成功経営者インタビュー

経営者インタビュー ランサーズ株式会社 代表取締役社長CEO 秋好陽介氏

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、秋好陽介氏(ランサーズ株式会社 代表取締役社長CEO)です。(2020年1月22日 2020年1月29日  配信)

大学時代にインターネットでビジネスを始め、年間で3000万円以上の利益を出すも、ビジネスを学ぶために事業を捨ててニフティ株式会社に入社。ニフティ時代に個人に仕事を発注するサービスがないことに気付き、2008年に株式会社リート(現ランサーズ)を創業。業績を伸ばし続け、2019年12月にマザーズ上場を果たしたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、秋好陽介氏の経営者インタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、2019年12月に東証マザーズに上場をされた、ランサーズ株式会の社秋好陽介社長です。まずは、経歴をご紹介します。ニフティ株式会社入社後、2008年に株式会社リート(現・ランサーズ株式会社)を設立。2018年2月にはパラフト株式会社(現・ランサーズエージェンシー株式会社)の取締役に就任。2019年12月には、東証マザーズに上場をされました。本日はよろしくお願い申し上げます。

秋好陽介:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問なのですが、ご出身はどちらですか?

秋好陽介:大阪府です。

新谷哲:小学校・中学校時代はどのように過ごされましたか?

秋好陽介:ずっとサッカーをやっていました。ただ、少しだけビジネスもしていました。両親が事業をやっておりまして、毎年2月か3月になると母親が確定申告をしていました。地元が大阪で、商いが日常の風景でした。小学校の時、ロッテから発売されたビックリマンチョコというシールの入っているお菓子がすごく流行りました。そのシールを友達から仕入れて、別の友達に売るビジネスをする小学生でしたが、基本はずっとサッカーをしていました。

新谷哲:小学生の時から社長業をしていたという感じですか?

秋好陽介:そうですね。ビックリマン流通プラットフォームをアナログで経営していたという感じです。

新谷哲:高校も大阪の学校ですか?

秋好陽介:そうです。

新谷哲:高校時代はどのように過ごされましたか?

秋好陽介:高校生の時は帰宅部でした。それまではずっとサッカーをやっていましたが、高校生の時はお金を稼ぐことに興味が出て、アルバイトをしていました。また私は洋服がすごく好きだったので、大阪のアメリカ村で中古服を300円で仕入れて、リメイクして売ることもしていました。

新谷哲:もう根っからの商売人、経営者ですね。

秋好陽介:そうですね。昔から、仕入れて売ることが好きでした。お金が欲しいというよりも、ゲームみたいな感覚だったと思います。

新谷哲:大学も大阪ですか?

秋好陽介:そうです。

新谷哲:大学時代はどのように過ごされましたか?

秋好陽介:実は現役で大学には行っていません。服とかが好きだったので「ファッションデザイナーになる」みたいなことを言って、進学しませんでした。高校は進学校だったので、大学に行かなかったのは多分、私だけだと思います。しかし「ファッションデザイナーになる」と綺麗事は言ったものの、2年ぐらいニートをやってフラフラしていました。5時か6時くらいに、めざましテレビを見て寝て、昼ぐらいに起きる生活をしていたのですが「さすがに、このままでは良くない」と思いました。当時、森総理大臣が「今後の日本の成長戦略は介護とバイオとイットだ」と言っていたころです。イットってITのことでしたが(笑)、それを聞いて「介護とバイオは面白くなさそうだけど、ITは面白そうだ。高校の情報の授業でもすごく楽しかった」と思い、ITを選びます。また「ITをやるのであれば、大学に入学して学びながらやっていこう」と考えました。しかし、2年間のブランクがあるので、普通に勉強をしても同級生には追い付けません。そこで、普段なら5時か6時に寝るところを10時まで起きて、電気屋さんに行ってSONYのVAIOを買ってインターネットに申し込みました。これがまさに、その後のランサーズ創業にも繋がる、インターネット業界に入った瞬間です。大学時代にどう過ごしていたか、という質問の答えは「1日18時間インターネットにどっぷり浸っていた」です。掲示板やウェブサービスなど、色々なサービスを作ってビジネスもしていました。

新谷哲:森総理大臣がITをイットと言ったのは有名な話ですが、今は知らない方も多いかもしれませんね。

秋好陽介:そうですね。特に若い経営者の方は知らないかもしれませんね。

新谷哲:秋好陽介社長は、インターネットが流行るというか、当たり前になる最初の頃から、パソコンで新しい事業をどんどん作っていたのですか?

秋好陽介:そうですね。2001年~2002年ぐらいの時代です。Windows98が出てパソコンブームが起こり、ソフトバンクがADSLを始めたような時期で、インターネットが急激に普及した時代です。色々な事業を作りましたが、事業として一番大きかったものは「日本で一番安くホテルに泊まれるサイト」です。クローラーという情報を自動で収集するプログラムを自分で作り、ホテルや旅行券の情報を編集して提供していました。そのサイトでは、旅行代理店や、インターネットで旅行予約サービスを運営する会社から成功報酬でお金をいただきました。ピークの時は、利益ベースで月に200万円~300万円でしたので、年間で3000万円ぐらいになりました。その時は大学3年生ぐらいだったのですが、初めて税務調査も受け、自分の家に税務署員がきましたね。

新谷哲:すごい経歴ですね。税務署の方が家に来られたことに、ご両親は驚かれたのではないですか?

秋好陽介:驚いていました。しかし父親も事業をやっていたので「利益は出ているのだな」という感覚だったと思います。税務調査は、悪いことをしたら来るのではなく、一定黒字を出していれば、3年~4年に1回は来るものです。私は適切に確定申告をしていたので、特に問題はありませんでした。

新谷哲:その頃は、法人化をしていたのですか?

秋好陽介:その時は個人事業主で、青色申告でした。

新谷哲:本当に、根っからの経営者なのですね。先程のサイトですが、現在の「トリバゴ」などのような事業だったのですか?

秋好陽介:そうです。自分では、当時の旅行の価格.comだと思っています。

新谷哲:現在も続けていらしたら、まだ儲かっていたのではないですか?

秋好陽介:そうですね。当時、「旅行」「航空券」で検索したら1位は私のサイトでした。このサービスを運営している上場会社の時価総額は、数百億円になっているので、やめずに続けていたら可能性はあったと思います。

新谷哲:大学卒業後はニフティ株式会社に入られていますが、これは旅行のサイトをやめて入社したのでしょうか?

秋好陽介:はい。3000万円ぐらい報酬があったので、そのまま続ける選択肢はありました。しかし、旅行サイトで楽しかったことは、お金を稼ぐことではありませんでした。「ただの大学生が作ったサービスでも、多くの人に使っていただける」という感覚にワクワクしました。「もっと多くの人に使ってほしい」と思った時に「有名企業、当時のライブドアや、iモード全盛期のNTTdocomoに個人で勝てるか?」と考えましたが、まったく勝てません。大阪は好きな街ですが、IT業界の最前線は東京でした。IT業界の企業としてインターネットビジネスをするなら、東京の最前線に行きたいと思います。面接では「なぜ3000万円もの年収を捨てるのか?入社しても年収が4分の1、5分の1になる」と言われましたが、「報酬よりも体験がしたい」という理由で、インターネット関連で新卒採用をする企業を根こそぎ受けました。

新谷哲:多くの企業の中から、でニフティ株式会社を選ばれた理由な何でしょうか?

秋好陽介:複数の企業から内定をいただきましたが、他の企業はプログラマーや電話営業としての採用でした。ニフティ株式会社は、新卒でも企画職や事業を作る仕事が出来るので、選びました。今振り返ると生意気だったと思いますが、これまで経営者をしていたので、入社して電話営業だけ、プログラマーだけをするのはもったいないと感じました。しかし入社後に会社の方針が変わり、新卒は全員エンジニアになってしまいました。

新谷哲:なるほど。ニフティ株式会社には何年いらいしたのですか?

秋好陽介:ちょうど3年いました。

新谷哲:3年で辞めることになったきっかけはございますか?

秋好陽介:ずっと個人事業主をしていたので、「フリーでも優秀な人はたくさんいる」と感じていました。私がニフティ株式会社にいた2005年~2007年は「ウェブ2.0」と呼ばれる波があり、たくさんインターネットサービスを作らなければなりませんでした。ニフティ株式会社の社内だけでサービスを作るのは難しいのですが、外部の企業に発注するとクオリティも低く、納期も遅いのに高くなります。当時は「今日作ったものを明日リリースする」というスピード感だったので、フリーの優秀な人に頼もうと思いましたが、大企業の中では個人に発注することが出来ませんでした。そこで「企業と個人をマッチングするプラットフォームを提供しよう」と考えました。深夜23時、真夏のクーラーが切れた中、残業をしながらネットで検索をすると、そのようなサービスは1件もありませんでした。「これはいける」と思い、社内の新規事業として提案しましたが、私の実力不足で通りませんでした。ニフティ株式会社の方向性とも違ったので、上司や会社と相談したうえで「このサービスを自分でやろう」と決断し、2008年に株式会社リート(現・ランサーズ株式会社)を起業して経営者になりました。

新谷哲:では起業したときから、現在のランサーズの事業を経営しようと考えたのですね。

秋好陽介:はい、ランサーズを作ろうと思って起業をしました。ただ、ランサーズの事業経営だけをやるイメージではありませんでした。他のサービスも提供しようと思いましたが、結果的にはランサーズだけを提供しています。

新谷哲:なるほど。株式会社リートを設立した時の思いとか、当時の思い出などをお話しいただけますでしょうか?

秋好陽介:事業としては、ランサーズを経営したいと思っていました。あと会社員を経験して、「会社会社した企業を作るのは嫌だ」と思いました。そこで、インターネット的仕組み、例えばオープンソースやフラットのように、できる限りオープンソースを使ってコミュニティ的な会社経営しよう、と考えていたと思います。当時の経営理念を見返すと「インターネット的経営をとり入れる」と書いています。今でもその思いは変わらないと思います。

新谷哲:上場は、起業した頃から狙っていたのですか?

秋好陽介:一切狙っていなかったです。上場なんて自分には全く関係ない話で、そもそも社員を雇うのも嫌でした。今回のようにメディアで話をするのも、人と話すのも嫌なくらいです。はっきりと言ってしまえば、ただのひきこもりのニートのエンジニアでした。極力、人と会わずに小さくビジネスをして、特定のお客様に満足してもらえればいいなと思って起業しました。

新谷哲:では、どの時点から上場を意識し始めたのですか?

秋好陽介: 2012年ぐらいの時です。とあるユーザーの方から、1通メールをいただいたことがきっかけです。その方は、ランサーズの検索エンジンの1番目に出ていた方で、宮崎県にお住まいの50代のデザイナーでした。メールが送られたきっかけは、アルゴリズムを変更したことです。メールには「アルゴリズム変更によって、自分は2ページ目になる。ランサーズだけで40万円~50万円ぐらいの報酬を得ているが、2ページになるときっと減収する。自分のためルアゴリズムを戻してくれとは言わないが、ここで生活をしている人がいるということは知ってほしい」とありました。そのメールを見た瞬間「人に会いたくないとか、自分のペースで経営していこうと思っているのが本当におこがましい。ここで生活いただいている方にとっては、ランサーズは電気水道ガスを上回るぐらいの社会インフラなのだ」と感じました。その時に「ランサーズをパブリックものにしなければいけない。外部の資金も入れて、永続的に成長できるサービスにする」と決めました。

新谷哲:そうでしたか。もしよろしければ、ランサーズ株式会社が現在経営をしている事業について、お教えいただけますか?

秋好陽介:ランサーズには、100万人を超えるフリーランサーが登録をしています。登録されているフリーランサーの中には、大企業に勤めながら副業として登録している方や、さきほどの宮崎県のデザイナーのようなプロフェッショナルな方もいます。デザイナー、エンジニア、コンサルタント、税務のサポートするような方など、ありとあらゆる業種の方がいらっしゃいます。その方々と、登録をされている35万社の企業を繋ぐプラットフォームです。ただの人材紹介と違うのは、オンラインで完結するサービスになっている点です。例えば鳥取県や北海道の企業でも、マッキンゼー出身の東京のコンサルタントに仕事を発注するようなことが、時間と場所を超えて発注できるのがランサーズというプラットフォームで、そのプラットフォームを運営しています。

新谷哲:お答えいただきありがとうございます。ここからは違う質問をいたします。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きして「ライフハック、瞑想やサウナ、筋トレなど、経営に向き合う中での心身のコントロール方法」とお答えいただきました。ライフハックとはなんでしょうか?

秋好陽介:ライフハックというのは、プライベートや仕事を含めて、仕組みにして、それを習慣にして、生活をハックするというノウハウですね。

新谷哲:なぜ、ライフハックを好きなものに選ばれたのですか?

秋好陽介:私はエンジニアなのですが、エンジニアって無駄なこと、面倒くさいことをやりたくないのです。そこで「ツールとか仕組みをプログラムで便利にする」という思考がもとからあり「それってプログラムだけじゃなくて、日常生活にも応用できる」と思っています。例えば、スティーブ・ジョブズは毎日同じ服を着ているのも、有名なライフハックです。1日に意思決定できる量は一定なので、服を選ぶことを悩まない、意思決定をしない。このような小さなことを積み重ねることで、ランサーズの経営にも良い影響があると実感しています。また、筋トレやサウナ、瞑想はこの数年間かなりやり込んでいます。体脂肪率も一時5%になって、TARZANという雑誌の表紙コンテストに出て、広報に怒らました(笑)が、本まで出すくらいハマっています。

新谷哲:秋好陽介社長は、上場企業の経営者らしい経営者ですね。次に座右の銘をお聞きして「人事を尽くして天命を待つ」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由をお教えいただけますか?

秋好陽介:会社経営は不確実性が非常に高いです。自分では「いける!」と思ったことが上手くいかず、「上手くいかない」と思ったことが上手くいったりします。この「人事を尽くして天命を待つ」は、自分がコントロールできることは全てやり尽くすが、その結果は天が決める、という意味です。経営者を続ける中で「やりきった後はしょうがない」と思うこと、やりきった後は悩まないことを自分で意識し、大切にしていることなので選ばせていただきました。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後の質問になります。全国の経営者、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教え下さい。

秋好陽介:経営者として成功する秘訣は「諦めないテーマを持つこと」です。私は2008年にランサーズ株式会社を設立しましたが、その縁で「2008年経営者会」というものに所属をしています。これは2008年に創業した経営者が集まる会で、当初は30人ぐらいの経営者が所属していたのですが、現在残っているのは2人~3人ほどです。辞める理由は「借金がかさんだから、ビジネスが上手くいかない、社員が辞めるから」など様々ですが、抽象化してみると皆さん「諦めている」のです。3000万円や5000万円ぐらいの借金であれば、銀行に本気で話せばどこか、絶対貸してくれると思います。社員が辞めたならば、また新しい社員を採用すればいいです。ただ、多くの人は諦めてしまいます。今残っている2人~3人は「諦められないぐらいのテーマを選んで2008年に経営者になった」という共通点があります。私も「個人と企業を繋ぐことで個人の働き方変わる。企業の働き方も変わる」と確信を持って経営者になりました。厳しい状況に陥っても「これの仮説検証をしない中途半端に絶対に諦められない」という気持ちのほうが強かったですし、「2008年に勇気を持って経営者になった自分に対して、そんな小さな理由で諦めるのは申し訳ない」という気持ちもありました。そのため「諦められないテーマを見つける」ことが、経営者として成功する秘訣だと思います。起業を目指す皆さんの中にも、諦められないテーマは絶対にあります。今までの人生の中に隠されていますので、テーマを見つけて、テーマに沿ったもので起業して経営者になられるのが良いと思います。

新谷哲:大変深いお話で、私も諦めないように頑張りたいと思います。秋好陽介社長、本日はありがとうございました。

秋好陽介:ありがとうございました。

編集後記

秋好陽介社長は、大変頭脳聡明で、かつ根っからの商売人という感じでした。ライフハックという話が出てくるところを見ると、経営、商売、ビジネス、そういうものが大好きでだからこそ成功していると思います。経営者を目指す皆様もぜひ、諦めないテーマを持って起業をしていただけたらとおもいます。

秋好陽介氏
ランサーズ株式会社 代表取締役社長CEO

大学時代にインターネットでビジネスを始め、年間で3000万円以上の利益を出すも、ビジネスを学ぶために事業を捨ててニフティ株式会社に入社。ニフティ時代に個人に仕事を発注するサービスがないことに気付き、2008年に株式会社リート(現ランサーズ)を創業。業績を伸ばし続け、2019年12月にマザーズ上場を果たしました。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、秋好陽介氏(ランサーズ株式会社 代表取締役社長CEO)の経営者インタビューを取り上げました。

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