成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 株式会社エヌエフエー 代表取締役 大崎玄長氏

経営者インタビュー 大崎玄長氏(株式会社エヌエフエー 代表取締役)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、大崎玄長氏(株式会社エヌエフエー 代表取締役)です。(2019年1月23日 2019年1月30日 配信)

今回は、大田区を中心とした地域密着型の人材派遣会社を経営する、株式会社エヌエフエー代表取締役の大崎玄長社長にお越しいただきました。大阪府生まれ、高校時代までは本やパソコンに熱中する大人しい性格だったそうです。中央大学法学部卒業後、株式会社日本エル・シー・エーにご入社。経営コンサルタントとして社会人生活をスタートされました。数々のコンサルティング現場での経験からライフワークとして地域産業振興と雇用の拡大を志し、2006年に株式会社エヌエフエーを起業し経営者となりました。4回もの倒産危機を経験しながらも、仕事をしている時間が一番楽しい、と朗らかにおっしゃる熱心な経営者です。「本気でやればできないことはない!」という力のこもったお言葉に背中を押される方も多いのではないでしょうか。ぜひ、大崎玄長社長の経営者インタビューをお聞きください。著書には『やりたいことを仕事にするなら、派遣社員をやりなさい!』がございます。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社エヌエフエーの大崎玄長社長です。まずは経歴をご紹介します。大阪府生まれ、中央大学卒業後、経営コンサルティング会社に入社。その後、2006年に株式会社エヌエフエーを起業し経営者となられます。派遣事業を基軸に、自社研修センターの運営や派遣先の労務経営の相談なども手掛けています。弊社WizBizで開催する出版勉強会から本も出版され、社会保険労務士の資格も持っていらっしゃる経営者です。大崎玄長社長、本日はよろしくお願いいたします。

大崎玄長:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身は大阪府とのことですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

大崎玄長:それがあんまり記憶にないのですが、歴史の本を読んでいたとか、パソコンゲームしていたと思います。

新谷哲:大崎玄長社長は静かなお子様だったのですね。高校は、大阪の高校に進まれたようですが、どのようにお過ごしになりましたか?

大崎玄長:高校1年生の前半まで剣道部にいて、あとは何もせず、本を読んだり、パソコンゲームをしていました。

新谷哲:いわゆる帰宅部みたいな感じでいらっしゃいますか?

大崎玄長:そうですね。

新谷哲:経営者インタビューにご出演された経営者の中では、珍しいかもしれませんね。高校卒業後、東京の中央大学に進まれていますが、選ばれた理由はございますか?

大崎玄長:東京の大学に行きたいなと思い、偏差値の高い順に受けて中央大学の法学部に受かりました。

新谷哲:法学部ですと、通常は弁護士を目指されると思うのですが、弁護士になろうとは考えたのですか?

大崎玄長:「法学部に入ったからには、弁護士になろう」と思った時期もありましたが、弁護士希望者向け特別講座を聞いて「自分に弁護士は合わない」と思い諦めました。

新谷哲:では、大学時代はどのようにお過ごしになりましたか?

大崎玄長:高校の後半ぐらいから自治会活動とかに絡むようになっていたので、大学も高校時代の延長で、文化連盟活動や大学祭運営活動を行いました。

新谷哲:高校時代の後半から、大崎玄長社長は変わったのですか?

大崎玄長:そうです。

新谷哲:変わった理由、きっかけはございますか?

大崎玄長:きっかけは友達から「一緒に自治活動をやらないか?」と誘われたことです。やってみたら楽しかったので、その延長で大学でも続けました。

新谷哲:大学卒業後、日本エル・シー・エーにご就職をされますが、選ばれた理由はございますか?

大崎玄長:たまたま、選びました。大学4年生の時、周りと一緒に就職活動をしましたが、入りたい企業はなかったです。ただ、インターネットでの就職活動がない時代に、なぜか日本エル・シー・エーから「あなただけに出しました」という会社案内と手書きの手紙が届いたのです。それに釣られて説明会に行ったら、説明会で「この会社は面白い」と思って入社しました。

新谷哲:では経営コンサルタントになりたいと思っていたわけではないのですね?

大崎玄長:なかったですね。大学4年生まで、経営コンサルタントという職業があるということも知らなかったです。

新谷哲:日本エル・シー・エー時代はどんな仕事をされていたのですか?

大崎玄長:下っ端の仕事です。大学卒業して、経営コンサルタントになったばかりだったので、先輩にくっついて横で議事録取る、先輩の講演する経営セミナーのレジュメを作るなどの仕事が、1年目の中心でしたね。2年目になってからは、「ちょっと研修やれとか、これもやれ」と言われて、見様見真似であわあわしながら仕事をしていた感じです。

新谷哲:その頃の思い出などはございますか?

大崎玄長:常務だった上司から、入社して4か月目でいきなり「大崎くん。次の○○会社の役員会指導に行ってきなさい。僕はその日予定があるから行けないので、君だけが行くんだ」と言ってポンと放り込まれたことが、強烈に印象に残っています。4か月目なので経営について何も知らないので、相手企業の経営者から「大崎先生のご意見は?」と聞かれて僕があわあわ答えていると「それでも経営コンサルタントか!」と怒られてしまいました。

新谷哲:その常務の方は、入社4か月目の大崎玄長社長を、よく放り込みましたね。

大崎玄長:今にして思えば、新人の経営コンサルタントに対する実践訓練ですね。その時のお客さんは常務と長いお付き合いがあったので、最初から仕込んでいたのだと思います。

新谷哲:日本エル・シー・エーで、経営について学ばれたことはございますか?

大崎玄長:経営者として勉強になったのは、日本エル・シー・エーの主力商品だった「DIPS(ディップス)」タイムマネジメントのノウハウを学べたことです。弊社エヌエフエーのメンバーにもDIPSを教えています。

新谷哲:弊社WizBizでもDIPSの本は必読書にしています。弊社の社員達も、DIPSを実践するメンバーが一番成果出ていたりするので、そのDIPSを最初の会社で身につけられたことはすごい良いことかもしれませんね。その後、日本エル・シー・エーをお辞めになって、すぐに起業されて経営者になったのですよね?

大崎玄長:そうですね、はい。

新谷哲:日本エル・シー・エーを辞め、起業して経営者になろうと思われたきっかけはございますか?

大崎玄長:当時の日本エル・シー・エーの給与制度は、ざっくばらんに言うと「あなたが稼いだ付加価値、粗利益の3割が年俸になる」というものでした。そこで「自分が経営者になったら10割が自分のものになるのではないか?」と思って、起業して経営者になりました(笑)。

新谷哲:なるほど(笑)。起業してすぐに始めた事業は、現在も経営している人材事業だったのですか?

大崎玄長:人材事業を経営する前に、中小企業診断士の事務所を経営していました。

新谷哲:では、経営コンサルタントの個人事業として、会社経営を始めたのですね。途中で人材事業の経営に移られますが、事業を変えられた理由はございますか?

大崎玄長:大きな会社作りたい、という気持ちがありました。中小企業診断士の事務所を6年ぐらい経営していたのですが、大きくならず「どうしたら大きな会社が作れるのか?」と悶々していました。人材事業の経営を考えたきっかけは、経営コンサルティングのために相手の経営者とお話をしていると、「この方針で動くのはいいが、これをやる人がいない。どうすればいいんだ?」と、人が足りないという話によくなりました。そこで「人材を求めるニーズがあるなら、人材派遣会社の経営をしてみるか」と人材事業を経営することになります。

新谷哲:もしよろしければ、現在、株式会社エヌエフエーが経営する事業についてお教えいただけますか?

大崎玄長:主力は人材派遣会社で、売上の95%を占めています。他に資格学校、パソコン教室、倉庫の請負業務、など直営の事業を多く経営していますが、主力は人材派遣会社です。派遣会社としても他の会社とは違う点は、エリア戦略です。会社・本店が東京都の大田区にありますのでその周り、100歩譲っても隣の市区町村、川崎だとか品川区だとかその辺りまででエリア展開していこうと思っています。

新谷哲:ここからは違う質問をさせていただきます。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きしたら、「歴史・銭湯・仕事」「本当は仕事好きなんだけど、わざわざ違う趣味を作ろうとした」とお答えいただきました。今でもお仕事好きですか?

大崎玄長:すごい恥ずかしいのですが、仕事している時が一番楽しいです(笑)。

新谷哲:なるほど、経営者らしいですね(笑)。実を言うと、経営者インタビューにご出演いただいた経営者の6割~7割が、仕事好きとお答えいただいているので、経営者の皆様は本当に仕事好きだと思います(笑)。「本当は仕事好きなんだけど、わざわざ違う趣味を作ろうとした」とお答えいただきましたが、そんなことをする必要はないと思いますが、なぜ趣味を作ろうとしたのですか?

大崎玄長:30代の時に合コンに精を出した時期がありまして、「趣味は何ですか?」「仕事です」と答えるとザーッと引かれました(笑)。それで「仕事以外の趣味を何か作らなければ」と思い、2番目に好きだった温泉を趣味にしました。また趣味と言っても恥ずかしくないレベルの知識は持たなければと、「温泉ソムリエ」や「銭湯検定4級」の資格もとっています。

新谷哲:大崎玄長社長は「これをやろう」と決めたら、とことんやるタイプだという素晴らしいお話です。次に「座右の銘」ですが、いくつもお答えいただきました。一応、全てお読みします。「諸行無常」「万物流転」「それでも全てを許す」「イエスは心の扉をノックする」「天下布富」、「本気でやればできないことは何一つない」。この中で1つ選ぶとすれば、どれを「座右の銘」に選ばれますか?

大崎玄長:いつも心がけていることは、「諸行無常」「万物流転」です。真面目な話をしますと、経営環境というのは日々刻々と変化していくので、その中でおろおろしていてもしょうがない。諸行無常、万物流転だなと思って、変化に柔軟に対応していこうと思っています。

新谷哲:なるほど。先ほどあげられた座右の銘の中で、「天下布富」がありました。これは織田信長の「天下布武」のパクリとお聞きしましたが、なぜこちらの言葉を作られたのでしょうか?

大崎玄長:織田信長の「天下布武」は、「天下を武力で統一しよう」という意味です。私は大きな会社を作って、会社に携わっている方々に「エヌエフエーと携わって豊かになった、幸せになった」と言ってもらいたいと思っています。織田信長が武力で天下を統一しようとしたように、私は富で天下を統一したいと思っております。

新谷哲:素晴らしい目標で、良い座右の銘だと感じました。次が最後の質問です。全国の経営者、これから起業する方に向けて経営者として成功する秘訣・方法をお教え下さい。

大崎玄長:経営者として成功する秘訣・方法は「諦めないこと」です。お恥ずかしい話ですが、実は4回ほど倒産危機がありました。倒産を前にして「このままだと終わっちゃう。何とか打開する方法ないのか」と諦めずに考えていると、倒産を回避する方法は見出せるのです。でも「ここで終わりだ、辞めちゃおう」と思ってしまうと、倒産の危機を回避する方法は見いだせなかったと思います。それからもう1つ、経営者として成功する秘訣・方法がございます。これはまだ僕も出来ていないのですが、座右の銘にもしている「本気でやればできないことは何一つとしてない」です。これはコンサルタント時代にお客さんの経営者から「今、何かできないというものがあったとしたら、それは本気でやっていないからだ」と教えてもらいました。本気でやればできないことは何一つとしてないという思いで経営を続けていけば、成功する経営者になれると思います。

新谷哲:座右の銘が本当に一番素晴らしく、大変感動しました。大崎玄長社長、本日はありがとうございました。

大崎玄長:ありがとうございました。

編集後記

新谷哲:大崎玄長社長は大変頑張っていらっしゃる経営者です。「諦めない」とか「本気になれば何でもできる」とおっしゃっていましたが、本当にその通りだと感じました。このインタビューをご覧になっている経営者の皆様も、大崎玄長社長のように諦めずに頑張ってまいりましょう。

大崎玄長氏
株式会社エヌエフエー 代表取締役

1973年大阪府生まれ。1996年中央大学法学部卒業。株式会社日本エル・シー・エー入社。経営開発部所属経営コンサルタントとして社会人生活をスタート。2000年経済産業大臣登録中小企業診断士資格を保有。フリーのコンサルタントして活動を始める。2003年数々のコンサルティング現場での経験からライフワークとして地域産業振興と雇用の拡大を志す。2006年地域密着型人材派遣会社株式会社エヌエフエーを設立。代表取締役に就任。2010年厚生労働大臣認定社会保険労務士有資格者資格を保有。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、大崎玄長氏(株式会社エヌエフエー 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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