成功経営者インタビュー

株式会社Kanatta 代表取締役社長 井口 恵氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、井口 恵氏(株式会社Kanatta 代表取締役社長)です。(2023年11月1日 2023年11月8日 配信)

今回は、株式会社Kanattaの井口恵氏にお越し頂きました。ジェンダー平等の実現に貢献することを理念に、女性のドローンパイロットのコミュニティーを発足。現在はドローンに加え「宇宙業界へのキャリアを身近にすること」もテーマに加え、会社経営をするお姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

新谷哲:今回のインタビューは、株式会社Kanattaの井口恵社長です。まずは経歴をご紹介します。2010年に横浜国立大学経営学部を卒業。有限責任あずさ監査法人にご入所。その後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン・ジャパン株式会社に転職。そして株式会社 Kanattaを創業されました。本日はよろしくお願いいたします。

井口恵:よろしくお願いいたします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身はどちらですか?

井口恵:出身は神奈川県横須賀市ですが、生まれたのは大阪府です。父が転勤族だったので、さまざまな場所に住んでいました。

新谷哲:横須賀で過ごした期間が長かったのですね。

井口恵:長かったです。中学1年生から横須賀に住んでいて、それまでは5回~6回ほど引っ越しました。小学校はずっとアメリカにいて、東海岸のコネチカット州に2年、西海岸のオレゴン州に4年間住んでいました。

新谷哲:アメリカで過ごした小学生時代の思い出についてお聞かせください。

井口恵:1年生~2年生の頃は英語が分からず、大変な思いをしたのは覚えています。ただ2年目、3年目あたりから、相手の話していることが理解できるようになったので、そこからは楽しく過ごせました。アメリカの自由な校風や国民性が当たり前になっていたので、日本に帰国してからは厳しかったです。

新谷哲:井口恵社長はどんなお子さんでしたか?

井口恵:活発だったとは思います。弟が2人いるので、親代わりのような立ち位置でした。2歳差と4歳差で年齢は離れていませんが、アメリカに行ってからは家族の中で私しか英語が話せなかったので、弟の学校の三者面談に親と一緒に行って、私がほとんどの受け答えをしていましたね。小学生の頃はしっかりした子どもだったと思います。

新谷哲:中学生のとき、アメリカから横須賀に戻ってきたそうですね。

井口恵:アメリカに行くまでは日本国内でも転々としていたので、父が東京の本社に戻るとなったときに「どこに住もうか」という話になりました。そこで私が横須賀市を選びました。当時住んでいたオレゴン州の田舎の雰囲気が好きだったので「田舎に住みたい」と考えて、横須賀を選んだのです。今思い返すと、父はすごいと思います。当時の父は、帰国後に住む家を一度も見ずに買っていました。インターネットには詳しい情報が掲載されていない中で、一度も実物を見ずにマイホームを購入していたのです。

新谷哲:中学時代はどのようにお過ごしになられましたか?

井口恵:とにかく学校が嫌いでした。アメリカはすごく自由で個性を評価してくれて、科目別に飛び級もできたのです。アメリカの学校に通い始めたとき、英語が分からず算数しか理解できませんでした。学んでいくうちに算数が好きになって、最終的には6年も飛び級しました。しかし日本に帰ってくると、先生から「数学はもうできるからやらなくて良い」。社会や理科がほぼ赤点だったので、その科目をがんばって、とのことでした。アメリカでは「数学が好きならそっちを伸ばしなさい」という教育方針です。ほかの教科は平均点を取ることができれば良い。平均点までいかなくても良いと言われます。日本では全部平均的にできる人が評価される文化だったので、慣れるまでに苦労しました。途中からは友だちができて、日本ならではの集団の美も良い、と思えるまでになりました。

新谷哲:部活動はなさっていましたか?

井口恵:とにかく学校が嫌いで早く帰りたかったので、部活はやっていません。迷わず帰宅部になりました。当時はピアノの練習をしていたので、学校から帰ってからは一所懸命にピアノの練習をしていました。

新谷哲:卒業後は、横須賀の高校に進まれましたか?

井口恵:横須賀高校に進学しました。

新谷哲:高校を選ぶとき「東京に出よう」といったことは考えましたか?

井口恵:東京に行くことは考えていません。アメリカにいた時の自由さを求めていたので、自由な校風が決め手の1つになりました。また、家から自転車で行ける距離にある一番良い高校だったので、横須賀高校に決めました。

新谷哲:高校時代の思い出を教えてください。

井口恵:横須賀高校は3年間クラス替えのない特殊な学校でした。クラスの子と仲良くなって、体育祭の応援団や文化祭に参加したり、学校行事には積極的に参加していました。また、お金を稼ぎたいと思い家の近くのマクドナルドで3年間ずっとバイトをしていました。バイト禁止の高校でしたが、届け出を出せばできると知って入学してすぐに提出しました。多いときは週6日でシフトに入っていたので、社員よりも私の方が働いていたかもしれません。

新谷哲:マクドナルドのマニュアルは頭に入っていますか?

井口恵:頭に入っていますし、どのポジションでもできるところまでのスキルは身につきました。とても楽しかったです。

新谷哲:マクドナルドでの業務を通じて、経営について学びましたか?

井口恵:マクドナルドで働いたことで、経営に興味を持ちました。マクドナルドは良い商品をお客様に提供するために、作り置きをしない方針でした。「ロスが出ないようにするには、どうすればよいか?」と当時から興味はありました。売り上げを予測して発注する業務にも携わっていたので「もう少し知識があったらうまくできるのでは?」と考えて、大学は経営学部に進学しました。

新谷哲:横浜国立大学の経営学部ですね。進学先に選んだ理由を教えてください。

井口恵:横浜国立大学の経営学部は理系でも受験できたからです。もともと私は理系選択でしたが、高校3年生の授業で実験が嫌いなことに気づきました。日本の高校の実験は答えが分かっていることを何回もするイメージがあり、あんまり面白くないと感じました。自分が理系選択をしてから気づいて、これを大学になっても実験をずっとやると思ったときに嫌になって文系に変えました。また、家から近いところに行きたいと考えていたことも、選んだ理由になります。

新谷哲:近場がお好きなのでしょうか?

井口恵:あまり通勤・通学に時間をかけたくありませんでした(笑)。

新谷哲:効率を求めているのですね。大学時代はどのようにお過ごしになられましたか?

井口恵:中学、高校と部活に入らなかったので、部活仲間がとても羨ましくてテニス部に入りました。朝の4時に起きて始発で学校に向かい、6時半にはテニスコートで練習する生活をずっとしていました。ただ、ランキングで上位の人しか練習ができないという厳しい部活で、夏休みのトーナメントの中で直前になると私は球拾いの係でした。部活の厳しさや仲間の大切さはテニス部を通じて学びましたね。

新谷哲:技術が身につかないと辞めたくなると思いますが、井口恵社長はどのように考えていましたか?

井口恵:上手くはなっていたと思いますが、幼少期からテニスをしていた先輩にはかなわなかったですね。テニスは個人競技ですが、大学として力を入れていたのが団体戦でした。その中で自分は何ができるのか、というのは常に考えていました。試合中にボールを拾う「ボールガール」をやったり、審判をしたり。自分の技術力向上はもちろん一番ですが、同時にチームの役にも立ちたいという気持ちはありました。また、公認会計士になりたいという目標があり、勉強との両立が難しくなってテニス部を途中で辞めました。

新谷哲:公認会計士の資格を大学在学中に取得していますが、取ろうと思ったきっかけはございますか?

井口恵:この資格さえ取れば学歴に関係なく良い会社に入れると思ったのがきっかけです。もともとお金が好きで、良い会社に入るのが目標でした。先輩の就職先を参考にしようと調べると、第一志望に入社できた先輩があまりいませんでした。横浜国立大学は、早稲田大学や慶応義塾大学と比べてブランド力がありません。確実に良い会社に入るには、何か資格を持っていないと難しいと思い、そこで大学2年生のときに公認会計士の勉強を始めました。最初は通信制にして部活と両立できるようにしていましたが、大学3年生からは資格勉強に集中するようになりました。

新谷哲:公認会計士の資格を取得後、4大監査法人の1つであるあずさ監査法人に入られますが、一般企業を選ばなかった理由はございますか?

井口恵:一般企業よりも監査法人の方が稼げると思いました。収入が高ければ監査法人にこだわる必要はないので、3年生のときに外資系の金融機関を受けますが、残念ながら落ちてしまいました。それなら監査法人だと思い、4年生のときには会計士の試験1本に絞りました。

新谷哲:あずさ監査法人での思い出についてお聞かせください。

井口恵:当時は残業が多かったです。繁忙期に入社したので、入社初日から終電帰りでした。当時はクライアント先に常駐していたので「こんなに遅くまで働くなら会社の近くに住むのが良い」と考え、クライアントからタクシーで1メーターで帰宅できるところに引っ越しました。その後は周囲から終電は関係ない人だと思われ、終電の時間を過ぎた朝の3時~4時まで働く毎日を過ごしていましたね。とはいえ、20代はバリバリ働くと決めていたので、とても良い経験になりました。後に起業したときも、この経験が役に立ちました。

新谷哲:その後はLVMH モエヘネシー・ルイヴィトン・ジャパンに転職されますが、こちらに転職しようと考えた理由はございますか?

井口恵:私は仕事が好きなので「出産や育児をしながらも働き続けたい」と思っていましたが、監査法人で実現している人はあまりいませんでした。そこで「女性の多い職場に行けば状況が変わるのではないか」と思い、26歳のときにジェンダーバランスがまったく逆(女性社員は8割)のLVMHに入社しました。

新谷哲:LVMHでの思い出について教えてください。

井口恵:転職直後は突然定時上がりになったので戸惑いました。LVMHはフランスの会社なので、基本的に定時上がり。残業していたら「早く帰りなさい」と言われるような空気感で、とてもギャップがありました。億万長者ランキングで1位になられたベルナール・アルノーさんに直接レポーティングするようなポジションにいたので、アルノーさんがどういった数字を求めているか、どんなことを気にされているのかを間接的に知ることができました。非常に勉強になるポジションでした。

新谷哲:その後、株式会社 Kanattaを創業されていますが、起業のきっかけについて教えてください。

井口恵: LVMHは女性社員が8割の会社ではありましたが、当時の役員は全員男性でした。女性従業員は数多くいるのに、出世していくのは男性ばかり。女性が社会で活躍しようと思ったときに、とてもハードルがあると感じました。前職の監査法人でも、優秀な同期結婚やが出産を機に退職していました。そんな人をたくさん見てきて、女性が活躍し続けられるような事業を始めて、起業したいという気持ちが芽生えました。2015年に首相官邸にドローンが落ちた事件があり、そのときに初めてドローンに興味を持ちます。ドローン業界が男性ばかりの業界で、これから急成長するはずと知り「ドローンと女性をかけ合わせて何かビジネスができないか」と考えて株式会社Kanattaを創業しました。

新谷哲:LVMHを辞めることや、起業するにあたり周りの反応はいかがでしたか?

井口恵:周りはもう、とにかく反対でしたね(笑)。会社を辞めることに対しても、起業することに関しても「せっかく公認会計士という安定した仕事や資格を持っているのに、なぜ、わざわざ起業をするのか」と言われました。LVMHは、周囲からするととても良い会社に見えます。私も良い会社だと思っています。そのキャリアを捨てて起業の道を選択したので、さまざまな人から反対やご心配の声をいただきました。ただ、私には叶えたい将来像がありました。それを実現するためには起業しかなく「誰に何を言われようが、絶対に起業する」と決意を固めていました。

新谷哲:LVMHで上司の皆様が引きとめに来られませんでしたか?

井口恵:外資系で社員の入れ替わりが激しかったので、そこまでの引きとめはありませんでした。上司から辞める理由を聞かれたときに「自由にスケジューリングできるようになりたいから」と答えました。すると「稼ぎながらできるのか」と真剣に問われたのは覚えています。上司は私が稼ぎたくて働いていると知っていました。当時はそれでも「できる!」と言い張って、勢いで辞めました。

新谷哲:ご両親にはご反対されませんでしたか?

井口恵:両親に起業する話は伝えていませんでした。心配して反対されるのは目に見えていたからです。起業する前に、会計士資格を抹消しました。その話に関しても両親からたくさん電話がかかってきたので、これはもう起業するとは言ってはいけないと思いました。

新谷哲:会計士資格は抹消しなくてもよいと思いますが、なにか理由はございますか?

井口恵:会計士資格は「年間で何時間以上研修を受けなくてはいけない」という条件があります。これから起業していく中で、研修を受けている場合ではないと思いました。一応、会計士協会に電話して研修を受けなくても良い方法があるか聞いたところ「抹消するしかない」と言われ「じゃあ、抹消します」と答えると、電話口の方も「え?」と驚いていました。

新谷哲:会計士資格を抹消することに対して、怖さございましたか?

井口恵:「事業がうまくいかなかったら会計士に戻れば良い」という逃げ道を断つことになるので、怖さは多少ありました。会計士を3年ほどやっていましたが「この職業には戻らないだろう。資格を持っていても仕方がない」と思い、抹消しました。

新谷哲:ちなみに、独立することに対する怖さはありましたか?

井口恵:ありましたね。起業に反対してくる方や心配してくれる方と一緒にいると、怖さが増します。とにかく自分の周りを起業家の人たちばかりにしようと思って、できるだけ経営者の先輩と一緒にいるようにしました。そうすると、起業するのが当たり前みたいになります。自分のメンタルを上向きにしようと意識していました。

新谷哲:創業してからの苦労はありませんでしたか?

井口恵:創業してからは苦労だらけでした。2016年の創業当初は「ジェンダー平等」をビジョンに起業。理由は自分のそれまでの経験で、女性がもっと活躍できるようなフィールドをつくりたいことからでした。まず、ジェンダー平等という言葉自体が当時は全然一般的ではありませんでした。2015年に始まったSDGsは日本では全く認知されていない状況です。しかも、女性活躍に対して今よりも批判的な方が多かったので、最初の数年は何をやっているか、何をしたいのかを理解していただくのに苦労しました。

新谷哲:株式会社Kanattaの事業内容についてお聞かせください。

井口恵:最初に立ち上げたのが「ドローンジョプラス」です。女性のドローンパイロットのコミュニティーをつくりました。女性がドローンで仕事をするための支援や育成をしていて、仕事を受注して彼女たちに業務委託をしています。最近は「産業ドローン」の分野に力を入れています。実際に物流の実証実験に「ドローンジョプラス」が参加しました。シーズンになると「農業ドローン」で農薬散布をするなど、ドローン業界で女性が活躍できるようなサポートをしています。もう1つが宇宙業界です。宇宙業界の8割は男性で、これから絶対に伸びる分野です。そこで2020年から、宇宙業界で活躍したい女性のためのコミュニティー「コスモ女子」をつくりました。大きなプロジェクトとしては、人工衛星の打ち上げがあります。コスモ女子から発足した「コスモ女子アマチュア無線クラブ」という団体が、2024年に人工衛星を打ち上げるのを目標に掲げて日々努力しています。

新谷哲:ここからは違う質問をいたします。事前に、好きなもの・好きなことについてお聞きし「果物・人と話すこと」とお答えいただきました。果物がお好きなのですか?

井口恵:この質問に素直に答えるなら「お金」でした(笑)。ただ、お金と書くのはどうだろうか、と思って果物にしました。果物全般が好きです。数カ月前に出産したので、この1年間は体調が優れないときがありました。そんなときに、果物や自然由来のものがすごく好きになりました。

新谷哲:本当は「お金」とのことで、そのあたりが社長らしいですね。座右の銘もお聞きして「何をするかより、誰とやるか」とお答えいただきました。こちらを選んだ理由をお教えください。

井口恵:ずっと大事にしていることが「誰と一緒に働くか」だからです。株式会社Kanattaを一緒に立ち上げてきたメンバーは、ドローン事業や宇宙事業がやりたいというよりも、一緒に「ジェンダー平等」というビジョンを実現したい仲間が集まってきています。それが私には幸せなことです。今後、例えばドローン事業から撤退しますとなったときに、おそらく誰もそれを理由に会社を辞める人はいないと思います。なぜなら、ドローン事業は1つの手段だからです。ビジョンを一緒に達成することに変わりはないので、どんな事業内容であろうとこの仲間で一緒にビジョンを達成したい。そう考えられる仲間が今いることが、一番の幸せだと思っています。「何をするかより、誰とやるか」というのは、自分の中で大事にしている言葉です。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

井口恵:成功の秘訣とは違うかもしれませんが、今大事にしていることは「自分のビジョンを語り続ける」ことです。こう考えるきっかけとなった、創業して一番つらかったエピソードがあります。「ドローンジョプラス」が一時期100人まで伸びたのですが、1カ月で90人辞めてしまうという事件がありました。1人のリーダー格のような女性が、「『ドローンジョプラス』を卒業します」となったときに、一緒に90人辞めていったのです。自分に人が集まっている状態をつくらないといけないな、と学びました。今は自分自身というよりも、株式会社Kanattaのビジョンに共感してくれる仲間がたくさんいる状態をつくりました。ジェンダー平等と言ったときに「男性は関係ない」と思う方がいますが、そんなことはありません。「女性が活躍することで男性にとてもメリットがある」と理解する男性が、株式会社Kanattaではたくさん活躍しています。私たちの事業内容を聞いたときに、「社員はほとんど女性ですか?」と聞かれますが、実は男女50%ずつ働いています。男性と女性が力を合わせてジェンダー平等という目標に向けてがんばれる状況だったことが、成功の秘訣かと思います。

新谷哲:井口恵社長、本日はありがとうございました

井口恵:ありがとうございました。

編集後記

今回は井口恵社長に話をお聞きしました。聡明で優秀、そして根性もあります。人生の全てが社長になるべくして運命づけられてきたような感じがしました。さらに非常に効率重視でお金大好き。それも社長としては大変重要なことです。勉強ができるからこそ横須賀高校、横浜国立大学、公認会計士といった経験を積むことができたのですね。全てにおいて、社長になるべくしてなった方です。私も若い頃にこういった社長になれたら良かったな、と思った次第です。ぜひ皆様も、聡明で根性のある井口恵社長のお話を参考にしてみてください。

井口 恵氏
株式会社Kanatta 代表取締役社長

2010年 横浜国立大学経営学部卒。 同年、公認会計士として有限責任 あずさ監査法人に入所し、国際部で国内上場会社や外資系企業の監査を担当。 2013年にはLVMHモエヘネシー・ルイヴィトン・ジャパンに転職。 アナリストとして日本の市場分析やLVMHグループの財務戦略を行う。2016年にKanattaを創業。ジェンダー平等の実現に貢献することを理念に、男性主体のドローン業界で活躍する女性のドローンパイロットのコミュニティー「ドローンジョプラス」を発足。ドローン業界での女性の雇用創出に貢献している。現在はドローンジョプラスに加え、「宇宙業界へのキャリアを身近にすること」をテーマに活動する女性コミュニティ「コスモ女子」を運営し、さらに多くの女性をサポートしている。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、井口 恵氏(株式会社Kanatta 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

『社長の孤独力』抜粋版(PDF29ページ)
無料プレゼント中!

『社長の孤独力』(新谷哲/著) の【抜粋版】を無料プレゼントしております!

71の課題の中から「資金・人材・売上・採用・後継者」の5つを抜粋いたしました。銀行からお金が借りれない社員がすぐに辞めてしまう売上を伸ばしたい、など、具体的なお悩みの解決策が掴めます。ぜひご覧ください。

無料プレゼントの詳細はこちら