将軍の才能というものがある。幕末の軍略家・大村益次郎は、それを「幾何学の証明を一瞬で言いあてると同じ才能」と称した。目の前の事象に対して、これはこうと理屈づけるのではなく、こうすべきっ!と一瞬のうちに覚知する能力なのだという。
本人すら気づかない将軍の才能
絵画や水泳の才能と違い、将軍の才能は見つけるのがもっともむずかしいといわれている。なにしろ戦乱の世でなければ、その才は発揮されない。たとえ戦乱の 世としても、実際にその才能を使える立場にいなければ発揮されないからだ。魚を追う漁師にその才能が眠っていたとしても、宝の持ち腐れ。周囲はおろか、本 人すらその存在に気づかぬままに一生を終えてしまうことが多い。
明治陸軍の創世記に騎兵をしょって立っていたのが秋山好古大将だ。騎兵操典から運用、装備に至るまで彼ひとりですべてを成し遂げた。というより、陸軍その ものが彼にすべてを託したといったほうがとおりがいい。当時の仮想敵国であったロシアには世界最強のコサック騎兵がおり、日本においては騎兵そのものが重 要視されていなかったこともあろう。事実日露いざ開戦となったとき、日本騎兵は戦闘のたびに馬を下り、拠点を守る歩兵としての役割を果たしている。
一方で騎兵という軍種は、天才のみが使いこなせると好古はしばしば語っている。彼が陸軍大学校で「騎兵とはなんぞや」と講義するときに、教室の窓ガラスを 拳で打ち割った。もちろん拳は傷つき血が流れたのだが、ガラスも粉々に砕けた。要は騎兵とは、馬上高く体をさらす分防御は弱いのだが、高き戦略眼・戦術眼 により投入されれば機動力を生かし、敵に大ダメージを与えることができることをを示したかったのだ。それはまさに天賦の才による用兵術だ。
才能を開花させる人が求められる!?
好古が陸軍の歴史が深いフランスに留学中、さる高名な歴史家と歓談したことがある。世界史上、騎兵用兵に長けていた天才は誰かと問うたとき、歴史家は何人 かの名をあげる。それはジンギスカンであり、ナポレオンであり、アメリカの将軍の名であった。好古はその名につづき、源義経と織田信長を加えるようにいう。義経はひよどり超えの戦いが、信長には桶狭間の突入があったからだ。その用兵を詳細に聞いた歴史家は、以後2人の名を加えようと静かに微笑んだ。
ここであがったナポレオンや信長にはひとつの共通点がある。それは将軍の才能とは眠っているものと知り、その才能を見抜けばたちまち抜擢したことだ。ナポレオンも名もなき歩兵を将軍にしたし、信長も豊臣秀吉、明智光秀、滝川一益など、農民・浪人から抜擢し、軍団長へと育てている。件の大村益次郎も、長州藩 の重役であった桂小五郎により引き立てられ、一介の蘭学者から軍司令官として歴史に名を刻むことになった。
人間、どんな才能が眠っているかわからない。才能を開花する人よりも開花させる人こそが、いま求められているのかもしれない。