2006年は国産旅客機『YS-11』の国内運航中止とともに、次世代国産機のありようが取りざたされた年でもあった。飛行機がクローズアップされた1年だったのである。
飛行機は空気のない「真空状態」では飛べない
先の大戦当初、瞬く間に制空権を制圧した零戦は中国や欧米各国から『ゼロファイター』と恐れられた。しかしその後アメリカが国力を注ぎ込んだ新型機を投入するとともに、その栄光は陰りを帯び、性能のアップもならず、かつ後継機の開発もままならぬままに日本は敗戦を迎えてしまう。
零戦の開発を担当した三菱・堀越二郎氏は、その状況を「飛行機の開発能力うんぬんではなく国力、工業力の差」と断じている(『零式戦闘機』柳田邦夫著)。たしかに戦争末期に陸軍の主力機として活躍した「疾風」は、当時としては国内最速の624キロという速度を記録している。
が、戦後アメリカが点火式プラグを変え、オクタン価の高いガソリンを用いて「疾風」を飛行させたところ689キロを記録し、高い運動性とあいまって「最新鋭米軍機とも互角に戦える最優秀日本戦闘機」と評価された。この65キロの差が、当時の日本とアメリカの国力の差といえるのかもしれない。
さて、飛行機は空気のない「真空状態」では飛べない。飛行機が空中をエンジンの推進力によって前進しているゆえに、翼(上向きの翼)の周りに、空気の流れができる。この空気の流れから、翼を持ち上げる力(揚力)が生まれるのだ。
つまりエンジンの力で前へ進んだ飛行機は、前へ進んだ分揚力が働き、翼が持ち上がる。この揚力が飛行機の重量よりも大きければ、機体は離陸し、上昇できる。反対に、飛行機の重量よりも小さければ、飛行機は降下する。重量と同じであれば、水平飛行をするわけである。
エンジンがあってこそ成功の現実につながる
じつはこの「飛行の原理」は、19世紀からわかっていたという。しかし現実になかなか実現されなかった理由のひとつは、揚力を生み出すスピードがなかったため、すなわち効率のよいエンジンがなかったからであった。
われわれの世界も同じだ。理屈がわかっただけでは、十分な成果が出ない。うなりをあげて驀進ずるエンジンが必要となるのだ。そのエンジンがあってこそ、すべての理論が、成功という現実につながっていくのである。いわば理想を現実としようとする人間の情熱こそが、組織を動かすエンジンとなるのだろう。
零戦開発時、堀越氏がいちばん苦労したのは、じつはこのエンジンであった。当時の日本の工業力では、零戦の能力を最大限に発揮するエンジンは開発が困難であった。それでもスピードを要求された堀越氏は機体を軽くすることを余儀なくされ、結果搭乗員を守る防弾板装着をあきらめなくてはならなかったのだ。それは多くの人命が失われていくひとつの要因ともなった。
また、飛行機事故のほとんどが離陸時の3分、着陸時の8分に起こっているという。物事のはじまり、そして総仕上げの時にこそ、心を引き締めことにあたるべきとの教訓である。