本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、吉田大介氏(株式会社エーアイ 代表取締役社長)です。(2020年12月2日・12月9日 配信)
吉田大介氏は、1986年TIS株式会社に入社し、80年代の第二次AIブームの中、AIの日本拡販に携わられました。その後、NTTアドバンストテクノロジ株式会社、株式会社国際電気通信基礎技術研究所を経て、2003年4月に株式会社エーアイを設立し代表取締役社長に就任。2018年に東証マザーズに上場されました。音声合成に特化した、日本唯一の会社として「エーアイは音声技術で社会に新しい価値をつくり続けます」を企業理念に掲げ、音声技術の応用開発・サービス化を通じて、音声情報の新しい文化を創出し、生活文化の向上に貢献しています。猪突猛進し、成功するまであきらめない吉田氏から経営のヒントが得られます。是非インタビューをお聞きください。
新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社エーアイの吉田大介社長です。まずは経歴のご紹介をします。1977年株式会社大真空に入社。その後、株式会社東洋ハイテック、TIS株式会社、NTTアドバンストテクノロジ株式会社、株式会社国際電気通信基礎技術研究所にお勤めになります。そして、2003年に株式会社エーアイを設立され、代表取締役社長に就任されました。2018年6月には、東証マザーズに上場されています。本日はよろしくお願いします。
吉田大介: よろしくお願いします。
新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?
吉田大介:兵庫県の神戸市です。
新谷哲:小学校・中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?
吉田大介:小学校の3年生、4年生ごろはいじめられっ子でしたが、5年生・6年生の2年間は好きに遊んでいました。当時私が通っていた小学校では、どんどん子どもが増えたため分校ができ、3つの学校に分かれる事になりました。そのため、いじめっ子たちや上級生はいなくなりました。
新谷哲:中学生時代はどんなお子さんでしたか?
吉田大介:中学校・高校は私立の学校でした。私は、飛びぬけて頭が良い方ではありませんが、小学生時代は成績上位でトップ3に入っていました。ところが、中学校・高校に入り、本当に賢い人たちがゴロゴロといて、頑張って勉強をしてもなかなか追いつくことができませんでした。初めて「世の中は広い」と気づかされました。
新谷哲:中学時代は勉強に力を入れていたのですか?
吉田大介: 中学校1年生の時は私の中で、成績が一番良かった時期です。また、サッカー部へ入部しクラブ活動も頑張っていました。しかし、1時間30分かかる遠距離通学だったので、勉強する時間は短くなり、成績は落ちていきました。
新谷哲:高校時代もサッカー部でしたか?
吉田大介:高校では仲の良かった友人に誘われ、剣道部へと入部しました。
新谷哲:高校時代の思い出はございますか?
吉田大介:高校時代の剣道部ではめちゃくちゃしごかれました。夏の暑い日に重たい防具を着て、裸足でランニングをするのはきつかったです。
新谷哲:とても頑張っていたのですね!
吉田大介:はい。今はおじさん体型ですが、やはりスポーツは良いものです。今でも、サッカー部や剣道部からの同窓会のお誘いをいただきます。
新谷哲:運動神経もよかったのですか?
吉田大介:運動神経がいいわけではありませんが、猪突猛進をするタイプです。私は目が悪く普段から眼鏡をしていましたが、剣道をする時は外さなければいけません。すると、相手が見えないので、小手を打つと空振りをしてしまいます。1本とるためには、相手の面か胴を狙うしかなかったので、ひたすら前に進んでいました。その瞬発力は、サッカー時代に身に付けました。100メートル走ではガタガタですが、30メートル走はとても早かったです(笑)
新谷哲:その後、大学に進学されましたがどちらを選ばれましたか?
吉田大介:同志社大学です。私は大学に入学するまでに、2年寄り道をしています。父親は東北帝国大学卒業(現、東北大学)で、とても優秀で優しい人でした。そんな父に負けたくないと、東京大学、京都大学、大阪大学、少なくとも東北大まで行きたいと思い、無謀にも受験をし軒並みアウトでした。1番仲良かった親友から、2浪が決まったときに「大介は社会の勉強をしていないだろ?お前は嫌いなことはしないはずだ」と言われました。自分ではやっているつもりでも「いつからやった?」と聞かれたとき、嫌いな学科の勉強はしていなかったことに気づきました。私立の理系であれば、数学、理科、物理、英語の教科で、苦手な社会が無かったので、同志社大学へと入学を決めました。
新谷哲:お父様も同じ理系でしたか?
吉田大介:父は物理を学んでいました。私も物理が好きで、同じ方向に進みたいと思っていました。
新谷哲:なるほど。と言いましても、同志社大学は優秀だと思います。大学時代の思い出はございますか?
吉田大介:大学でも1年留年をして5年通い、非常にのんびりした学生生活を過ごしていました。下宿先の京都では、鴨川や御所で本を読み昼寝をしたり、学割で電車に乗り日本中散策したり、ヒッチハイクをしたりしていました。そして、最後の2年は必死で勉強をし卒業をしました。
新谷哲:大学時代スポーツはされなかったのですか?
吉田大介:大学1年の時にサッカーの同好会に入りました。同好会の場合、グラウンドを使えるのが夜で、ナイター設備では視力の悪い私にはあまり見えず、ヘディングで眼鏡を割ってしまったりしていました。そのため、「これからはノンポリ学生として生きる」と決め、毎日のようにお昼寝タイムがありました(笑)
新谷哲:卒業後は、株式会社大真空に入社されましたが、選ばれた理由はございますか?
吉田大介:大学卒業前の研究室では、粉体工学・パウダーエンジニアリングという、粉を扱う学問の研究をしていました。粉を扱う仕事は工場でよくあるのですが、株式会社大真空は水晶発振子のメーカーで、原材料の製造から部品製造、製品製造まで一連してやっている会社でした。当時は就職氷河期ということもあり、紹介をいただき入社をしました。
新谷哲:その後、転職を繰り返していますが、理由はございますか?
吉田大介:1社目の株式会社大真空は、当時完全なオーナー会社でした。入社後は3か月技術研修を受け、技術部に配属されるという予定でしたが、いきなり営業に回されてしまいました。「ここは自分のいる場所じゃない」と思い、入社1年目の時に「3年で会社を辞める」と決めました。とはいえ、石の上にも3年というように、きちんと成果を残してから退社しようと努力をしました。「営業とは何をすればいいのか?」から始まったのですが、3年目にはそれなりの大きな成果を出すことができました。また、私は大学卒業後の翌年1月には結婚をし、子どももいました。家族のためにもっと稼がなくてはいけない、という理由もあり転職活動を始めました。現在のように転職をするときに、ネット登録をすればポンと求人が出てくるわけではありません。日経新聞、朝日新聞の就職欄の広告を見て、手書きで履歴書を書いて送っていました。そして、半年後に2社目である株式会社東洋ハイテックへ入社しました。粉体関連のプラントエンジニアリングをする、15年目のベンチャー企業です。私が粉体工学を学んでいて、技術の知識もあるということもあり、様々な経験をさせていただきました。それまでは商社のように、プラントエンジニアリング会社に機械を仕入れて売るのがメインだった事業を、機械を纏めて設備一式提供し、工場を作るよう持っていきました。1件、数千万円~数億円の仕事をさせて頂き、とても楽しかったです。6年間不満もなく働いていたのですが、ある案件が舞い込みます。アメリカでの規模が大きい案件でしたが、諸事情で上司、役員からはお断りするようにと言われました。私はアメリカに行く気満々だったので、とてもショックを受けていました。そんな時、叔父から3社目である株式会社東洋情報システム(現、TIS株式会社)の紹介を受けました。当時32歳で、30歳を超えての転職は終わりという時代です。ましてや、ソフトウェアの会社で、コンピューターの事も何も知らない私は大丈夫なのだろうか?と不安がありましたが、迷った末に転職を決めました。決めた理由の1つが、とてもスピードが早かったということです。最初に東京で面接を終えて、家に帰ると、一次面接が合格したので次の人事面接に来てくださいと連絡がありました。人事面接に行くと、帰る前に「合格です」と言っていただき、大丈夫かな?と思うほどのスピードは、感覚的に非常に良かったです。TISでのミッションは、大きくAIの仕事を与えられました。1つ目は、人工知能・AIに関する仕事を作るというものと、もう1つは、今はありませんが、リスクマシンと言ってAIのシンボリックスというマシンを日本で拡販するというものでした。
新谷哲:当時からAIを取り扱うのは、かなり先進的だと感じますが、いかがですか?
吉田大介:研究の中で80年代半ばは、第二次AIブームでした。TIS時代に、86年の4月1日大阪ビジネスパークに国際電気通信基礎技術研究所が出来るという情報が入ってきました。通称ATR(Advanced Telecommunications Research Institute International)と言って、半官半民の情報通信分野の基礎研究をする研究所です。その先進的な研究に興味を抱いていると、役員さんが、「吉田くん行ってみたらどうや?」と言ってくださり、飛び込むことになりました。ATRにいる研究者は、メインはNTTの研究者で、NHKの研究者、メーカーの研究者の方などが出向で来ていて、2年~4年研究をされて戻られていました。そこでは何が面白かったかというと、大きなテーマはありますが、「どういうアプローチをし、どのような研究をしていくか?」というところから自分で作っていくという点です。私は色んな方の中に飛び込み、どういう研究をしているかなど様々なことをヒアリングしました。非常に刺激を受け、研究者の方ともコアに仲良くなり、当時の経験がAIという分野の中で生きていくきっかけへと繋がったと感じています。
新谷哲:TIS株式会社、NTTアドバンストテクノロジ株式会社、株式会社国際電気通信基礎技術研究所。この3社でAI分野をやってきのですか?
吉田大介:はい。TIS株式会社では14年ほど在籍し、前半7年間はATRさんがメイン顧客でした。後半は医療系、ビジネスアプリケーションなど一切タッチしてこなかった、まったく違う分野を5年間、開発部隊にて営業を担当しました。大きなシステム開発のやり方や、ポイントなどはとても勉強になりました。そんな時、ATRの元研究者の方から、「研究成果を世の中に広げる仕事をしてくれないか?」とオファーがありました。ATRは国から予算が入りよい研究をしているのですが、研究成果は世の中に広がっておらず、国からのプレッシャーがあるようでした。ATRの研究は非常にすばらしい物がたくさんあるということを知っていましたし、その方には以前とても御世話になっていたこともあり、オファーを受けることにしました。しかし、最初は出向でATRに行く予定だったのですが、身の振りを失敗し、出向が出来なくなってしまいました。すると、「NTTアドバンストテクノロジ株式会社という会社を用意するからそこからおいで」と段取りまでしていただき、4社目となる同社へと移りました。私の入社当時の役員さんは事情をご存知でしたが、役員が変わると事情が伝わっていなかったようで、様々な問題が起こりました。そのため直接ATR(株式会社国際電気通信基礎技術研究所)に就職することとなりました。
新谷哲:なるほど。その後、2003年4月に株式会社エーアイを設立し、代表取締役社長に就任されましたが、どのような経緯で独立をお考えになったのですか?
吉田大介:ATRの研究成果を広める活動をする中で、コーパスベース音声合成システムに出会いました。文字を音声に変換したり、カスタムをして色んな人の声にできたりするというサービスです。まだ完成品ではありませんでしたが、とても面白いと思いました。そして「このような可能性のある技術を世の中に広めたい」と行動にでました。その1つとして、阪急電鉄さんでタカラジェンヌが毎日天気予報を喋るというコンテンツを作り、成功を収めた事例があります。当時、音声合成という技術を知っている人はほとんどいませんでした。そんな中、何とか目立ちたいと考えていると、阪急電鉄がホームページをリニューアルするという情報が入ってきました。絶好のチャンスととらえ、タカラジェンヌの声で天気予報の画像と音声ファイルを配信するというサービスの企画提案をしました。企画の責任者の方は「面白い!」と採用してくださり、宝塚歌劇団の理事さんまで口説いてくださりました。この企画は、2年間続いたのですが、1年目は春野寿美礼さん、2年目は安蘭けいさんに収録をして頂きました。お2人ともトップスターになられた人気の方で、宝塚歌劇のファンの方はホームページをよく見られます。結果、阪急電鉄のホームページのコンテンツで2位まで行く事ができ、多数の問い合わせ電話がくるなど反響に繋がりました。この様にあらゆる使い方はあると確信していましたが、なかなか商売にはなりませんでした。そのため、研究所の中で事業をやろうと書類を一杯でっち上げ、予算をつけて頂いたのですが、上手くは行きませんでした。その事業をスタートしたときの社長は、事業が大好きな方でしたが、その後就任した社長は、純粋な研究者で、赤字の事業には否定的でした。そして、お客様へ提案し具体化していた案件もありましたが、上の決定で事業は停止することになってしまいました。皆さんに「ごめんなさい」と言って撤退するか、お客様がよければ自分が会社を作り提供するか、相当悩みました。家族の反対もありましたが、踏ん切りをつけ独立をすることに決めました。
新谷哲:社長になろうとお考えではなかったのですか?
吉田大介:はい、やらざるを得なかったという方が正しいかもしれません。娘の大学の学費も高く妻は「やるのだったらせめて2年後に」と大反対でした。しかし、ATRの研究開発と企画の方は、私と同じように音声合成の技術にかなり入れ込んでいました。私が会社を作ったら、出資をしたいという話まであり、とても悩みました。その方が「一晩ゆっくり話をしたい、温泉でも入って話をしよう」と言うので、有馬温泉に泊まることになりました。温泉っていいですね、ホワンと頭が柔軟になり「まぁやるか!」と、勢いでキリの良い4月から会社をスタートすることにしました。
新谷哲:株式会社エーアイは、設立当初から上場を目指していましたか?
吉田大介:当初は何も考えていませんでした。ただ音声合成のように特殊な技術は、開発の際に人件費などとてもお金がかかります。そのお金を集めることに苦労をしましたが、3年目に入るときベンチャーキャピタルさんから結構な融資を受けることができました。ベンチャーキャピタルさんが入るということは上場することがセットなので、目指さざるを得ないという状況でした。
新谷哲:上場に向けての苦労はございましたか?
吉田大介:上場に向けて進んでいくきっかけができるまでは、凄い苦労をしました。まずお金がなく、売上がほとんど立たない状況からのスタートでした。年間で1億円以上も経費コストとしてお金が出ていくのですが、ベンチャーキャピタルに入っていただき、2億円以上のお金を集めることができました。しかし、1年で半分の金額に減ってしまい、あと1年でアウトでした。しかしその時すでに、今のAITalkの最初のバージョンであるβ版ができ上がっていたのです。日本語の場合、イントネーションがすごく大事で制御をするのが難しかったのですが、それに成功をしました。「もう一息だ」と思い、改めて資金調達に向け色んな所に出向き、デモをしながら出資の要請をしました。その時に現在の株主であるソルクシーズさんと出会い「これは面白い!」という事で、出資を受けました。その2年後の売上は、1億円を超え黒字になり、順調に売上利益を上げることができるようになりました。ただ、人を沢山採用するとコストがかかるので、売上に連動して人を入れるやり方を徹底しました。そして、今から約6年前に、NTTドコモさんに「しゃべってコンシェル」「しゃべってキャラ」という、ドコモ版のSiriのような様々なキャラクターの声で話ができるというサービスが採用されました。そこから急激に売上利益が伸び、上場を目指し始めました。ただ管理グループなどはなかったので、上場準備に必要な体制作りには苦労をしました。
新谷哲:なるほど。もしよろしければ、株式会社エーアイの事業内容をお教えいただけますか?
吉田大介:弊社のやっていることは基本的に1つです。法人向け製品、法人向けサービス、個人向け製品の3つの分野で、音声合成「AITalk」というブランドのライセンス提供をしています。提供の形態として、サーバータイプ、SDK、パッケージ、クラウドサービスなどがあります。音声合成は、大きく使われ方が2つあります。1つ目は、音声を作る時には録音する必要があり手間がかかるので、AITalkで音声を作るというものです。これはパッケージの製品ですが、最近すごく利用される方が増えています。2つ目は、人が居なくても音声を作ることができるというものです。テキストを投げればその場で音声に変えることができます。今までこの技術をご存知でない方も、業務で音声を作りたいと思った時に検索し、当社へ問合せを頂けるケースが多くなっています。私は、音声合成=AITalk=AIという世界を昔から作りたいと思っていました。日本語で合成と言うと、化学反応を起こすイメージがあります。そうではなく、音声を作りたいと思ったら「AITalk」だという世界に早くしたいです。
新谷哲:ありがとうございます。違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして、「仕事の後のビール」、「読書の時間」、「仲間とのゴルフ」とお答えいただきました。お酒の中ではビールがお好きですか?
吉田大介:ビール好きです。お酒全般大好きです。
新谷哲:毎日飲んでいますか?
吉田大介:コロナの関係で外出は減り、1人飲みが増えました。若い頃は1人でカッコつけて買いに行ったりしましたが、お酒は人と飲む方がおいしいです。家で飲むと缶ビール1本で酔っぱらってしまいます。ZOOM飲み会のお誘いもありますが、エンドレスに飲んでしまうので危ないです(笑)
新谷哲:ありがとうございます。座右の銘もお聞きして「之を知る者は之を好むものに如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」と大変難しいお言葉を選ばれています。こちらを選ばれた理由はございますか?
吉田大介:私は毎日夜寝るときに「今日もよい1日だった」とストレスなくコトンと寝たいです。そのためには、知識だけでは駄目で好きになることが大切です。究極は全部それを楽しめるようにならないと、本当の意味での知識も得られません。私は最初の会社で社内いじめにあっていました。その時、そういうおじさんが居ても環境を楽しめないと駄目だ、と気づきました。そして退社する際には、いじめてきたおじさんが「大ちゃん辞めるんか?え?ちょっと飲みに行こうか!」と言っていただけるまでになりました。1日24時間あり8時間寝ているとしたら、残りの16時間をいかに楽しめるか、好きになるか?を考えています。そうでない時間は損なので、常にこのような気持ちで居られたら幸せです。といいつつ、ストレスまみれで寝られない夜も沢山ありました。
新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。
吉田大介:成功するまで辞めないことです。弊社も当初は、2回~3回は、ほんとに危機一髪だったときがあります。辞めるのは簡単ですが、大変な時どれだけ踏ん張ることができるかということです。危機はいっぱいありますが、きちんと認識をすれば、何をしないといけないのか?解決する方法は何となく見えてきます。だから「絶対に辞めない」ことが大事ではないかと思います。
新谷哲:大変素晴らしいお話です。吉田大介社長、本日はありがとうございました。
吉田大介: ありがとうございました。
編集後記
今回は、吉田大介社長でした。音声合成がこのように出来上がってきたという歴史を聞き、大変興奮しました。NTTとKDDIは二つの会社に分かれていますが、元は一緒の会社で日本電信電話公社という会社でした。この国際部門がKDDIで、後にauと二社に分かれました。これらの会社は、通信技術の研究にとても力を入れていました。そのまま続けていたら、NTTはGAFAに並ぶ会社になったのではないかと思います。しかし、研究は前に進んでいなく、吉田社長が株式会社エーアイを創業したように、独立していった方は多いのではないでしょうか。そういう意味で、日本は本当に良いところまで行っているのに少し惜しいと思います。成功するまで諦めない、吉田社長のような方がたくさん育っていくことを願っています。ぜひ皆さんも参考にし、諦めないことで成功社長を共に目指していきましょう。
吉田大介氏
株式会社エーアイ 代表取締役社長
兵庫県神戸市出身。同志社大学卒業後、株式会社大真空に入社されます。その後、株式会社東洋ハイテック、TIS株式会社、NTTアドバンストテクノロジ株式会社、株式会社国際電気通信基礎技術研究所にお勤めになります。そして、2003年4月に株式会社エーアイを設立され、代表取締役社長に就任されました。2018年6月には、東証マザーズに上場をはたされます。音声合成に特化した、日本唯一の会社として「エーアイは音声技術で社会に新しい価値をつくり続けます」を企業理念に掲げ、音声技術の応用開発・サービス化を通じて、音声情報の新しい文化を創出し、社会インフラ構築に向け邁進されています。
2014年2月Japan Venture Awardsにて、「中小企業庁長官賞」を受賞
2014年5月音響学会にて、「技術開発賞」を受賞
2014年11月東京都ベンチャー技術大賞にて、「大賞」を受賞
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、吉田大介氏(株式会社エーアイ 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。
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