成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 上田寛氏(ドリームムービー株式会社 代表取締役社長)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、上田寛氏(ドリームムービー株式会社 代表取締役社長)です。

今回は、「夢を想いをムービーに!」をミッションに、企業プロモーション映像、販促映像、また「夢・目標」の実現、「愛情・感謝」の伝達を含めた映像の企画制作を展開される、ドリームムービー株式会社 上田寛社長にお越しいただきました。広島県ご出身、学生時代はロックバンドを結成し音楽活動に打ち込んだ時期もあったそうです。大学卒業後、AGF(現・味の素)で営業部門、マーケティング部門、プルデンシャル生命でライフプランナー、日本最大級の保険代理店で営業企画部長、バイスプレジデントをご経験。10年の構想を経て、誰でも目標達成できる「成功イメージの映像化」を考案し、ドリームムービーを創業されました。著書は『最速で成功する脳の使い方~1日1分脳内TVで夢は叶う』。幾つになっても学び続ける真摯な姿勢や、お仕事に邁進される一方で、ご夫婦の時間を大切にされる暖かいお人柄も印象的な経営者インタビューです。ぜひ、お聞きください!

新谷哲:今回の経営者インタビューは、ドリームムービー株式会社代表取締役社長の上田寛社長です。まずはご経歴をご紹介します。1961年、広島県広島市生まれ。慶応義塾大学を卒業されています。AGF(現・味の素)、プルデンシャル生命保険他を経て、目標達成できる「成功イメージの映像化」に着目。個人や企業の夢と目標を実現するドリームムービー構想を構築。著書に「最速で成功する脳の使い方」などがございます。本日はよろしくお願いいたします。

上田寛:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身は広島県ということですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

上田寛:小学校は、父親が厳しかったことを覚えています。自分じゃ大したことをしていないのに、子どもには厳しいという父親でした。よく「運動会でリレーの選手になれ、児童会長になれ」とか、そんなことを言われるのが、嫌で嫌でしょうがなかったです。

新谷哲:児童会長とは、生徒会長のような感じですか?

上田寛:そうですね。嫌々ながら立候補させられて、スピーチをした記憶があります。

新谷哲:お父様は、なぜ「生徒会長になれ」などとおっしゃったのですか?

上田寛:何ですかね?自分の子どもはすごいんだぞ、と見栄を張りたかったのかもしれませんね。

新谷哲:広島県の高校に進まれていますが、どのようにお過ごしになりましたか?

上田寛:普通の県立高校で、大したことはしていません。ロックが好きで、文化祭でバンドをしたくらいですね。

新谷哲:高校では、生徒会をされたのですか?

上田寛:中学校からやっていません。でも中学校は、小学校の延長で推薦され、学級委員を毎学年やっていましたね。でも高校は全くやっていません。

新谷哲:バンドをされたとのことですが、プロは目指されたのですか?

上田寛:ロックバンドはやりましたが、プロは目指していないです。

新谷哲:なるほど。慶応義塾大学を卒業される前に、広島の大学を卒業されているとお聞きしましたが、広島の大学に進まれた理由はございますか?

上田寛:特に理由はないですね。当時は「生まれたところで育ち、そのまま就職する」ことが一般的でした。もちろん、地元を出られる方も多かったですが、地元を出ようという気持ちはあまりありませんでした。

新谷哲:ちょっと話が前後しますが、40代になって慶応義塾大学に行かれたとお聞きしました。なぜ、40代で慶応義塾大学に行かれたのですか?

上田寛:40代になってから「社会でいろいろ通じる人間にならないといけない」と思いました。だから20年近く社会人を経験して、「勉強することは大事だ。これから時代が変わっても、どこにいても通じる状況を作らないといけない」と感じていました。保険の業界に長くいたので、「保険と金融の勉強を詳しくしたい」と思いました。慶應義塾大学は、通信課程で経済が学べるので選びました。

新谷哲:慶應義塾大学には、働きながら通われたのですか?

上田寛:そうですね。

新谷哲:働きながら保険や金融の勉強できるものなのですか?

上田寛:通信課程の卒業率は5%ぐらいで、なかなか難しいですね。通信で学ぶ経験がなかったので、1年半ぐらい何もできなかったです。でも「このままじゃ辞めてしまう」と一念発起して通いました。

新谷哲:勉強をしながら働いていて、売上は下がらなかったのですか?

上田寛:仕事との両立は難しいです。夏に1か月ほどのスクーリング期間があるので、夏休みを上手く使い、スケジュールを調整しながら通いました。

新谷哲:意志がお強いのですね。元の話に戻ります。広島の大学を卒業後、AGF(現・味の素)の大阪支店に入られますが、AGFを選ばれた理由はございますか?

上田寛:大学の先輩がたまたまAGFに入社していたことが理由です。初めての就職活動で、「どうしたら良いんだろう?先輩を訪ねて情報を集めればいいのか?」とAGFに入社した先輩の話を聞きました。その人がたまたま広島支店に何年もおり「広島県出身だから、広島支店に配属されたのだろう」と軽い気持ちで考えました。先輩からも「AGFを受けてみろ」と言われたので、軽い気持ちで受けました。

新谷哲:軽い気持ちで入られたAGFで、大変出世されていますが、活躍した理由は何でしょうか?

上田寛:最初は、「先輩と入れ替わりぐらいで広島支店に配属できるのでは?」と考えていたのですが、大阪支店に配属になったのです。大阪支店には優秀な人達が多くおり、「自分のレベルじゃ全く駄目だ。とにかく追いつかなくてはいけない」という気持ちになりました。出世したかったわけではありませんが、「追いつかなくてはいけない」という気持ちがあったのが良かったかもしれません。

新谷哲:その後、AGFからプルデンシャル生命に移られていますが、転職された理由はございますか?

上田寛:大阪支店に7年いて、成果をだしたことで少し自信をつけていた時期に、東京の本社に転勤しました。東京ではマーケティングの部署に所属し、3年間主要なブランドの担当をしました。楽しかったのですが、「自分がやりたい仕事をずっとできるのか?」と不安になりました。人事は自分で決められない不安、会社に自分の人生を委ねることへの不安を感じ、プルデンシャル生命への転職することにしました。

新谷哲:プルデンシャル生命では、1か月目から500万の販売手数料報酬を稼ぐ活躍をされていますが、活躍された理由はございますか?

上田寛:入ったのが、勢いのある支社でした。先輩達はみんな「トップを取るんだ」という雰囲気があり「自分もトップを取らなければ。1か月で50件の契約を取る」と大きな目標を立てます。それに向かって仕事をした結果です。

新谷哲: 1か月目の社員が出せる成果ではないと思いますが、素晴らしいです。その後は、別の保険代理店に転職されていますが、これは引き抜かれたのでしょうか?

上田寛:引き抜きではなく、自分で考えて転職しました。1か月で50件という目標は、売ることに関しては問題がありませんでした。しかし「何も考えずに売って、本当にいいのか?」という疑問がありました。疑問を持っていると売りにくいですが、稼ぐためには売らなければいけません。そんな葛藤がありました。

新谷哲:葛藤があったのですか。しかし、転職した先では副社長の格になる活躍されていますので、上田寛社長はどちらでも活躍されていると感じます。その後、起業して経営者となられますが、なぜ起業して経営者になろうと思ったのですか?

上田寛:保険代理店に移った時、保険の販売は1社専属が当たり前の時代でしたので、代理店が良いポジションだと思いました。その後、色々な会社の保険商品が扱えるように法律も変わり、中立公正に色々な保険を見て判断して購入する時代になりつつありました。そんな時代に「自分はこれからどうやって、保険業で身を立てていったら良いのか?中途半端に続けられない」と考えていたことがきっかけで、起業して経営者になることを考えました。

新谷哲:実際に、ドリームムービー株式会社を起業することとなりますが、起業するまでの経緯をお教えいただけますか?

上田寛:保険会社にいた時から「どうやったら楽しく商品を売れるのか?」を考えていました。本を読んだり、経営セミナーを受けたりしながら目標を立てますが、長続きしなかったのです。本や経営セミナーではよく「成功しているイメージというのを持ちなさい。自分の頭の中でイメージしなさい」と言われますが、具体的な方法を教えてくれませんでした。「イメージとは瞑想することなのか?」と思い瞑想をするのですが、イメージするどころか寝てしまう、そんな失敗を繰り返し「このままではずっと頭で成功するイメージができない」となりました。頭でイメージできないなら、「起きている間に自分が成功するシナリオを書いて、映画のように自分で映像を作り、それを見続けたら叶う」という結論になりました。それが事業経営に繋がっていきます。

新谷哲:では、会社名であるドリームムービーは、「夢(ドリーム)を映像化(ムービー)」ことからきているのですか?

上田寛:はい、そうです。

新谷哲:そうですか。現在のドリームムービー株式会社様の事業内容についてお教えいただきたいのですが、どのような事業を経営していますか?

上田寛:メインは映像ですね。保険代行時代から「個人の方の夢を実現する映像を作りたい」と考えていましたが、簡単に事業になるほど甘くはありませんでした。しっかりと要望を聞かなければならず、時間がかかり数多く出来ないので「個人相手は無理だ」となりました。ただ、会社案内、工場案内、工場マニュアルなどを映像化するというのはニーズがあったので、そちらの映像を作る事業をして経営をします。ちゃんとした映像を提供すには技術がいるので、プロの人と提携することで、会社がだんだんと大きくなっていきました。

新谷哲:ここからは違うご質問をいたします。事前に好きなもの・好きなことをお聞きしましたら、「家族の団欒・シャンパン・歌を歌うこと、特にロックボーカル・ギター・ゴルフ・格闘技観賞」とお答えいただきました。お好きなことが幅広いですが、家族好きということで、よく家族団欒をしているのですか?

上田寛:うちには子どもがおらず、両親とも別々にくらしているので、家族団欒とは夫婦の時間です。恥ずかしくて、「家族団欒」と書きました(笑)。

新谷哲:経営者は7割ぐらい離婚していると思っていますので、ご夫婦仲が良いという珍しいパターンですね。羨ましい限りです(笑)。次に、座右の銘をお聞きしましたら、「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」。これはどのような意味ですか?

上田寛:私は「生きることは、客観的に見ても大変だ」思っています。でもこれは仮説ですが、「人間には魂があり、今はこの世に生きていて体とくっついている。だが魂が体とは別にあるとしたら、魂は客みたいに地球に来ている」と思えば、「生きることは大変なことではなく、楽しんだ方が良い」と思えるという意味です。

新谷哲:上田寛社長らしい座右の銘で、素晴らしいです。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業したい方に向けて経営者としての成功する秘訣・方法をお教え下さい。

上田寛:私は「諦めないこと」が経営者として成功する秘訣・方法だと思います。前の仕事で人を統括する立場にあった時「この商品をこのスキームで売るのは難しいだろう」と思うことがありました。でも不思議なことに、5年間ぐらい諦めずに続けていたら、違う形で実現することがあるのです。割とデータに基づいたことで、5年くらい我慢して続けてた多くの人が目標を叶えています。事業の経営をしていると、「あの時、我慢して続けていたら成功していたかもしれない」と思うことはあります。だから「諦めないこと」が経営者として成功する秘訣・方法だと思います。

新谷哲:私も諦めずに事業経営を続け、成功経営者になれたらと思います。上田寛社長、本日はありがとうございました。

上田寛:ありがとうございました。

編集後記

上田寛社長は大変親しくさせていただいています。色々な所でお会いしたり、弊社の経営セミナーにもご参加いただいています。ご本人は「悩んで苦労した」とおっしゃっていますが、必ず出世されていますし、会社経営も成功されている素晴らしい経営者です。経営者の皆様も、上田寛社長のように諦めずに成功経営者になっていただければと思います。

上田寛氏
ドリームムービー株式会社 代表取締役社長

1961年生まれ。AGF大阪支社や東京本社に10年間勤めたあと、プルデンシャル生命に転職。その後、大手保険代理店に転じ、営業企画部長、バイスプレジデントなどを歴任。15年ほど前からアイデアのあった夢実現映像ビジネスを2009年に創業、10年にドリームムービーとして会社組織化、社長に就任した。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、上田寛氏(ドリームムービー株式会社 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

『社長の孤独力』抜粋版(PDF29ページ)
無料プレゼント中!

『社長の孤独力』(新谷哲/著) の【抜粋版】を無料プレゼントしております!

71の課題の中から「資金・人材・売上・採用・後継者」の5つを抜粋いたしました。銀行からお金が借りれない社員がすぐに辞めてしまう売上を伸ばしたい、など、具体的なお悩みの解決策が掴めます。ぜひご覧ください。

無料プレゼントの詳細はこちら