成功経営者インタビュー

21LADY株式会社 代表取締役社長 広野道子氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、広野道子氏(21LADY株式会社 代表取締役社長)です。(2018年4月25日 2018年5月 2日 配信)

今回は21LADY株式会社 代表取締役社長 広野道子様にお越しいただきました。シュークリームの老舗チェーン「ヒロタ」、北欧家具・インテリア雑貨・キッチン用品の販売店舗の運営及び企画開発を行う「イルムス(ILLUMS)」の2ブランドを擁するライフスタイル産業の総合支援事業を展開されています。関西学院大学卒業後、ポッカクリエイト、タリーズコーヒージャパンなどのフランチャイズチェーン企業を経て、会社を設立した経緯など、活きた経営の話はとても参考になるかと存じます。男性顔負けのパワフルな女性経営者、広野道子氏の経営者インタビューを、ぜひお聞きください!

新谷哲:今回の経営者インタビューは、21LADY株式会社広野道子社長です。まずは経歴をご紹介いたします。京都府生まれ、関西学院大学卒業後、株式会社ベンチャー・リンクに入社。FC本部の支援するグループ会社の代表取締役専務として20社のFC本部と提携及びFC開発を行ってこられました。1993年プラザクリエイトへご入社、取締役社長室長としてグループ戦略の構築推進を行います。同時にポッカコーポレーションとの合弁会社ポッカクリエイトの創業に関わり、専務取締役とFC展開全般を担当、3年で100店舗を達成。その後、三井物産グループのベンチャーキャピタルの上級副社長及びタリーズコーヒージャパンの取締役副社長、大戸屋の社外取締役等々、大手の企業様の取締役役員を歴任されていらっしゃいます。2000年にはライフスタイル産業総合支援事業として21LADY.COM株式会社を創業され、その後洋菓子のヒロタのスポンサーとなり代表取締役社長にご就任をされ、今現在に至るという形で大変多くの有名企業の役員もやっていらっしゃいます。私も尊敬する経営者でいらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。

広野道子:よろしくお願いします。

新谷哲:ご出身は京都ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか?

広野道子:小学校・中学校は、私は丹後というところで、どちらかというと周りも何か商売をしている家が多かったです。うちの家も丹後ちりめんの商売をやっていました。どちらかというと勉強は好きという訳ではないので、普通に勉強はしていましたが、その頃ですからゲームもないし、外で遊び回っていましたね。

新谷哲:なるほど。経営者になったのは、お父様の影響ですか?

広野道子:それもありますが、それだけではないですね。普通に会社に入ってやっているうちに何となく経営者になったという感じです。本当に何となく(笑)。

新谷哲:高校も京都の丹後地区の学校に行かれた?

広野道子:はい、宮津高校です。

新谷哲:高校時代は何か思い出はありますか?

広野道子:そんなガツガツ受験勉強もしていなかったし、皆でほんわりやっていました(笑)。

新谷哲:その後、関西学院大学を選ばれていらっしゃいますが、何か選ばれた理由はありますか?

広野道子:大体その頃皆一緒なのですが、公立高校に行くと大体浪人するのですよ。1回では受からなくて、最初は神戸の女子大に受かったのですが、やっぱり女子大って行きたくないと思って入学金を払っていたのに入学をやめて、京都の駿台予備校に行ったのです。いろいろと学校を見に行って、京都の学校はお寺の中とかにあって、いろいろ狭くなっていますが、神戸のほうに行くと学校がすごく綺麗だし、1回見に行こうということになったのです。関西学院大学を見に行ったら、すごいキャンパスがアメリカみたいで格好良くてここだと思って、学部は関係なく、関西学院大学に入ろうということを決めたのです。

新谷哲:関西学院大学の時代の思い出は何かありますか?

広野道子:文学部ですから、7割が女性なのです。3割ぐらいしか男子がいなくて、他の学部に行くと、10人に1人しか女子がいないのです。行ってみたら女子大みたいな感じだったのですが、それはそれで楽しい学生時代で、1つの思い出は2年目の時にドイツ語を落として結局留年してしまったのです。5年学校に行くはめになってしまって、時間ができたので、アルバイトばかりしていました。

新谷哲:そうでいらっしゃいましたか。卒業後、私も以前に在籍していたベンチャー・リンクに入社されたのですか?

広野道子:卒業してすぐにベンチャー・リンクに入ったのではなくて、その前に1社あります。私が卒業した85年は、男女機会均等法の1期生で、女性の総合職のない時代だったのです。就職は難しいだろうと思っていたら、日経新聞の片隅に富士通オアシススクールというところで募集があり、受かりました。そこに1年ぐらいいました。ベンチャー・リンクに入った理由は、ベンチャー・リンクやそのグループ会社の日本エル・シー・エーに入っている友達と集まる機会があったのです。そこで「すごく面白そうなことしている」と感じ、さらに、雑誌に「集合天才」と書いている会社があったのです。「これは何だろう?」と思ってよくよく見たら「日本エル・シー・エー」と書いてあったので、受けに行きました。

新谷哲:ベンチャー・リンクや日本エル・シー・エーでは色々と活躍されていますが、思い出や苦労話はございますか?

広野道子:ちょうど入ったのが88年で、バブルの絶頂期だったのです。当時はあまり分からなかったのですが、「最初の仕事は松山に行ってください」といきなり出張しました。「松山の東邦総合銀行と契約できましたので、3人で会員を募集してください」という内容です。この3人って私を含めた数で、あと2人はベテランでした。2月か3月ぐらい松山に行って、3人で500社程会員にしたのです。「これはすごい!」と銀行の頭取が気を良くして、「ベンチャー・リンクの経営者も呼んで、一緒に食事会をしましょう」ということになって、当時ベンチャー・リンクの経営者だった小林忠嗣さんを呼んで食事会になりました。あれは面白かったです(笑)。

新谷哲:では、1年生ですぐに活躍されたのですね。

広野道子:当時はバブル絶頂期なので、たまたま集まったのです。銀行の支店長がリストアップしている訳です。「この20社、大体会員になりますから」と言って本当に会員になる。支店長とか副支店長とか次長が言えば全部入る、良い時代でした。経営者も、「年間12万円の会員か、しょうがないな」と言って入る、良い時代でした(笑)。

新谷哲:今、広野道子社長がおっしゃっているお話は、私も入社した最初の頃に経験しました(笑)。

広野道子:支店長は強いですよね。1か月で、1人で150社ぐらい会員にしました。

新谷哲:多分それがあって、ベンチャー・リンクはその後、店頭公開するのですね。

広野道子:はい、そうですね。

新谷哲:ベンチャー・リンク時代には何か経営者として勉強になった、と思える思い出はございますか?

広野道子:経営者としていろいろ勉強になりましたが、やっぱり「休まない」ことが経営者の勉強になりました。私は週の初めには京都にいるのですが、会員獲得とか銀行の経営セミナーで地方に行きました。いろいろやって、土曜日か金曜日の夜に京都に帰って来て、土曜日会議して、日曜日にまた地方に移動する、という休みがない仕事をしていました。今で言うブラック企業ですが、それが習慣になってしまいました。経営者としては、働き続ける習慣がついて良かったです。

新谷哲:ベンチャー・リンクを退職後、次々と有名企業の取締役、専務など、経営幹部を歴任されていますが、ベンチャー・リンクを辞めるきっかけは何だったのでしょうか?

広野道子:90年に結婚しました。やっぱり結婚をすると、しょっちゅう出張にも行けないですよね。「出張のない仕事が良いな」と思っていたところに、たまたまフランチャイズの説明会を一緒にしていた「プラザクリエイト」という会社が、上場準備をしたいと東京に出てきたのです。「これはもうずっと東京で、出張がないだろう」と思い、転職しました。

新谷哲:でもその後も、本当に次々と取締役、専務と、経営幹部をされています。それはプラザクリエイトで成功されたから、経営幹部として呼ばれたのでしょうか?

広野道子:それもあります。プラザクリエイトの時にカフェ・ド・クリエというフランチャイズのカフェをゼロから、新規事業で作ったのです。ポッカコーポレーションという名古屋のコーヒーの老舗の缶コーヒーを作った会社ですけど、そことの合弁事業を立ち上げて、100店~150店を出店したのが良かったと思います。

新谷哲:その後、21LADY株式会社を起業され経営者となっていますが、起業のきっかけはございますか?

広野道子:自分で経営者をやろう、とは思っていませんでした。「ライフスタイル提案を、ネットでやろう」というコンセプトのアメリカの会社が、日本支店を作りたいという相談が、私の友達経由であったのです。「支店なら何とかなるだろう」と思って準備をしました。場所を抑え、事務所を抑え、お金も集めたのですが、本社の経営が急激に厳しくなり、日本への進出がなくなりました。

新谷哲:ではアメリカの企業が来ないので、起業して経営者になろうと考えたのですか?

広野道子:お金も結構集まっていたので、「これなら自分でも経営できるかもしれない」と思い、社名だけ「21LADY」に変えて事業経営をスタートしました。「コンセプトは一緒だけど、向こうがやらないと言うので日本だけで事業経営します」と言った時に、最初に2億円ぐらい集まりました。

新谷哲:その後、シュークリームの老舗チェーンの「ヒロタ」のスポンサーになりますが、スポンサーになった経緯はございますか?

広野道子:これはヒロタを買う前の話になるのですが、一緒にプラザクリエイトで経営幹部をしていた方が、シューファクトリーという事業を経営していましたが、業績がどんどん悪くなり、債務超過になりました。債務超過なので資金調達できず、「食材費が払えない、給料が払えない」と、大変なことになっていました。

そこで「シュークリームの事業を買いますから、これで給料を払ったらどうですか?」と3000万円で会社を買ったのです。それが、創業から1年後のことです。その2か月後に洋菓子のヒロタが民事再生になり、株主の1社である三井物産の人から「ヒロタという会社が潰れて民事再生になるのですが、興味ありますか?」というメールがきたのです。

新谷哲:ではご縁という感じなのですね?

広野道子:そうですね。2か月後に、同じシュークリーム繋がりでたまたま話がきました。

新谷哲:スポンサーになられる訳ですが、実質は買収しての立て直しになりますから、「怖い」などの思いはございましたか?

広野道子:基本的にヒロタの事業自体は、誰でも知っているシュークリーム屋さんでしたので「シューファクトリーという誰も知らないシュークリームよりはブランド力もあるから何とかなるのではないか」と思ったのですよね。

新谷哲:じゃあ怖いとか、そんな感じは無かったのですか?

広野道子:はい、あんまり思わなかったですね。

新谷哲:ちょっと横道にそれますが、広野道子社長は経営をしているときに、怖いとは思われないのですか?

広野道子:あんまり思わないですね(笑)。

新谷哲:スッといく感じなのですね。

広野道子:どちらかというと文学部なので、あんまり考えないのです。理系や経済の人なら「このケースだったら大丈夫」と先を考えますが、私は全然考えないです。

新谷哲:考えないのではなく、度胸があるのだと感じます。話しを元に戻しまして、現在の21LADY様の経営している事業をご説明いただけますか?

広野道子:現在、21LADYはホールディングスカンパニー、持ち株会社です。この下に洋菓子のヒロタという会社と、デンマークの家具とか雑貨をやっているイルムスジャパンという会社と、フィンテックの会社、の3つがぶら下がっているという形で経営しています。

新谷哲:では起業の時にお考えになった「ライフスタイルの提供」が着々と広がり、経営の幅も広がっているのですね?

広野道子:そうですね。将来は、10ブランドぐらいに増やして経営しよう思っています。

新谷哲: 「10ブランドにして、事業領域もっと広げていく」という経営方針と思ってよろしいでしょうか?

広野道子:そうですね、はい。

新谷哲:違う質問もさせていただきます。好きなもの・好きなことで「ヨウカン」が好きとお答えいただきました。「ヨウカン」はお菓子ではなく、館の洋館ですよね?

広野道子:はい、とらやの羊羹ではなくて、館の「洋館」です(笑)。

新谷哲:洋館が好きな理由はございますか?

広野道子:別に京都にいっぱい洋館があるわけではないのですが、私が通っていた駿台予備校に向かう途中に、平安女学院という学校あるんですよ、そのすぐ近くに、すごくおしゃれな洋館があります。多分、大丸の創業者の家だと思うのですが、それを見て「洋館って良いな」と思い、いくつかの洋館を見ました。将来は自分でリフォームじゃないけど、その洋館の良さを残して住みたいと思っていました。

新谷哲:その夢は叶えられたのですか?

広野道子:全然、叶えていないです。だから都心に住んでいます。

新谷哲:そうすると、洋館を買うまでは21LADYさんを広げなければなりませんね(笑)。

広野道子:そうですね。洋館はなかなか買えませんから(笑)。

新谷哲:座右の銘は「温故知新」ということですが、選ばれた理由は何でしょうか?

広野道子:日本自体が、「温故知新」「古きを温め、新しきを知る」だと思います。日本は、100年以上続く会社って6万社もある珍しい国です。日本の中には古い文化があり、その中にも良いものがいっぱいある。そういう部分をちゃんと生かしながら、新しいことに挑戦することが大事だと思っています。

新谷哲:広野道子社長のインタビューをさせていただくと、洋館好きだったり、ドットコム企業に挑戦されたりと、「温故知新」という感じで生きていらっしゃっていて、大変尊敬します。最後のご質問になります。全国の経営者向け、これから起業する方に向けて経営者として成功する秘訣・方法をお教え下さい。

広野道子:経営者として成功の秘訣はやっぱり「続けること、諦めないこと」。多分、誰でも同じことを言っていますが、「最後に残る人が強い」と私は思っています。今サラリーマン社会では、大企業の経営者は任期4年とか6年で大体辞めますよね。しかし、私も知っている人で50年ぐらい経営者をやっている人がいます。サラリーマン経営者よりも、50年経営者やっている人の方が、話を聞いていて面白いです。今人生100年時代ですから、100年を見据えて、100歳を見据えて、自分のライフプランを考えようかなと思っています。だから2年や3年では出来ないこと、10年20年かかることがあっても良いと思います。

新谷哲:続けることが大切、ということですよね?

広野道子:そうですね。諦めずに続けると。そのうちにきっと何か良いことがあります。

新谷哲:是非、全国の経営者に真似していただければと思います。広野道子社長、本日はありがとうございました。

広野道子:どうもありがとうございました。

編集後記

広野道子社長は、大変パワフルですね。私もベンチャー・リンク出身ですので、広野道子社長とはご一緒に働いたことはないのですが、大先輩です。これだけパワフルだから大活躍もするし、大きな企業の経営幹部も歴任するのだと思います。「続けることが大切」とお話があり、明るさを続けている大活躍の女性経営者です。私ももっと見習わなきゃいけないなと思いますし、もっと弊社WizBizを続けられるように頑張っていきたいと思います。

広野道子氏
21LADY株式会社 代表取締役社長

関西学院大学卒業後、株式会社ベンチャー・リンクに入社。FC本部の支援するグループ会社の代表取締役専務として20社のFC本部と提携及びFC開発を行う。1993年プラザクリエイトに入社、取締役社長室長としてグループ戦略の構築推進を行う。2000年にはライフスタイル産業総合支援事業として21LADY.COM株式会社を創業。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、広野道子氏(21LADY株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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