経営者インタビュー 池本克之氏(株式会社パジャ・ポス 代表取締役)Vol.1|経営ノート

経営者インタビュー 池本克之氏(株式会社パジャ・ポス 代表取締役)Vol.1|経営ノート

「社長に聞く!」経営者インタビュー 〜活躍する現役社長に、経営者としての半生をお聞きしました!

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、株式会社パジャ・ポスの代表取締役、池本克之氏です。池本克之氏は、現在、組織学習経営コンサルタントとして、数多くの企業の業績向上のご支援をなさっておられます。幼い頃から高校時代まで、野球に明け暮れる日々だったという池本克之氏が、経営者として成功を収められるまでのストーリーをお話しいただきました。また、経営者として成功した経験をお持ちだからこそ伝えられる「事業を拡大するコツ」を、惜しみなくお教え下さっています。どこまでも勤勉でストイックなお人柄が溢れるお話を、どうぞお楽しみください!

(2017年1月配信)


 

新谷哲:今回の経営者インタビューは、私の大変尊敬する池本克之氏です。まずは経歴をご紹介させていただきます。池本克之氏は1965年神戸市生まれでいらっしゃいます。大学卒業後さまざまなお仕事をご経験された後、株式会社ドクターシーラボに移籍をされました。代表取締役に就任され、JASDAQ上場まで貢献しております。その後ドクターシーラボを退任され、ネットプライスの執行役員に就任。そのネットプライスもマザーズ上場ということで、経営者としては大変珍しい2度も株式公開、上場を経験されているという素晴らしい方でいらっしゃいます。今現在は組織学経営コンサルタントとして、多くの企業様の業績向上、企業文化の発展をコンサルティングされていらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。

池本克之:よろしくお願いします。

新谷哲:まずは出身地。僕は知らなかったのですが、神戸市。

池本克之:そうなのですよ。

新谷哲:子どもの頃、どんなことをされたという思い出はございますか?

池本克之:神戸で生まれて、もう小学校1年生の1学期しか神戸の小学校に行っていなくて、すぐ千葉に引っ越しました。私の父が当時娯楽といえばもう野球しかなくて、野球選手になるものだと僕も思っていましたので、幼少の頃はもうずっと野球少年でした。

新谷哲:野球はどのポジションを守っていたのですか?

池本克之:小、中学生の時はキャッチャーですね。

新谷哲:それは大変びっくりですね。ピッチャーかと思いました。

池本克之:そんなわがままに見えます?別にピッチャーの人はわがままじゃないか(笑)。

新谷哲:その後、東京に出られて、東京の大学を出るということになると思いますが。

池本克之:正確にいうと高校は茨城県なのです。野球で全寮制の厳しい学校でした。キャッチャーは立ったり座ったりで。下級生は楽させてもらえなくて、足痛いなと思って内野手に転向しました。大学は神奈川県です。

新谷哲:神奈川ですか。

池本克之:日大の当時は農獣医学部といっていましたが、今は生物資源科学部です。アグリカルチャーとかバイオとかそういうことを勉強する学校で、でも勉強しなかったというパターンですね(笑)。

新谷哲:今の池本克之さんからするとちょっと分野的には全然違いますね。理系なのですね?

池本克之:理系です。僕も行ってびっくりしました。絶対にこれは農作業をすればいい体育会系だと思って、高校の先生にそう言われたので。それだったら大丈夫ですよとかって言って進路を決めました。行ったら完全に理系に決まっているじゃないですか。完全に理系で、勉強では苦労しましたね。

新谷哲:では、本当は農業系とかに将来は行きたいとか、思っていたのですか?

池本克之:衝撃のことを告白していいですか?

新谷哲:はい。

池本克之:全然興味がなかったのですよ(笑)。

新谷哲:本当ですか!?

池本克之:本当です。日大の附属高校で野球ばかりしていたので、勉強をして上の日大に行けるのが、あんまり良い学部が無くて…。法学部とか経済学部とか、本当は心理学部に行きたかったのですが、全然点数が足らなくて選択肢がなかったのです。

新谷哲:池本克之さんというと聡明なイメージですので、すごく勉強できたイメージなのですが、あんまり勉強は大学入ってからもされなかったのですか?

池本克之:そんなことはなくて、高校で野球は夏の大会に負けて終わり、大学のセレクションというのがある訳です。実技試験みたいな。恐れ多くもそれを受けに行きましたら、全然歯が立たないというか、他の有名な学校からいっぱい来ている訳ですよ。この人達と勝負して、勝ち抜いてレギュラーを取って、プロ野球選手になれる訳ではないし、そもそももう体のサイズが全然違うのですよ。これ駄目だと思って、もうそのセレクションを受けに行って、30分ぐらいで野球は諦めました。よしここから勉強しようと思って、体育会クラスと言ったらいいのでしょうか?その中で、勉強で上に上がれて、一応クラスでトップにはなりました。

新谷哲:やっぱり聡明でいらっしゃるのですね。

池本克之:たかだか学校のレベルが知れていますから。

新谷哲:その後就職をされると思いますが、どんな企業に入られたのですか?

池本克之:最初は農学部出ておいて金融だったのです。これがとても良くてですね。何が良かったかというと、金融知識をその時徹底的に実地で身につけたというのでしょうか。今でいうノンバンクというやつですね。当時はバブル期末期に差し掛かっていました。誰もそうだとは思っていませんでしたけど…。会社として間接金融なので、お金を銀行さんから借りてきて、その借りてきたお金にさらに金利を乗せて、銀行が貸せないちょっと危ない会社とか、ちょっと審査上問題がある会社に貸し付けるということをやっている会社の中で資金調達の担当だったのです。

だからいろんな銀行さんに行って、今はなき日本興業銀行の頭取室とかに25、6歳で入っちゃって、何かものすごい毛足の長い立派な絨毯が敷いてあったりしてですね。足がもつれてつんのめりそうになったりして、もうガチガチになりながら自分の会社の事業説明をして、お金を貸してくださいと言うわけです。といっても当時のことなので会社自体が、僕が辞める時というか、会社がバブルでおかしくなった時に借入金が1兆円ありました。

大きい銀行に行って、「お金貸してください、今期の希望額は1000億です」とか、「1500億です」とか、そのお金を借りるための説明をするというような、もう当時は本当おかしくなっていましたよね、世の中が。それを25、6歳のペーペーが平気でやっておりました。

新谷哲:すごい話ですね。

池本克之:そうなのですよ、ラッキーで。そういう場面を経験できて、金融知識、お金を借りるってどういうことかとか、ベタな話でいうと、手形小切手法は何なのだとか。もう何十億の手形小切手を持って歩いていました。そういうことを勉強できたというのは、とてもその後の人生にすごく良い影響がありましたね。

新谷哲:その後さまざまなご職業をご経験されてから、ドクターシーラボに入るのですね。

Vol.2へ続く

 

[プロフィール]池本 克之 氏
株式会社パジャ・ポス 代表取締役

1965年神戸市生まれ。資金調達、海外ホテルマネジメント、生命保険営業の後、マーケティング会社設立、通販会社の経営を経て、ドクターシーラボ、ネッ トプライスなどの社長を経験。両社の上場、成長に貢献する。現在は、プロフェッショナルマネジメントの経験をクライアントに提供するブレイクスルー戦略コ ンサルタント。一部上場企業、業界トップ企業からベンチャー企業まで100社以上にコンサルティングを行い、業績の向上率は96.4%を超える。著作、講 演、メディア出演多数。株式会社パジャ・ポス代表取締役、NPO法人Are You Happy Japan 代表理事。

 

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。

今回は、株式会社パジャ・ポスの代表取締役、池本克之氏の経営者インタビューを取り上げました。

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