成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 平間律子氏(ベースシステム株式会社 代表取締役社長)


本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、平間律子氏(ベースシステム株式会社 代表取締役社長)です。

学生時代に旦那様と出会い、2人で起業することを決められ、ソフトウェアの開発・販売をする事業をスタートします。しかし2007年に社長であった旦那様が病気で亡くなり、平間律子氏が社長を継ぐこととなりました。社長交代後に古参の社員が辞めるなどの困難に襲われますが、それを乗り越えて経営を続ける平間律子社長の経営者インタビューを、ぜひお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、ベースシステム株式会社の平間律子社長です。まずは経歴をご紹介します。静岡県浜松市出身。大学卒業後、一般企業に就職。その後結婚。学生時代から2人で起業を考えていた旦那様と1984年ベースシステム株式会社を創業。2007年に旦那様がご病気で亡くなられ、平間律子氏が社長となります。事業は自動車整備業向けソフト開発・販売をされています。本日はよろしくお願いします

平間律子:お願いいたします。

新谷哲:最初の質問です。浜松ご出身とのことですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

平間律子:大人しい子でした。

新谷哲:今の平間律子社長とは随分違いますね(笑)。

平間律子:違いますね(笑)。小学校時代はすごく大人しい子でした。ただ、家では全然違いました。家では気が強い女の子で、よく喋っていたのです。家と外で違った理由ですが、多分、体育が苦手なことが関係しています。目立って、体育が苦手なことがバレるのが嫌だと思っていました。例えば、先生の質問には絶対に手を上げませんが、指名されれば、ちゃんと答える子でした。でも、小学校時代の6年間を大人しくしていたら、良いことが何もなかったのです。それで、中学校への進学を機に、キャラを変えようと思いました。急速には変えられないのでちょっとずつ変えていきました。

新谷哲:平間律子社長とはよく飲みに行きますが、よくしゃべるイメージしかなかったので、小学校の時は大人しかったというお話に驚いております。キャラを変えたということは、中学校時代は活発だったのですか?

平間律子:キャラを変えていったのは、少しずつです。大きく変えるとおかしいので。人見知りですって言うと驚かれましたが、本当に人見知りなのです。多分、小学生時代に大人しかったのも、その辺りのハードルを越えられなかったからかもしれません。仲良しさんとは大丈夫なんですけど、知らない人だと恥ずかしくなります。これは今も同じです。

新谷哲:なるほど。高校も浜松ですか?

平間律子:浜松です。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

平間律子:高校は女子校でした。1学年に400人くらいいて、この時はだんだん活発になっていたのですごく楽しい高校時代を過ごしました。

新谷哲:では、今のおしゃべりは高校時代に身に付いたのですか?

平間律子:そうですが、私には兄と弟がいます。また、従兄弟の3人も男の子で、6人兄弟の中、女の子が1人という環境で育ちます。その影響か、女子高になかなか慣れなくて、友達から色々と指摘されました。その意味では、ちょっと苦労したかもしれません。

新谷哲:なるほど。大学は東京の大学に進学されたのですか?

平間律子:そうです。

新谷哲:東京の大学を選んだ理由はございますか?

平間律子:6つ違いの兄が東京の大学に行っていたからです。就職もしていたので父が「大学に行くのだったら東京で兄と一緒に住みなさい」と言うので、必然的に東京の大学になりました。

新谷哲:旦那様とは、大学で出会われたのですか?

平間律子:大学ではなく、合コンです。主人の高校時代の友人3人と私の高校時代の友人3人で集まりました。

新谷哲:なるほど。大学卒業後は、一般企業にご就職とお聞きしましたが、どのような企業に就職されたのですか?

平間律子:ファンシ―グッズを扱う会社の、一般事務の仕事です。大学では管理栄養士の資格が欲しくて、管理栄養士の専攻を選びました。色々と検討した結果、小学校で管理栄養士として働こうと思ったのですが、就職口がありませんでした。そこで一般企業に行くと決め、女性が好きなファンシーグッズなどの企画をする会社に入りたいと思いました。でも、よく考えたらファンシーグッズの企画は美大出身者の仕事なのです。そこで、仕入れをしたりする一般事務として入社しました。

新谷哲:その後、旦那様とご結婚されて独立されていますが、お付き合いをされていた頃から旦那様と起業するというお話しだったのですか?

平間律子:そうです。「色々なことをやりたいね」という話をしてきました。実際に、学生時代から2人で色々なことに取り組んでいました。その中の1つに、夜間、ドライバーの隣に座ってガードマンみたいなことをする仕事がありました。仕事をしている時に、主人がインベーダーゲームを見つけて虜になってしまったのです。そこから話が大きくなり、駄菓子屋さんやホテルにインベーダーゲームをリースする仕事になり、結構当たりました。2人で「これはいいね」と思っていたのですが、その業界がヤクザっぽい業界だったことから、「やっぱりこれは違う。もっと別の仕事を探した方が良いね」となり、2人とも一般企業に就職して仕事を探すことになります。ただ主人とは同い年なのですが、主人が浪人していた関係で、私が先に就職をしていました。

新谷哲:では、実質的に学生時代から起業して経営者をしていたのですね。現在はソフト開発の事業をしているということは、当時は2人でゲームを考えて、プログラミングなどをしていたのですか?

平間律子:違います。企画開発は主人で、私が営業です。主人は技術者なので、営業が得意ではないのです。例えばホテルにゲームを置いてもらうようにお願いをしたのは私です。あまり戦略的でなかったので、どう言えば売れるのかがあまり考え付きませんでした。しかし、「こういう形でアプローチしたらいけるのではないか?」と考えてアプローチをすると、上手く行きました。それで営業になったのです。

新谷哲:なるほど。ベースシステム株式会社は1948年に起業されていますが、なぜ自動車整備向けのシステム開発会社として、事業経営を始めたのですか?

平間律子:起業した理由は、私の方が起業をすごくしたかったからです。そんなに大きくはありませんが、父が30人ぐらいの製品関係の問屋を営んでいました。小さい時、会社に遊びに行ったことがあったので、私のイメージで「30人くらいの会社って面白そう」と思っていました。でも「自分にはできないかもしれない」とも思っていたので、ちょっと主人をそそのかして起業しました。多分、主人と出会わなければ起業はしていなかったと思います。自動車整備向けシステム・ソフト開発の分野で起業した理由は、主人がコンピューターの企業に就職したことがきっかけです。1年ほど働いて色々と覚えて、試しに何かを作りたくなったのでしょう。主人は車やバイクが好きで、整備工場をやっている友人もいました。そこに遊びに行って、文字のシステムを作ることになります。その時に「すごく良いものが出来た」と勘違いをしました。当時は、プログラムを作れるパソコンが出てきたばかりの頃で、かな文字が書けるプログラムなら稼げると勘違いして、会社を起業しました。

新谷哲:その時に、平間律子社長が旦那さんの背中をぐっと押したのですね(笑)。

平間律子:そう、すごい押しました(笑)。

新谷哲:なるほど(笑)。会社を起業したころ、何か苦労したことはございますか?

平間律子:何も分からなかったところから始め、面白かったから苦労したことはそんなにはありませんでした。コンピューターの会社はどこもそうですが、土日がなく毎日遅くまで仕事をしました。そのような時代が結構続いたのですが、作ることが楽しかったです。初めはプログラムを作る人もおらず、プログラムを作ることも得意ではなかったのですが、自分で作ったものが動くというのは、楽しかったです。営業や資金繰りの面でもあまり苦労はしていませんでした。多分、ITの事業だからだとは思いますが、意外と上手くいっていました。

新谷哲:それは、製品がよく売れたということですか?

平間律子:いえ、簡単に売れませんでした。最初のユーザーになったのは、同じマンションに住んでいた人です。私は8階に住んでいて、たまたま8階の理事みたいなものに決まったのです。ユーザーになっていただいた方は、マンション全体の理事長のような方だったのです。その方が整備工場をやっていると聞いて、売り込みに行って買ってくれました。でも、その後は簡単には売れません。そこで代理店に営業に行き、その中で「こういうものは作れないか?」と話がくるようになりました。当時はプログラムが作れるのが主人1人だけだったので「そんなすごいシステムは作れない」と思って高い見積もりを出したのです。でも主人はプログラマーだったので、営業から見れば安い金額で見積もりを出し「こんなに安くできるのならやってください」と下請け的な仕事がくるようになりました。そのため、あまり苦労はしていません。

新谷哲:わかりました。2007年に旦那さんがご病気で亡くなられ、平間律子社長が継いでおりますが、もともと継ぐ気はあったのですか?

平間律子:はい、継ぐ気はありました。2人の思い出が詰まった会社なので、私がちゃんと引き継がないといけない、という思いがありました。しかし、経営者をするには力不足だという不安はありました。

新谷哲:では、ご主人になにかあったら、引き継ぐつもりだったのですね。会社を継がれてからの苦労などはございましたか?

平間律子:いっぱいありました。まず主人が亡くなる前に幹部を4人呼んで、副社長であった私のことをよろしくと言ったのです。私には、この4人を頼りにすれば絶対に大丈夫、と言ってくれました。でも、最終的にはその幹部は1人も残っていません。

新谷哲:その4人がいなくなった後、会社は順調だったのですか?

平間律子:全然、順調ではありませんでした。一番苦労したのは、ベースシステムは営業がダメな技術の会社だった点です。技術の柱となる人材である主人がいなくなったので、企画を立てることができなくなりました。主人が亡くなった時は、新しいものを作る準備をしなければいけない時期でしたが、仕様を設計する人がいなかったのです。社員が作ったのですが全然できず、1年半もかかりました。その間に、できないことに責任を感じてどんどん辞めていくのです。会社内のトラブルとかも色々あり、本当は社長が色々と指示をしなければいけない状況だったのですが、私はプログラムのことはよく分からないので、的確な指示が出せませんでした。その結果、チームのマネージャー的な存在がいなくなってしまいました。

新谷哲:では、システムの方は、外から引っ張ってきたのですか?

平間律子:そうです、外からです。主人がいた時代から残っていた人が1人と、あとは外から良い人が入ってきて、少しずつ立て直しをしました。

新谷哲:営業には、穴が空いたのですか?

平間律子:営業は3人いて、1人が辞めて、2人が残りました。しかし商品開発が進まないので、年間3,000万円くらいの赤字が、2回くらいでました。そのくらい売れませんでした。「商品が古いから売れないのかな?」と思ったのですが、友人から「営業部長が問題だから辞めさせろ。でなければベースシステムは絶対に潰れる」と言われます。しかし、私は3年間、彼を辞めさせることが出来ませんでした。最後には辞めさせるのですが、それを決めた出来事があります。ある社員が辞める時に「社長に話があるので盛岡営業所に来てください」と言ってきたのです。辞める社員は部長の悪口は言わないのですが、「もしかして部長のことを言いたのではないか?営業部の皆は部長についていると思っていたけど、実は部長のことが嫌いなのかもしれない」と思ったのです。例えば、社員から「色々な営業所に来てください」と言われていたのですが、部長からは「一切来るな」と言われていたので、行きませんでした。また、部長が辞めたら誰も残らないのかもしれない、とも思っていました。しかし、よく考えたらベースシステムは私と主人と、友人の3人で始めた会社です。誰も残らなくてもそこに戻るだけと思い、部長を辞めさせたのです。そうしたら、皆がすごく働くようになって、数字も上がってきたのです。なんで変わったのかを聞くと、これまでは数字が悪いことを理由に「昼間しかお客様の所に行かないのに、夜12時頃まで残っていた。土日も出ろと強制されていた。そのため疲れ、営業に行くべき昼間に寝ていて全然働いていない」という状況だったことが分かりました。また日報を書かせていたのですが、社員の皆は「作文大会でしかなかった」と言っている状態でした。そのため、部長を辞めさせていなくなったとたん、安心して働くようになったのです。そういう意味では、結果的に幹部の4人には去っていただいたことは良かったのかもしれません。

新谷哲:なるほど。ここからは、違う質問をいたします。事前に「好きなこと・好きなもの」をお聞きして、「食べること・心理学・交流分析」とお答えいただきました。一番気になったのですが、交流分析とはなんでしょうか?

平間律子:分かりづらいですよね(笑)。交流分析とは、コミュニケーションの学問です。良いコミュニケーションを取るにはどうするかを考えます。まず、エゴグラム自己分析というものを行い、自分がどのタイプなのかを知ります。例えば、お母さん的なタイプとか、お父さん的なタイプとかが分かります。次に倫理的なタイプか、感情的なタイプか、というような分析をして、自分がどの性格なのかを知ります。この性格がどういうものかを知ることで、相手のタイプを推測することが出来ます。例えば新谷社長と話す中で、「このような考え方をしているから、このタイプの性格なのだな」と考えることができ、相手に合わせた説明ができるようになります。論理的なタイプであれば、数字などが書かれた資料を見せながら説明をし、感情的な性格であれば、数字で説明してもダメなのでノリで「私が頑張ります」といって説得するなど。相手に合わせたコミュニケーションができるようになります。

新谷哲:それがお好きということは、人間ウォッチなどが好きな感じですか?

平間律子:そうです。小学校時代から好きでした。

新谷哲:ありがとうございます。次に座右の銘をお聞きして「おばあちゃんからの教えで、男の方がダメなのよ。男に過度な期待をしない。女より優秀なところがいっぱいある。駄目な所もいっぱいある」とお答えいただきました。これを選んだ理由はなぜでしょうか?

平間律子:私の中では、おばあちゃんはすごく大切な存在で、教えられた中で一番良かったと思っているから選びました。

新谷哲:男性にはあまり期待しないという意味だと思いますが、亡くなられた旦那様にもそこまで期待をしていなかったのですか?

平間律子:主人は優秀でしたが、バカな部分もありました。普通の女性は「優秀な男性は全てが優秀だ」と思い、男性のダメな部分を見ると「男らしくなってガッカリした」となります。しかし私はおばあちゃんの教えのおかげで「この部分は優秀だけど、この部分はダメ」という見方ができるようになっていました。この考え方は仕事でもすごく役に立っていて、社員たちのマネジメントにも活かしています。

新谷哲:次が最後の質問になります。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教え下さい。

平間律子:私は「経営者はリーダーシップを上手く取る人」だと思っています。私は上手くリーダーシップと取れないのですが、ある時「リーダーシップには色々な取り方がある」と気が付きました。私は「あれやって、これやって」ということはできませんが、人をその気にさせることは得意です。だから社員が張り切って仕事ができる雰囲気や、仕組みを作ったりしています。

新谷哲:平間律子社長は褒め上手だと思いますので、私も褒め上手になろうと思います。本日はありがとうございました。

平間律子:ありがとうございます。

編集後記

平間律子社長は、2代目社長ということになりますね。私と仲の良い経営者ですが、知らないお話がいっぱい出てきました。成功の秘訣で出たように、リーダーシップには色々な形があります。私ももっとリーダーシップや、マネジメントを上手くならなければと感じさせていただきました。経営者の皆様も、ぜひ、リーダーシップの勉強をしていただき、成功経営者になっていただければと思います。

平間律子氏
ベースシステム株式会社 代表取締役社長

学生時代に旦那様と出会い、2人で起業することを決められ、1948年にソフトウェアの開発・販売をする事業をスタート。2007年に社長であった旦那様が病気で亡くなり、平間律子氏が代表取締役社長長に就任。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、平間律子氏(ベースシステム株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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