本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、前田出氏(一般社団法人 協会ビジネス推進機構代表理事)です。(2017年5月31日 2017年6月 7日 配信)
協会ビジネスの第一人者である、前田出氏にお越しいただきました。ホビークラフトで作り上げた認定講師が活躍する仕組みをビジネスモデルとして、2007年より他の業態に「新・家元制度」を提唱されています。ミュージカル劇団、街づくり、インテリアコーディネーター、選挙のプロデュースなど、様々な経験が現在のビジネスの成功につながっていくストーリーは、大変興味深い内容となっております。前田出氏の語る、事業を大きく発展させるための「仕組みづくり」とは? 企業成長を目指す経営者の皆様は必聴です!
新谷哲:本日の経営者インタビューは、私の尊敬する経営者のお一人、前田出氏です。まずは経歴をご紹介します。1954年生まれ。協会ビジネスの第一人者であり、新・家元制度を提唱。和歌山市生まれで長崎大学水産学部卒業。その後、マニフェスト選挙の先駆けを作り出し、株式会社コロネットを設立。押し花の認定講師制度の仕組みを作り成功されて、今は、新・家元制度のビジネスモデルを推進されていらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。
前田出:よろしくお願いいたします。
新谷哲:最初のご質問ですが、ご出身は和歌山市ですか?
前田出:はい、和歌山市です。
新谷哲:小学校・中学校は、どのような幼少期をお過ごしでしたか?
前田出:小学校・中学校と優等生でした。小学校の頃から生徒会長をやっていて、先生に気に入られる子でした。高校に行った時は、成績も中ぐらいになり「自分は井の中の蛙」と実感し、いい子をやるのがしんどくなってきました。
新谷哲:そうでしたか(笑)。高校はどちらに行かれたのですか?
前田出:学校として有名だった、桐蔭高校というところに行きました。
新谷哲:大学は長崎で、水産学部とのことですが、理系だったのでしょうか?
前田出:理系でした。選んだ理由は、高校で自分の実力が分かり、「普通のデスクワークはやりたくなく、農学部か水産学部に行きたい」と思い、水産学部ある長崎大学へ行きました。
新谷哲:今のお仕事と、全然違う学部ですよね。元々、水産学部から何か目指す夢はあったのですか?
前田出:その当時、クストーという潜水で有名な方がいて、海に潜ることをやりたいと思っていました。ただ大学ではろ過など、やりたいこととは違うことをやりました。
新谷哲:大学卒業後は普通に就職したのですか?
前田出:就職は、水産の仕事とは関係なく、大阪のアイスクリームの卸売業に入りました。でも半年で辞めました。
新谷哲:面白くなかったということでしょうか?
前田出:何をやっているかも分からずに入って、営業の見習いという前段階で辞めました。
新谷哲:そのアイスクリーム屋さんを辞められた後、独立ですか?
前田出:父が黒板屋を経営していたので「家に帰ればなんとかなる」と思ったのですが、超零細企業でなんともならない(笑)。丁度結婚を考えていて、超零細企業入って頑張る気もなく、何か面白いことはないかと思い、アマチュアのミュージカル劇団に入りました。
新谷哲:大変変わった経歴で、今の前田出先生からは想像がつかないですね。失敗話になるんですか?
前田出:そうですね。父の経営する黒板屋の給料は年収200万もないくらいで、保母さんをやっていた嫁さんの方が収入が多かったです(笑)。ミュージカル劇団では、シンガーソングライターの小椋佳さんを口説いて曲を書いてもらい、全国ツアーをし、10年間で10万人動員。サントリー地域文化賞をもらいました。
新谷哲:すごいですね。
前田出:劇団のキャストとプロデューサーの方が面白く、全く収入がない状態が32歳まで続きました。
新谷哲:ミュージカルのほうが成功して、今の前田出先生の片鱗をのぞかせるような気がします。ミュージカルを辞めたのが32歳ですか?
前田出:丁度まちづくりブームがありまして、建築家の方々と何かやろうという話になりました。和歌山で大きなイベントを3回して、2000~3000人位を動員するイベントを作れたのです。それとミュージカルを同時にして、人を動かすということが面白く感じました。32歳の時に真面目に仕事をやろうと思い、株式会社アイシーエスというのを作ったんです。
新谷哲:アイシーエスさんは、何を目的に事業をやろうと思ったのですか?
前田出:まちづくりの時、参加していたのは男性ばかりで、女性を参加させるには「自分の自宅で何かさせればいいか?」と考えたのです。そこで、当時は世間にまだ知られていないインテリアコーディネーターの資格を取り、インテリアコーディネーターシステムを発案。この頭文字を取って「ICS」としました。このインテリアコーディネーターの養成講座を地元の新聞社と組んで行ったのが、今の協会ビジネスの原型でした。
新谷哲:今から35年前くらいには協会ビジネスの原型が出来ていたのですね。
前田出:講座を作り、「インテリアコーディネーターという資格を世間に周知するために資格をとりましょう」と。そして、資格を取った人を組織化して企業とタイアップする事業を始めました。
新谷哲:初めて聞きました。外では、そのようなお話はあまりされていないですよね。その事業は大成功されたのですか?
前田出:1回20人、4回で80人ぐらい集め、資格を取った人を纏める。資格を持ってない人も、女性の企画力を会社に活かしませんかと提案する。そして、商業施設のプロデュースをしようと思い、いかに集客をするか、イベントをやるか、会員化するか検討しました。ちょうどTSUTAYAさんができた頃だったので、和歌山でも同じように、ビデオ・本合わせたレンタルの業態を全国で120店舗を作りプロデュースをしました。
新谷哲:TSUTAYAのプロデュースですか?
前田出:いいえ、和歌山で同じような業態の「イワキ」というものをやりました。レコード屋さんのビジネスモデルを、TSUTAYAと同じような感じで作りました。
新谷哲:いまのお話を聞くと、協会ビジネスの原型がミュージカル、まちづくりやインテリアコーディネーターの起用で、そのまま発展していったようですね。
前田出:僕の中ではもうひとつ、選挙のプロデュースもあります。インテリアコーディネーターのフランチャイズのビジネスモデルを作っていた時、たまたま選挙のプロデュースを頼まれて受けたのです。町長さんが衆議院選挙に出馬したのですが、その人がとても目立たない人でした。埋没してしまう人をどう目立たせるかを考え、プロデュースをする。青年部や婦人部を作る、スポットライトを当ててしゃべらせる、衣装を揃える、送り出しの者を並ばす等、ミュージカルでやるようなことをそのまま選挙に持ち込みました。候補者は落ちたのですが選挙区自体が話題になり、選挙プロデュースの依頼がいろいろな所から来ました。
新谷哲:どのくらいきたのですか?
前田出:15回くらいです。市長選、知事選、県会議員など、いろんな種類の選挙をやってきました。
新谷哲:お話を聞きますと、青年部とかは会員制度ですし、スポットライトを当てるみたいなのはミュージカルなので、すべて家元制度に繋がりますね。
前田出:ミュージカルでは観客をどう動員するかを考え、選挙では組織を作り、思惑の違う人をどう動かすかを考え、選挙の公約を作り未来を約束させる。そういうことが組み合わさり、ビジネスが繋がってきています。
新谷哲:選挙のプロデュースをやってから家元制度の発表をするまで、どれくらいかかったのですか?
前田出:和歌山知事選のプロデュースをやった後、和歌山に居られなくなるくらいの締め付けがあり、旅に出ようと思いました。そこで押し花をやっている人間に出会い、面白いという話になり、協会ビジネスが始まり出しました。
新谷哲:それが株式会社コロネットですか?
前田出:コロネットを作る前です。その時出会った者が、日本ヴォーグ社という出版社で、押し花のプロデュースをしていた伊東琢磨。共にコロネットを作るパートナーです。
新谷哲:なるほど。放浪していた時、奥さまと一緒だったのですか?
前田出:一緒ではなく、和歌山にいました。ミュージカルやっている時も和歌山にいてくれて、好きなことをさせてくれました。
新谷哲:素晴らしい奥さまですね。では、コロネットを設立する前に、押し花の協会を作ったのですか?
前田出:押し花の場合は、すでに新・家元制度、協会ビジネスの原型があったのです。押し花の先生を育成し、押し花の先生に教材を販売するというモデル。日本ヴォーグ社というのは、それにプラスして、本を作るなど色々していたのですが、教えるビジネスだけでは限界がありました。そこで、「教える人の中から商品を作ることをやろう」ということになり、教える先生を選抜。その中で結婚式のブーケを、押し花で残す記念日額を作る会社を作りました。これがコロネットです。「先生という教える人から、押し花額という商品を作るデザイナーにするビジネスをやろう」ということになり、ゼクシーとかに広告を出して、3億円ぐらいのビジネスになりました。
新谷哲:素晴らしいですね。コロネット成功させたのでそこから家元制度という発想になったのですか?
前田出:押し花でいうと、「押し花を教える先生を作る」というモデルがあり、教えるだけでは収入の限界があるので「商品を作る」というモデルを作る。そこから今度は、女優さんの持っていた花を押し花額にするなどアート部門を作り、世界で押し花をやっている人たちを纏めて、世界押し花芸術協会というものを作りました。押し花を芸術までに持っていくことで、ホビークラフトをやっている人を、アーティストやデザイナーとして名乗れるようになるビジネスモデルを確立しました。
新谷哲:それがいわゆる認定講師制度ですか?
前田出:そうです。
新谷哲:その成功を見て、もっと拡げられると感じたのでしょうか?
前田出:このビジネスモデルを押し花だけではなく、他に展開しようと思いました。コロネットの押し花事業をただの事業部にして、ビーズやキルトなどのホビークラフトの部分に事業を横に展開していきました。
新谷哲:それはコロネットで展開なさったのですね。
前田出:そうです。
新谷哲:コロネットから家元制度を活用したビジネスを手掛けたのは何年前からですか?
前田出:押し花をやりだしたのが1996年。ビーズで動きだしたのが2001年くらいです。
新谷哲:そのあと、もっと拡げることになるのですね?
前田出:ビーズのマーケットが200億円ぐらい。押し花の6倍~7倍のマーケットにモデルを持っていきました。成熟したマーケットだったので習いたい人、教えたい人がたくさんいました。ここに標準化したモデルをつくり、公益財団の認定を出しますと募集をかけたら、5万5000円のモデルに5000人問い合わせがあり、2000人が買ってくれました。
新谷哲:すごい数ですね。
前田出: 1ページ30万の広告で5000人集まりました。
新谷哲:高収益ですね。
前田出:三越でイベントをしたり、新聞社と組んだりいろいろな相乗効果が生まれ、初年度だけでそれだけのモデルができました。
新谷哲:そこで、これはいけると思われたのですか?
前田出:そうですね。習っている人から見ると、自分にブランドを付けて各地で展開できるビジネスモデルができた。協会ビジネスの一番の原型の押し花でできたものを展開して、きっちりと標準化したものが、ビーズのモデルでした。
新谷哲:2008年には新・家元制度を活用した認定講師育成事業モデルを講座として開校されていますが、前の年ぐらいには「よしやろう」と思われていたのですか?
前田出:ビーズの事業が7年ほど経過し、8億円~9億円ぐらいの売上になっていたので、ビーズ業界の中ではビジネスモデルが確立できました。そこから整体や食育など、いろいろな所に展開可能だと思ったのです。また2008年に公益法人制度が変わり、一般社団法人を作れるようになる。今やっている協会ビジネスにとって良い制度が出来たので、このときに世に出そうと決めました。
新谷哲:前田出先生の歴史を聞いていると、新・家元制度はそうやって出てきたのだと分かり、大変素晴らしく、大変感心させられました!ここで全く違う質問をさせていただきます。好きなものに「うまい飯」とお答えになっていますが、どういうものがお好きなのですか?
前田出:僕自身は、ビジネスとプライベートを結構分けていて、32歳まで自分でやりたいことをやっていました。今は変わってきていますが、コロネットの頃、最初に決めるスケジュールは「誰と食事に行くか」でした。毎日、誰とどんな飯を食うかと考えて、その会話が弾むものや、この人とこの飯を食いたいと決めて、仕事の予定を決めていくスケジュールです。
新谷哲:一緒に食べる人も全部含めて「うまい飯」としているのですね。1カ月間で、30人とセッティングするのですか?
前田出:もちろん家でも食べます。当時は、和歌山と東京の二重生活をしていました。週末は和歌山に帰って、平日は東京でホテル暮らし。誰かと飯を食わないと寂しいので、いつも誰かと食うものを決めていました。
新谷哲:そうですか。「うまい飯」が好きという理由が少しわかった気がします(笑)。もうひとつ、座右の銘が「投げられた石は足元に積んでいけ」とお聞きしていますが、これはどういう意味ですか?
前田出:和歌山でミュージカルをやり始め、そのあとまちづくりを始めた頃、名士の人たちと会う機会がありました。その中に、和歌山県のナンバー3の人の奥さまがいたのです。女流作家でもあり、和歌山の女性を纏める人でした。この人から「まちづくりをやっているとその時にみんなはちやほやしてくれる。権力を持つ人を脅かす存在や、目障りな存在になったら石を投げてくるようになる。その石を投げられたらその石は投げ返すな、投げられたら、ありがとうと言って足もとに積んでいけ。その石をずっと積んで行ったらいつの間にか石が高くなって、石垣となって石が届かなくなる。批判されるのを反発せずに、そのままありがとうと言って受けていけ。」と言われました。その後、石を投げられるようになりましたが、石は投げ返すなというのをずっと守ってきました。
新谷哲:選挙の後の放浪に、通ずる話ですね
前田出:選挙なんか石とか岩が飛んでくる世界ですから(笑)。
新谷哲:大変勉強になる話ありがとうございました。最後なのですが、今後起業する方、経営者の方へ向けて、成功の秘訣をお教え頂けたらと思います。
前田出:僕は自分の時間を大事にしたいので、なるべく誰かにやってもらうと考えています。仕組みづくりが大好きだったのでこのビジネスをやるのにどういう役割の人が必要か。そして、この役割をうまく回す役目は僕の役目で、それぞれ実務をやる人は実務する人など、自分が出来ないことをやってもらう組織作りを考えてきました。だから僕は、事業を作った場合は先に仕組みや組織を作った方がいいと思います。1億ぐらいまででしたら、その場その場で判断していけばいいと思いますが、10億超えるビジネスをやるのであれば、仕組みをつくることから始めたほうがいいと思います。
新谷哲:仕組みづくり、私も頑張って作っていきたいと思います。本日は、ありがとうございました。
前田出:どうもありがとうございました。
編集後記
前田出氏のお話をお聞きして、家元制度を作る運命だったのだと感じました。ミュージカルのプロデューサーをやり、まちづくりをやり、そしてインテリアコーディネーターの講師育成制度もやり、コロネットの押し花、ビーズ、そして選挙もございましたね。すべての流れから、前田出氏は家元制度をやるために、運命付けられてそのまま歩みられて大成功されています。そして、すべては仕組みづくりというようなお話もございましたが、素晴らしい経営者で、私も昔から尊敬しておりましたが、更に尊敬してしまいました。私もそうですが、経営者の皆さま方も、是非、仕組み作りをがんばって、企業成長をして頂きたいと思います。
前田出氏(一般社団法人 協会ビジネス推進機構代表理事)
1954年1月5日 和歌山市生まれ。一般社団法人 協会ビジネス推進機構代表理事。神戸山手大学 客員教授。書籍・映像などの著作。「社会に良いことをしながら儲かる仕組み」として、協会ビジネスモデルを提唱。2020年までに、年商1億円の協会を200作り、10万人の認定講師が活躍する社会を実現させる。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、前田出氏(一般社団法人 協会ビジネス推進機構代表理事)の経営者インタビューを取り上げました。
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