本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、岡島正恒氏(株式会社ステムリム 代表取締役社長)です。(2019年10月 2日 2019年10月 9日 配信)
今回は株式会社ステムリム 代表取締役社長の岡島正恒氏にお越しいただきました。岡島正恒社長は2019年3月に、株式会社ステムリムの社長に就任。就任前は証券マンとして上場に携わり、2004年には買収防衛サイドとしてライブドア事件を経験。再生医療の分野で世界で唯一の研究をする創薬ベンチャーである株式会社ステムリムの社長に就任後のお話しでは、上場に関する前代未聞の苦労を語っていただきました。ぜひ、経営者インタビューをご覧ください。
新谷哲:本日の経営者インタビューは、株式会社ステムリムの岡島正恒社長です。まずは経歴をご紹介します。東京理科大学卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)にご入行。その後、住友キャピタル証券、大和証券SMBCに勤められた後、メディシノバ執行役副社長に就任。その後、ステムリム様の代表取締役社長にご入社され、2019年8月9日に東証マザーズ上場を果たされました。本日はよろしくお願いいたします。
岡島正恒:よろしくお願いします。
新谷哲:最初のご質問ですが、ご出身はどちらですか?
岡島正恒:出身は横浜ですね。
新谷哲:横浜と言うと、シティボーイという感じですね。
岡島正恒:いえ、都会の横浜ではなく、田舎の横浜出身です(笑)。
新谷哲:そうですか。小学校・中学校時代はどのように過ごされましたか?
岡島正恒:小学校の頃は、クラブ活動でサッカーをやっていたことと、ちょっとサボって空を見ていたらUFOを皆集団で目撃したという記憶が鮮明に残っていますね。
新谷哲: UFOを見るような体質だったのですか?
岡島社長:体質ではないですね。ただ小学校の記憶の中で一番残っているのが、当時サッカーをやっていた数十人で、UFOを同時に目撃したことです。
新谷哲:最初から大変驚く話ですが、UFOを見たことで人生が変わりましたか?
岡島社長:話のネタとしては使っていますが、全くないです(笑)。
新谷哲:高校は、神奈川県内の高校に進まれたのですか?
岡島正恒:そうですね、高校も横浜です。
新谷哲:高校時代はどのように過ごされましたか?
岡島正恒:高校時代は山岳部に入りました。高校2年生の夏休みの時に、日本で2番目に高い北岳という3,000m級の山を目指して、1週間、山に入ったこともあります。1人ひとりが30kgの荷物を背負っていましたが、私は体力が一番あったので、前と後ろにリュックサックを2個背負って、60kgの荷物を背負って山を登ったことと、ブロッケン現象を見たことが記憶にあります。ブロッケン現象はご存知ですか?
新谷哲:分からないです。
岡島正恒:ブロッケン現象は船乗りがよく見る現象で、目の前に霧、後ろに太陽があると発生します。太陽が照明、霧がスクリーンになって自分の影を映します。自分の影に後光が差したように光が出て、こっちが手を振ると同じように手を振ってくれます。ブロッケン現象を山の頂上で見ることは非常に珍しいことです。
新谷哲:UFOやブロッケン現象のような珍しい体験は、よくされるのですか?
岡島正恒:その2つだけです。
新谷哲:高校卒業後、東京理科大学に進まれますが、選ばれた理由はございますか?
岡島正恒:理系の大学を複数受験して、受かったのが東京理科大学だけだったことが理由です。
新谷哲:大学卒業後は、住友銀行に入行されています。理系から銀行に行かれる方は少ないと思いますが、選ばれた理由はございますか?
岡島正恒:私が銀行に入行したのは平成3年で、俗に言うバブル期でした。この頃は金融機関がシステム要員として理系を採用していました。しかし私は「システムだけは絶対やりたくない。営業がやりたい」と思っていました。住友銀行を選んだのは、営業として採用してくれることと、どうせ働くのなら給料の高い会社で働こうというシンプルな理由からです。当時は、収益の面で世界トップ10を全て日本の金融機関が占める時代でした。私の記憶が確かなら、住友銀行は当時、世界で一番収益を上げていた会社でした。
新谷哲:住友銀行というと「トップクラスで営業がキツイ」というイメージがあると思うのですが、営業がキツイ会社で営業をやろうと思われた理由はございますか?
岡島正恒:これはあまりイメージが良くないと思うのですが、大学1年生の夏休みの時に中学生向けの教材のセールスをやり、短期間で稼ぎました。俗に言う飛び込み営業で、知らない個人の家に飛び込んで営業を行いました。もともとは「学習アドバイザー募集・日給歩合制で7000円~8000円以上」という触れ込みだったのですが、実際は飛び込み営業でした(笑)。内容は、中学校のお子さんにちょっと勉強を教えながら教材をセールスというもので、この時「自分は営業にすごく向いている」と気付きました。「仕事をするなら営業にしよう。最もキツイところが最も目立つところだから、住友銀行に飛び込もう」という発想で選びました。
新谷哲:東京理科大学の学生の中で、飛び込み営業のバイトをした方は非常に少ないと思います。やはり周りの方々とは随分違う雰囲気だったのではないですか?(笑)
岡島正恒:それはあったかもしれません。しかし、大学時代は仲間を集めてサークルを作るような活動はしていましたので、かえって良かったのかもしれません。
新谷哲:なるほど。銀行時代の思い出はございますか?
岡島正恒:最初の営業で「住友銀行の看板を背負っての営業はなんて楽なのだろう」と感じました。ピンポーンと鳴らして「住友銀行です」を言えば、簡単にドアを開けてくれたので、大学1年生でしていた教材のセールスと比べてグンと楽でしたが、同期の営業マンは苦労していました。学生時代に営業を経験する人は少ないのでめげていましたが、私は楽しく営業をしていました。しかしその後、支店長が良かれと思って、私を本店のシステム開発部に異動させるのです。これは私の本意ではないので「私はシステムをやりたくない。営業がやりたくてこの銀行に入ってきたので、転勤させてくれ」と転勤早々に部長に話をします。部長からは「転勤してきて早々、そんなこと言うものじゃないよ」と言われましたが、1年で異動させてくれました。異動先は「証券部トレーニー」という部署で、そこから自分の証券人生というか、今に繋がる道が開けますので、すごく大きな転機になったのだと思います。
新谷哲:その後、住友キャピタル証券、大和証券へと転職されますが、証券時代はどのような業務をされたのですか?
岡島正恒:証券会社で非常に勉強になったのは、証券部と市場営業部に行き、証券の企画をやったことです。そこはデリバティブを扱っている部署で、私はここで行内向け、社内向けの資金デリバティブスキルテキストを作りました。デリバティブにはスワップとかオプションという種類があるのですが、確率統計という理系の要素が基本になります。私は大学でたまたま確率統計をやっていたことがあり、「自分にはこの分野の適正がある」と感じました。当時は事業会社を担当していました。事業会社には様々なニーズがあります。例えば「自分のところは輸出の業務があって、こういう為替のリスクを取っていて、これを逆手に取ったような運用商品がないか」という相談を受けて、オーダーメイドで事業会社のニーズに合わせたような仕組債とかを作って販売をしていました。住友キャピタル証券は、1年で出ることになります
そのころは、山一證券が潰れ、次は大和証券が危ないという時でした。大和証券の救済策として「大和証券SMBC」という合弁会社を作り、そこにお金を入れるというようなスキームができたころで、このできたての大和証券SMBCという合弁会社に合流しました。ここでは事業法人部という証券会社の中では一番花形の部署に配属になり、記憶に残った案件を2つ経験します。そのうちの1つが「ライブドア事件」。今から14年前に起こった事件で、フジテレビニッポン放送の担当をしていたため、買収防衛サイドとして関わります。3カ月ぐらいは、土日も含めて家にほとんど帰れないような状況が続きましたが、これは自分の中ですごく財産にもなっている案件です。
それ以外にメディシノバという会社をご紹介いただきました。ここはアメリカのカリフォルニアにあるバイオベンチャーなのですけが、日本人が創業しています。アメリカのバイオベンチャーなのでナスダックに上場すれば良いのですが、当時の日本がバイオブームになっていたことと経営者が日本人だということもあり「日本に上場したい」という話になります。「アメリカの会社が本国に上場しないまま日本に上場する」ことは、誰もやったことがありませんでした。私は「誰もやったことないものにチャレンジする」ことが結構好きで、この案件の担当になります。その会社は日本に上場後、ナスダックにも逆上陸することになりますが、その時に「一緒にやろう」と誘われてメディシノバに入る、という流れになります。
新谷哲:理系の経営工学科出身で、デリバティブが専門分野ですので、それが活きて証券の方に移ったという感じですね。
岡島正恒:はい。
新谷哲:当時デリバティブは、流行りでしたか?
岡島正恒:流行りでしたね。
新谷哲: 2019年3月に、株式会社ステムリムに移られていますが、これは引き抜かれたのでしょうか?
岡島正恒:私にメディシノバの案件を紹介してくださった方に誘われました。その方というのが株式会社ステムリムの前社長である冨田さんで、70歳というところもあって後継者を探していました。冨田さんから「後を継いで経営者になってくれないか」とお話をいただき、2週間検討して経営者になることを決意しました。それまでは副社長を12年半やっていましたが、社長と副社長では立場がだいぶ違います。また冨田さんから「副社長は十分やっただろう。やっぱり社長でやるべきじゃないか」と口説かれたことと、ステムリムは日本初のバイオベンチャーで、世界を獲れる技術を持っている魅力的な会社だったことが、決断のきっかけです。
新谷哲:なるほど。今流行りというか、当たり前になってきた「プロ経営者」という感じですね。
岡島正恒:まぁ、そういうことになるのでしょうか。
新谷哲:2019年8月にマザーズ上場を果たされましたが、上場の苦労はございましたか?
岡島正恒:今回の上場では、前代未聞のことが起こりました。上場の時には「目論見書」というものが投資家に配られます。この目論見書には通常の場合は、株価が書かれます。バイオという分野の株価は評価がばらつくので、「いくらからいくらの株価」というレンジが書いてあります。最初は1400億円~2200億円という大きな時価総額が書かれていたのですが、機関投資家を周った後に600億円から1000億円に下方修正されました。さらにブックビルディングで投資家に声を掛けたところ、下限の600億円で決定しました。もともと2000億円を超える想定から600億まで引きずり落されたことは、おそらく前代未聞のことです。日経の記事にも、「最初に書かれた目論見書の価格にかすりもしなかったことは16年ぶりだ」と書かれました。
新谷哲:その下方修正で、調達額はどのぐらい変わったのですか?
岡島正恒:もともと二百数十億円の調達額を予定していたのが、70億円台になったので、3分の1くらいになりました。
新谷哲:では、140億円ぐらいがなくなったのですね。
岡島正恒:そういう感じですね。
新谷哲:大変なご苦労があったのですね。もしよろしければ、株式会社ステムリムの事業内容をご紹介いただけないでしょうか?
岡島正恒:株式会社ステムリムは、再生誘導医薬の開発を目指している創薬ベンチャーです。世の中では再生医療、再生治療が数多く行われていますが、日本は進んだ国に入ります。再生医療新法のように再生医療を後押しするような制度があり、様々な再生医療というのが行われています。再生医療ではまず、人から細胞を取って、その細胞を培養して増やして、人に移植します。それに対し、ステムリムが目指している「再生誘導医薬」では、細胞には直接触りません。何をするかというと、身体の中でSOS信号となる物質を見つました。このSOS信号となる物質を化学合成して作り、それを静脈注射という形で点滴します。血液に乗ってSOS信号が骨髄に伝わると、骨髄の中に眠っている間葉系幹細胞というのが血液中にたたき出されます。あとは血流に乗って、自分の自己の再生能力に従って、損傷している部位に幹細胞が辿り着いて再生を行うというのが、再生誘導医薬のコンセプトです。我々もいろいろ調べましたけれども、このコンセプトの医薬品を開発している会社は世界でどこもないので、我々の会社がチャレンジしています。
新谷哲:詳しくないと分かりにくい部分もあるかもしれませんが、素晴らしいことをやっていらっしゃる会社だというのはよく分かりました。経営者インタビューをお読みの皆様も是非、ステムリム様の株も買っていただくと良いのではないかなと思います。ここからは全く違う質問をさせていただきます。事前に「好きなもの・好きなこと」をお聞きして、「ネバネバとした食べ物・スキー」とお答えいただきました。ネバネバ系、すごく健康的なものがお好きなのですか?
岡島正恒:特に納豆が大好きです。オムレツや味噌ラーメン、うどんなど、あらゆるものに納豆を入れて食べています。納豆オムレツは食べたことがありますか?
新谷哲:はい。
岡島正恒:納豆オムレツの実は発見者は僕じゃないかなと思っていまして、小学校の時に母親に「納豆でオムレツを作ってくれ」とリクエストをしたのです。当時はインターネットも何もないので検証のしようがないのですが、大人になったら納豆オムレツが世の中に存在していたので、僕自身は自分の考えをパクられたと思っています(笑)。
新谷哲:なるほど(笑)。やっぱり納豆をいっぱい食べられているから頭も良いかもしれませんね。座右の銘も事前にお聞きして「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。友ガンジー」とお答えいただきましたが、こちらを選ばれた理由をお教えいただけますか?
岡島正恒:私には2人息子がいて、いつも「ぐたぐた文句言う前にすぐやれ!」と息子たちに言っています。やはり、物事を先送りする人間ってものすごく多いです。例えば「英語勉強したいと思っています」って言う人がいると、私は「思っているならすぐ始めなよ」という考え方をしています。私も大和証券SMBC時代に英語を始めようと思い、当時はなかなか勉強している暇がなかったのですが、今は潰れてしまったNOVAに通いました。実は私、英語があまりできないことがコンプレックスでした。メディシノバという会社にチャレンジした理由の大きな1つが、アメリカの会社だったからです。アメリカの会社で役員をやるということは、全て英語で仕事をすることになります。「入ったら英語をやらざるを得ない」という状況に自分を追い込みました。
その頃に始めたのが、インターネットで先生を紹介してくれるサービスです。3000円とか5000円払うと3人分ぐらいのメールアドレスを買えて、直接コンタクトを取って、その先生と日にちを合わせて勝手に英語を習うというもの。合計で4人ぐらいの先生に習い、その1人の先生は私と同い年のイギリス人でした。彼は日本人と結婚して日本に住んでおりまして、今でも週に1時間、何とか時間を作っているので、12年~13年の付き合いになります。彼とはマンツーマンで英語を習っていると言うより、英語でディスカッションしていると言ったほうが良いのでしょうね。それ以外に、前の会社の時に中国で合弁会社を作りました。そしたら合弁会社の相手が「どうせ日本人に中国語は分からないだろう」と中国語で内緒話をしていました。これが悔しくて、中国語も同じように7年~8年間、週1時間以上マンツーマンで中国語も習いました。ステムリムに移ってから中国語はお休みしていますが「新たなことに常にチャレンジすること」これはガンジーの「永遠に生きるかのように学べ」がぴったり合うと思います。よく「大人になったら記憶力悪い」と言う人がいますが、私は言い訳だと思っています。記憶力が悪いのであれば、「若い人が10回で覚えられるところを100回やれば覚えられる」と考えています。常に新しいものにチャレンジしようという意味で、ガンジーの「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。友ガンジー」という言葉を選びました。
新谷哲:なるほど。記憶力がなくなるのは再生医療ではなくて努力で何とかしろ、ということですね。お答えいただきありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者様、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教えください。
岡島正恒:経営者として成功する秘訣は「諦めが悪いこと」です。諦めずにとにかく知恵を絞って考え抜くということで、必ず何らかの道は開けると思います。
新谷哲:是非、経営者の皆様も諦めずに考え続けて下さい。岡島正恒社長、本日はありがとうございました。
岡島正恒:ありがとうございました。
編集後記
岡島正恒社長は、プロ経営者らしいプロ経営者でした。やる気があり、グイグイいく感じもプロ経営者らしく優秀だと感じました。頭の良さと根性、この2つを兼ね備える方はと強いことが、岡島正恒社長を見てよく分かりました。全国の経営者様も、岡島正恒社長のように諦めずに突き進んで経営を続けて下さい。
岡島 正恒 氏
代表取締役 社長COO
1991年株式会社住友銀行(現株式会社三井住友銀行)入行。1996年住友キャピタル証券株式会社、1999年大和証券SMBC株式会社(現大和証券株式会社)にて従事。2006年メディシノバ・インク執行役副社長・東京事務所代表。2019年3月より当社代表取締役社長COOに就任。東京理科大学理工学部経営工学科卒。
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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、岡島正恒氏(株式会社ステムリム 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。
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