本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、角前壽一氏(株式会社Colors 代表取締役)です。(2020年2月19日 2020年2月26日 配信)
おもしろそうな事業をしている、という理由で広告会社に入社。2度の交通事故に遭い、生死の境をさ迷ったことで「ここからの先の人生はボーナスステージだ。生かされているならば人生を使い切らなければ」と経営者になることを決意し、株式会社Colorsを創業。前向きに会社経営をするお姿から経営のヒントが得られますので、ぜひ経営者インタビューをお読みください。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社Colorsの角前壽一社長です。まずは経歴をご紹介します。1982年、大阪生まれ。信州大学理学部卒業後、広告制作会社にご入社。その後、Webコンサルティングファームを経て、2013年に株式会社Colorsを創業されました。本日はよろしくお願い申し上げます。
角前壽一:よろしくお願いします。
新谷哲:最初のご質問です。ご出身は大阪ですが、小学校・中学校時代はどのように過ごされましたか?
角前壽一:小学校時代は、水泳と少年野球をずっとやっていました。キャプテンなどもやらされましたね。
新谷哲:では、かなり活発だったのですか?
角前壽一:そうですね。親が結構転勤族で、新しい学校ですぐ輪の中に入るために、おちゃらけて場の空気を持っていく、ムードメーカーのようなポジションを取りました。
新谷哲:中学時代はどのように過ごされましたか?
角前壽一:中学校時代は、入りたい高校が決まっていたので、そこに入るために時間を使いました。勉強と部活をひたすらやっていて、中学校時代は「暗黒の3年間」という感じでした。
新谷哲:勉強をひたすらやっていたということは、頭は良かったのですか?
角前壽一:頭が良いというより、勉強をやっていたという感じです。高校の先生からは「エリアの中で一番良い高校に行け」と言われましたが、入りたい高校は決まっていたので蹴りました。本当に、高校に入るための3年間、という感じです。
新谷哲:高校時代の思い出はございますか?
角前壽一:高校時代は、原付の免許を取って、友達とそこら中を走り回っていました。進学校でしたが、私は素行があまり良くない生徒だった、というのが高校時代の思い出ですね。
新谷哲:それは、中学校時代の反動があった感じですか?
角前壽一:それもありますよね。入りたい高校に入って、「よっしゃー!」となったこともありますし、すごくオープンな高校でした。クラスの2割ぐらいが外国人でしたし、歴史も浅くて、私服で通っていました。自由度があったので、中学校時代の反動もあり、好き勝手やりましたね。高校の3年間で、勉強はほとんどやっていません。
新谷哲:しかし高校卒業後は、信州大学の理系に進まれていますので、やはり頭は良いのですね。
角前壽一:信州大学に受かったのは、テストで出た問題の多くが、直前で見ていた問題集からの出題だったことが大きいので、正直に言って運です。私は数学や理科が好きなので、理系科目は得意なのですが、文系科目は全く駄目でした。私立も全部駄目で、親からは「浪人確定だ」とも言われました。そのため予備校の手続きもしていたのですが、「記念受験で信州大学を受けてこい」と言われて受けます。そこで出た問題の多くが、直前で見ていた問題集からだったので、鳥肌がバーッと立ちました。
新谷哲:では、信州大学を選んだ理由は、あまりないのですか?
角前壽一:そうですね。強いていえば、毎日スノーボードができる環境を探していました(笑)。子供の頃からよくスキーに連れて行ってもらったので、長野県には昔からゆかりがあり、条件に合った信州大学が選択肢に入りました(笑)。
新谷哲:なるほど(笑)。大学時代はどのように過ごされましたか?
角前壽一:大学時代はスノーボードと、あとラクロスをやっていました。3月から12月はラクロスをやり、1月から2月はスノーボードをやるという生活を4年間繰り返しました。
新谷哲:事前にいただいた経歴では、ラクロスで東海エリア優勝、全日本選手権に出場とございますが、相当上手かったのですね。
角前壽一:チームでやるスポーツですから、個の力が強いというよりは、チームを動かす力に長けていました。私個人の力は、そんなに高くないと思っています。チームで勝つための戦略や、チームを動かすところが好きでした。それがたまたまハマって、あれよあれよと全国大会に行ったという感じです。
新谷哲:個人ではなくチームを動かす方がお好きというのは、経営者に向いている性格をされていますね。
角前壽一:そう思っていましたが、会社経営は全然違うと実感しています。
新谷哲:そうですか。大学卒業後は、教員を目指していらしたのに、広告制作会社にご入社されています。なぜ教員ではなく、広告制作会社を選ばれたのですか?
角前壽一:高校時代に「高校の先生になろう」と思っていました。教育学部でなく理学部を選んだのは、教育学部を出て教員になることが、何となく性に合わないと思ったからです。卒業後は教員になるつもりだったのですが、大学3年生で進路選択の機会がありました。文化学部出身で、就職活動をする部活の同期から「お前は就職活動をやらないの?」とたまたま言われて「まあ、やってみるか」と思い就職活動を始めました。「一般企業を知ったうえで教員になった方が、進路指導の時に良いアドバイスができるのではないか?」とも考えておりましたし、「企業に入った後で、教員になりたいと思ったら教員になればいい」ぐらいの気持ちでした。
新谷哲:なるほど。理系出身の方が広告制作会社に入社されるのは珍しいと思うのですが、こちらの企業を選ばれた理由はございますか?
角前壽一:私の選考は地質学でした。大学院に行ってから専門分野に入っていく、という道もありましたが、学生の時に「専門家の道は難しい」と思い、進学はしませんでした。また、就職した後に教員になるつもりだったので「どうせなら、社長がめちゃくちゃ面白い会社に行こう」という選択軸で会社を選びました。リクナビにエントリーをして会社を見ていたら、その中で「変わったことをやっていて、社長も変わっていそうだ」という会社があり、そこにエントリーシートを出しました。これが就職活動のスタートです。この最初の企業とはご縁があり、内定が出たので入社をしました。
新谷哲:では、就職活動ではあまり苦労をされなかったのですか?
角前壽一:そうですね。何十社も受けていた、という感じはないです。ただ、選考がすごい長く、半年くらいかかりました。12月末にエントリーをしたので、内定が出たのが6月です。受けた中では一番遅く結論が出ました。数社から内定をいただいていたので、「結論はどうですか?」と問い合わせますが「ちょっと待ってください」という返事が続きます。最終的には、最後の面接に社長が出てきて「一緒に仕事をしよう」という話になりました。この社長のところで働きたいと思い就職活動を始めたので、これもご縁かもしれないと思い、広告制作会社に入社をしました。就職活動がダメだったなら、教員になるなり、大学院に行くなりすればいい、とも考えていたので、ある意味では肩の力が抜けた就職活動だったかもしれません。
新谷哲:広告制作会社時代の思い出はございますか?
角前壽一:そうですね。広告制作会社でしたが、私の部署は建築寄りの仕事をしていました。パチンコ屋さんとかラブホテルを改修して、リニューアルオープンさせていくような仕事です。私は大阪支社にいたのですが、営業範囲は北陸・近畿・中四国という広い範囲でした。関西エリアのお客さんは、先輩たちが押さえていたので、私に回ってくるお客さんは北陸や四国エリアの方です。一番大変だったのは、真冬の12月に愛媛県で合った仕事です。前日に富山県の黒部市で建築の現場がありました。工事が延びてしまい、終わったのが夜の10時半。翌日の愛媛県の仕事は、朝7時に今治市に行かなければなりませんでした。ナビに場所を入力したら、700kmって出て、その距離を夜通し寝ずに運転しました。
新谷哲:事故にならなくて良かったですね。
角前壽一:ただ、少しハプニングがありました。現場の近くに5時ごろに到着したのですが、現場には8時にならないと入れませんでした。直前のサービスエリアに停車して、エンジンをかけたまま、暖房をつけて寝ました。7時くらいにフッと目が覚めると、ガソリンがなくなってエンジンが止まっていました。サービスエリアに停まっていたため、ガソリンスタンドは近くにあったのですが、エンジンがかからないのです。ヤバい、と思いながらタンクに残っているガソリンを入れるために、車をゆすってエンジンをかけ、ガソリンスタンドまで動かしました。その後、ガソリンを入れて現場に行った、というハプニングが思い出として残っています。
新谷哲:なるほど。その後、Webコンサルティング会社に転職されていますが、どのような理由がございましたか?
角前壽一:建築の現場をやっていた27歳の時に、大きい交通事故を2回やりました。1回目は、徹夜明けで現場に行った帰りです。高速道路で居眠り運転して、アクセル全開のまま120kmぐらいで中央分離帯に突っ込むという事故でした。車は廃車になりましたが、幸いなことに、車に乗っていた私と先輩の2人は無傷でした。その後はJAFを呼んで車をレッカー移動させ、私と先輩は電車で帰りました。これが1回目の事故です。2回目の事故はその半年後、プライベートで原付に乗っていた時に起こります。原付で走っている時に、一時停止無視した乗用車が脇道から出て、顔から突っ込みました。原付は廃車になり、私も集中治療室に救急車で運ばれました。親に連絡が行ったときは「息子さん、ちょっと危ないかもしれません」と言われるぐらいの大きな事故でした。私は事故する直前から、次の日の朝までの記憶がきれいに落ちましたね。この2つの事故を経験して「この先の人生は私にとってボーナスステージだ。生かされているのだとしたら、このボーナスステージを使い切った方がいい。自分が本当にチャレンジしたいことはなんだろう?」と考えました。その時に、「広告制作会社の社長みたいに、経営者として面白いことをする会社を作りたい」と思いました。その時に、どの事業で経営するかも考えます。当時、私がいた業界は、リーマンショックの影響があり厳しい時期にあったので、この業界での独立は難しいと考えます。そこで、これからはどのマーケットが伸びるのかを考えて、WebやITの業界を調べたことが、転職のきっかけになります。
新谷哲:なるほど。Webコンサルティング会社での思い出はございますか?
角前壽一:Webコンサルティング会社に入社したのは、独立して経営者になるためでしたので「覚えられるノウハウは全て吸収しよう」と考えていました。当時もう結婚して妻がいましたが、「狂ったように仕事していた」と妻から言われるぐらい仕事をしました。夜中は終電で帰ってきた後、2時ぐらいまで仕事をして、朝5時に起きます。そこから7時まで家で仕事してから、会社に行って引き続き仕事することを1年ほど続けました。この会社には、高学歴の優秀な新卒社員がたくさんいました。そのような人達がチームで、ロジカルに仕事をします。ITの領域のことは分からない私が、彼らと勝負していくためにはどうすればいいか、挽回するためにはどうすればいいか、を考えます。その答えが見えないまま、とりあえずアクセルを踏み切って仕事をしていましたね。やはり他のスタッフとはリズムが違いました。1人で突っ走って、本当に必死になって、1年間を駆け抜けました。
新谷哲:なるほど。その後、現在の株式会社Colorsを創業されて経営者となられますが、どのようなタイミングで独立をされたのですか?
角前壽一:最初に入社した企業の社長が31歳で経営者になっていたので、それよりも早く独立して経営者になろうと決めていました。期限を決めて、31歳になる3日前のタイミングで箱だけ作ったという感じです。
新谷哲:では「こんな事業をやろう、こんなサービスで会社経営をしよう」と決めてからの独立ではなく、日付で独立をして経営者になったのですか?
角前壽一:そうです。どの事業で会社経営をするかも決まっていなかったです。
新谷哲:経営者になった後、どのように事業を決めたのですか?
角前壽一:お恥ずかしい話ですが、知り合いの経営者に「会社を作ったので仕事ください」と頭を下げて回りました。そうしましたら、昔からお世話になっている経営者から「一緒に仕事をするパートナーがいるのだが、そこの事業を手伝うか?」と言ってくださいました。その事業はオフィスのプロデュース事業でした。オフィス移転される方のサポートとして、デザインやレイアウト、家具の剪定を行う他、インターネットの工事や、引っ越しの段取りをする事業です。その事業をフルコミッションでお手伝いをすることから、経営者としてのキャリアがスタートしました。
新谷哲:なるほど。角前壽一社長は現在「タスカル」というサービスの事業経営をされていますが、このサービスはどのような経緯でスタートをしたのですか?
角前壽一:この「タスカル」というサービスは、2018年の1月ぐらいにアイディアとしては出てきました。私には子供が2人いて、2018年1月は、下の子が妻のお腹の中に7ヶ月の状態だったときで、先生から「その子には先天性の心臓の疾患があります」と言われてしまいました。私も妻も大阪出身なのですが、当時は東京で上の子を育てながら仕事をしていました。しかし、下の子の話を聞いた妻の気が滅入ってしまったこともあり「妻と子の安心安全を守るために大阪に拠点を移した方が良い」と決めました。下の子は4月に生まれましたが、生まれてから1年くらいは入院や通院を繰り返しました。その関係で、大阪と東京を行き来するようになり、仕事の稼働時間を半分ほどに圧縮する必要がでました。仕事時間を圧縮する中で「お客様に迷惑をかけずに、売上を作るにはどうすればいいか?」を色々と考えて、「在宅のスタッフやモートスタッフを使って事業を推進していく」ことを決めました。2018年は在宅スタッフなどを使ってやりくりをする1年でしたが、仕事時間が半分になったのに20%ぐらい売上を伸ばすことができました。2019年1月には下の子の手術をする日程が決まり、手術が終われば通院で経過観察をするだけの環境に変わるタイミングだったこともあり「この働き方をたくさんの人に提供したい」と思いました。また下の子が大きくなった時に「お前が病気だったせいで、父ちゃんは東京と大阪を行き来しているのではない。お前がいたからこの事業が生まれたんだ」と説明できるものを1個持っておきたい、という気持ちもありましたので、手術が終わった後、2月1日から「タスカル」というサービス名でリリースをいたしました。
新谷哲:なるほど。よく分かりました。もしよろしければ、株式会社Colorsの事業内容とともに、「タスカル」のサービス内容もご説明いただけますか?
角前壽一:株式会社Colorsの事業は、大きく2つあります。1つは、会社の2期目から続けているWebの戦略コンサルティング事業です。通販サイトやポータルメディアの収益化のためのプロジェクトマネジメントをする仕事です。もう1つが、在宅スタッフを使ったクラウドソーシングサービスです。クラウドソーシングのようにお客様が仕事を自由に選択して契約する形ではなく、チームで動く生産性の高い組織を時間で貸していくモデルです。弊社ではこれを「オンラインアシスタントサービス」と呼んでおり、それが「タスカル」というサービスです。弊社はこの2つの事業経営を行っています。
新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をいたします。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きして「楽しい人と楽しい場にいること・神社仏閣巡り・楽しい人・風呂活・お風呂好き」とお答えいただきました。角前壽一社長は、お風呂好きなのですか?
角前壽一:お風呂はもう大好きです。大阪の家では、朝5時に起きて、子供が起きてくるまでの2時間、1人でボーっとお風呂に入りながらスマホで仕事しています。夜は子供と入ることが多いのですが、1人で入る機会があれば10時から12時ぐらいまでの2時間、ずっとお風呂に入るくらい好きです。
新谷哲:1日2回、計4時間入るという感じですか?
角前壽一:そうですね。お風呂に入るために睡眠時間を削っているかもしれないです。
新谷哲:なぜ、お風呂がそんなにも好きなのですか?
角前壽一:1人でゆっくり物事を考えられる空間が、お風呂だと思っているからもしれません。家のお風呂だけでなく、銭湯にもよく行ったりします。普段はついつい仕事に追われて、パソコンとかスマートフォンばっかりずっと触っています。そのために、本当に考えなければいけないこと、考えたいことにかける時間がなかなか取れていません。それを一呼吸おいて、思考をきちんと巡らす時間にするツールとして、お風呂を使っている感覚があります。だからいろいろ詰まってくると、お風呂の時間が長くなります。
新谷哲:なるほど。次に座右の銘をお聞きして「笑う門には福来る」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由は何でしょうか?
角前壽一:しんどいことはたくさんありますが、私はそれをしんどいと思わない性格みたいです。27歳で2回死にかけているのもありますが、「人生はボーナスステージで、起きること全てがギフトだ」という感覚があります。笑って楽しんでさえいれば、色々な物事は勝手に好転していくという体験もあります。原点回帰ではないですが、しんどくなればなるほど「笑う門には福来る」ことを思い出します。辛気臭かったり悩んでいたりすることは、もしかしたら自分の性に合っていないのかもしれません。周りの友達も「お前は明るく楽しくやっているというのが良いよ」と言ってくれますので、そこに立ち返る意味も込めて「笑う門には福来る」を座右の銘として大事にしています。
新谷哲:なるほど、素晴らしいですね。次が最後の質問になります。全国の経営者、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教え下さい。
角前壽一:座右の銘でもお話ししましたが、「笑う門には福来る」が私の成功の秘訣です。しんどいこと大変なことはあります。しかし、「しんどい大変」と思えば「しんどい大変」になります。楽しいとか、次に何が起こるのだろうとワクワクを持って取り組めば、それは一種のゲームなりイベントになると思います。そういう意味で、身の回りで起こる色々なことを、遊びを持って楽しんで事を進めていくことが、私にとっての成功の秘訣です。
新谷哲:大変素晴らしいお話でございました。角前壽一社長、本日はどうもありがとうございました。
角前壽一:ありがとうございました。
編集後記
今回の経営者インタビューは、「タスカル」というサービスを運営される、株式会社Colorsの角前壽一社長でした。大変面白いお話で、私も久々に「うちの若手に聞かせたい」と思いました。やはり明るく元気な方々は、経営者として成功していらっしゃいますね。そういう意味で「笑う門には福来る」はその通りだと思います。私も、もっと笑わらなきゃいけないと、思った次第です。
角前壽一氏
株式会社Colors 代表取締役
おもしろそうな事業をしている、という理由で広告会社に入社。2度の交通事故に遭い、生死の境をさ迷ったことで「ここからの先の人生はボーナスステージだ。生かされているならば人生を使い切らなければ」と経営者になることを決意し株式会社Colorsを設立。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、角前壽一氏(株式会社Colors 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。
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