成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 早川周作氏(SHGホールディングス株式会社 代表取締役)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、早川周作氏(SHGホールディングス株式会社 代表取締役)です。

今回は、SHGホールディングス株式会社の代表取締役 早川周作氏にお越しいただきました。
大学在学中20代前半から、学生起業家として数多くの会社の経営に参画して活躍。その後、元首相の秘書としての経験を積みながら、現在は「日本のベンチャーを育てる」という意志のもと、日本最大級の経営者交流会を全国で主催されています。著書として『人生が変わる!「夢・実現力」』『小さい夢から始めよう。』などがあり、幅広い事業を展開し、大活躍中の経営者です。華やかな経歴を持ちながら「地道に勝る王道なし」と語る早川周作社長の経営者インタビューです。大変聞きごたえのある内容となっております!

新谷哲:今回の経営者インタビューは、早川周作社長です。まずは経歴をご紹介させていただきます。大学受験を目前に家業が倒産し、お父様が蒸発。アルバイトで学費を納め、明治大学法学部に進学。学生起業家として数多くの会社の経営に参画。その後、元首相の秘書として2年間勉強し、28歳で国政選挙に出馬。次点で落選後、経営者に戻ってからは日本最大級の経営者交流会を全国で開催。弁護士・行政書士・公認会計士・税理士・社労士・その他の専門家と連携して、約90社のベンチャー・法務・財務・営業支援などを指揮され「日本のベンチャーを育てる」ことを原点に活動されています。本日はよろしくお願いいたします。

早川周作:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問ですが、ご出身は秋田でしょうか?

早川周作:秋田県の秋田市でございます。

新谷哲:秋田県の秋田市。小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになりましたか?

早川周作:小学校の時はバスケットボールにはまっておりまして、熱中しました。中学では、あまり何と言いますか…良い学校ではなかったものですので、多少、道を外れました(笑)。それで、実は受けた高校を全て落ちてしまいまして、なんと高校どこも行けずに一度働いて、そこから夏ぐらいから猛勉強をして何とか秋田の地元を離れて、千葉の進学校に滑り込みました。

新谷哲:そうだったのですね。

早川周作:実は高校浪人を経験し、中学生から人生を挫折しています(笑)。

新谷哲:中学時代は不良のような感じですか?(笑)

早川周作:不良と言いますか、非常に人と同じことをするのが苦手でした。今でもそうかもしれませんが(笑)。

新谷哲:早川周作社長らしいと思います(笑)。

早川周作:ありがとうございます。

新谷哲:高校時代はどんなことをして過ごされたのですか?

早川周作:高校は「秋田の方々を見返そう」という思いが非常に強くなりました。特に中学校の頃に後ろ指を指してきた皆様方に、僕が国立の医学部とかに進学することによってそれを見返せるのではないかと思いました。そこで自衛隊や刑務所よりも厳しい、と言われる寮生活を送りました。ですから、高校時代は寮生活と予備校通いです。それと集団生活を通して、自分が社会でどうあるべきなのか、を教え込まれた3年間だと思います。

新谷哲:その後、明治大学の法学部という、明治大学の中でもトップクラスの学部にすすまれていますね。

早川周作:とんでもないです。これ夜間の学部ですからね。

新谷哲:何か明治大学を選ばれた理由はございますか?

早川周作:実は高校3年生3の1月15日にセンター試験が終わって、親と連絡がつかなくなりました。その後、1月30日に母親が連絡ついたのですが、突然泣きだして「親父が会社を潰して蒸発をした」と言われました。そこですぐ秋田に戻ったら、ガラスは割られていたり、差し押さえの紙を貼られている。当時は闇金や商工ローンが無礼講している時期でして、市や行政に相談しに行っても「お前らなんて住む所も食べる物もなくていいんだよ」と言われたものです。それで受験を諦めざるを得なくなったのですが、弁護士の先生に助けていただきました。僕は弁護士の先生に「本当に困った人を助けられる先生のような法律家になれますか?」と伺いましたら、「お前は目が違うからなれる」と、非常に勘違いをする言葉を言われました(笑)。それで東京に出てきて、自転車で予備校に通いながら、一番安く法律が勉強できる大学が、明治大学の夜間の法学部でしたので、そこ選びました。なので、明治大学に対しては全く思い入れがなく、学費が安い以外の志望動機はありません。

新谷哲:紆余曲折の困難を突破できる力があるのは、さすが早川周作社長らしいですね。

早川周作:いやもう、踏んだり蹴ったりでございます(笑)。

新谷哲:大学時代は学生起業家として活動していますが、どのような学生時代を過ごされたのですか?

早川周作:大学1年生の時に、将来は法律事務所だとか法律に関わる仕事をしていきたいと思い、入学式から六法全書を持ち歩いていました。すると、たまたま席の後ろの女の子が「今度、弁護士と食事に行くんだけど、一緒に行く?」と言いました。私は勘違いして、「この女の子は私に気があるのか」と思ったのですが(笑)、本当に法律事務所を紹介されて、大学1年生の5月から新銀座法律事務所というところで働くことになりました。

大学1年生はその法律事務所で、民事再生・会社更生法・競売といった、事業会社に必要なことを勉強します。大学3年生でこの法律事務所と関係がある大学教授から、約5000万円を調達して、不動産の競売事業とおにぎり屋をスタートしたのが経営者としての原点です。

新谷哲:では、競売事業が早川周作社長の経営者としての最初の事業だったのですね。

早川周作:そうです。当時は競売で不動産が市場価格の半値ぐらいで買えた時代でした。いわく付きの不動産を落として、それをまっさらにして流す。そんな事業が経営者としての原点です。

新谷哲:相当、儲かったのではないですか?

早川周作:社員数は280名ぐらいまで膨らんで、20億円~30億円は借入できる環境にはありましたが辛かったです。借金で個人保証もついて、夜10時ぐらいに営業が帰ってきて、そこから営業を大変恐縮ながら懲らしめました。その後、食事に行って、遊びに行って4時か5時でなる。サウナに行ってから2~3時間寝て、朝8時半から会議をする、といった生活です。創業から2年半で急性胃腸炎・胃潰瘍・帯状疱疹など、ストレス性の病気に全部かかりました。やってしまった感じです(笑)。

新谷哲:その頃は、大学にはあまり行かなかったのですか?

早川周作:そのことについては、本当にありがたくて、忘れられないエピソードがあります。大学1年生で体育の授業が必須だったのですが、仕事しながらでは、どうにも出席できませんでした。そこで体育の授業に1回も出ず、最後の回だけスーツを着て教授のところに行き、100人ぐらいがいる前で土下座をして「単位を下さい。本当に僕はお金がないので、もう留年したら通えなくなりますし、大学3年で司法試験を受けたいのです。そのためには絶対にこの科目は必要なのです」と言いました。そうしたら教授室に呼ばれて、「お前は何であんな恥ずかしいことをするんだ」と言われまして、「僕にはこういった事情があるのです」と申したら、突然「私の明治大学」という作文を書けと言われました。20分~30分ほどで作文を書いて教授に渡しましたら「感動した」と言われて、単位をもらいました。

新谷哲:すごい話ですね!

早川周作:その他にも色々な場面で、いろんな方々に支えられて、なんとか大学を卒業しました。

新谷哲:お話を聞くと、早川周作社長は何でもできる方だと思えてきます(笑)。

早川周作:そんなことないです。全く何もできないです(笑)。

新谷哲:大学卒業後、羽田孜元首相の秘書になられますよね?

早川周作:そうです。

新谷哲:なぜ司法試験を受けるでもなく、経営者になるのでもなく、政治家の秘書になられたのですか?

早川周作:大学1年生で入れてもらった法律事務所に、参議院議員で弁護士登録をしている佐藤道夫先生が所属していました。そこで国会に書類を届けに行った時、佐藤先生のチャックが半分開いていたのですね。そこで若気の至りで「チャックが半分開いている方でも国会議員になれるのか」という勘違いをします。大学3年生で司法試験を受けたのですが、論文が駄目で落ちました。また弁護士になろうと思った原点、本当に親父が会社を潰して蒸発した時に「なぜ強い地域、強い者のためではなくて、弱い地域、弱い者のために社会基盤が働かないのだろう」と思っていました。「困った方々に手を差し伸べよう、そのために弁護士になろう」と決めたのですが、「一弁護士になったとしても社会基盤は変えられない。僕が目指すところは、どこなのだろう」と考えていた時に、出資の話がきました。そこで、「勉強は後でできる。しかし、このチャンスを逃したらまずい」と思い事業を興して経営者になり、その後、政治の世界に行こうと決めました。

新谷哲:経営者は学生の時に経験したのでしたね。

早川周作:もう21~25歳ぐらいまでやっていました。

新谷哲:秘書に移られた時は、経営者は一旦やめる感じですか?

早川周作:株を売却して、ある一定のお小遣いを頂きました。ですから、2年半ほど無給でやらせていただきました。

新谷哲:それはすごい話ですね。この前お亡くなりになられた羽田孜元首相の秘書ということで、相当勉強になられたのではないでしょうか?

早川周作:実は25歳で経営者をやめた時に、いろんな政治の本を読んだのです。そしたら当時、政権交代をしたのが細川・羽田内閣しかないと知りました。そこで細川さんに会いに行きましたらピンとこなかったのです。敷居を作られたりして、いわゆるお殿様です。次に羽田さんに会いに行きましたら、現職で錚々たる国会議員とSPを引き連れている姿を見て、ドラマのように感じました。そこで僕は右腕に抱きついて「僕を国会議員にしてください」と申したのです。そしたら、また「お前は目が違うからなれる」と勘違いをする一言を言われたのです。

そこからは丁稚奉公です。パーティーでも何でも随行して、1日に3カ所、4カ所周ったり、朝5時45分に迎えに行ったり、SPと内容を詰めたり、出張同行をしたりしました。人間との付き合い方とか、政治家としてのあるべき姿とか、どういう信念を持っているかを、学びました。人間力溢れた羽田孜先生の元で勉強できたのは、今までの経験の中で一生の宝かもしれません。

新谷哲:その後、国政選挙に出馬しますが、これは鳥取県でしたか?

早川周作:はい、鳥取県です。

新谷哲:鳥取県に出馬したのは、羽田先生がお勧めになったからですか?

早川周作:これは既に皆さんに申し上げているので、包み隠さず申します。26歳で私、秋田一区で、衆議院の内定をいただけそうな状況になりました。つまり錦を飾るためにしっかりと故郷に帰ろうということです。しかしながら、今の現職でもある寺田学先生に公認を取られ、彼は最年少の国会議員になります。そのときに、僕みたいに縁もコネも金もないやつは、知事の息子や大臣の息子と闘って勝っていかなかったら、本当のバッチを付けられないだろう思ったのです。

そこで突然、衆議院が郵政解散になって、党本部に9つ選挙区を提案されましたが、僕の条件は1つだったのです。相手が知事の息子か大臣の息子であること。その中で、たまたま鳥取一区に、角栄さんの時代に自治大臣になった方のご子息である、石破茂さんがいたのです。知事の息子か大臣の息子という条件は満たしていますので、5分で決意を決めて、翌日の記者会見のため鳥取に入り込んでいきました。

新谷哲:選挙は厳しかったのではないですか?

早川周作:厳しかったですね。当時の民主党で逆風でありながら、初めての民主党公認候補が、石破先生にぶつかったのです。その当時一番脂がのっている防衛大臣で自衛隊の派遣をして、次期総理に一番近い人間と言われていました。そこに対して、突然羽田孜の秘書が28歳でどんな爆弾を送り込んでくるのだと記者陣が期待する訳です。

今でも忘れないのがシャッターの嵐の中、記者会見で「鳥取にいらっしゃったことあるのですか?」と聞かれる訳です。「大変恐縮ながら正直に日帰りで1回だけ来たことあります」と言うと、記者は大爆笑です。「鳥取にお知り合いがいるのですか?」と言われて、「今から作ります」で、また大爆笑です。最後に共同通信の記者さんに言われたのが「勝算ありますか?」と言われます。僕もカチンとちょっときたのか「すみません。負ける気がしません」と答えてしまったのです。そうしましたら、地元の夕方ニューストップで「負ける気がしない早川周作氏」、翌日の一面地元紙も「負ける気がしない早川周作氏」ですよ。誰1人知り合いがいなくて、日帰りで1回しか来たことがない28歳の小僧が突然「負ける気がしない」と言われたら、相手の後援会はもう激怒ですよね。ですから、言葉では言い表せないような、非常にユニークで楽しいことがたくさんございました。

新谷哲:さすが早川周作社長、というエピソードです。

早川周作:とんでもないです。

新谷哲:選挙に落選した後、秘書に戻るのではなくて、経営者に戻られたのですか?

早川周作:そうです。

新谷哲:政治の世界は辞めようと思って、経営者に戻ったのですか?

早川周作:落選した翌日に羽田孜先生から電話があり、「とりあえず3万枚の名刺を作れ」と言われました。選挙区には漁村もあり、農村もあり、市街地もある。隣村もある。「選挙区をすべて歩くことによって日本の縮図を敷くことになるんだ」と言われました。ですから、僕も月に3000軒を、1軒1軒、郡部から何からずっと歩きました。ですから、選挙区で行ったことない家・会社1つもございません。約2年で7万人程の後援会組織を作っていきました。自分にとっては勉強になったのですが、しかしながら、問題が1つ発生しました。その時に参議院選挙で、鳥取の一人区の選挙区の中で、ある組織のトップから「参議院の候補者がいないからお前出ろ」と言われたのです。

僕は「党本部の了承を得ていないのでまずいだろう」と思いながらも、言え言えという話をされたので、「皆様方が神輿に乗せていただけるならば出馬する可能性はある」と申し上げたら、翌日の新聞に「早川周作氏は参議院選挙に出馬に意欲」と出たのです。「あら、こんな出ちゃうんだ」と思い、党本部から連絡がありました。その翌々日ぐらいに小沢一郎先生が突然鳥取に来るという話になります。

そこで、「次の参議院選挙、川上義博氏を擁立する」と言われました。実は郵政解散で、鳥取二区で除名をされた、非常にあくが強い先生なのです。考え方が保守系なので、尊敬はできますけど、なかなか折り合いがつかなくなりました。確か「朝ズバ」とかでも取り上げられたと思うのですけど、いわば旧自民党の反対派、郵政反対派の人間が民主党に合流した時のまさに最中でございました。彼が参議院議員に当選して、やっぱり非常にごたごたがありまして、僕がポロッと「彼にはついていけないよ」という話を記者に申しましたら、翌日に「早川周作氏、衆議院選挙断念」と出たのですよ。そこで党本部からえらい電話が鳴りまして、こうなったらもう彼の組織、つまり国会議員の彼は一応県連の代表になることになります。僕は副代表をやっていましたので、一度、政治の道から身を引き経営者に戻ることにしました。今、簡潔に申し上げていますけど、非常に深い話がたくさんあるので、詳しい話は、今度飲みに行った時に是非お願いします(笑)。

新谷哲:分かりました。是非お聞きしたいと思います(笑)。政治の世界から経営者に戻られて、色々な事業も手広くやっていらっしゃいますが、どのような事業を経営しておられますか?

早川周作:メインとなっているのがコンサルティング業務です。私は、95社ぐらいの社外役員とか顧問になって、営業支援、財務支援、法務支援など、経営に必要なものをご提供しています。つまり、会議に出席する、もしくは経営者の悩み事を解決する事業がメインです。しかし、キャッシュフローを作っていくという中で、飲食店、ネイルサロン、リラクゼーション、花屋など約50業態の事業を経営しております。ですから、「何の事業を経営しているの?」と聞かれたら、この頃は面倒くさいので、太陽光業者か、もしくはソーラー屋を経営していると答えています。僕、太陽光を13基ぐらいやっているので、小さい街であれば売電が可能なので、名刺も早川周作社長ソーラーに変えようかなと思っています(笑)。

新谷哲:あまりに事業が多いので、何を経営しているかを聞くのを私はやめているのですが、ソーラー屋さんというのは初めて聞きました(笑)。

早川周作:親父が経営者で会社を潰して蒸発しているので、何百億のお金を手にするというよりも、経営者として確実に社員を守るため、確実にフローを作っています。つまり負けない戦いをするのが僕のやり方です。

新谷哲:なるほど。政治家を諦めてから今何年ぐらい経ったのですか?

早川周作: 10年ぐらいです。ただ実は昨年、「衆議院の比例名簿に載ってくれ」と言われて載ったり、「参議院の全国比例区で出てくれ」と言われました。ある政党から激しく、「ある選挙区で出馬をしてくれないか」というお話も賜っております。実はまだ政治家への志は捨てられていないですね。なので、大変恐縮ながらしかるべき土壌が整って、しかるべき神輿が僕の中で納得できる、もしくは一発勝負をしたい、そういった時期を待ち続けています。

新谷哲:では将来はやっぱり政治家になられて、総理大臣になる可能性もおありになるのですね?

早川周作:正直、政治家の志を捨てられたら、人生がどれだけ楽なのだろうなということは思います。羽田孜先生から「有志有途」という言葉をいただきました。志あるところに道は開ける。つまり志を持ち続けていることによって、自分のバランスを整え、自らの本当にやりたいことを実現していくために何をするべきかを考えていく。ですので、やはりその世界にまた挑戦をしたいという強い気持ちはございます。

新谷哲:座右の銘でも、その「有志有途」を上げられましたが、羽田先生が贈られたお言葉なのですね。

早川周作:そうです。僕が出馬を決めて、党本部から議員会館に行く時、いつも新聞をご覧になられているのですが、突然新聞を見ながら「お前、サッチャーという政治家を知っているだろう?」と言われたのです。「当然、世界的な政治家で存じ上げています」と答えると「サッチャーも最初は何もなかった。厳しい選挙区をたらい回しにされながら、しかしながら、そこで粘って議席を取ってあれだけの政治家になったんだ。志あるところに道は開ける。有志有途だ。胸を張って頑張ってこい」。これが、私が鳥取の記者会見に行く前に羽田さんから言われた言葉でございまして、胸に大きく刻まれています。

新谷哲:大変心に響く素晴らしいお話ですね。

早川周作:とんでもないです。

新谷哲:最後のご質問なのですが、全国の経営者に向けて、もしくはこれから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣をお教えいただけますか。

早川周作:私が社内でいつも言っているのは「地道に勝る王道はない。確実に地道に積み上げた先にしか大きな成果は得られない」。僕は根本として、努力が実力を生んで、実力が幸運を掴むと考えています。つまり、地道に勝る王道はなく、努力をし続けて実力をつけた人間にしか幸運は舞い降りない。それを考えれば1日1日どれだけ大切にして地道に積み上げて、一段一段上がらないと怪我をしたりする。ですから派手にやっていくのではなくて、しっかりと固めていく。それが経営で重要だと思っています。

新谷哲:なるほど。私は反省しなくていけないと、強く思いました。

早川周作:いやいや、とんでもないです。

新谷哲:早川周作社長、本日は、どうもありがとうございました。

早川周作:ありがとうございました。

編集後記

本日は私の尊敬する、政治家であり経営者である早川周作社長。大変苦労されているのを初めて聞き、素晴らしいと感じました。大変突飛なことをよくおっしゃるのですが、その発想も経営者らしいです。そして早川周作社長が「こんな真面目なことをお話されるのだ」と大変びっくりしています。皆様方も早川周作社長にご相談されたりしてはいかがでしょうか?

早川 周作 氏
日本リーディング総合法務事務所所長
一般社団法人アスカ王国青少年自立支援機構理事

1976年12月17日、秋田県生まれ。明治大学卒業。元首相秘書。現在は80社以上の顧問会社を持つ総合法務事務所を経営するとともに、日本最大の規模を誇るベンチャー企業交流会「ベンチャーマッチング交流会」を主催。さらには、自身のさまざまな経験を活かし、夢を持てなくなってしまった人へのサポート活動にも力を注いでいる。2009年9月には個人向け夢実現プロジェクト「夢のカタチはひとつじゃない」をスタート。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、早川周作氏(SHGホールディングス株式会社 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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