成功経営者インタビュー

株式会社はてな 代表取締役社長 栗栖 義臣氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、栗栖 義臣氏(株式会社はてな 代表取締役社長)です。(2022年6月7日 2022年6月17日 配信)

今回は、株式会社はてなの栗栖義臣社長にお越し頂きました。
はてなブログ・はてなブックマークなどを展開し、東証グロース市場に上場をする企業の社長様です。さらに、ポッドキャスト「Ossan.fm」のパーソナリティとしてもご活躍をされています。学生時代にHPなどで日常生活を発信することに魅了され、IT業界に飛び込まれた栗栖氏。挑戦を恐れず突き進まれてきたエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお読みください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社はてなの栗栖義臣社長です。まずは経歴のご紹介です。大阪大学原子力工学科を卒業後、大手システムインテグレーターに就職。2008年にエンジニアとして株式会社はてなにご入社され、ディレクター、プロデューサー、サービス開発本部長を経て、2014年に代表取締役社長へとご就任。2016年には、東証マザーズ(現・グロース)に上場をされています。本日はよろしくお願いします。

栗栖義臣:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。小学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

栗栖義臣:鹿児島県内にある、日本で一番児童数が多かった小学校に通っていました。当時「なるほど!ザ・ワールド」というテレビ番組にも取り上げられ、校庭で取材を受けたことを覚えています。普段の過ごし方としては、勉強が好きだったこともあり、同じ塾に通う友達と私立中学校受験に向け一生懸命に取り組んでいました。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

栗栖義臣:学校法人池田学園池田中学校という、私立の中高一貫校に入学をしました。今の時代では考えられませんが、当時の鹿児島県の公立中学校には「男子生徒は坊主にしなくてはいけない」など、厳しい規律がありました。一方で、池田中学校はすごく自由な校風をうたっており、そのためか独特な感性を持った方が多くいました。その中でも印象深いのは、私が演劇の世界に飛び込むきっかけとなった友人です。ある日私は、その友人から「お芝居をやってみない?」と誘われ「ちょっと手伝ってみよう」と軽い気持ちで了承をしました。こうして、演劇部が無いところから活動をスタートし、彼が書いた脚本を学園祭の舞台で演じることとなります。この頃から演劇のおもしろさに魅了され「ゆくゆくはエンタメ系の世界で演者に立てたらいいな」とも考えるようになりました。

新谷哲:高校時代はどのようにお過ごしでしたか?

栗栖義臣:高校時代は、演劇部とバスケ部をかけもちしていて、運動、文化活動、勉強と、とても切磋琢磨していたのを覚えています。特に演劇部は、高校で正式に部活として認めて頂け、大会出場に向け熱心に稽古に励んでいました。ゼロから演劇部を立ち上げ大会にまで出られたことは、とても良い思い出に残っています。

新谷哲:その後、大阪大学原子力工学科に進学をされます。こちらを選ばれた理由はございますか?

栗栖義臣:もともと九州大学の工学部建築学科を志望していたのですが、仲の良かった先生に「これから建築は流行らないよ」と、よく分からないアドバイスをされました。今なら裏を取っているところですが(笑)。当時はインターネットもありませんから「先生が言うならそうなのかも」と思い、進路に悩んでいました。そんな折に、 “たけしの万物創成期”というテレビ番組で、大阪大学のレーザー核融合研究所を特集しているのを目にしました。そこで、レーザーで核融合を起こし未来のエネルギーを作る研究を知り「これはおもしろそうだ!」と惹かれていきました。しかし、レーザー核融合ということは工学部だろうと思い、大阪大学工学部電子情報エネルギー工学科を受験したのですが、基礎工学部の分野だったようで、入学後に全然違う勉強をすることとなり衝撃を受けました(笑)。

新谷哲:大学時代はどのようにお過ごしでしたか?

栗栖義臣:1年生、2年生の頃は演劇中心の生活を送っていました。鹿児島県では劇団の数も少なく、近場でお芝居をやっていることも少なかったので、大学に入り大阪に出てからは、演劇部に入り様々なお芝居を観劇し満喫した生活を送っていました。3年生に入ると、キャンパスが変わりサークルの活動拠点が離れたので、学問にシフトし大学院へと進学をしました。

新谷哲:大学院卒業後は、大手システムインテグレーターにご入社をされました。原子力の分野ではなく、こちらを選ばれた理由はございますか?

栗栖義臣:原子力は面白い領域でしたが、大学院で研究をしていくなかで「自分が一生かけて情熱を注げる分野ではない」と気づきました。両親としては、高い教育費を払い私立学校や大阪にまで行かせたので、将来は電力会社で原子力発電に関わる堅い仕事をするものだと思っていたようですが、就職では全然違う分野に挑戦することにしました。ちょうど私が大学院に進んだ頃は、格安パソコンが売り出され始めた時期で、1人1台パソコンを持てるほど手に入りやすくなっていました。そこで、研究に使うのはもちろんですが、HPを作り日記を書いて発信するなどしていくうちに「自分の性に合っているかも」と、IT系の分野に興味を持つようになり、最初の会社に出会ったという経緯です。

新谷哲:当時の思い出はございますか?

栗栖義臣:6年ほど勤めたのでたくさん思い出がありますが、印象深い出来事を2つほど挙げさせて頂きます。1つ目は、多くの人たちとの出会いです。会社全体の社員数は2500人ほどおり、うち同期が250人ほどいました。入社後の3か月間は同期らと研修をみっちり受け、一緒に1つのプログラムを作り上げました。業界未経験からシステムエンジニアとして鍛えて頂く中で、現在にも繋がる多くの仲間を得ることができ、とても良い経験をさせて頂いたと感じています。2つ目は、大規模プロジェクトに関わらせて頂いたことです。要件定義からリリースまで2年~3年かかるプロジェクトだったのですが、私は進行サポートを担当させて頂きました。それまでのシステム設計のイメージは、単に仕様書をもとにプログラムを書くだけでしたが、大規模プロジェクトでは、お客様、同僚、パートナー企業の方々など多くの人と関わりながら、要望、スケジュール、人員などをとりまとめ調整をしていく必要があります。プロジェクトを進行する上で気を付けるべきことや、数字と見比べながら様々な意見を形にしていく大変さなど、身をもって学ぶことができました。

新谷哲:その後、株式会社はてなに移られます。転職された理由はございますか?

栗栖義臣:プログラミングの領域を追求していきたいと感じていた頃、株式会社はてなの先進的な取り組みに衝撃を受け「この会社で挑戦をしてみたい」と感じたからです。当時の私は、大手システムインテグレーターで社内の中規模開発コードを書かせていただけるまでに成長し「もっとプログラミングを学んでいきたい」と考えていました。しかし、会社の方針は「開発は外部のパートナー企業で行い、自分たちではあまりコードを書かない」という流れに移っていきました。このまま会社に残っても、システムエンジニアとしての成長は難しくなるだろうと肌で感じ、転職を意識するようになりました。そんな時に、株式会社はてなのサービスをユーザーとして触り「海外企業のような取り組みを、日本企業がやっている!」と衝撃を受けたのです。さらに、CTOを務めていた方は私と同い年でありながら、Google主催のカンファレンスに登壇し、最前線で活躍をしておりました。このような会社であれば、エンジニアの技術レベルも高いでしょうから「挑戦をしてみたい」という気持ちが膨らんでいきました。しかし、同社は開発の拠点が京都に移ったばかりで、東京で結婚し2番目の子供が生まれたばかりの時期だった私は、妻に職場を辞めてもらってまで転職することを決めきれずにいました。すると妻が「受けてみないことには何も前に進まないのだから、そんなに悩むのなら応募をしてみたら?」と背中を押してくれ、入社にこぎつけることができました。あとから聞くと、受かるとは思っていなかったようです(笑)

新谷哲:素晴らしい奥様ですね。株式会社はてな入社後は、エンジニアから管理職を経て代表取締役社長にまでご出世をされています。出世をされたきっかけなどはございますか?

栗栖義臣:実は、自分が“出世”をしたとはあまり感じていません。というのも、上場準備の一環で私の立場が変わっていったからです。弊社では、創業者の近藤淳也が現場の最前線でサービス開発をけん引していたのですが、上場後に社長業へと専念するため、業務の引継ぎが進められていきました。私はエンジニアとしての技術レベルはそこまで高くありませんでしたが、前職で経験した大規模なプロジェクトでのシステム開発や、チームをまとめ進行するノウハウを買っていただき、サービス開発の陣頭指揮を担わせて頂く事となりました。そうするうちに、近藤が代表取締役会長となるため、私が社長に就いてはどうか?とお話をいただいたのです。「株式会社はてな=近藤淳也」という印象の強い中「期待されている役目をきちんと果たせるだろうか…」と、大きな不安はありましたが、スタッフ、経営陣含め皆さんに助けられ社長をさせて頂いております。

新谷哲:代表取締役社長ご就任から2年後の、2016年に東証マザーズ(現・グロース)に上場をされています。上場に向けてのご苦労はございましたか?

栗栖義臣:上場を目指すと決めた当時の経営陣は、とても苦労が多かったと思います。というのもIT企業ならではですが、いわゆる「面倒くさいステップ」のようなものを排除するため、社内決済の方法や情報共有のあり方が一般企業とは違うことが多々ありました。性善説に基づいており、情報のオープン性も高く、スムーズに仕事を進めることができたのですが、この仕組みを上場審査に耐えうる形に落としこむ作業はたいへん難しかったと思います。私はその整備が終わったタイミングで社長になったので、あまり大変に思ったことはありません。あえて挙げるなら、会社の規模が大きくなるに従って、自分の判断が与える影響範囲が拡大したので、“社長業” をする上でのプレッシャーは感じています。

新谷哲:ありがとうございます。もしよろしければ、株式会社はてなの事業内容をお教えいただけますか?

栗栖義臣:弊社は、主に3つのサービスを展開しています。1つ目は、コンテンツプラットフォームサービスです。創業当初から行っているUGCサービスと言われる個人ユーザー向けのウェブサービスでして、ブログサービス「はてなブログ」や、ソーシャルブックマークサービス「はてなブックマーク」などをご提供しております。2つ目は、コンテンツマーケティングサービスです。こちらでは、企業様のコンテンツマーケティング活動をお手伝いするサービスをご提供しております。近年、会社のPRや事業内容の発信にオウンドメディアを活用するケースが増えております。その様な企業様は、「はてなブログ」のシステム基盤を使い、ある種の“ニュースサイト”の役割を果たしている「はてなブックマーク」に、広告枠としてコンテンツへのリンクを出稿することで、読み手の流入を増やすことができます。また、「メディアは作ったものの、コンテンツの制作に難しさを感じている」というお客様に対しては、記事作りのお手伝いもさせていただいております。3つ目は、テクノロジーソリューションです。サーバーを監視するSaaSや個人ユーザー向けサービスの開発受託サービスを提供しています。出版社の方向けのソリューションとして、漫画ビューワーもご提供させていただいております。ご利用頂くことで、かなり簡単に漫画サービスを立ち上げることが可能となります。その他にも、培ったシステムや技術、ノウハウを活用し、いろいろなサービス展開をしております。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をさせていただきます。好きなもの、好きなことをお聞きして「餃子づくり、映画(マーベル・シネマティック・ユニバース)、小説(東野圭吾、伊坂幸太郎など)、音楽(B’z)、お笑い(オードリーなど)、アウトプット(ブログ、Podcast、動画)」とお答えいただきました。多趣味でいらっしゃいますね。

栗栖義臣:ミーハーなのだと思います。派手なものや、皆さんが好むようなベストセラー作品に興味を持つことが多いです。また、アウトプットに関しては、趣味として転職前からブログを書いていたりします。最近では、元はてなの方と一緒に「Ossan.fm」というポッドキャスト番組を立ち上げて、週1で配信しています。内容は仕事と全く関係ありませんが(笑)

新谷哲:座右の銘もお聞きして「迷ったら積極的なほうを選べ」とお答えいただきました。こちらを選ばれた理由はございますか?

栗栖義臣:この言葉は、最初の会社で専務を務めていた方が入社式のときに送って下さった言葉です。とても人柄が良く、社内外で人気のある名物専務でした。そんな彼が「どのような基準で選んでいいか迷ったときは“積極的”に思ったほうを選んだほうが、たとえそれが失敗したとしても、自分にとってはプラスになる」と仰っていて、社会人になりたての私にとても響いたのです。社会に出れば、自分で選んでいかなくてはいけないことが増えますし、結婚をしたことで自分の選択が家族に対しても影響するようになっていきました。そんな中、はてなへの転職や、近藤から代表取締役社長の引継ぎについて話を頂いた時、この言葉を思い出し「せっかく目の前にボールが転がってきたのだから、蹴らなければ“積極的”とは言えないだろう!」という気持ちになり、背中を後押ししていただいたと感じています。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

栗栖義臣:まだまだ挑戦の途中ですが、成功をするためにも「自分が選んだ全てのことは、人生のどこかで必ず役に立つ」と考え、何事も積極的にインプット・アウトプットするように心がけています。例えば、中学高校時代に取り組んでいた部活動の経験も、現在の役に立っています。以前の私は、活舌がそれほど良くなかったのですが、演劇の発声練習でそれが改善され、また、お芝居をしていたおかげか人前で話すことが苦ではなくなりました。歳を重ねれば重ねるほど、過去の経験が繋がることは多くなります。それを発信するほど、巡り巡って自分のものになるのだと思います。人生に、無駄なことなどないのです。

新谷哲:大変参考になるお話でした!栗栖義臣社長、本日はありがとうございました。

編集後記

今回は、栗栖義臣社長でした。サラリーマンからご出世されて上場企業の社長となった、素晴らしい成功例で勇気のもてるお話でしたね。また「迷ったときは積極的な方を選ぶ」というお言葉には、たいへん共感いたします。ぜひ皆様も参考に、共に成功社長を目指していきましょう!

栗栖 義臣氏
株式会社はてな 代表取締役社長

1978年鹿児島県生まれ。大阪大学原子力工学科卒業後、大手システムインテグレータにご就職をされます。その後、2008年にUGCサービス事業を展開する株式会社はてなにエンジニアとして入社し「人力検索はてな」などの自社サービスや、企業との共同開発プロジェクトを担当。ディレクター、プロデューサーを経てサービス開発本部長として、はてなのサービス開発を統括。さらに、2014年には代表取締役社長へとご就任され、同社の事業を牽引し2016年に東証マザーズ(現・グロース)上場へと導かれました。インターネットがある生活をより豊かに、楽しいものになる世界を目指して邁進されています。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、栗栖 義臣氏(株式会社はてな 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

「写真提供:株式会社はてな」

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