成功経営者インタビュー

経営者インタビュー glafit株式会社 代表取締役CEO 鳴海禎造氏

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、鳴海禎造氏(glafit株式会社 代表取締役CEO)です。(2018年11月14日 2018年11月21日 配信)

今回は、「日本を代表する次世代乗り物メーカーを目指す」とビジョンを掲げる、glafit 株式会社鳴海禎造社長にお越しいただきました。和歌山県出身、小学校・中学時代はバスケットボールに没頭。15歳から服の転売でお金を稼ぐ事業を経営なさっていました。大学を卒業した2003年、企業へ就職することなく22歳で自動車販売店「RMガレージ」を起業し経営者となられます。2008年に自動車輸出業の経営などを経て、現在のglafit株式会社を設立されています。先日は、電動ハイブリッドバイク「glafit」で1億2800万円の資金調達を実現しました。成功の秘訣は「明・元・素」。この言葉通り、バイタリティーに溢れた経営者・鳴海禎造社長にお話をお聞かせいただきました。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、クラウドファンディングで1億円以上集められた、glafit株式会社代表取締役の鳴海禎造社長です。まずはご経歴をご紹介させていただきます。1980年和歌山市に生まれ、15歳の時から商売の経営を始められます。2003年カーショップ「RMガレージ」を起業し経営者となられます。2007年自動車輸出業「FINE TRADING from JAPAN」を起業し、翌年には法人化。その後、中国などで生産管理業で現地法人を設立し、業務を拡大されました。2012年には「glafit」というメーカーブランドを立ち上げ、2015年には和歌山電力の立ち上げに協力し、取締役に就任。2017年5月には「glafitブランド」で初めての「glafitバイク」を発表されています。本日はよろしくお願いいたします。

鳴海禎造:お願いいたします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身は和歌山県ですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

鳴海禎造:小学校・中学校時代はずっとバスケットをやっており、和歌山県選抜に選ばれました。

新谷哲:運動神経もよろしいのですね。和歌山県の高校に進まれていますが、高校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

鳴海禎造:高校1年生のときから、勉強そっちのけで商売をしていました。

新谷哲:なぜ、商売をしようと思ったのですか?

鳴海禎造:高校時代は服に興味があったのですが、バイト禁止の高校でした。両親も買ってくれなかったので、欲しい服を買うために、仕方なく経営をしていました。

新谷哲:バイトは禁止でも、経営は禁止ではなかったのですね(笑)。どんなビジネスを経営していたのですか?

鳴海禎造:服が欲しかったので、服の転売ビジネスを経営していました。

新谷哲:服は和歌山で買われていたのですか?

鳴海禎造:和歌山で買うこともありますし、ノーウェア系・裏原系を買うために、原宿まで買いに行きました。

新谷哲:原宿で仕入れた服を和歌山に戻って販売したのだと思いますが、どのように販売をしたのですか?

鳴海禎造:最初は周りの人に販売していたのですが、限界がありました。当時は1998年くらいなので、インターネットが普及していない時代でした。そこで「Quant」という個人売買仲介雑誌に掲載して、全国から服が欲しい人を募りました。

新谷哲:ちょうどインターネットが始まるか、始まらないかの時代に、「Yahoo!オークション」や「メルカリ」のようなビジネスを経営していたのですね。一番多い月で、どのくらい稼いだのですか?

鳴海禎造:当時ファッションバブルで、ジャンルによっては定価2万円の服が6万円で売れたり、キムタクがドラマで着た服が定価の5倍で売れる時代です。そういう服は手に入れるのが難しかったのですが、授業をさぼって並んだり、青春18きっぷを使って東京に行ったりと、色々と試行錯誤しました。自分が欲しい服の場合は、同じ物を2個、3個買って、1個は自分用。残りは販売して、お金を何倍にも増やしました。

新谷哲:すごいですね。その後はどんなビジネスを経営されたのですか?

鳴海禎造:大学に進学してからは、パソコンに興味を持ちました。Windows95から98に切り替わるタイミングで、インターネット時代が到来します。当時のパソコンはすごく高価で、デスクトップが20万円ぐらい。ノートパソコンはほとんど普及していません。先輩から「部品を組み合わせて自分でパソコンを作れば、高性能なパソコンが安く手に入れられる」と聞いて、パソコン作りにチャレンジします。その後は高校時代と同じように、転売してお金を増やして、より良いパーツを手に入れて良いパソコンを組み立てる、というビジネスを経営していました。年間で、100台以上販売していました。

新谷哲:100台以上というと、売上は2000万円ぐらいですか?

鳴海禎造:販売したのは、5万円~10万円の間ですので、2000万円ではないです。

新谷哲:でも、500万円~1000万円の売上があるので、すごいです。大学のお話がありましたが、和歌山県の大学に進まれたのですか?

鳴海禎造:いえ、和歌山県の大学ではなく、実家から大阪府の大学に通っていました。

新谷哲:和歌山県でなく、大阪府の大学を選ばれた理由はございますか?

鳴海禎造:高校時代、あまりにも勉強しなかったので、成績が悪かったです。小学校時代は勉強もそれなりにしていたのですが、中学校時代から勉強をしなくなりました。高校時代は経営をしていたので、全くしていないのです。特に英語は、中学生から始まる科目なので、一番苦手でいつも5段階評価の「2」でした。なので、英語を学べる関西外国語大学に行きました。

新谷哲:え!?逆ですね!でも、関西外国語大学に進学したということは、高校3年生の時に英語の勉強をしたのですか?

鳴海禎造:そうです。初めは、受験科目に英語がない大学を探したのですが、なかったのです。英語を勉強せざるを得なくなって、高校3年生の時に勉強を始めたのです。そのころに、テレビでたまたま関西外国語大学の存在を知り、あまりにも楽しそうに見えたので、進学することを決めました。

新谷哲:それで、関西外国語大学に受かったのですよね?

鳴海禎造:簡単には受からないですよ。進路指導の先生に言ったら「模擬試験ではF判定、合格率が20%に満たないから、関西外国語大学はやめたほうがいい」と言われたので、行くことにしました(笑)。

新谷哲:経営者らしいお答えで、さすが鳴海禎造社長という感じです(笑)。

鳴海禎造:無理だと言われると、つい行きたくなるのです(笑)。しかも「受けてもいいけど、すべり止めも受けなさい」と言われたので1本勝負にして、6回受験しました。

新谷哲:6回というと、6年ということですか?

鳴海禎造:学部とか学科とか日程を変えて、同じ大学を1年で6回受けました。

新谷哲:6回受けて、何個受かったのですか?

鳴海禎造:1個です。6回目に受かりました。

新谷哲:鳴海禎造社長らしい、すごいと思うお話ですが、大学でも経営をなさっていたのですよね?

鳴海禎造:そうですね。経営ばかりしていたので成績順に振り分けられるクラスは、4年間ずっと一番下でした。ギリギリ卒業という感じです。

新谷哲:大学を卒業後は、企業にお勤めにならなかったのですよね?

鳴海禎造:中学1年生の頃から教職になることが夢だったので、教員免許を取りました。でも教育実習などをして「勉強を教えることが本当に自分のしたいことなのか?」と疑問を持ちました。教師をすることは楽しいのですが、「経営をしている方がもっと楽しい」と感じていたのです。そこで教師になることを先送りしました。

新谷哲:大学卒業後は、カーショップ「RMガレージ」の経営をするのですよね?

鳴海禎造:はい。パソコン販売の事業を経営したお金で、車を買い、興味が車に移ったので車の販売事業の経営をしました。

新谷哲:興味のある物、買いたい物があると、その分野のビジネスを経営していますね。車の販売事業を経営するとき、何か目標はあったのですか?

鳴海禎造:目標は、全くないですね。

新谷哲:そうですか。カーショップの経営では、車の部品なども販売したのですよね?

鳴海禎造:車に興味を持った時期、インターネットや「Yahoo!オークション」が出てきました。車にかけるお金を稼ぐために、「Yahoo!オークション」で不要になった車の部品を集め、リサイクル的な形で販売したら思ったよりもお金になりました。そのお金で自分の車を5台~8台所有するようになり、気付いたら車屋の経営ができる環境になっていました(笑)。

新谷哲:すごく簡単そうにお話されるので、聞いている経営者の皆様も驚かれていると思います(笑)。そのようなビジネスを経営していて、ご両親は心配なさらなかったのですか?

鳴海禎造:心配されて、実家暮らしなのに国交断絶状態になりました(笑)。

新谷哲:実家暮らしなのに国交断絶とは、どういうことですか?

鳴海禎造:両親が一番嫌いな仕事が会社経営で、一番やってほしくないのが車屋でした。それで、国交断絶しました。

新谷哲:その後、自動車の輸出業を経営されていますが、輸出業の経営は自然な流れで始めたのですか?

鳴海禎造:そうですね。車屋の経営は3年で駄目になりました。気付いたら借金で首が回らなくなったのです。

新谷哲:それで自動車の輸出業を経営しようと考えたのですか?

鳴海禎造:自動車の輸出業の経営というよりは、「何か新しい事業を経営して、売上を上げないとこれはやばい」と思いました。そこで、販売のマーケットを広げることにしました。それまでは日本国内での販売だったので、輸出業の経営をすることにしました。

新谷哲:中国に車を輸出したそうですが、初めから中国をターゲットにしたのですか?

鳴海禎造:いきなり中国をターゲットにしたわけではありません。初めはインターネットを使って海外に物を売る事業を経営していました。

新谷哲:そうでしたか。輸出業の経営は順調でしたか?

鳴海禎造:すべり出し好調で、「これはいける!翌年には分社化して、人も場所も新設して、これで一気に攻めてV字回復。借金とはおさらばだ!」と思い2008年7月に新設しましたが、2か月後に大きい事件がありました。

新谷哲:2008年9月というと、リーマンショックですか?

鳴海禎造:そうです。リーマンショックで売上が0になりました。借金も残っていたので、「仕方ない。輸出業がダメなら輸入業を経営しよう」と切り替えて、海外に出て行きました。パスポートの取得は、その時が初めてでした。

新谷哲:最初に行かれたのが、中国ですか?

鳴海禎造:そうです、中国です。

新谷哲:中国の車を輸入しようとしたのですか?

鳴海禎造:車ではなく、部品を輸入しようと思いました。円高が追い風となり、ここでようやくV字回復をします。

新谷哲:V字回復をされた後、glafit株式会社を起業されていますが、バイクを作る事業を経営するためですか?

鳴海禎造:最初は違いました。ビジネスをしていく中で、私自身が経営と向き合うようになりました。経営と向き合って最初に作ったのが、「経営理念・社是・経営ビジョン」でした。その結果「自分達の向かう方向は乗り物メーカーだ」と決まり、「乗り物メーカーとしての名前を決めよう」として出てきたのが「glafit」でした。最初は自動車メーカーになろうとしましたが、どうやって作って良いか分からなかったのです。そこで視点を変えて、「自動車メーカーのトヨタやホンダの1年目ってどのようなものだったのだろう?」と調べ、ある共通点を見つけました。それは「バイクからスタートして、自動車メーカーに成長している」ことでしたので、バイクメーカーとして会社経営することにしました。

新谷哲:それで電動バイクを製造する事業の経営を始めたのですね。その後、クラウドファンディングで1億2800万円を調達されますが、クラウドファンディングをやろうとおもったきっかけは何でしょうか?

鳴海禎造:電動バイク1号機を作ると決めた直後、過去最悪の業績となりました。為替がリーマンショック前に戻ったことが理由です。輸入業には不利な環境となり、新規事業である電動バイクを製造する余力がなくなったのです。新規事業の一番目のリスクは「作ったけど売れないこと」です。そのリスクを潰すために、クラウドファンディングを使うことにしました。

新谷哲:クラウドファンディングで1億2800万円を調達されましたが、1億円以上を調達できた成功要因をお教えいただけますか?

鳴海禎造:自分の中では、成功したとも失敗したとも言えないと思っています。クラウドファンディングで1億円以上集まったといっても、ネット販売と同じだからです。クラウドファンディングは、「ネット上にこれから製造する物を載せて、『いいね』と言ってお金を出してくれたら、購入してくれたのとほぼ一緒」なのです。ネット販売で月商1億円の会社は、世界中に数えきれないほどあります。ただ、クラウドファンディング新しい手法で「1億2800万円を調達した」ことが目新しかっただけで、すごいことが起きたとは思ってません。

新谷哲:鳴海禎造社長は冷静でいらっしゃいますね。次のご質問ですが、glafit株式会社の今後のビジョンについてお聞かせいただけますか?

鳴海禎造:glafit株式会社は、日本を代表する次世代の乗り物メーカーになりたいと思っています。分かりやすく「21世紀のホンダを作る」と表現をすることもあります。これからの100年において、乗り物という分野の中で1つのスタンダードとなる物・サービスを提供し、それを世界中に届けていけるような企業を目指して経営したいと思っています。

新谷哲:素晴らしいビジョンです。鳴海禎造社長ならば、実現されると思います。ここからは違う質問をさせていただきます。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きしたところ、「ガジェット・仕事のチャレンジ」とお答えいただけました。このガジェットが好きとは、どういうことでしょうか?

鳴海禎造:ガジェットが好きとは早い話、電気で動く物が好きなのです。小さい時は電気製品がほとんどない環境で育ったので、電気で動く物に対して興味をもちました。新製品は人より先に手に入れて使っています。例えばiPhoneも初代から全部もっています。ただ「ガジェット好き」というのは、決して所有欲ではありません。「誰よりも早く新しい物に触れてレビューしたい」ということです。

新谷哲:「ガジェット」とは何ですか?

鳴海禎造:分かりやすく言うと、新製品の電気製品のことです。僕はスマホとパソコンは1年ごとに最新の物に切り替わっていますね。

新谷哲:本当に新しいものが好きなのですね。好きなことでもう1つ「仕事のチャレンジ」ということですか、そんなにお仕事好きですか?

鳴海禎造:仕事以外の楽しみを見出させていないかもしれないです(笑)。

新谷哲:素晴らしいですね。お仕事好きな理由を、どう分析されていますか?

鳴海禎造:一度も就職をしたことがないので、誰かに強制されて仕事をしたことはありません。僕にとって仕事は、自分の責任において自由に行うものです。リソースという制約はございますが、どれも誰かによって強制されたものでなく、自分の責任による制約です。責任も制約も含めて、全て自由にやってきたことが、仕事が好きな理由だと思います。

新谷哲:お答えいただきありがとうございます。次が最後の質問になります。全国の社長、経営者、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣・方法をお教え下さい。

鳴海禎造:経営者として成功する秘訣・方法は、「明・元・素」だと思います。これは経営の師匠である、株式会社フォーバルの大久保秀夫会長から教わったことで、「明るく元気で素直でいる」という意味です。明るいというのは、見た目の明るさだけではなくて考え方が明るいこと、要はポジティブシンキングです。物事の捉え方が広くて、悪い面も良い面も両方見据えて、そしてその良い面を使って問題を乗り込んでいける。そういう諦めないバイタリティーがあれば、どんなことにもチャレンジできます。

新谷哲:「明・元・素」、素晴らしいお言葉です。経営者の皆様も参考にしていただければと思います。鳴海禎造社長、本日はどうもありがとうございました。

鳴海禎造:ありがとうございました。

編集後記

鳴海禎造社長は、実質15歳から起業し、経験されたことを次々と事業に繋げている素晴らしい経営者です。全く諦めず明るく事業の経営をされていて、年下ですが尊敬する経営者だと思っております。

鳴海禎造 氏
glafit株式会社 代表取締役CEO

和歌山市出身。関西外国語大学卒業。学生の傍ら15歳のときから商売を始め、2003年カーショップ「RMガレージ」を個人創業。2007年に自動車輸出入業「FINE TRADING JAPAN」を個人創業し、翌年に法人化。2010年には中国広東省と香港に現地法人を設立。2012年、日本を代表する乗り物メーカーを目指すべく、自社ブランド「glafit」を立ち上げ。2017年8月、1億2,800万というクラウ ドファンディングによる資金調達額 日本最高記録を達成。NHK、日本経済新聞をはじめ数々のメディアに取り上げられ注目を浴びる。2017年9月にglafit株式会社を設立し、代表取締役CEO就任。2018年1月には日経優秀製品・サービス賞 最優秀賞 日経MJ賞を受賞。現在は全国各地への講演活動にも精を出す。フォーバル主催の経営塾OBでもあり、塾長の大久保秀夫が認めた数少ない経営者の1人。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、鳴海禎造氏(glafit株式会社 代表取締役CEO)の経営者インタビューを取り上げました。

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