本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、鈴木清幸氏(株式会社アドバンスト・メディア 代表取締役会長兼社長)です。(2019年3月20日 2019年3月27日 配信)
今回は、音声認識ソリューションの企画・設計・開発を行う、株式会社アドバンスト・メディア鈴木 清幸社長にお越しいただきました。愛知県ご出身、学生時代は勉強とテニス、生徒会長などを同時にこなされながらも、独学で京都大学に合格されます。京都大学大学院、博士課程に進んだ後、東洋エンジニアリング株式会社にご入社され、AIの普及活動に邁進されます。その後1997年に起業をされ、株式会社アドバンスト・メディアを設立。2005年には東証マザーズに上場されました。学生の頃より目的志向・飽くなき成長への探求を絶やさず、事業では一貫して最先端の技術で社会を変えることに取り組まれている、素晴らしい経営者です。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社アドバンスト・メディアの鈴木清幸社長です。まずは経歴をご紹介します。東洋エンジニアリング株式会社にご就職後、株式会社インテリジェントテクノロジー様に転職。1997年に株式会社アドバンスト・メディアを起業し経営者となられ、2005年には東証マザーズに上場している、上場企業の経営者です。本日はよろしくお願いいたします。
鈴木清幸:よろしくお願いします。
新谷哲:最初のご質問です。出身は愛知県ということですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?
鈴木清幸:特に目立ったところのない、普通の子どもでした。
新谷哲:経営者インタビューにご出演いただいた経営者の方々は、ガキ大将や生徒会長をされた方が多いのですが、鈴木清幸社長はそういうことはなかったのですか?
鈴木清幸:生徒会長ですと、中学時代に経験しました。テニスと受験勉強があったのですが、わざわざ生徒会長をやる性質を持っていましたね。
新谷哲:そうでしたか。高校も愛知県の高校に進まれていますが、高校時代はどのようにお過ごしになりましたか?
鈴木清幸:中学時代から引き続き、テニスを続けました。進学校でしたが、高校3年の夏までテニスをし、残りわずかな数か月で受験勉強をします。
新谷哲:では、高校時代はスポーツマンだったのですね。
鈴木清幸:スポーツマンかと言われると自信がありませんが、そうですね(笑)
新谷哲:鈴木清幸社長は大変謙虚ですね(笑)。京都大学に進まれていますが、京都大学を選ばれた理由はございますか?
鈴木清幸:中学の頃から、京都大学に行きたいと思っていました。田舎の中学校だったので、塾も家庭教師もないのですが、そういう環境で高校入試を突破する方法を自分で考えました。高校でも、3年生の夏まではテニスを頑張って、残り時間で何をすれば京都大学に受かるかを考えていました。そんな目的志向型の強い人間でした。
新谷哲:京都大学時代はどのようにお過ごしになりましたか?
鈴木清幸:京都大学では数学の勉強をしました。京都大学には著名な数学の先生が多くいらしたので、彼らの講義を取り、積極的に数学を勉強します。期間は8年間です。4年間は学士で、2年間は修士の勉強。その後には、博士課程が3年間あるのですが、僕は2年で出ましたので、世の中の人は中退と言いますね(笑)。そんな感じの大学時代です。
新谷哲:やっぱり鈴木清幸社長は頭が良い経営者だ、と感じさせていただきました(笑)。京都大学大学院の博士課程を中退とおっしゃいましたが、博士課程まで進まれたら普通は学問の道に入り教授を目指すと思うのですが、目指さなかった理由はございますか?
鈴木清幸:教授を目指すことは学問の道の1つですが、私の書いた確率統計の論文を証明する必要がありました。そのために東洋エンジニアリングの研究所に入ったことがきっかけです。私は目的志向型の人間なので、「企業のために自分はどう動いたら良いか?」を考えて動き、結果が出てきます。そのときに、「やっぱり自分は学問や研究の道ではなく、ビジネスや経営者の道が合っている」と感じ、どっぷり漬かることになりました(笑)。
新谷哲:なるほど(笑)。東洋エンジニアリングでは、どのようにお過ごしになりましたか?
鈴木清幸:東洋エンジニアリングの研究所では、主にデータ解析をやりました。そのほかには、プラント設計、建設、制御などの理論、実際解析と理論構成の辺りをしました。
新谷哲:今で言うビッグデータに繋がる分野、ということでしょうか?
鈴木清幸:そうです。
新谷哲:東洋エンジニアリングの後、株式会社インテリジェントテクノロジーに転職されたのですか?
鈴木清幸:そうですね。京都大学には、フィールズ賞を獲得された広中平祐氏という著名な数学者がおり、この方と縁がありました。インテリジェントテクノロジーでは広中平祐氏の弟子達が第二次AIブームを起こしていまして、その縁からヘッドハンティングされました。
新谷哲:今流行っているAIの大本の会社ということですか?
鈴木清幸:そうです。私が入社したころの第二次AIブームは1980年ごろから始まったもので、今は第三次AIブームになります。2011年辺りに画像認識の世界でディープラーニングという技術が発見されたことで、囲碁のようにプロに勝つような実績が出てきます。この技術は音声認識それが適応されていて、今の第三次AIブームは、AIが進化したことによって起きました。
新谷哲:第二次AIブームから最前線にいる鈴木清幸社長は、日本におけるAIの先駆者だと思うのですが、インテリジェントテクノロジーではどのような仕事をされたのですか?
鈴木清幸:当時の仕事で一番分かりやすいものは、エキスパートシステムです。これは熟練者が培ってきた効率の良い作業を、コンピューターがマネするものです。熟練者が行う効率の良い作業は、「A状況が起こった時はAという方法、Bという状況が起こったらAでは効率が悪いので別の方法を行う」という人間にしかできない処理をしています。それをコンピューターのAIシステムで再現し、世の中に提供していました。
新谷哲:非常に先進的なお話で、読者の皆様も私を含めて、「AIって1980年代から始まっていたんだ」と感じていると思います。1997年に株式会社アドバンスト・メディア様を起業し経営者となっていますが、起業して経営者になろうと思ったきっかけはございますか?
鈴木清幸:12年間、日本でのAIの普及活動をしましたが、儲かりませんでした。第二次AIブームは「人間の頭脳に近づく学問」だったので、人間を超えられません。AIよりも人間の価値が高かったため、「AIは儲からない。このままやっても資金を使い切ってしまう」と思ったことが1つ目の理由。2つ目は、優秀な方に「一緒に起業しないか?」と声を掛けて、受けてくれたことです。私はカーネギーメロン大学で短期集中コースを受けていました。そのコースで優秀な方々と出会い、声をかけたのです。
新谷哲:そうでしたか。アドバンスト・メディアは起業当初、音声認識の事業を経営されていましたが、現在でも経営されていますか?
鈴木清幸:今も経営しています。私はしつこくやる人間なので、起業当初から経営ビジョンは変わっていません。12年間、日本で普及活動をしていたのは「AIが溢れた世界を作ろう」という経営ビジョンを持っていたからです。AIを普及するためには、「AIと人間のコミュニケーションを取るインターフェイスが必要だ。それには音声認証だ」と考えて、経営をしていました。
新谷哲:もしよろしければ、アドバンスト・メディアが現在、どのような事業を経営しているかお教えいただけますか?
鈴木清幸:音声認識はこれまでなかった分野ですので、音声認証の市場を作ることから、事業の経営を始めました。20年間で7つの市場を作ることに成功しています。その1つが、医療事業です。医療の中で、患者さんの話を聞いて医者が電子カルテに記録する際、目がコンピューターに釘付けになって、患者さんを見ず不信感を与える問題がありました。でも音声認証があれば、患者さんと目を合わせながら電子カルテが作れます。その医療事業の経営は好調で、起業当初から経営の太い柱になっています。その次の大きな柱がコールセンター分野、あるいは議事録を文字化する分野です。この3つの他に4つほど分野で、事業の経営をしています。
新谷哲:本当に最先端の事業を経営されているのですね。2005年には東証マザーズに上場されますが、上場を目指すきっかけはございますか?
鈴木清幸:音声認識を当たり前にするために、どうしても通らないといけない階段として上場を位置付けました。我々のビジネスには優秀な人が必要です。口コミで集めることはできますが、それ以上の人数が必要ですので、人を集めることが1つ目の理由。もう1つの理由は顧客を集めるためです。我々の事業について説明すると、多くの人は拍手してくれますが、使うまではいきません。使っていただくためには、素晴らしい技術の他に信用が必要です。信用を得るために、上場を決意しました。
新谷哲:上場するにあたり、ご苦労された点はございますか?
鈴木清幸:東証マザーズは、利益は度外視というか、赤字でも上場できる市場とされていますが、結局は上場するには黒字にすることを求められましたので、その部分で苦労しました。それ以外はあまり感じてはいないです。
新谷哲:ここからは全く違う質問をいたします。好きなもの・好きなことで「お肉・ワイン・テニス」とお答えいただきました。テニスは今でもやっていらっしゃるのですか?
鈴木清幸:やっています。
新谷哲:毎週、テニスをされているのですか?
鈴木清幸:そうです。土曜日、日曜日は最低でも3時間~6時間ぐらいやっています。
新谷哲:では、中学生時代からずっと続けているのですか?
鈴木清幸:大学時代はさすがにやめていました。ビジネスの世界に入り、そこからまた硬式テニスを始めました。2006年にはシニア部門で、千葉県選手権で優勝しています。
新谷哲:やっぱり、鈴木清幸社長はスポーツマンですね。次に座右の銘もお聞きして「自然体」。これを選ばれた理由は何かございますか?
鈴木清幸:テニスでもそうなのですが、私は受け身がしっかりしています。受け身のある中での攻撃が、私にとって自然体です。ビジネスも同じで、やっぱり受けを強くして、そして心置きなく攻撃に行く。この2つが基本です。
新谷哲:次が最後のご質問です。全国の社長・経営者、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣・方法をお教え下さい。
鈴木清幸:経営者として成功する秘訣・方法は「あくなき成長に対する思い」です。自分がさらにこのビジネスを大きくできる部分、性質を持っているとすれば、常に成長を求めて動きます。成長というのは経営者個人の成長だけでなく、一緒にビジネスをする社員・経営幹部の成長も含みます。だから自分が成長するということは、リーダーというのは目的を作ることと、一緒にビジネスを経営するプレーヤーを支援して成長させることです。「彼らがどうやったら自分と一緒に成功できるのだろうか?」と考えて工夫することが大切だと思います。
新谷哲:大変勉強になるお話をありがとうございます。鈴木清幸社長、本日はどうもありがとうございました。
鈴木清幸:どうもありがとうございました。
編集後記
新谷哲:今のAIブームが、第三次AIブームだと初めて知って驚きました。鈴木清幸社長は日本のAI分野の草分け的存在でもある経営者ですね。今後、ロボットが会話をするようになると、音声認識という分野のAIというのは非常に活躍する、と鈴木清幸社長はインタビュー後におっしゃっていました。アドバンスト・メディアはこれから活躍する、日本にとっては重要な企業だと感じました。鈴木清幸社長のように最先端のこともやっていかなければと思います。
鈴木清幸氏
株式会社アドバンスト・メディア
京都大学大学院工学研究科化学工学専攻博士課程中退。1978年、東洋エンジニアリング株式会社に入社。1986年に株式会社インテリジェントテクノロジーへ転職後、1987年に米国カーネギーグループ主催の知識工学エンジニア養成プログラム(KECP)を修了。1989 年に研究開発部長を経て常務取締役に就任。1997年、株式会社アドバンスト・メディアを設立して代表取締役社長に就任。2005年、東証マザーズ上場。2010年に代表取締役会長兼社長に就任。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、鈴木清幸氏(株式会社アドバンスト・メディア 代表取締役会長兼社長)の経営者インタビューを取り上げました。
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