成功経営者インタビュー

株式会社SharingInnovations 代表取締役社長 飯田啓之氏 インタビュー

今回は株式会社Sharing Innovationsの飯田啓之社長にお越しいただきました。
セールスフォースを中心としたクラウドサービスを用いた顧客企業へのDX支援をされているマザーズ上場企業の社長様です。

飯田氏は、高校卒業後、起業し、1年で貯めた資金をもとに、国際基督教大学(ICU)へと進学されました。そこで、寮の先輩がやっていた、インターネットの起源であるARPANET(アーパネット)に触れインターネットの世界に魅了されます。大学卒業後は、日本電信電話株式会社、株式会社エムアウトを経て、株式会社ザマー、そして株式会社ムロドーを設立し代表取締役に就任されました。
そして、株式会社Sharing Innovationsの代表取締役社長へと就任され、同社を上場へと導かれました。人が最大限のパフォーマンスを発揮するには「適材適所」ともう一つ、大切なものがあるようです!経営のヒントが得られますので、ぜひインタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社Sharing Innovationsの飯田啓之社長です。まずは経歴のご紹介です。大阪府河内長野市出身。日本電信電話株式会社にご入社。その後、株式会社エムアウトを経て、株式会社ザマーを設立し、代表取締役にご就任されます。その後、株式会社ムロドーを設立し、代表取締役にご就任。そして、株式会社SharingInnovationsの代表取締役社長にご就任されました。2021年3月24日に東証マザーズ上場をされています。本日はよろしくお願いします。

飯田啓之:よろしくお願いいたします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身は大阪とのことですが、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

飯田啓之:小学校時代は野球・サッカーをしていましたが、中学の部活動には参加をしませんでした。私の世代はヤンキー文化の最盛期で、学校がとても荒れていて、野球部・サッカー部などのメジャーな部活動は全て廃部になっていたからです。

新谷哲:やんちゃだったのですか?

飯田啓之:元気のある学生ではありました。大阪の田舎の方ですから、ご想像にお任せします(笑)

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

飯田啓之:幸か不幸か勉強の要領はよく、地元でトップの公立進学校に通いました。そこでもう一度サッカーを始め、中学3年間で失われた青春時代を取り戻していました。

新谷哲:大学はどちらに進学されましたか?

飯田啓之:国際基督教大学(ICU)です。上京をし、キャンパスに併設されている寮で4年間住んでいました。

新谷哲:ICUに進学されるとは、とてもご優秀だったのですね!大学時代の思い出はございますか?

飯田啓之: ICUは東京大学の合格を蹴ってきた人や、偏差値の低い大学に落ちた人などが入る、何を基準に合否を判断しているのか分からない不思議な大学でした。住んでいた男子寮では、外国人15人、帰国子女10人、全国の地方から集まった人の計45人で生活をしていました。そこで私は、ロシア人や、アメリカ人みたいな日本語を話す日本人たちと同じ部屋になりました。そして、3年生のときには1年間寮長を務めます。月に1回開催される「寮会」の進行などを行いました。そこで、ある議題で翌日15時まで議論をしても解決できなかった問題があります。それは、あるフィリピン人留学生が、宗教上の理由から人前で裸になることができないという問題です。寮には大風呂しかなかったので、苦肉の策としてパンツを履いて入浴をしていました。そんな彼に「日本では、裸で風呂に入る文化だ!」とロシア人が激怒しました。そこに、アメリカ人、フランス人が参戦し、日本語、英語、フランス語、ロシア語、ドイツ語、etc……が飛び交い収集が付かないほどの激論になってしまったのです。結局、寮長預かりとなり、折衷案としてフィリピン人のデイビッドの入浴時間枠を作ることで決議しました。しかし「俺は日本の文化を学びに来たのだから裸でみんなと語り合いたいのだ!」と納得いかないロシア人を説得するため「2人で飲もう!」となり、一晩でウォッカを2本半空け話に収拾がついたということがあります。このような大学生活を通して「各々に正義があり、文化や考え方は全く違う」ということを知ることができました。現代では多様性、ダイバーシティなどとよく言われています。多様性を尊重することの重要性と、さまざまな物事の決め方があると気づくことができ、非常に貴重な経験を4年間させて頂きました。

新谷哲:面白いお話し、ありがとうございます。大学卒業後は、日本電信電話株式会社(NTT)に入社されました。こちらを選ばれた理由はございますか?

飯田啓之:実は私、高校卒業後に起業をし、1年間で進学資金を貯め大学へ行きました。「30歳ごろにはまた会社をやろう」と考えていたので、就職活動では「早く活躍でき、新卒でないと入れないスタンダードな会社」に焦点を絞りました。寮長をしていたこともあり、OBの先輩方からは「うちの会社へおいでよ!」と誘いもありました。しかし、大企業では、長い下積みを経なければ仕掛ける側に立つことはできません。それに比べ、当時は日本のインターネット黎明期でした。パソコンは100万円ほどする高価なもので、大企業でやっと名刺にメールアドレスがすり始められた時代です。そのような背景から「フロンティアなインターネット業界であれば1年目、2年目で活躍できる!」と感じたのです。その中でも「根幹からインターネットを触りたいのならばNTTに入るといい」と複数人からすすめられ入社を決めました。

新谷哲:早い時期からインターネットやコンピューターにご興味を持たれていたのですね!

飯田啓之:大学2年の時、同じ部屋にコンピューターオタクの先輩がいました。「何をカチャカチャやっているのですか?」と聞くと、1992年にアメリカ軍事ネットワークを開放し、世界のインターネット基盤となったARPANET(アーパネット)にアクセスし、外国の方とチャットをしているようでした。それを聞き、未来がここにあると思い「教えてください!」とお願いをし、コンピューターの動きを理解していきました。ICUは留学生が多く、彼らの帰国時には、E-mailや、シカゴの大学生が作ったGmailのようなものを活用し「最近元気?」「彼女と別れた」などメッセージのやり取りをしていました。たわいもない会話ですが、離れていても繋がっていれることが嬉しかったです。また、シリコンバレーの寵児と言われたマーク・ローウェル・アンドリーセンが開発した、世界初のブラウザ「Mosaic(モザイク)」をベースにした、Netscape(ネットスケープ)により、ホームページという概念ができました。当時はまだ世界で100個ほどしか無かったホームページに触れることもとても楽しかったです。

新谷哲:なるほど。日本電信電話株式会社(NTT)での思い出はございますか?

飯田啓之:私が入社した1997年は、NTT一社時代の最後の採用で「NTTは分割するのではないか?」と囁かれていた時期でした。内定式では、当時代表取締役社長を務めていた宮津 純一郎さんが出てきて「絶対に分割させないので安心して入社してください」と仰っていました。しかし、その1か月後には日経新聞の一面に「NTT分割決定」という記事が出ていました。「世の中はそういう仕組みで動くのだ……」と感じた記憶があります。そして「インターネットの仕事をしたい」と言って内定を頂いていたので、そういう仕事をさせてもらえるものと思っていましたが、入社後は電話の仕事をする部署に回されました。グループ約30万人の内インターネットの仕事をしている人は300人ほどしかおらず「それも当然か……」と思いながら仕事をしていました。しかし、次第にソフトウェアを作る仕事をさせて頂けるようになり、東京工業大学でシステムを作るプロジェクトに初めて参加させて頂け、プログラミングを覚えていきました。その後、NTTフレッツ光という、光ファイバー事業の5人目の立ち上げメンバーとなります。5年~6年ほどその部署にいたのですが、この頃の仕事はすさまじく面白かったです。この部署は不夜城と呼ばれていて、人が足りなかったこともあり、朝4時まで仕事をしていることも良くありました。事業計画・総務省向けの約款・国土交通省への工事許可書などを作成したり、電信柱を東京電力と奪い合ったり、なんでも屋さんのように働いていました。そんな中、ソフトバンクの孫正義社長がYahoo!BBとADSLサービスを開始し、ブロードバンドに火がつきました。NTTは、公正取引委員会とNTT法により、一番強い事業者は一番安い価格提示をしてはいけないという決まりがありプライスリーダーシップが取れず、Yahoo!BBにシェアを奪われていきました。それでも「一気に光ファイバーにシフトしよう!」と夜な夜な取り組んでいました。

新谷哲:その後、株式会社エムアウトにご入社されています。こちらに移られたきっかけはございますか?

飯田啓之:NTTを辞めた後に、株式会社エムアウトの創業者である田口弘さんからお声がけを頂いたことがきっかけです。なぜ、NTTを退職したかと言うと、将来の独立に向けそれなりに大企業での経験を積むことができたと感じたからです。私はフレッツ光サービスを当てたことで出世コースに乗り、充実した毎日を送っていました。しかし、出世への通り道として、2年~3年、地方に赴任する恒例があります。私にも異動の話が上がり、地方に行くのは嫌だったので「もう辞めます」と上司に辞表を提出しました。すると「辞めるのを止めろ」と言われ、エリートコース・金融の要部門である金融ビジネス推進本部の企画課長への異動がすでに決まっているようでした。その部に向かうと、フレッツ光時代の上司が3名いて「待っていた」と出迎えてくださいました。異動は人事ではなく事業部の恣意だったようです。そこには段ボール箱が4つあり「これ開けて」といわれ中身を見てみると、都市銀行からの「システムダウン〇秒につき賠償をせよ」という内容の訴訟が入っていました。これらはNTTに限らず当たり前のようにある処理業務です。乗る気ではありませんでしたが「ほかにできる人が思い当たらなくて……」という事だったので、1年間業務にあたり退職をしました。そうして「次は何をやろう?」と考えているときに、株式会社エムアウトの田口弘さんから「ITの分野でやりたいことがあるから1年くらい来てくれないか?」と声をかけて頂きました。彼とは、フレッツ光事業をしていた時にプロジェクト参加をさせていただき顔見知りとなりました。田口弘さんは、ミスミ株式会社を年商550億円の商社に育て、2002年には起業専業企業の株式会社エムアウトを設立し、現在代表取締役会長としてご活躍をされている方です。ベンチャーキャピタル界でも有名で、日本初の本格的ハンズオン型支援を行う大物ファンドである、グロービス・キャピタル・パートナーズの一号ファンド、二号ファンドのほぼ全額を個人資産で出資されている方です。今後、私自身が独立をするにあたり「お金の勉強は必須だ」と感じ、参画させて頂くことにしました。

新谷哲:株式会社エムアウトでの思い出はございますか?

飯田啓之:田口さんの「長イイ話」を1週間に1回お聞かせ頂けたことが思い出深いです。その中でも特に印象的だったのが「1000億」という数字です。彼はよく「会社のミニマムサイズは1000億円だ、時価総額10億円や20億円でベンチャーと言っているから日本はだめなのだ!」と仰っていました。当時一緒に働いていたメンバーも皆優秀で、後に各所で活躍をされています。やはり、功成り名遂げた方のお話は非常に勉強になります。

新谷哲:その後、株式会社ザマーを設立し、代表取締役にご就任されました。こちらはどのような事業をされていたのですか?

飯田啓之:企業向け教育研修会社です。株式会社ザマーはエムアウトで一緒に働いていた平井公守と二人で設立しました。エムアウトにいたころ意見が一致し「とりあえず箱を作ってしまおう!」と熱い想いも無く起業をしました。そうして、事業を模索しているうちに、教育研修にたどり着きました。NTTも顧客として抱え、非常に収益力の高い会社として現在でも存続をしています。

新谷哲:その後、株式会社ムロドーを設立し、代表取締役に就任されています。こちらを始められたきっかけはございますか?

飯田啓之:教育に興味がなくなってしまったからです。平井は外資系コンサルの出身ですし、私も話が上手いので、お客様からは5点満点中、平均4.8点の高評価を頂いていました。当初は売上が伸びていくことを嬉しく思っていましたが、途中で「教育にまったく興味がない」と気づいてしまったのです。私もNTTで働いているときは研修を受ける側でした。「こんなつまらない話を聞いているより、早くメールに返信したい、実務の方が面白い!」と研修中にはイライラしていました。研修をする側の立場になったとき、お客様を見て当時の自分を思い出し葛藤を覚えるようになったのです。そこから研修からは離れ、もう一度ITの仕事をしようと思い株式会社ムロドーを設立しました。

新谷哲:株式会社ムロドーではどのような事業をされていましたか?

飯田啓之:最初は、プロダクトカンパニーとしてWEBサービスを制作し派手に展開していきたかったのですが、最終的には受託開発会社になりました。株式会社ムロドーは、非常に優秀なエンジニアだった根本崇司と共同設立をしました。創業2年目には、TechCrunch50に参加しました。これは、シリコンバレーで開催され、世界中から1年目~2年目のスタートアップ企業が3800社ほど集まり、誰のプロダクトが一番かっこいいか競うイベントです。私達は「優勝できる!」と意気込んで参加をしましたが、結果はセミファイナルでした。その年に優勝したYammer(ヤマー、ヤンマー)は、Facebookに酷似したソーシャル・ネットワーク・サービスで、組織内で使用することによりコミュニケーションを円滑にするというもので、後にマイクロソフトに400億円で買収されていました。株式会社ムロドーにも、国内外のベンチャーキャピタルが殺到しましたが「きっちりと優勝を果たした後にファイナンスをしよう」と決め、来年もう一回チャレンジをすることにしました。しかし、その年にリーマンショックが到来し、私たちの以前の仕事仲間7名から「会社を辞めるから入れてほしい」と連絡が入りました。彼らを受け入れることを決めたのは良いのですが、仕事も減り、創業3年目の私と根本は、給料を2か月分しか取れないほど苦労をしました。会社をたたむことも考えましたが、来てくれた7名はとても優秀だったので「なんとしてでもお金を稼いでくる」と決意し金策へと励みました。そうこうしているうちに気づけば創業から10年がたっていました。

新谷哲:その後、株式会社SharingInnovationsの代表取締役社長にご就任されました。こちらはどのような経緯ですか?

飯田啓之:株式会社ムロドーは、ムロドーベトナムという開発子会社を所有していました。その子会社を株式会社SharingInnovationsがM&Aをすることになり、話を詰めている過程で「日本法人の代表をやってくれないか?」とお声がけを頂き、今に至ります。

新谷哲:株式会社SharingInnovations は2021年3月24日に東証マザーズに上場を果たされました。上場に向けたご苦労などございましたか?

飯田啓之:私自身の苦労はあまりありませんでした。事業を投下させている取締役2人は非常に優秀で、足元の数字は着実に上がっていました。上場に対して管理面のディフェンシブな面以外の、売り上げや利益の数値などのオフェンシブな面は何にも心配がありませんでしたね。取締役CFOの小川恭平が頑張ってくれた力が大きいです。

新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、株式会社SharingInnovationsの事業内容をお教えいただけますか?

飯田啓之:弊社はDX(デジタルトランスフォーメーション)事業を展開しています。その中でも、セールスフォースを中心としたクラウドサービスの導入支援をする、クラウドインテグレーション事業を主軸にしています。この事業は2019年1月立ち上げ以降、急成長しています。更なる拡大を目指し、IPOに踏み切り現在に至ります。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「セーリング(ヨット)、読書、映画、旅行」とお答えいただきました。セーリングはかっこいいですね!頻繁にされているのですか?

飯田啓之:土日・冬も含めて頻繁に行っています。7年前に、当時の顧問弁護士から電話がかかってきて「ヨットをもらったから一緒に乗ろう!」と葉山にお誘いいただきました。最初はヨットと聞いて、クルーザーを想像していましたが、オリンピック競技で使用する二人乗りのものでした。乗ってみると、なかなか奥が深く「一日があっという間に過ぎてしまう」と感じるほどハマりました。それからというもの、週末には家族を車に乗せ、妻の実家の逗子によりがてら葉山に向かっています。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

飯田啓之:成功の秘訣は「見晴らしのいい場所に行け!」です。ちょうど本日(2021年4月1日収録)、弊社には58名の新入社員が入社したので、彼らにもこの話を伝えたところです。私は、1997年にインターネット業界で仕事をすることを決め、NTTに就職しました。インターネットの世界はこれからの未開の地だったので、トップランナーでいられ見晴らしがよかったです。例えば、100年間続く伝統的な産業であれば、すでに上には99年間分の優秀で素晴らしい先輩方が存在します。その中で上を目指すよりも、見晴らしのいい場所に行ったほうが成功確率は高いと感じます。それに、たとえトップランナーになれなかったとしても、試行錯誤しながら開拓していくのは面白いですよね。その分、たくさん失敗を経験するかもしれませんが、先頭ランナー集団に属することで、まあまあなところに行くことができます。よく「適材・適所」と言いますが「適材・適所・適時」が正しいのではないでしょうか?適切な時期に、適切な期間、適切な場所にいることで、適切な人間になります。もし、私が今大学4年生だったとしたらNTTに就職することを選びません。インターネット分野での順位はほぼ決まっているし、そうでなかったとしてもNTTではないと思うのです。なぜ、このようなことを考えるかと言うと、自分の能力を一切信じていないからです。東京大学やハーバード大学出身の優秀な方にはかなう自身がありません。だからこそ「どのタイミングで、どの場所にいるか?」を重要視しています。

新谷哲:もし現在、飯田啓之社長が大学4年生だとしたらどちらを選ばれますか?

飯田啓之:絶対に宇宙産業を選びます。なぜかというと、私がインターネット業界に入った1997年に似ているからです。ホリエモン(堀江貴文氏)も、インターステラテクノロジズ株式会社という宇宙ベンチャーを創業しました。まだ、民間での宇宙開発事業は世界を見ても数社で、可能性しかありません。今日、弊社に入ってきてくれた社員たちにはこんなことは言えないですけどね(笑)

新谷哲:ありがとうございます。起業を考えられている方や、学生さんは参考になったのではないでしょうか?飯田啓之社長、本日はありがとうございました。

飯田啓之:ありがとうございました。

編集後記

今回は飯田啓之社長でした。今、大学4年生だったら宇宙産業を目指されるというお話など、センスの良さが素晴らしいです。成功の秘訣の「見晴らしのいい場所に行け!」は本当にその通りですね。飯田啓之社長は、適切な時期に、適切な期間、適切な場所にいることを選択してこられたからこそ、上場を果たされるような経営者へとなられたのだと感じました。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

飯田啓之氏
株式会社Sharing Innovations 代表取締役社長

大阪府河内長野市出身。国際基督教大学(ICU)大学卒業後、平成9年4月には日本電信電話株式会社に入社。その後、株式会社エムアウトを経て、平成17年9月株式会社ザマーを設立し、代表取締役に就任されました。さらに、平成19年4月に株式会社ムロドーを設立し代表取締役就任。シリコンバレーで開催されたテクノロジーベンチャー企業のプロダクトコンテスト『TechCrunch50』にて、世界3,000社の中からセミファイナリストに選出をされました。令和2年6月には、株式会社Sharing Innovationsの代表取締役社長へと就任され、セールスフォースを中心としたクラウドサービスを用いた顧客企業へのDX支援により、日本の発展と生産性向上を牽引されています。また、2018/2022FIFA WorldCup招致委員会のテクノロジー部会のメンバーとして、ワールドカップ招致活動に従事されました。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、飯田啓之氏(株式会社Sharing Innovations 代表取締役社長)のインタビューを取り上げました。

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