成功経営者インタビュー

株式会社SERIOホールディングス 代表取締役社長 若濵久氏 インタビュー

若濵 久氏(株式会社SERIOホールディングス 代表取締役社長)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、若濵久氏(株式会社SERIOホールディングス 代表取締役社長)です。(2021年12月28日 2022年1月4日 配信)

今回は、株式会社SERIOホールディングスの若濵久社長にお越しいただきました。

「家族」という、社会の中で最も小さく、最も重要なコミュニティを笑顔にできる事業こそ、社会を変革させていけるのかもしれません。家族や仲間を想う気持ちから紡ぎだされた経営戦略により、事業を成長させ続けたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社SERIOホールディングスの若濵久社長です。まずは経歴のご紹介です。松江松下電器株式会社(現・パナソニック株式会社)入社。その後、株式会社アクティスを経て、株式会社ジオン代表取締役、株式会社クリスタルリレーションズ代表取締役などを歴任。そして、2005年には株式会社セリオ、2016年には株式会社SERIOホールディングスを設立し、代表取締役社長にご就任されます。2018年にはマザーズに上場をされています。本日はよろしくお願いします。

若濵久:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身はどちらですか?

若濵久:島根県松江市出身です。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

若濵久:小学校3年生からサッカーを始め、毎日練習に明け暮れていました。監督は、非常に厳しく怖かった記憶がありますが、チーム一丸となり全国大会に向け突き進むことができ、とても良い指導をして下さったと今では感じています。小学校6年生に出場した全国大会の県予選は、最終戦2位という結果でした。残念ながら全国大会に行くことができず、悔しい思いをしました。

新谷哲:私の息子もサッカー少年です!県予選で2位とは、おしかったですね……。中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

若濵久:引き続きサッカーに力を入れていました。私は技術的にうまい選手ではありませんでしたが、態度が大きかったからか、身体が大きかったからか、小学校・中学校とキャプテンを務めさせて頂きました。当時は「どのように皆をまとめて行けばよいか?」と、非常に悩んでいた記憶があります。

新谷哲:お子様のころから、リーダー気質があったのですね!高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

若濵久:高校に入り、サッカーは辞めボクシングを始めました。きっかけは、高校で前の席になった同級生との出会いです。彼は、入学から1週間足らずで学校へは顔を出さなくなりました。私は「なんとか学校に出てこられないか?」と家に呼びに行くことにしました。すると彼は部屋に上げてくれ、そこにはボクシンググローブが置いてありました。話を聞くと、中学校時代にボクシングをやっていたそうです。もともとボクシングが好きでテレビで観戦などはしていましたが、経験者の話を聞くことで急激に身近に感じるようになりました。「何か違うことにチャレンジをしてみたい」という思いもあったので、松江市にアマチュアジムがあると知り、通い始めます。実際にやってみると減量も必要で、なかなか大変なスポーツでした。

新谷哲:不登校の友人宅を訪ねるとは、お優しいですね!

若濵久:席が前後ということで、縁を感じていました。また、ちょっとした正義感もあったのかもしれませんね。

新谷哲:高校卒業後はどのようにお過ごしですか?

若濵久:専門学校に進学をしましたがすぐに辞め、東京で2年~3年ほど仕事をしました。しかし、母親が体調を壊したので20歳のときに島根に戻り、松江松下電器株式会社(現パナソニック株式会社)の工場に就職をしました。そこでは、デバイスを製造する仕事をしていました。

新谷哲:松江松下電器株式会社での思い出はございますか?

若濵久:3年ほど生産工程で勤務をしていましたが「もっと違うことに挑戦をしたい」という思いが強く、毎年必ず人事交流に手を挙げ、営業への異動願いを出していました。しかし願いは叶わず、飛び出すように辞めてしまいました。また、私が在籍をしている時に、創業者である松下幸之助さんがお亡くなりになりました。葬儀の他にもさまざまな偲ぶ会が催され、グループ全体や社会へ松下幸之助さんが与えた影響力を肌で感じ「すごい方だったのだな……」と実感をしました。お恥ずかしながら、当時の私は「経営の神様」と呼ばれる所以をあまり知りもせず過ごしていたのですが、このことをきっかけに松下幸之助さんの本を読むようになったことが印象深いです。

新谷哲:その後、株式会社アクティスへご入社されました。こちらは、どのような会社ですか?

若濵久:生産部門・工場のラインワーカーなどの人材派遣をする会社です。松下電器時代に経験をした生産部門の知識が生かせると感じ、営業として入社をしました。当時、人材派遣という言葉はメジャーでは無く、業務請負業と呼ばれることが一般的でした。そのため、父親はずっと「コンパニオンを派遣する会社の営業をしているのだろう」と思っていたそうです(笑)

新谷哲:当時の思い出はございますか?

若濵久:24歳で入社をし、半年後には営業所長に昇進しました。管理職の経験も無く営業も始めたばかりだったので、今思えば無茶苦茶な人事です(笑)。しかし「これはチャンスだ!」と感じ、売上を伸ばすため営業に明け暮れていました。当時は非常に楽しかったですね。

新谷哲:その後、株式会社ジオンの代表取締役にご就任をされました。どのような経緯ですか?

若濵久:実は、株式会社アクティス入社から、株式会社セリオを設立し独立をするまでの経歴は、全て株式会社クリスタルのグループ会社です。カリスマオーナーが率いる個性的なグループ会社で、当時の子会社数は250社ほどと規模もたいへん大きかったです。私は自ら手を挙げ、子会社の社長をさせて頂きました。

新谷哲:30歳で子会社の社長に就任されるとは、お若い出世です。やはり営業成績がよかったのですか?

若濵久:それなりに業績は上げていました。若くして役職が上がっていくことが嬉しく、今思えば視野が狭いですが「もっと稼いでやるぞ!」と夢中でチャンスを追いかけていました。また、当時の私は社長や上司たちの影響を強く受け、非常に良い経験をさせていただいたと思っています。

新谷哲:その後は、株式会社クリスタルリレーションズの代表取締役にご就任されています。こちらではどのようなお仕事をされましたか?

若濵久:グループ全体の管理をする会社です。グループ内を回っていたので、代表的な会社を記載させて頂きました。

新谷哲:その後、株式会社セリオを設立し独立されました。創業に至るきっかけはございますか?

若濵久:いろいろといきさつがあったからです。会社を「創業しよう」ではなくて「辞めよう」と思うのが先でした。私は決めたらすぐ実行する性格なので、すんなりと話は進みました。特に、独立志向は強くなかったので退職後は就職も考えました。しかし、30代から事業会社の代表をさせていただき、経営の一端を担ってきたということもあり、1から就職活動をする気持ちにはなれませんでした。37歳にして会社を辞め、一緒に働きたという相手も思い浮かばなかったので、しょうがなく1人で独立することを決めました。

新谷哲:株式会社セリオは、どのようなコンセプトで始められましたか?

若濵久:当初から「仕事と家庭の両立応援」というコンセプトで、主婦の方を対象としたパート型派遣業務を行っています。独立する際は、新しい業界に飛び込む勇気もなかったので、人材派遣の会社をやろうと考えました。しかし、クリスタルグループと類似したコンセプトであれば、クライアントはバッティングし、一緒に働いていた仲間とも無意味な競合関係になってしまいます。それを避けるために、13年間従事してきた人材派遣業界の課題を洗い出し、それを解決する新しいコンセプトの会社を作ろうと始めたのがきっかけでした。

新谷哲:人材派遣業界には、どのような課題がございましたか?

若濵久:派遣社員の方にとってプラスなことが、派遣会社にとってプラスではないという課題です。仕事の出来る派遣社員は正社員になってしまい、派遣会社を辞めていきます。派遣社員が辞めてしまえばクライアントからのクレームに繋がり、業績が下がります。派遣会社の立場からすると困った話ですが、派遣社員本人のことを考えると、よい就職が決まるのはいいことです。私は長年、この様な矛盾するストレスを感じていました。「自分の家族にも勧められる仕事をしたい……」と模索をする中で、そもそも「正社員」という選択肢がない方向けにサービスを展開すればいいのではないか?と思いついたのです。主婦層であれば仕事を探すとき「お給料・キャリア・立地条件」などの優先順位が高いですが、雇用の選択肢は低いです。「主婦層の働きやすさを追求する派遣ビジネスであれば、自身の妻にも自信を持って勧めることができる」と思い、これは世間のニーズとマッチすると確信しました。

新谷哲:2018年にはマザーズへ上場をされました。当初より上場をお考えでしたか?

若濵久:意識もしておらず、夢物語のようなものだと感じていました。

新谷哲:いつ頃から上場をお考えですか?

若濵久:最初に声を上げたのは、2013年頃です。設立8年目に「上場を目指そう」と皆に伝えました。しかし、その直後にリーマンショックが訪れます。メインの取引先が倒産し債権回収に走る中、社内の雰囲気は次第に暗くなっていきました。業績もガタガタで、とても上場を狙える状態ではなくなり、空気を察して誰も言及しない期間が2年間続きました。こうして一度は頓挫しましたが、2015年に「もう一度、本気で上場へ行くぞ!」と皆に伝え、準備を開始しました。そこから約2年半で、上場をしました。

新谷哲:上場をお考えになったのは、業績が上がってきたからですか?

若濵久:はい。業績が上がっていく自信が見えてきたからです。ところが、1回目の上場チャレンジでは業績が悪化し、中断をすることになってしまいました。私は「どこか上っ面なところがあったのではないか?」と反省をし、業績面だけではなく「なぜ、上場したいのか?」が一番重要だと気づきました。正直、上場を目指すにあたり、大きい資金調達をしたいなどの理由はありませんでした。私は、弊社のような名もない会社に就職し、頑張ってくれている皆に「ようついてきてくれてる」と、とても感謝の気持ちが沸くのです。2回目の上場チャレンジの際には「上場をすることで、従業員たちのプライド・生きがい・やりがいに繋がって欲しい。名刺に東証のマークを入れ、社員が家族に認めてもらえるような企業にしたい」そんな思いを再認識し、挑みました。

新谷哲:素晴らしいお話ありがとうございます。上場するまでのご苦労はございますか?

若濵久:苦労の連続で「よく上場できたな」と感じるほどです。非常にお恥ずかしい話ですが、業績の目標達成には一番苦労をしました。余裕をもって予算を立てることができればよいのですが、カツカツで、予実の整合性よりも数字を上げることに専念しておりました。

新谷哲:共感いたします……!もしよろしければ、株式会社SERIOホールディングスの事業内容をお教えいただけますか?

若濵久:株式会社SERIOホールディングスは上場前に作った持ち株会社で、現在も事業は株式会社セリオで行っています。「仕事と家庭の両立応援」「未来を担う子どもたちの成長応援」という2つの目的を掲げ「家族の笑顔があふれる幸せ創造カンパニー」をミッションに、3つの事業を展開しています。1つ目は、主婦層に特化したパートタイム型人材派遣事業。2つ目は、小学生の学童クラブ施設運営事業。3つ目は、保育園施設運営事業です。現在、全国に183施設の運営をしており、多くの方にご利用して頂いています。核となる3つの事業の売上構成は、同率です。また、1年前から天然芝の販売施工管理業務を開始しました。保育園・幼稚園・小学校などの教育福祉施設のグラウンドをターゲットにしています。子供たちが土ではなく、芝生の上を裸足で笑いながら走りまわる姿を思い浮かべ、広めているところです。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「音楽・ライブ活動」とお答えいただきました。現在も音楽活動をされているのですか?

若濵久:はい。もともと音楽が好きで、学生時代にはバンドをかじっていました。50代に差し掛かった時、会社メンバーが飲み会で「社長!バンドやろうよ!」と提案をしてきたので「いいね!」とノリでバンド活動を再開し、ハマってしまいました。私はベース担当です。社内ライブをしたり、社外の音楽友達とライブ活動をしたり、楽しんでいます。コロナが明け活動がしやすくなる日が待ち遠しいです。

新谷哲:社員さんとの距離が近いですね。

若濵久:社員数も増え、全員とコミュニケーションをとるのは難しいですが「関わりを大切にしよう」と意識しています。

新谷哲:座右の銘もお聞きして「敬天愛人」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

若濵久:「敬天愛人」は、西郷隆盛や、京セラの創業者である稲盛和夫さんが非常に好まれたとされている言葉です。私は、稲盛和夫さんが運営する盛和塾に入り、十数年間勉強をさせて頂きました。そこで非常に大きな影響を受けたこともあり、座右の銘として挙げました。「天を敬い、人を愛する」には、いろいろな意味が込められていると思います。それらを思いしめながらも、社員・お客様を大切に、日々精進していきたいと思います。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

若濵久:私が成功しているといえるか分かりませんが、大切にしていることが2つあります。1つ目は「正しいこと・人の役に立つことをする」です。成功するには、これに尽きると考えます。2つ目は、「伝わりやすさ」です。事業を広く理解していただくことが、スムーズに事業拡大していく1つのファクターなので、重要なことです。伝わりづらい事業内容には、ニュービジネスのチャンスがある一方、何をしているのか理解して頂くまで時間がかかります。弊社の事業内容は、シンプルで皆さまから「いい事業をしている」と理解や賛同を得やすいと言えます。このように、人の役に立つ正しい商いをブレることなく実行し、それが世間に認知されていくことが成功の秘訣だと、僭越ながら思っています。

新谷哲:大変参考になるお話でした!若濵久社長、本日はありがとうございました。

若濵久:ありがとうございました。

編集後記

今回は、若濵久社長でした。お若いころから持ち合わせた、正義感と優しさが事業の成功に繋がった、素晴らしいお人柄の経営者様です。さまざまな成功経営者のインタビューをさせて頂いておりますが、皆様共通して幼少期からのご縁や、培ってきた志を大切になさっていると感じます。どんな苦労や思いをして過ごされてきたか、は重要ですね。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

若濵 久氏
株式会社SERIOホールディングス 代表取締役社長

島根県松江市出身。松江松下電器株式会社(現パナソニック株式会社)入社。その後、株式会社クリスタル(グループ)の子会社である、株式会社アクティスへ入社し、派遣事業へと従事。さらに、株式会社ジオン代表取締役、株式会社クリスタルリレーションズ代表取締役などを歴任されます。2005年には、株式会社セリオを設立し、主婦層の活用に特化した派遣事業を開始。その後、民間学童施設、認可外保育園の運営を開始されます。2016年には、持ち株会社の株式会社SERIOホールディングスを設立し、2018年にマザーズ上場を果たされました。また、2021年には保育園や幼稚園の園庭緑化を目的とした、株式会社セリオガーデンの事業を開始されています。「家族の笑顔があふれる幸せ創造カンパニー」をビジョンとし、“仕事”と“家庭”の両面からより良い社会の仕組みづくりと女性の社会進出を支えています。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、若濵久氏(株式会社SERIOホールディングス 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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