそろご理解いただけたかもしれませんが、これまでの延長線上で事業経営をしないのです。しかし僕の中では、これまで経験していたことと繋がりがあるのです。タイ古式マッサージの事業経営も、これまで事業を経営し、自己破産し、深酒をして癒された、という繋がりがあります。タイ古式マッサージの事業経営を選んだ理由は、当時の日本になかったので、「面白い事業経営が可能ではないか」と思い選びました。日本初のタイ古式マッサージなので、雑誌やテレビで取材していただき、気がつくと4か月とか5か月先まで予約が埋まる、繁盛店になりました。

新谷哲:吉田直人社長は経営のセンスがあるから、新しい事業経営を成功されるのだと感じます。株式会社サイバービズ(現・株式会社ザッパラス)を共同で創業されていますが、これもタイ古式マッサージの事業経営と、並行して経営したのですか?

吉田直人:そうです。タイ古式マッサージの経営は上手くいきましたが、「インターネットやコンピューターの分野が戻るべき場所」という気持ちを持っていました。当時、iモードがスタートする直前ぐらいだったので、「インターネットのマーケットが多分すごい拡大するだろう」と思っていました。今は、インターネットで100円、200円を課金することは当然という感覚がありますが、当時は「インターネットで100円、200円をどう課金するのだ?」と、壁がある状態でした。それを電話代と一緒に決済する、という画期的な仕組みができると聞いたので「インターネット事業の経営をするしかない」と決断しました。

新谷哲:共同で起業して経営をした1年後、現在の株式会社イオレを起業されていますが、起業し経営をしようと思ったきっかけは何でしょうか?

吉田直人:サイバービズの経営は順調でしたが、僕の中に1つのこだわりがありました。「自己破産をして免責を受け、事業経営を再開しているが、お金儲けをする事業経営だけで良いのか?世の中に貢献できるようなビジネスモデルの事業経営をして、上場させてみたい」という、欲張りな感覚がありました。当時、2002年の日韓ワールドカップに向けて、サッカーにお金が流れ込んでいました。しかし、様々なスポーツが衰退する時代でもあったので、「スポーツを応援するようなビジネスモデルを立ち上げれば、社会貢献できる」を考えたのです。iモード等を使うと小口で課金ができるので、クラウドファンディングの先駆けのようなビジネスモデルを考え、イオレを立ち上げました。株式会社ザッパラスは、1年で大きくなっていたので、「僕なりの責任は果たせたかな」と思っていました。

新谷哲:もしかして、株式会社イオレの「らくらく連絡網」みたいな事業は、最初は株式会社サイバービズでやっていたのですか?

吉田直人:いえいえ、サイバービズを出てからです。イオレはもともと、スポーツを支援する会社として経営をスタートしました。当時はサッカーが非常に盛り上がっていたので、「サッカーのビジネスモデルで収益を上げ、そこからアイスホッケーのように困っているスポーツ団体を支援する、そんな横の展開ができる仕組みにしたい」と思い経営をしていました。しかし上手くいかず、サッカー新聞の会社になっていました。

新谷哲:それは、サッカーのウェブマガジンの事業を経営していた、というイメージでしょうか?

吉田直人:そうですね。

新谷哲:コンテンツ配信で課金をする、というビジネスモデルで経営していたのですか?

吉田直人:そうです。最初はドネーションやクラウドファンディングという形で経営をしたかったのですが、ご理解いただけなかったです。

新谷哲:イオレの経営をしていた時、タイ古式マッサージの経営はまだやっていたのですか?

吉田直人: 1店舗だけですが、経営をしていました。

新谷哲:コンテンツ配信の事業経営から、「らくらく連絡網」の事業経営を始めるきっかけはあるのですか?

吉田直人:サッカー新聞の記事のため、いろんな小学校や高校に取材をしていました。ある時、小学校のサッカー部の先生から「雨が降った時にグラウンドから体育館に練習場が変わるのだけど、電話の連絡網だと遅くて、グラウンドで待っている子がいるので、何とかできないかな?」と相談をいただいたことがきっかけです。その時は、メーリングリスト的なものを作りました。

新谷哲:「らくらく連絡網」の事業経営で、上場されるのですよね?

吉田直人:そうですが、「らくらく連絡網」事業の経営は一筋縄ではいきませんでした。会員は増えるのですが、連絡網という特性上、理由頻度が低いサービスだったのです。「らくらく連絡網」に広告を掲載して収益を上げるビジネスモデルを考えていたのですが、広告の掲載スペースが少なくて、マネタイズの観点からはすごく苦労し、会社経営も迷走をしていました。

新谷哲:それをどうやって突破されたのですか?

吉田直人:「らくらく連絡網」は、大学生の方が多く使っているサービスでした。そこで大学生向けのアルバイトサイトをまず立ち上げます。非常にニッチな事業ですが、利用している大学生は弊社の会員でしたので、リスクが低い形で新規事業に参入できました。そのメディアで、事業の経営が成立しました。

新谷哲:イオレ様は、現在もアルバイト事業の経営をしているのですか?

吉田直人:現在は、「アルバイトは大学生ではなくて他の方も利用するするだろう」ということで、「らくらくアルバイト」というアグリゲートサイトを作りました。こちらも「らくらく連絡網」のユーザーを送客するビジネスモデルで、経営は順調です。

新谷哲:もしよろしければ、イオレ様はどのような事業をメインに、経営をしているかお教えいただけますか?

吉田直人:主力の事業になりつつあるのは、「ピンポイント」というアドテクノロジーの分野です。「らくらく連絡網」は広告を載せるスペースが少ない、とお話いたしましたが、それを補うようなビジネスモデルで、成長しつつあります。例えば、新卒採用の広告の依頼をいただいたとします。弊社は会員様からプロフィール情報をいただいていますので、「大学何年生か、どの地域に住んでいるか」などが分かります。そうしたデータを元に、「らくらく連絡網」の中に採用の広告を出す、そんな事業を経営しています。

新谷哲:イオレ様は2017年12月に上場していますが、経営者として苦労されたことはございますか?

吉田直人:上場企業になるにあたって、未上場なら考えなくても良かった「ガバナンス、コンプライアンス、情報公開」などの問題が生じます。そこに慣れることが、経営者である僕だけでなく、社員全員が苦労したと思います。

新谷哲:そうでしたか。ところで、座右の銘をお聞きしたところ、「明けない夜はない」とお聞きしました。なぜこちらを選ばれたのでしょうか?

吉田直人:経営者をしていると、しんどい時期ってありますからね。右肩上がりで成長する経営者はいないので、ピンチの時、辛い時にどう思うかが、次に繋がるような気がしますね。

新谷哲:最後の質問になりますが、全国の経営者、これから起業をする方に向けて経営者として成功する秘訣・方法をお教え下さい。

吉田直人:僕はまだマザーズに上場したばかりでもありますので、「自分はまだまだこれからだ」と思っていますが、経営者として成功する秘訣・方法は、「諦めずにコツコツ頑張り続けること」だと思います。月並みになりますが、本当に諦めずにやり続けるしかないと思います。

新谷哲:吉田直人社長のお言葉は大変重く、私も「反省しなきゃ、努力しなきゃ」と強く思いました。吉田直人社長、本日はありがとうございました。

吉田直人:ありがとうございました。

編集後記

本日の経営者インタビューは、マザーズ上場企業イオレの経営者である吉田直人社長でした。がんになられ、自己破産されても、諦めずにいろんな事業を次々と立ち上げ経営をする姿は本当にすごいです。関わった企業も上場しており、大変素晴らしい経営者です。もし私が、自己破産したり、がんになっても、諦めずに突き進んでいきたいと思います。

吉田直人氏
株式会社イオレ 代表取締役社長

株式会社ホワイトT&R、株式会社シオンコーポレーション(現・株式会社セレブリックス)、グラムス株式会社、株式会社サイバービズ(現・株式会社ザッパラス)など数々の会社を創業。2001年4月株式会社イオレを設立し代表取締役社長就任。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、吉田直人氏(株式会社イオレ 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

『社長の孤独力』抜粋版(PDF29ページ)
無料プレゼント中!

『社長の孤独力』(新谷哲/著) の【抜粋版】を無料プレゼントしております!

71の課題の中から「資金・人材・売上・採用・後継者」の5つを抜粋いたしました。銀行からお金が借りれない社員がすぐに辞めてしまう売上を伸ばしたい、など、具体的なお悩みの解決策が掴めます。ぜひご覧ください。

無料プレゼントの詳細はこちら