前々回の「“この一戦”に賭けて戦う執念が違った史上最大の作戦」では、ノルマンディー上陸作戦を紹介した。今回はその上陸作戦を指揮したアイゼンハワーのエピソードを紹介する。それはリーダーの細心の配慮に勝利の要諦があるということだ。
いかなる活動も、それは事前の準備で決まる
アメリカ合衆国 34代大統領であり、“アイク”の愛称で知られるアイゼンハワー将軍は、1943年12月にヨーロッパ戦域における連合軍最高司令官に就任した。彼は文字とおりに史上最大の作戦となった「オーバーロード作戦(=ノルマンディー上陸作戦)」を指揮する。
この作戦の最高責任者であったアイゼンハワーの覚悟の一端を知らしめるエピソードがある。じつは彼は、「作戦が失敗した場合の声明」を用意していたのだ。それは鉛筆書きで、こう書かれていた。
「(ノルマンディーの)上陸作戦は、十分な足場を確保することができず、私は軍隊を撤退した。この時期に、この地点を攻撃するという私の判断は、入手可能な最高の情報に基づいて下されたものである。空軍と海軍は、力の限りを尽くして、勇敢に義務を果たしてくれた。もし、このたびの作戦に落ち度があり、非難されるべきことがあれば、それはすべて私ひとりの責任である」と。
実際にはドイツ軍の激しい抵抗に遭いながらも作戦は大成功を収め、この声明を発表する機会はなかった。だが、このように万が一の場合にも備えておくという、リーダー自身の細心の配慮があったからこそ成功をなしえたと評価する歴史家もいる。
次元は違うが、剣豪として名高い宮本武蔵も、生涯60数度の決闘に一度たりとも敗れたことはない。それは事前に相手の技、性格を徹底して研究し、対抗策を練り上げたからだという。
いかなる活動も、それは事前の準備で決まる。どんな局面にも対処していけるよう、万全の態勢を整えておく。そうしたリーダーの責任感と努力があればこそ、はじめて人の心をとらえ勝利への扉を開くことができたのだ。
部下の力を発揮できる環境を作る
一方でアイゼンハワーは、自分に権力を集中するのでなく、自分のもとの指揮官が、力を発揮しやすいよう環境を整えたことで部下からの信頼を得た。実際の上陸の指揮をとったのはイギリス軍のモントゴメリー将軍であり、戦車軍団を率いた勇将として名高いパットン将軍(パットンの活躍は映画にもなっている!1970年にアカデミー賞6部門を受賞した名作)もいた。
アイゼンハワーは、つねにそれら将軍たちの意見に積極的に耳を傾け、しかも自身の功績にはこだわらず、部下たちをどんどん前に出して、彼らが栄誉を受けられるようにしたのである。逆に部下たちに何かがあれば、潔く、すべて自分が責任を引き受けた。
だからアイゼンハワーのもとでは、とかく我をはりやすい数多の将軍たちが協力し、かつ思う存分力を発揮し、戦うことができたという。また一丸となって、アイゼンハワーに応えようという団結が生まれたとされている。あのノルマンディー上陸作戦の成功の陰に、アイゼンハワーの名采配があったことを見逃してはならない。