成功経営者インタビュー

株式会社イーモア 代表取締役社長 名倉孝次氏 インタビュー 

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、名倉孝次氏(株式会社イーモア 代表取締役社長)です。(2021年10月20日 2021年10月 27日 配信)

今回は、株式会社イーモアの名倉孝次社長にお越し頂きました。

今、最も「滑らない」事業は何かご存じですか?その答えは......「防滑事業」です!
防滑とは、滑って転倒する事を防止する目的で床面に滑り止め対策を行う事です。

平成29年度中の交通事故による死亡者数は3,694人。それに対し、転倒/転落による死亡者数は、9,673人。実は、交通事故よりも転倒による死亡者数が、大きく上回るのです。しかし、そのことはあまり認知されておらず、空白の市場でした。名倉社長が人生をかけ防滑を広めることで、現在では「国の政策にしよう」という動きも見られ、同社がフランチャイズ展開する「すべらん革命」は、大きく注目を集めています。新たな市場を切り開いたきっかけや、特許取得の滑り止め塗料の開発裏話などお話頂きました。経営のヒントが得られますので、ぜひインタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社イーモアの名倉孝次社長です。まずは経歴のご紹介です。昭和37年、浜松市生まれ。中学校卒業後、大阪PL学園高校の夜学に修学。平成6年より瓦屋根工事業の名倉ルーフを創業。平成15年に有限会社、平成22年に株式会社へ組織変更をされます。さらに平成23年には、防滑事業の拡大に対応するため株式会社イーモアを設立。フランチャイズ本部として、防滑の普及を推進されています。本日はよろしくお願いします。

名倉孝次:よろしくお願いします。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

名倉孝次:母は「勉強するよりも早く寝なさい」と言うタイプでした。そのため天真爛漫な性格に育ち、勉強もせずやりたいことばかりしていました。

新谷哲:ガキ大将だったのですか?

名倉孝次:ガキ大将の手先です(笑)

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

名倉孝次:当初は剣道部に入部し、一生懸命に励んでいました。しかし、次第に遊びに夢中になり、給食を食べるとき以外あまり学校には行かなくなりました。そのため、普通高校への進学も出来なくなってしまいました。

新谷哲:高校は大阪にあるPL学園高校の夜学に進まれました。昼は働かれていたのですか?

名倉孝次:はい。夜学に通いながら、日中は株式会社日興建設で4年間働きました。当時の私は「PL学園に入学をさせてくれる」と聞き、喜んで大阪へと向かいました。しかし、着いた瞬間に、作業服、長靴、ヘルメットを渡され「昼間は働き、夜に学校へ通って下さい」と告げられました。入学をするまで夜学ということも知らずにいたので「母には騙された…」と感じましたね。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

名倉孝次:4年間寮生活をしました。仕事と学校が終わって家に着くのは夜の10時頃でした。15歳の子どもだったので、東の空を見ては「帰りたい」と感じていました。

新谷哲:当時の思い出はございますか?

名倉孝次:いろいろありますね。だいたい肉体労働でしたね。肉体労働の中でもなぜ瓦屋を選んだかというと、日当が一番高かったからです。当時は、現在のようなしっかりとした足場があまりない時代でした。そのため、とび職や瓦屋など、高い所でする仕事は日当が高く「怪我と弁当は自分持ち」なんて言われていたのです。

新谷哲:高校卒業後も日興建設でお勤めですか?

名倉孝次:高校卒業後は浜松に戻り、瓦屋の門を叩き親方の元で修行をしました。そして1級技能士まで取得した後、30歳で名倉ルーフを起業しました。

新谷哲:当初から独立を考えていたのですか?

名倉孝次:はい。当時はバブルの走りで、親方たちはシーマやセルシオなどの高級車に競って乗っていました。それを見て、私も独立をし「いつかはベンツ」と憧れたものです。

新谷哲:当時の思い出はございますか?

名倉孝次:瓦屋は2代目3代目が多いのですが、私は1代で「浜松一番の瓦屋になってやろう」と決心をしました。当時は、「この工務店のお客さんは、ここの左官屋」など暗黙のルールがありました。そのため、寝食を惜しんで飛び込み営業を行いましたが、初めは全く仕事を頂くことができませんでした。しかし、「ある方法」を思いつき、のし上がっていきました。

新谷哲:「ある方法」とは?

名倉孝次:「クラブ活動」です。クラブと言っても、高級クラブです。ある時、連れて行って頂く機会があり私は衝撃を受けました。お店を見渡せば、着物やドレスを着た綺麗なお姉さんばかりで、とても賑わっていました。そして、当時の住宅着工件数は現在の倍ほどあり羽振りが良かったのか、見たことのある建設屋の社長がたくさんいらっしゃったのです。とても自分のお金で通えるところではありませんが、私は再度足を運びママに顔を覚えて頂くためにも、高いボトルをおろしました。そのボトルを自分が飲むのは、ほんのちょっとです(笑)。そうするうちに、ママはたくさん建設屋の社長をご紹介してくださり、皆で一緒にゴルフに行くようになりました。決して自ら「仕事をくれ」とは言わずとも、仲良くなり仕事をご紹介下さるようになりました。

新谷哲:クラブ活動で事業が成長されていったのですね。それにしても、大変そうな営業ですね……。

名倉孝次:女房にはさんざん悪く言われましたね。朝5時前に起きて働き、夜にはお酒を飲みに行き、夜中に帰宅した後、見積もりなどの事務作業をこなしていました。創業時は父にも事業を手伝って頂いていたのですが、戦争へ行った経験から「軍人さんの気持ちになれば何でもできる」とよく言い聞かされました。

新谷哲:その後、有限会社、株式会社と組織変更をされました。きっかけはございますか?

名倉孝次:仕事量の増加や、トラックの買い換えなどで資本が増えていったからです。

新谷哲:仕事上でご苦労はございましたか?

名倉孝次:ろくに学も無いものですから、手形や小切手で苦労をしました。「先付の小切手、支払サイトが長かったり、裏書人のたくさんいる手形」などで失敗をして、気を付けることを覚えていきました。また、以前は、瓦屋根を施工するときに泥を使用していました。重たい泥を屋根まで上げ、硬い場合は水をまき足で練ります。冬の寒いときには本当につらかったです。

新谷哲:手形で一番失敗された金額はおいくらですか?

名倉孝次:手形での損失はそこまで多い方ではありませんが、500万円ほどです。

新谷哲:その後、防滑事業を開始されます。きっかけはございますか?

名倉孝次:ひらめきから生れた商品がきっかけで、防滑の重要性に気づいたからです。2007年に、一本のフリーダイヤルから「雨音がうるさくて寝むれないので、何とかしてほしい」とご相談を頂き「この問題を解消できれば、お金持ちになれるのではないか?」と感じました。そんな折に、日本屋根経済新聞社という業界紙に掲載されていた、廃棄瓦を活用した三河湾浄化プロジェクトの記事を目にしました。日本瓦はJIS規格により寸法が決まっていて、1mmでも誤差があれば全て廃棄処分をされます。その廃棄瓦を細かく砕き、三河湾にまいたところでアサリの繁殖を促し、水質浄化をしようというものでした。これを読んだとき、「瓦屋根の上に砕いた廃棄瓦を貼り付けることで、雨音が減らせるのではないか?」と思いつき、鳥肌が立ちました。私はすぐに、商品開発へと取り掛かることにしました。しかし、屋根材に使用する接着剤を仕入れるため、大手接着剤メーカーをいくつか回りましたが、全く相手にされず困り果ててしまいました。そこで知人の県会議員の先生へ相談をしたところ、小さな化成品屋を紹介していただきました。さっそく伺ったところ、「面白い発想ですね!ですが、水性で伸縮性のある接着剤を一から作る必要があります。開発するのであれば、まず1000万円持ってきて欲しい」と言われ、びっくりしてしまいました。その足で静岡銀行に行き融資のお願いをしましたが「とても貸せない」と言われました。しかし、「経営革新計画に承認され、国金で審査が通ると500万円まで借りられます」と、知恵を付けて下さったのです。そうして、約3カ月かけ審査が通り、国金から500万円、銀行から2000万円の紐付け、合計2500万円の借金をして、なんとかスタートを切りました。

新谷哲:なるほど。

名倉孝次:こうして屋根材を開発することができたのですが、最初のうちは全く売れず「産みの苦しみ」から「売りの苦しみ」を味わいました。借金の返済に追われ尻に火が点きながらも、いろいろな展示会に出展をしていきました。そんな時、名古屋メッセで開催された展示会で転機が訪れました。某トラックメーカーの方に、「この屋根材は滑り止め材に使えないか」と質問を頂いたのです。話を聞くと、雨天に鉄製の非常階段で女の子が足を滑らし階段から落下をするという、大きな労災事故が発生したそうでした。以前、勾配が急な屋根に施工をしたさいに滑らなくなったことを思い出し、すぐに施工をさせて頂いたところ、大変な高評価を得ました。その後、私は厚生労働省に出向き、転倒事故について調べました。すると、約7500人もの方が転倒による事故で死亡していました。当時の交通死亡事故者は年間約5000人。なんと「交通事故よりも転倒事故で亡くなる人のほうが多い」という事実を知り、たいへん驚きました。私は防滑の重要性に気づき、浜松市のバスターミナルに寄付として施工をさせて頂くことにしました。すると、それを目にした警察官の方から「警察署で転倒事故が起き訴訟問題になっている」という話を聞きました。さっそくその警察署にも寄付をさせて頂いたところ、交通課の方がNEXCO中日本をご紹介して下さいました。そこから、とんとん拍子に防滑ビジネスが広がっていったのです。

新谷哲:その後、防滑事業の拡大に対応するため株式会社イーモアを設立されました。瓦屋から防滑事業にシフトされていったのですか?

名倉孝次:1995年に起こった阪神淡路大震災以降、軽い素材の瓦が推奨されるようになり、焼き物瓦の需要が減少していきました。仕事はありましたが、防滑事業を広めていきたいと感じ、株式会社イーモア(e-more)を設立しました。ecoの「e」と「more」をかけあわせ「もっとエコしましょうね」という思いを込めて、この社名を付けました。弊社で使用している滑り止め材は、全てリサイクル品を使用しているのですよ。

新谷哲:有名施設の施工例を教えてください。

名倉孝次:例えば、大分空港、浜松駅などの公共機関。エコパスタジアム、バンテリンドーム ナゴヤ(ナゴヤドーム)、浜名湖競艇場などのイベント会場。静岡銀行などの企業様まで幅広く施工をさせて頂いております。

新谷哲:現在は、フランチャイズ本部として防滑事業を展開されています。このような事業形態をとられた理由はございますか?

名倉孝次:販売店が儲かる仕組みでなければ、自社が儲からないと考えたからです。以前、ある企業が樹脂の瓦を発売しました。「瓦屋ルートにしか卸さない」との事だったので、私も加盟をすることにしました。しかし、最終的には大工、建材屋、エクステリアなど他業種にまで流通し、大きく値崩れを起こしてしまったのです。そうなってしまえば末端の販売店は儲けることはできません。中間業者を抜き、施工をして頂く業者様に直接商品を卸すことで、共に利益を上げていける体制を作ろうと、5年前からフランチャイズの形態を取りました。

新谷哲:加盟店はどのくらいに広まりましたか?

名倉孝次:全国で約70件ほどです。

新谷哲:すばらしいですね。防滑のニーズは非常に高く、社会貢献度が高い事業だと感じます。今後の構想はございますか?

名倉孝次:まだ「防滑」という言葉はメジャーではありません。この言葉が当たり前になるよう広めていきたいです。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「ゴルフ」とお答えいただきました。ゴルフは良くされるのですか?

名倉孝次:ゴルフ場には毎週のように行っていますが、最近では仕事で伺うことがほとんどです。ゴルフは高齢のプレイヤーが多いスポーツなので、お風呂での転倒事故がよく発生します。なんと、月に1回ほど救急車を呼ぶような大事故が起きていたそうです。そのため、厚生労働省から出されている「エイジフレンドリー補助金」を活用して、防滑をされるゴルフ場が増えています。施工依頼がたくさん来るので、夜中に突貫工事を終わらせ、朝に1ラウンド回るようにしています(笑)

新谷哲:座右の銘もお聞きして「打つ手は無限!」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

名倉孝次:これは、弊社が所属する「倫理法人会」でよく耳にする言葉です。例えば、富士山の頂上を目指すとしたら、静岡県側からも、山梨県側からも登ることができますよね。目指すところは一緒でも、やり方はいろいろあるのです。苦しく、くじけそうになることは日常茶飯事ですが、気高き理想を持ち、さまざまな方法を試みて目標にたどり着くよう努力をしていきたいと思い、座右の銘に選びました。私は「日本に『防滑』という言葉を広める」と胸に誓ったので、残りの人生をかけ取り組んでいきます。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

名倉孝次:私の考える成功の秘訣は「諦めない」ということです。私は10年前に家内を癌で亡くしたのですが、亡くなる3日前に2つの約束をしました。1つ目は、2人の娘を必ず嫁に出すこと。2つ目は、自分の手で事業を軌道に乗せることです。家内は、銀行に勤めていたこともあり、M&Aの誘いが来ることを見越していました。「あんたもさんざんアホやってきたけど、防滑ビジネスは社会貢献性がすごくある。私は行く末を見ることはできないけど、特許を売ってくれや、資本を変えてくれという話が来ても、二人三脚でやってきたことを残して欲しい」と言われたのです。この約束が、どんなときにもくじけない元気の源となっています。

新谷哲:奥様の言葉が支えになっているのですね。

名倉孝次:家内には洗脳されましたね(笑)。また、エジソンの本にも感銘を受けました。彼は「電球を完成させるのに5000回も失敗したそうですね、途中で諦めそうにならなかったのですか?」という新聞記者の問に、こう答えたそうです。「5000回も失敗したって?そんなことはない。うまくいかない5000通りの方法を発見するのに成功したんだよ」。やはり、諦めないことが大切です。

新谷哲:大変参考になるお話でした!名倉孝次社長、本日はありがとうございました。

名倉孝次:ありがとうございました。

編集後記

今回は、名倉孝次社長でした。防滑事業は需要も高く、大手企業も注目をする「滑らないビジネス」です。私の母は2回の転倒により要介護となってしまい、現在は老人ホームで生活をしています。ご高齢のかたはもとより、20代の方でも、ちょっと転んだことがきっかけで、半身不随や重大な事故に発展することがあります。社会貢献性の高いビジネスですので、ぜひこれからも広がってほしいです。また、屋根事業でも新しくフランチャイズを始められるそうですよ。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

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名倉孝次氏
株式会社イーモア 代表取締役社長

昭和37年、静岡県浜松市生まれ。中学校卒業後、日中は株式会社日興建設で働き、夜間はPL学園に通われます。高校卒業後は、瓦屋根工事業に従事し、10年間の修行を経て有限会社名倉ルーフ(現・株式会社名倉ルーフ)を設立。そして、廃瓦を利用した新しい屋根コーティング材「エコカパラ」また、その技術を活用した防滑材「カパラグリップ」を開発され特許を取得されます。平成23年には、防滑ビジネスの拡大に対応するため、防滑専門メーカー株式会社イーモアを設立し「すべらん革命」事業のフランチャイズを開始。現在、急速に進行中の高齢化社会と企業のリスクマネジメントの観点からも大きな注目を集めています。また、一般社団法人 日本防滑推進協会の代表理事を務め、すべての人々が健康的で安心して生活を送れる社会を目指し「防滑」の普及に邁進されています。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、名倉孝次氏(株式会社イーモア 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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