成功経営者インタビュー

株式会社コラントッテ 代表取締役社長 小松克已氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、小松克巳氏(株式会社コラントッテ 代表取締役社長)です。(2022年12月21日 2022年12月28日 配信)

今回は、特許取得の家庭用磁気治療器を展開する、株式会社コラントッテの小松克已社長にお越し頂きました。若いころから経営者として複数の会社を運営されていたものの、2度の詐欺被害により数億円の負債を背負い自己破産。さらに、その後に父が病に倒れるというどん底の生活から、東証グロース市場に上場をされるまでに再起を果たされた感動のエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社コラントッテ代表取締役社長、小松克已様です。まずは経歴のご紹介いたします。1957年生まれ、大阪府出身、高校卒業後、建設会社に入社され、22歳で建築士の資格を取得後、24歳で建設会社小松建設を設立されます。その後、複数社の経営に携わり、1997年には株式会社アーク・クエスト、現在の株式会社コラントッテを設立されておられます。2021年7月に東京証券取引所マザーズ市場(現・東証グロース)に上場しております上場企業の社長様です。本日はよろしくお願いします。

小松克已:よろしくお願いします。

新谷哲:最初の質問です。ご出身が大阪とのことですが、小学校時代はどのような少年でしたか?

小松克已:非常にやんちゃというか、活発な子供でした。参観日には「いつも落ち着きがないね」って言われるくらい、やんちゃばっかりしていました。ただ、父親が怖かったので悪いことはしなかったです。

新谷哲:中学校時代はどのようにお過ごしでしたか?

小松克已:中学では野球が好きで野球部に入りました。しかし、野球選手になろうとは思わず、「社長になろう」と決めていました。小学校時代に「社長繁盛記」という気楽な喜劇映画をテレビで見ていたことがきっかけで、中学校時代は「何の社長になればいいか?」を考えていました。

新谷哲:中学校で社長になろうと考えたのは、ずいぶん早い決意ですね。

小松克已:中学校では、建築屋になろうと決めました。例えば、靴屋の社長になれば靴を安く買え、服屋の社長になれば服を安く買えます。その中で「家をつくる会社の社長になるのが一番得だ。自分で家を建てる事ができるので安く建つ」と考えました。

新谷哲:なるほど。高校も大阪ですか?

小松克已:はい。建築科が専攻できる大阪の高校です。大学からではなく、高校から建築科に行った理由は、建築科を卒業して4年の実務経験があると、建築士試験の受験資格がもらえるからです。4年制大学を卒業しても同じく建築士試験の受験資格がもらえますが、同じ22歳であれば、4年間の実務経験がある方が有利だと思いました。

新谷哲:中学校時代から道をちゃんと決めて、スピード感を持って進められたのですね!

小松克已:そうですね。大学に行かずに建築士になって一番良かったと思ったのは、大学生の友達が就職に悩んでいる時です。アパレルの会社に就職するか、大阪ガスに就職するか迷っている姿を見て「アパレルとガス屋って全く違う職種で、何を迷っているのだろう?」と感じました。その時に初めて「自分の道は正しかった」と思うことができました。

新谷哲:高校時代の思い出はございますか?

小松克已:硬式野球部での思い出です。当時は2年生が1年生をいじめるという伝統的なものがあり、僕らも同じようにしていました。ある日、雨の日に2年生と1年生が集まった時「1年生がこうだから」「いや、2年生の先輩がこうだから」と険悪になりました。その時に僕が「僕ら2年生はもう先輩面しないけど、1年生は後輩面してくれないかな?」と提案しました。するとすぐに浸透して、次の日から「先輩、カバン持ちます」「いや、いいよ」と互いに少し遠慮したような付き合いになり、上手くいきました。僕らの世代から10年くらいはこの関係が続いたようで、OB会でもこの期間は仲が良いです。この経験はその後の人生でもよく働いて、社員に対しても優しい話し方や、あまり上から物を言わないようにできましたので、人生に役立っています。

新谷哲:高校時代からもうリーダーシップを発揮されていたのですね! その後は、新卒で建設会社に入られたのですか?

小松克已:そうですね。建設会社に就職して積極的に仕事にも参加させていただきました。建築士の勉強も怠らなかったので、一発で合格いたしました。

新谷哲:建設会社での思い出はありますか?

小松克已:思い出というか、どこの建設会社に就職しようかと考えた時に「給料が安くても、転勤がなく、様々な仕事が覚えられる」という条件で高校の先生に相談しました。僕は自炊も洗濯もできないので、親元を離れるのが嫌だったのです。もちろん大手にも入れましたが、先輩から「大手に就職すると、鉄骨のプロフェッショナルになれる。しかし木造に関しては全く分からない」という話を聞いていたので、「様々な仕事が覚えられるところ」を希望していました。

新谷哲:小学校・中学校時代から、目的が非常に明確ですね!

小松克已:今思うと、そうですね。小学校の時に夢や目標を書くことがあると思います。「ウルトラマンになる」と書く子がいる小学校2年生の時に、僕は「社長になりたい!」と書いていました。普段から言っていたり、文字にしたことは、言霊のように実現していく気がします。

新谷哲:その後、24歳という若さで建設会社「小松建設」で独立されますが、この早さでなぜ独立できたのでしょうか?

小松克已:サラリーマン時代は仕事を色々と任されました。23歳の時、僕の仕事を見た方から400万円くらいの小さな仕事を個人的に頼まれました。それで上司に「個人で仕事をもらえるようになったので会社を辞めます」と伝えましたが「いやいや辞められたら困る、あと半年は会社にいろ!」と言われました。それでも諦めずに、当時の自分より高い給料を払って同級生を雇い、仕事をしてもらいました。周りの評価も段々と良くなっていき、1500万円の仕事を受けることが出来るようにもなりました。会社に対しては「辞める」と言い続けたところ、社長に話が届きました。社長に対して「個人で仕事を受けられるになったので辞めます。実は人も雇っています」と伝えると「その雇っている人の面倒も見るから君は会社に残れ」と説得されました。しかし僕は「雇っている人は僕についてきているので、社長が雇うのは違う」と言いました。すると社長は「お前はすごいな。仕事をひとつあげる」と言われ「もし本当にいただけるのなら、僕が会社に戻ってきた時にしてください。ただ、僕は仕事をもらうことがないように頑張ります。絶対に、二度と戻ってくることはないです」と言いました。当時23歳~24歳の若者が、社長に対してこんなことをよく言えたなと、今思うと驚きですね。(笑)。最後には社長から「お前はすごいな。お前みたいのが5人おったら、うちの会社はもっと大きくなる」と言われ、非常に良い関係のまま辞めさせてもらえました。

新谷哲:大変素晴らしいエピソードですね!建設会社でのご苦労はありましたか?

小松克已:特に苦労はなかったのですが、仕事を合理的にすることを覚えました。他の建設会社では現場を3人~4人で見るのですが、僕は1人で現場を任されていました。他の建設会社の皆さんは時間が空くと喫茶店などに行っていたのですが、僕は1人なので喫茶店に行きたくてもいけません。そこで合理的に仕事ができないかを考え、伝達事項を省くために今後の仕事内容を全部紙に書いて、職人さん全員に渡しました。上手く機能するまで半年くらいかかりましたが、ある日から職人さんと一緒に喫茶店に行けるようになりました。合理的に仕事をすることで時間に余裕ができ、3倍も4倍も仕事ができると学んだのがサラリーマン時代ですね。

新谷哲:今のISOとかにも通ずる話ですね!独立後のご苦労はありますか?

小松克已:独立後は順風満帆で、28歳~29歳の時には自社ビルを建て、自分の家も持たせてもらいました。しかし、36歳の時に詐欺師に1億8千万円を騙し取られてしまいました。それでも頑張って仕事して5つの会社を経営していたのですが、40歳の時にまた詐欺に遭い、それで所持していた会社はすべて清算して自己破産をしたという経緯があります。

新谷哲:自己破産までいかれたのですか?

小松克已:40歳の4月に自己破産しました。その時の社員には「2か月分の給与は支払うから、転職するように」と言い、自分は生きるために金融機関を回っていましたね。嫁さんには「家もなくなるから、どこかに引っ越した方がいいよ」と伝えるなど、色々準備してから自己破産しました。その半年後の10月には嫁さんを代表にして「株式会社アーク・クエスト」を設立しました。

新谷哲:自己破産後は「アーク・クエストでもう一回社長をやろう」という感じでしたか?

小松克已:僕の中では社長しかできないと決まっていました。ただ、同じ建築会社で起業するのは世の中に失礼ですので、建築会社でないアーク・クエストを設立させていただきました。

新谷哲:アーク・クエストでは、初めから医療機器や健康関連の事業をされていたのですか?

小松克已:医療機器に決定したきっかけは、父親が脳梗塞を患ったことです。右手足は健康だったのですが、後遺症で左手足に麻痺が残りました。寝返りが左側にできないので、右肩や腰が痛いって言い出しました。それで、N極S極交互配列の磁石が入っているサポーターを着させたところ、父親の痛みが2日ほどで良くなりました。もともと僕自身が磁石のことを研究していたので、N極S極交互配列は身体いいと確信していました。病院の医師も驚いていて、医師が着用して20分ぐらいで「身体がちりちりして、血流が良くなっているのが分かる」って言ってくれました。そこで「あっ!これや!」と思ってこの製品で起業しました。

新谷哲:なるほど。アーク・クエストからコラントッテに社名を変更された時に苦労はございましたか?

小松克已:医療機器は全くの素人で「医療機器の磁石って売っているのかな?」と思うぐらい何も分からず苦労しました。調べていくとN極S極交互配列は大量生産に向いていなかったため、今まで存在していませんでした。僕は日本とアメリカで特許を取得して、大量生産に近いものを作れるようにして乗り越えました。ですので、初めが非常に苦労しました。

新谷哲:そのご苦労があって、順調に会社が伸びた訳ですか?

小松克已:初めは薬局で販売していたのですが、売れ行きが良くありませんでした。ゴルフなどのスポーツ業界に切り替えて、少しずつ広がっていったという感じです。シャツなどを着用してもらうと、「20分で確かに効果がある!」などの評判を頂き、効き目だけでどんどん広がったという感じです。

新谷哲:上場はどのあたりから目指しましたか?

小松克已:上場するという考えはなかったですが、ある時に「磁石を取り扱っている商品ばかりだと社員が不安になるのではないか」と思いました。そこで、社員に対し、2010年頃にルイヴィトンのことを話しました。ルイヴィトンは160年続いている企業で、ここまで長く続いている理由は初代ルイヴィトンがすごく精巧な鞄を作ったからです。豪華客船が沈没した時に、ルイヴィトンの鞄は海に浮いて、開けたら中に入っていた服が着れた、という話が広まりヨーロッパで流行しました。しかし、二代目のルイヴィトンの時代には偽物が市場に出回るということが起こります。コピー防止としてルイヴィトンは、モノグラムのマークを規則正しく並べることをしました。このマークは、シカゴの万博で日本の家紋を見たときに思いついたようです。このようなことを取り入れ、しっかりした物を作り続ける企業は、絶対に長く続きます。我々コラントッテも、医療用メスと同様の金属を使用することでアレルギーが出にくい商品を作るなど、良いものを作っています。アレルギーで痒い、などのクレームが非常に少ないのがその証拠です。上場はその過程の中にあるだけで、100年企業を目指しましょう!ということを演説で言いました。

新谷哲:上場は、100年企業になるためのプロセスなのですか?

小松克已:プロセスです。でも上場企業になると社員から「急に住宅ローンがすぐ通るようになりました」という報告もあります(笑)。こういう報告を聞くと上場して良かったと思います。

新谷哲:では、御社の事業内容を教えてください。

小松克已:磁気健康ギア「コラントッテ」という医療機器を基本として、磁石を中心にした商品作りをしています。それはN極S極交互配列という、日本・アメリカ・ヨーロッパで特許を取っております。医療機器としても日本、韓国、ヨーロッパで認められています。僕は医療機器としてのエビデンスを一番大事にしており、そのエビデンスが世界で特許をとれていて、商品が優れているのはコラントッテだけと思っております。あと、高齢化社会において「健康寿命を伸ばしましょう」という様々な商品も開発中です。また、コラントッテの商品は男性用とかスポーツ選手が着けているイメージがありますが、女性市場を狙って女性に特化した商品も作っています。

新谷哲:ありがとうございます。ここからは違う質問をしてまいります。事前に「好きなもの、好きなこと」をお聞きして「皆で楽しくおいしい食事をすること、ゴルフ、サウナ、ライブ活動」とお答えいただきました。ライブ活動はボーカル担当ということが、今でも週1回はしているのでしょうか?

小松克已:週1回もできていませんが、20名弱いるバンドを結成しております。僕は楽譜を読めないのですが、サザンオールスターズの桑田さんをカラオケで歌うと皆から上手と言われたので、ボーカルを担当しています。ライブは3回目で、毎回満席です。僕は桑田さんの歌ばっかり歌って、MCでは面白い話を入れながら、皆で楽しんでいます。

新谷哲:座右の銘も素晴らしいのです!「人を一番幸せにする一番身近な方法、それは本気の笑顔」とのことです。これを選ばれた理由を聞かせてください。

小松克已:今までの人生で「社長になる、自社ビルを建てる」が自分のビジョンだと思っていました。しかし、全て叶っても何か物足りないので、今後、何を目指そうかと考えました。すると、今までのビジョンがただの「目標」で、本当のビジョンは「自分が笑うことや、人を楽しませて笑顔にすること」だと分かりました。目標を達成しているからビジョンになる訳ではなくて、ビジョンと目標の違いが分かって初めて目標を決める、という自分なりの理屈が分かったので、この言葉が座右の銘になっています。

新谷哲:ありがとうございます。次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

小松克已:経営者として成功する秘訣は「決断の早さと責任を取る」です。決断は「する、しない、今は何もするな」の3つでいいと思います。それを早く決断して、しっかり伝える。次の日に変更になっても構わないと思います。変更になった経緯を伝えることも含めて、早く決断することが大切です。それともう1つの「責任は全て取る」という意識は絶対に大切です。

新谷哲:決断と責任ですね。大変重い言葉ありがとうございます。小松克已社長、本日はどうもありがとうございました。

小松克已:ありがとうございました。

編集後記

今回は、今回は株式会社コラントッテの小松克已社長でした。詐欺師に騙され、自己破産したあとにもう一回、医療機器の会社を設立して上場するというすごい社長だと感じました。最後の「決断と責任を取る」という話も社長の皆様の非常に参考になるお話だと思います。ぜひ皆さまも私と一緒に真似していきましょう!

小松克已氏
株式会社コラントッテ 代表取締役社長

1957年2月2日生まれ。大阪府出身。高校卒業後、建設会社に入社。22歳で建築士の資格を取得し、24歳で建設会社「小松建設」を設立されました。その後、複数社の経営に携わり、1997年10月に株式会社アーク・クエスト(現・株式会社コラントッテ)を設立。同社が展開する、独自技術により特許を取得した家庭用磁気治療器は、世界のトップアスリートからも愛用される人気商品として口コミで広がり、事業成長をされます。そして、2021年7月には東証マザーズ(現・グロース)市場に上場を果たされました。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、小松克已氏(株式会社コラントッテ 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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