本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、杉村哲人氏(リフト株式会社 代表取締役)です。(2019年3月 6日 2019年3月13日 配信)
今回は、外国人留学生や就労希望者を日本の企業に紹介する、リフト株式会社の杉村哲人社長にお越しいただきました。北海道函館市出身、生徒会長を務めたり、勉強に勤しむ真面目な学生時代を経て、早稲田大学政治経済学部に入学。卒業後に就職した株式会社ベンチャー・リンクでは、インタビュアー新谷の部下でもありました。2011年に株式会社プレイフルを創業。その後、リフト株式会社を立ち上げて現在は2社の会社を経営されています。「家族を大切にする」、「日本に生まれたことに感謝する」、「当たり前の素晴らしさに気付く」。そんな誠実な思いを持ち、事業を通じて社会問題を解決し続ける、杉村哲人社長の経営者インタビュー、ぜひお聞きください!
新谷哲:今回の経営者インタビュー、リフト株式会社代表取締役の杉村哲人社長です。まずは経歴をご紹介します。北海道函館市にお生まれになり、早稲田大学政治経済学部を卒業後、株式会社ベンチャー・リンクに入社し、その後、リレーションズ株式会社設立の際に取締役にご就任。2011年に株式会社プレイフルを起業し経営者となり、2015年にはリフト株式会社を設立されています。ベンチャー・リンク時代は、私の部下でもございました。今日はよろしくお願いいたします。
杉村哲人:よろしくお願いいたします。
新谷哲:最初の質問です。函館のご出身ということですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?
杉村哲人:自分で言うのもあれですが、真面目な優等生だったと思います。父親が函館市の市役所で勤め、母親が小学校の教師をしていましたので、真面目な性格をしており生徒会長もやっていましたね。
新谷哲:函館の高校に進学されていますが、高校時代はどのようにお過ごしになりましたか?
杉村哲人:函館ラサール高校という男子校に入りました。進学校だったので、勉強ばかりしていました。女の人と話すことなんか全然ない生活です。
新谷哲:函館ラサールまで行かれのですから、ご両親は経営者ではなく、公務員か政治家になってほしいと思われたのですか?
杉村哲人:そうです。公務員、政治家、大企業のサラリーマンになることを望んでいたと思います。
新谷哲:公務員になろう、とはお考えになったことはございますか?
杉村哲人:それはなかったです。両親のことは尊敬していますが、「公務員という仕事は決まりきったレールを歩むようなものだ」というイメージがあり、公務員になりたくないと思っていました。
新谷哲:高校卒業後、早稲田大学の政治経済学部に進まれていますが、これは第一志望に受かって入学したのですか?
杉村哲人:推薦で入学をしました。政治経済学部に行きたかった訳ではないのですが、「受験は推薦で決めたい」と思っており、たまたま担任の先生から早稲田大学のお話を頂いたので入学しました。
新谷哲:政治経済学部の推薦はなかなか取れないと思うのですが、成績が相当良かったのですか?
杉村哲人:そうですね、勉強は少しできました。
新谷哲:私の知っている杉村哲人社長と違うので、びっくりしています(笑)。大学卒業後、私の前職でもある株式会社ベンチャー・リンクに入社します。なぜ、ベンチャー・リンクを選ばれたのでしょうか?
杉村哲人:ベンチャー・リンクの求人を見つけた時、掲げていた「企業家輩出機関」という経営理念に衝撃を受けました。説明会で経営者の小林忠嗣社長のお話をお聞き「私の知っている世界とは違う世界があるのだ」と、ひとめぼれみたいな印象を受けて選びました。
新谷哲:ご両親は「なぜベンチャー・リンクのような会社行くの?」とはおっしゃらなかったのですか?
杉村哲人:父親から「ほかの会社をもう少し受けてから選択したら良いのではないか?」と、言われました。ただ私が内定を取ったタイミングで、ベンチャー・リンクが一部上場をしたので上手く説得できました。
新谷哲:早稲田大学に通っている時には、起業して経営者になろうと思ったことはございますか?
杉村哲人:経営者になることは考えていませんでした。地味な高校生活を送っていたので、東京へ来て大学デビューをします。軽音楽のバンドサークルに入り、サークルばっかりやっていました。将来に備えることはせず、自分が開催しているライブに「どれだけのお客さんを呼ぶべきか?」を考えている学生でした。
新谷哲:ベンチャー・リンクには何年いらしたのですか?
杉村哲人:6年半ぐらい働かせていただきました。
新谷哲:ベンチャー・リンク時代はどのようなお仕事をされましたか?
杉村哲人:最初の2年は営業の担当になり、朝から晩までお客様にお電話をかけました。お客様が電話に出なくなったら手紙を印刷して、送り続けていました。後半の4年半は、フランチャイズの加盟企業を見つけてきて、お店のオープンをお手伝いする部署にいました。
新谷哲:ベンチャー・リンクで、経営者として学ばれたことはございますか?
杉村哲人:経営者としていろいろなことを勉強しましたが、一番は、多くの経営者を感じることができたことです。起業して経営者になりたいと思っていましたが、サラリーマン意識は残っていました。しかし仕事でお会いする経営者の方から、給料を貰っている側と払っている側の違いや、経営者の悩み、苦しさ感じることができたのが、経営者として一番の勉強になったと思います。
新谷哲:ベンチャー・リンクをお辞めになった後、ベンチャー・リンクの仲間達とリレーションズという会社を起業されていますが、理由はございますか?
杉村哲人:ベンチャー・リンクの調子が良くない時期があり、希望退職が多く募られていました。退職しない社員も、ベンチャー・リンクに出資していた会社に出向することが経営方針で決まります。私が所属していた20人ぐらいのチームもなくなることが決まったので、「起業するタイミングかな?」と思い、7人仲間達とリレーションズを起業しました。
新谷哲:その時に起業したリレーションズには、何年いらっしゃったのですか?
杉村哲人: 2009年の1月から2011年の9月まで所属していました。
新谷哲:では、株式会社プレイフルを起業して経営者になられたのは、リレーションズに所属されていた時でしょうか?
杉村哲人:そうですね。2011年5月に作りましたので、所属している時です。
新谷哲:仲間と起業したリレーションズをお辞めになり、自分の会社を起業して経営者になろうと思った理由はございますか?
杉村哲人:仲間で起業をした流れで、楽しく仕事をしていたのですが、リレーションズの社長であった長谷川に頼ってしまう部分が多く「これは本当の意味で、起業して経営者となったと言えるのだろうか?」とすごく悩みました。自分でリスクを取って、本当の意味で経営者をしたいと思い、仲間と相談します。起業した仲間は経営者になることを応援してくれたので、株式会社プレイフルを起業して経営者になりました。
新谷哲:プレイフルでは、どのような事業を経営しようと考えたのですか?
杉村哲人:お恥ずかしい話ですが、自分が経営者になるとこだわって起業したので、決めていませんでした。最初の2年ほどはリレーションズの代理店みたいな仕事をしていました。その後、ベンチャー・リンクの先輩が経営していた保険ショップの「ライフサロン」に、加盟金なしで加盟して、保険代理店の事業を経営しました。
新谷哲:その後は、どのような事業を経営されたのですか?
杉村哲人:株式会社プレイフルは、介護事業4施設を経営する会社として継続しています。このプレイフルの他に、2015年からリフト株式会社を設立し、外国人人材を日本企業に紹介する事業を経営しています。この2社の会社経営が、現在の事業です。
新谷哲:リフト株式会社が経営する人材事業について、お教えいただけますか?
杉村哲人:外国人人材に特化をした、人材紹介事業を経営する会社です。全国の有効求人倍は1.7倍、100人の求職者に対し170の仕事があるという、人手不足の状態が日本の採用環境です。日本には、30万人留学生の方がおり、そのうちの7万人~8万人の方が就職活動をされています。しかし4万人~5万人の方が、様々な理由で就職が決まっていません。それを知って「働きたいと言って方がたくさんいるのに、すごくもったいない」と感じました。この就職できない外国人と、採用できない企業を上手くマッチングすることが、リフト株式会社が経営する事業になります。
新谷哲:お教えいただきありがとうございます。ここからは、違う質問をいたします。事前に好きなもの・好きなことお聞きし「家族・野球観戦(巨人ファン)・読書(歴史関係の本を読むこと)・社員旅行」とお答えいただきました。実は、以前にもベンチャー・リンク出身の経営者が「家族が好き」をお答えしています。ベンチャー・リンク出身の経営者は、家族が好きなのですかね(笑)?
杉村哲人:それはちょっと分からないです(笑)。私の個人的なことになりますが、1年半前に息子が生まれました。その子は800gという未熟児として生まれています。今は元気に大きくなっていますが、「私達が毎日ご飯を食べて、毎日仕事ができることは、当たり前ではなかった」と感じるようになりました。私の両親は函館に住んでいて、元気に2人暮らしをしていますが、「いつまでも元気でいるとは限らない」と感じるようになり、まずは家族を大切にしよう。家族を幸せに出来ない経営者は、社員も会社も幸せにできない、と思い「家族が好き」と書かせていただきました。
新谷哲:座右の銘もお聞きしましたら、「ノーボーダー」「チャンスメーカー」とお答えいただきました。会社の経営ビジョンとして掲げていらっしゃるということですが、どのような意味でしょうか?
杉村哲人:座右の銘を説明する前提として「日本人というのはすごく恵まれている」ことがあります。日本で就労のチャンスを求める外国人の9割がアジア人の方で、日本よりも少し貧しい国の方々であるケースが多いです。21世紀という世の中において、「自分の人生をより良くするチャンスに巡り合えないことは良くない、あるべき姿ではない」と思っています。国境や宗教に限らず、色々な人が自分の人生を良くするチャンスを提供できる会社、そのチャンスを作る会社になろうという意味があります。
新谷哲:なかなか深いお言葉で素晴らしいです。次が最後の質問になります。全国の社長・経営者、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣・方法をお教えください。
杉村哲人:自分が生きてきた中に、経営者として成功への手がかりがあると思っています。介護と外国人人材の事業を経営している理由の1つに、実家がある函館市の過疎化が進んでいることがあります。実家に帰るたびに、「過疎化によって、これからすごく大変な状況になる」と感じ、自分に何かできないかと考え、介護と外国人人材事業の経営を思い付きました。経営者の皆様は、様々なご経験をされていると思います。その中に、経営者として成功する秘訣・方法が必ず眠っていると思います。
新谷哲:大変良いお話をいただき、ありがとうございます。杉村哲人社長、本日はありがとうございました。
杉村哲人:ありがとうございました。
編集後記
杉村哲人社長は、ベンチャー・リンク時代に私の部下をしておりました。社会人1年生の時から知っていますが、随分成長したと驚いています。あまり優秀な社員でなかったことが信じられないくらいの経営者になっていることは、誰でも経営者として成長できるということだと思います。過去の経験の中に経営者として成功の秘訣が隠れている、という秘訣を実践している素晴らしい経営者です。
杉村哲人氏
リフト株式会社 代表取締役
北海道函館市出身。早稲田大学卒業後、株式会社ベンチャー・リンクに入社。2011年、株式会社プレイフル設立。2015年、リフト株式会社設立。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、杉村哲人氏(リフト株式会社 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。
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