成功経営者インタビュー

経営者インタビュー 伊藤健太氏(株式会社ウェイビー 代表取締役社長)

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、伊藤健太氏(株式会社ウェイビー 代表取締役社長)です。

今回は、株式会社ウェイビーの代表取締役社長、伊藤健太氏にお越しいただきました。慶應義塾大学卒業後、23歳の時に病気をきっかけに小学校親友4名と資本金5万円で起業。起業当初はお金がなさ過ぎて、カードで借金をしながらの企業経営を行う。その後、年間3,000件以上の起業に関わる事業を経営し、会社は急成長。日本最大規模の起業イベントや、累積4,000人以上が参加する「TERACOYA」、起業支援ポータルサイト「助っ人」の運営等に携わる、起業に関する日本の第一人者である経営者です。

新谷哲:今回の経営者インタビューは、株式会社ウェイビーの代表取締役社長の伊藤健太社長。まずは、経歴をご紹介いたします。慶応義塾大学卒業後、23歳の時に病気をきっかけに小学校の親友4名と起業。起業支援業務をスタートさせ、年間3,000件以上の起業に関わるような事業を経営しています。日本最大規模の起業イベントや、累積4,000人以上が参加している「TERACOYA」の主催、起業支援ポータルサイト「助っ人」の運営等々、起業に関する日本の第一人者である経営者です。伊藤健太社長、本日はよろしくお願いいたします。

伊藤健太:よろしくお願いいたします。

新谷哲:最初のご質問です。ご出身は神奈川県の横浜市とお聞きしましたが、どのような小学校・中学校時代をお過ごしになりましたか?

伊藤健太:普通の小学生・中学生でしたが、変わったところが2つありました。小さい頃に両親が離婚したことで、かなり寂しがり屋な性格になりました。小学生・中学生は、クラスのリーダー的ポジションになります。でも、小学校・中学校のリーダーってジャイアンみたいなタイプが多いです。私はジャイアンとは反対に、自分のことが嫌いそうな人と仲良くするというタイプのリーダーだったのです。だから皆と上手くやるということを小学生・中学生の時から意識をしていました。これが1つ目ですね。2つ目は、「自分がいる場所、クラスや部、塾などでは、皆が楽しく幸せであってほしい。自分にはその責任があるのではないか」という謎の意識があったことです。

新谷哲:創業経営者らしく、もともと素質としてリーダーシップを持っていたのですね。

伊藤健太:小学生の頃は違いましたが、今は「リーダーシップは役割の1つに過ぎない」と感じていますから、どうなのですかね?でも小学校から大学まで、同じような立ち位置にいたので、良い経験だったと思います。

新谷哲:では高校の時もリーダーシップを発揮されたのですね。

伊藤健太:そうですね、責任感は強いと思います。高校では1年に1回クラス替えがありまして、クラスの中に、学内で結構目立っている人、何かイケてる人がいないと「なんかこのクラス外れたね」という話をしているのです。でも自分がいる場所はできる限り良い形に持っていきたい、という気持ちはずっとあったので「いや、そんなことないんだ。私がこのクラスを1年間で一番イケてるクラスにするんだ」という変な使命感に燃えました。なので、クラスやサッカー部の活動をやりながら、高校3年の時に始めたバイトは、店長よりもちゃんとお店のことを考えてやっていました(笑)。

新谷哲:今のお話を聞くだけで、伊藤健太社長は経営者が一番向いてると感じます。経営者に向いていない私とは雲泥の差ですね(笑)。

伊藤健太:私は経営者に全く向いていないと思います(笑)。だから難しいです。最近は、「自分の役割である経営者って何だろう?」と考えています。「社内にあまりリソースを持たない」という方針で、会社を経営しています。だから、色々な会社と一緒に仕事することが多いです。

一緒に仕事をする会社さんは仲間だと思っているので、仲間のリソースを借りて経営をするという感じになります。人口が減っていく中で良い人を採用するということがもう確率的に難しくなっているので、私はプロパー社員を増やそうと思っていません。ほとんどの会社はマネジメントで苦戦して成長が止まると思いますので、マネジメントを不要にしないといけないと思っています。

その最たるものが「社員に事業をやってもらう」や「事業をやっている会社さんと一緒にやる」です。だから「経営者の役割って何だろう?」といった時に、「周りの人が一緒にこの会社と働きたい」と思うような経営理念や、「経営理念が形になった事業を経営する」という雰囲気を醸すことが、経営者の役割だと思っています。

新谷哲:小学校・中学校・高校時代のエピソードがそのまま事業になり、経営者になったという感じがします。私とはちょっと違うので、大変びっくりするやら羨ましいやら、と感じています(笑)。

伊藤健太:全然です。全然です(笑)。

新谷哲:その後、慶応大学に進まれていますが、選ばれた理由というのは、何でしょうか?

伊藤健太:本当は早稲田に行きたかったです。ただうちの家って、結構、貧困家庭でした。小学校3年生ぐらいの時に離婚をしていて、所得は多分、年収300万ぐらい。だから普通の家よりもお金を持っていませんでした。お兄ちゃんが途轍もなく頭が悪くて、絶対に落ちない公立の偏差値の一番低い高校に落ちたのです。それでも、高校は行かないといけないから、誰でも入れる私立に行くことになって、ここで家のお金を全て失ったのです。親からは中2ぐらいの時に「お兄ちゃんが私立に行ったから、お前は100%公立じゃないと駄目なんだ」と言われました。「お兄ちゃんは努力せずに別に行きたくなかった私立に行っているのに、何で私だけ選択肢が限定されるのか?」という理不尽さに納得いかなかったのです。別に公立でも良かったのですが、理由として全く納得できず、逆に私立に行きたくなってしまい「私立に行きたい」と親に言う訳ですよ。

その時に、唯一お金を持っていたのが母親のお父さん。つまり私の祖父で、慶応出身でした。慶応出身の人って、孫とかが慶応に行くことは、多分、嬉しいことです。だから祖父に「私立に行きたい」に話した時に「慶応だったらお金出してあげるよ」と言われました。そこで「慶応と同じぐらいの偏差値の早稲田でもいいですか?」と言ったら、「早稲田か慶応だったらお金出すよ」と言ってくれます。それが中学校3年生。中学は普通の公立の中学校にいて、勉強せずにずっとサッカーばかりやっていて、サッカーがめちゃめちゃ上手かったのです。家族や学校の先生からは、サッカー選手になるかと思われていたぐらい、勉強をしていませんでした。だから誰もが「早稲田や慶応なんて受からない」と思っていました。結果は、慶応に受かりました。でも早稲田には二次試験で落ちてしまいます。なので、渋々慶応に行きました。

新谷哲:慶応に受かったということは、頭も良いのですね。大学時代はどんなことをして過ごされましたか?

伊藤健太:私って、対象物を選ぶセンスがないと思います。なので、別に何でもいいから、「決めたことをちゃんとできる行動習慣を身につける」ことを決め、勉強とバイトとサッカーの3つをやりました。高校生の時には、「文武両道と面白いこと、という3つの軸を追いかけていたのです。私にとってはこの3つが達成できることが一番の楽しみ、この3つをバランス良くやっていたのです。就活の時とかもよく言っていたことが2つあります。「強みは何ですか?」とか聞かれて、「バランス感覚」「決めたことをちゃんと実行できます」という2つを強みとして、ずっと言っていました。

新谷哲:お聞きしているだけで、私の反省が始まってしまいますね。私の反省のことを話すことはやめておきます(笑)。

伊藤健太:いえいえ、全然(笑)。

新谷哲:何学部で勉強をしたのですか?

伊藤健太:法学部です。何でも良かったので法学部に意味はありませんが、普通の人よりも1.5倍ぐらい単位を取り、成績もほとんどAとかで出ているのです。だからちゃんと授業に出るということが、1つ。あとは、形に残そうと思って資格を取ったりしました。例えば英語を勉強しても、法学部なので形に残らないので。

新谷哲:資格は何を取られたのですか?

伊藤健太:資格は色々取りました。FPとか、法学部なので行政書士とかも取りました。大学2年ぐらいの時に面白いなと思って中小企業診断士の勉強もやっていたのですが、それは途中で頓挫してしまいました(笑)。

新谷哲:大学卒業後は、起業して経営者になっていますが、就職活動はしなかったのですか?

伊藤健太:就職活動はしています。でも当時「就職するって何だろう?」とよく分からなかったのです。今になって明確に分かりますが、就活って仕組みはどう考えても死んでいて、おかしいじゃないですか!400万社ぐらいの企業から、世の中が分からない中で、1社を選ぶって本当にセンスが私にはないと思いました。でも当時は私もメインストリームに乗っかってしまっていて、何となく流される中で、「就職しない」と最初に言いました。でも周りが就職活動をし始めて「会社説明会に行かないのはやばいな」と感じ、大学3年の夏ぐらいからスタートし、いわゆる戦略コンサルみたいな会社を1社受けたのです。私、その1分の1に受かったのです。ゼミの中で最後にスタートしたのですが、最初に内定をもらい、周りからものすごくいじめに合うのです(笑)。

いじめって悪いいじめじゃなくて、「お前ふざけんなよ」みたいな、「やらないって言っていたのに何で最初に内定もらっているんだよ」とか言われました(笑)。単位を取り終わっていたので、ゼミがほとんど唯一の楽しみで、ゼミの人達と仲良かったです。でも就活が忙しくて、皆ゼミに来なくなってしまうのです。それが寂しかったので、皆と一緒に会社説明会とかを周り始めました。

リクルートがウィンター勝負か何かで、筆記試験と面接が2回あって、それを通るとビジネスコンテスト型の採用直結プログラムをやっていました。そのプログラムに説明会に行って、面白そうだなと思ってゼミの人と一緒に受けました。一緒に受けたゼミの人は頭が悪いので面接とか筆記で落ちますが、私は通りました。そのプログラムは「事業開発などをやってくれ。最後3か月で役員に事業提案をする」という感じなのです。そこで50人ぐらい選抜された中で、私のチームが優勝したのですよ。そこで「何か事業を作るのって面白い」と思ったり、「リクルートという会社は面白い」と思いながら、最初に内定をもらったコンサル会社とどちらにするか、進路に迷いました。結果として、コンサルを辞めました。「事業をするのも意外と面白い」と思ってしまったからです。でもリクルートに行くのかといわれると、「昔のリクルートは良かったけど、今行く必要はあるのか?」と思うと、流されやすかったので迷いが生じるのですよ。結果リクルートも行かずに、行く場所がなくなってしまいました。

でも「就職しないといけない。何の為に働くのか?」を考えた時に、「自分はもっと地球が良くなる仕事がやりたい」と思いました。学生の頃に「国連に就職したい。世界の平和って誰が責任を持って管轄しているのか?それは国連だ」と思っていたので、「国連に行きたい」と思います。でも「国連に行くには3か国語を話せないといけないが、1か国しか話せないから無理だ」と諦めてしまったのです。でも、「何百万社もある企業から、それに近い企業を1社を選ぶ」ではなく「自分の名前で戦える仕事がしたい」と考え、消去法で政治家になろうと思います。世襲以外の政治家は、官僚や芸能人、放送関係出身が多かったです。私は法学部で勉強も好きだったので、「検察官になって、政治家に転身しよう」と進路がちょっと見えました。けれど秋口の採用で検察官になるには、ロースクールを挟まないといけません。実家にお金はないので、自分で貯めないといけなくなりました。そこで、「お金のために就職しよう」と金融業界に入ります。9か月だけ働き、400万ぐらいお金を貯めて、慶応のロースクールに合格しました。でも結局病気をしてしまい、進学を取りやめて、起業し経営者になりました。

新谷哲:どういう病気になったのですか?

伊藤健太:大腸にポリープがある病気です。発見されたときは、悪性と良性が半々くらいでした。ロースクールの受験のため、働きながら深夜まで勉強したタイミングなので、過敏になっていました。体調悪いなと思っていたのですけど、病院に行っても「悪いものはありません。何の問題もないので大丈夫。自律神経とかがちょっと弱っているだけだよ」と言われていたのですが、不安になって色々な病院を回りました。6件ぐらい回っても同じことを言われるので、「血が出ました」と嘘をついて内視鏡の許可をもらいます。そのときにポリープがありました。大腸ポリープって、良性でも時間経過とともに悪性になっていくので、「今ぐらいに見つかっていたら、もうマジで死んでいた」と思うのです。発見したのが良性悪性の半々のタイミングだったので、何の問題もありませんでしたが、当時の私からしたらめちゃめちゃショッキングな出来事です。「問題ない、ポリープない」と言われていたので、ポリープがあった瞬間は今でも覚えています。新谷さんはポリープをやったことあります?

新谷哲:ないですね。

伊藤健太:内視鏡やったことないですか?

新谷哲:ないです。

伊藤健太:横になりながらモニターが見えるのですよ。麻酔を打っているので眠い状態なのですが、私はちょっと見えている。お医者さんが「ほら大丈夫でしょう」と言って、最後肛門のほうからこうして遡っていくので。そしたら最後出口辺りで、お医者さんが「は?」となって「ポリープ見つけました」と言うのです。私それを覚えていて「やばい」と思って起きたら、もうベッドの上です。病理検査が「3週間後に出ます」と言われてからの3週間がもう地獄のような時間でした。検査結果を聞く前に進学を取り止めして、会社を経営すると決めました。

新谷哲:検査結果が出る前にもう進学を取りやめたのですか?

伊藤健太:ロースクールの進学をやめました。

新谷哲:ロースクールの進学をやめられて、なぜそこで起業して経営者になろうと考えたのですか?

伊藤健太:理由は2つあります。まず自分に対して、「自分の人生の時間に関して」と問いかけました。30歳までしか生きられなかった場合、どこかの会社に入るなんてまず選択肢はありませんでした。これが1つ目です。もう1つが私はすごい寂しがり屋なので、「自分がいなくなっても、世の中に残るような何かをしたい」と思い、起業して経営者になりました。

新谷哲:そこで小学校の時の親友4名の方と起業をして経営者になるわけですが、つまり伊藤健太社長はベッドの上で4名の方を説得したのですか?

伊藤健太:そうです。本当に仲の良いメンバーだったので「緊急です」というタイトルのメールを送りました。「本当に死ぬかもしれないから、大井町に来てほしい」と招集して、そこで「病気をして死ぬかもしれないから、一緒に起業して経営者にならない」と言いました。一応4人すぐにOK出ました。

親友の1人はニートなのです(笑)。ニートからの脱却なので、ただの出世じゃないですか。だから何の問題もありません。他の2人も前向きでした。ただ2人とも、ちょっと良いベンチャー企業にいたので「タイミングだけ相談させてくれ」という形になります。私とニートは暇なので、2人で経営者として動き始めます。

新谷哲:お2人で始めた時にはどんな事業を経営しようと思われたのですか?

伊藤健太:この間、初期の定款を見つけたのでが、本当にしょうもないことが書かれていました(笑)。事業目的の第1章のところが自転車の販売、第2章に飲食店、3番に物資の輸送とか、本当に書いてありました(笑)。

新谷哲:今の事業とは全然、違いますね(笑)。

伊藤健太:全くないです。今の事業が1個も書いていないです(笑)。

新谷哲:その中で、実際に本当にやった事業はございましたか?

伊藤健太:何もできませんでした。やろうと思ったことは3つぐらいあり、リサーチもしたのです。最初にやろうと思ったのが、放置自転車。あれを回収して修理して再販しようと思ったのです。どのレベルでやめてしまうかというと、放置自転車を貰って良いのかという法律の確認を市役所にしに行った時に「駄目」だと言われて。駄目なんだといって、無理だとやめていました。本当に今だったら多分、形になって多少は利益を出せると思うのですけど、当時はこんな感じです。

次にやろうと思っていたのが飲食店向けのサービス。飲食店でアルバイトをしていた経験があり、雨が降ったりしたらお客さんの入りが悪かったります。でもお客さんが少なくても、原価で家賃がかかり、食材のロスもでる。だからタイムリーな時間とかだけ限定のクーポンが出せる、本来1000円のやつが200円で食べられます、みたいな仕組みを作ろうと思ったりしたのです。今だったらめっちゃ流行ると思うのですけど、会社の資本金が当時、5万円だったのです。これで渋谷のシステム開発会社などに行き、サービスの説明をして、「まだ売り上げもないし、お金もありません」と経緯を話す。3社くらいのシステム会社に行って「分かりました。開発したいものは分かったので、見積もり出します」と言われますが、1社からも見積もりこないのです(笑)。今だったら「こいつら払えないし、見積もり出す必要もない」と思われていたと分かります。結局、「サービスが作れない」といって、やめてしまいます。そんなことをそれで7か月ぐらいやりました。

新谷哲:では7か月間、経営者だけどニートみたいな感じのイメージですか?

伊藤健太:そうですね。4か月目か5か月目に、3人目が会社を辞めて入ってきました。でも5か月目ぐらいの時に売上0円なので、お金がなくなります。会社の携帯、管理料などの固定費がありましたが、それすら全部カードで払って支払いました。要は借金して何とかキャッシュフローを粘っていた訳です。さすがに「お金がなさすぎてやばい」と思い、メンバーと一緒に池袋で日雇いのバイトが出ていたのです。でも池袋に行く電車賃がなく、やめたりしました。

新谷哲:その状態から、本当の企業経営を始めたのは、1年目ぐらいからですか?

伊藤健太:7か月目か8か月目くらいのときです。やるつもり一切なかったのですが、3つ目のアイディアとして「外国人の就職支援」がありました。就労で躓くときに時はまず「法律的にビザの問題」という話を耳にしました。「ビザの問題を解決してくれたら御社にお金を払っても良いですよ」という外国人がいたので、これを事業として企業経営するイメージがつきました。そこで「ビザの問題解決ってどうするの?」と調べたら、行政書士の仕事なのです。大学2年の時に行政書士の資格を取っていたので、登録しようと思いました。ただ登録費が30万円ぐらいかかるのです。会社にはお金がなかったのですが、最後まで働いているメンバーが合流したばかりで、まだキャッシュが残っていました。そこから30万円を拠出して、資格登録をしてビザ業務をやろうと思います。けど、ビザ業務って間違えたり騙されたりして、捕まる人が多いんです。悪気がなくても過失で捕まる人も多かったので、「私達では危ない、やっぱりやめよう」と思いました。

でも30万円を拠出したメンバーがケチなやつで「お金がない中で30万円投資してエントリーしたのに、やめるってどう考えてもおかしいよね。やめるなら、お金返してもらってもいいですか?」と言うのです。返せないから、資格を使って何か仕事をできるか探すことになりました。ここで事業が限定されたのです。そこで行政書士の資格で会社を創ることができたのが、とても良かったです。自分達が創業し経営をスタートする時、実はネットを使って行政書士の人に依頼していたのです。そこがフィットして、「あの仕事ができるのは、何か良いね」といって、会社設立の業務をする企業の経営がスタートしました。

新谷哲:では最初は行政書士のお仕事で、企業経営がスタートしたのですね。

伊藤健太:そうです。行政書士の事務所を個人で登録をして、企業経営がスタートしました。

新谷哲:その後、現在の事業である起業支援の経営を始めるまでは、どのような経緯があるのですか?

伊藤健太:事業は、比較的すぐに成長して、会社設立を初年度で、200社ぐらいやらせていただきました。お客さんは全員が経営者だったので資金の相談がすごくきます。そこで資金調達の手伝いを始めました。この会社設立と資金調達の2本軸で、会社は大きくなりました。でも、そのお手伝いをしても「お客さんの会社は何も良くならない」「会社設立しても上手くいかない」「お金あっても上手くいかない」と感じてしまい、その時に自分のやっていることの意味のなさに気付いてしまいます。自分の会社はキャッシュフローがあったので、「この会社は他のメンバーでやってください」と言って辞めました。

次に興味を持ったのは「お客さんの売上はどうやったら上がるのか?」という部分。最初はお客さん同士のマッチングからスタートさせました。小さなマッチング事業から初めて、ゲーム感覚で「100人お客さんを呼べるか1回やってみよう」といって、120人ぐらい来ていただきました。業界的にも、やっぱりインパクトがあったんですよ。翌年に「去年は120人集められたから、時間をかけてやったら1000人集められるのではないの?」といって、「TERACOYA」というのをやったら1000人ぐらい集まった、という感じです。ただ「マッチングだけでは意味がない。もうちょっと上手くこの人達に関与できないか?」と思って、コンサル事業の経営を2年目か3年目ぐらいに始めます。

新谷哲:現在、御社はどういう事業を一番の主力にして経営をしているのですか?

伊藤健太:弊社は「商工会議所を現代版に作り直す」、「経営者にとっての最大最高のインフラになる」というイメージの会社です。一応、マネタイズしている部分というのはコミュニティ事業で、ライザップの起業家版みたいなものを経営しています。これは2年間のコミュニティで、参加費を60万円ぐらいもらっています。ここが今400社ぐらい参加してくださり、色々な会社が広告を出したいと言ってくださいます。

あとは、私の行政書士の事務所はもともと、ネット集客がとても得意な会社です。今の起業家向けのメディア自体も全部内製で作り、強い検索の仕組みとかも持っていたりするので、そこを作ってほしいという受託系が、もう1つの軸です。ただあまりやりたくないので、受託系は抑えて、自社サービスみたいなのを強化して、企業経営をしています。

新谷哲:大変面白いお話ばかりだったのですが、少し違う質問をします。好きなもの・好きなことで「コーンスープと世界遺産に行くこと」といただきました。世界遺産はどれぐらい周られたのですか?

伊藤健太:あまり行っていないです。でも、死ぬまでには全部行きたいと思っています。

新谷哲:それは何か理由がございますか?

伊藤健太:単純に「すごい」と思っています。小さい頃から、「世界で一番になりたい」という夢あったのと、「時代を超えて残り続けているものになりたい」と思っています。だから世界遺産を見るのは、「会社としてはどうしたら良いのだろう?」と自分に問う機会でもあるので好きですね。

新谷哲:お聞きしていると、本当に生まれながらの経営者だと思います。次に座右の銘は、「誰かがやるはずだったら自分がその誰かになりたかった」。ちょっと変わった座右の銘ですが、これはどういった意味ですか?

伊藤健太:これ、カール・ルイスの言葉なのですよね。人間が100メートル10秒をきれなかった中で、10秒を切った人です。オリンピックを見る側と出る側って全く違うではないですか。私は見る側はもう早く終えたいと思っていて、私も誰かにとってのオリンピックの選手というか、人に対して勇気を与える側にいきたいと思っています。それが悪い訳ではないですが、ほとんどの人ってオーディエンス側、受け身側にいるではないですか。そうではなくて、逆のサイドにいきたいのです。それは今の社会問題、特に日本の経済のところでです。私はもともと、本当に国連に行ってみたいという気持ちがありました。それは、世界をもっと良くしたいからです。良くすることは簡単にできると思っていて、その1つは日本の価値観です。皆が「自分が自分が」ではなくて、「全体最適を考えて一度、着地させる」という価値観が政治の世界に入っていかないと駄目なのだと思っています。または商品としてその価値観が、エンドユーザーに伝わっていって、世界が変わっていくと思っています。

経済の領域で、「自分の会社が世界平和にどう貢献できるのか?」を考えながら企業経営を行っています。弊社はお客さん達が起業の応援を事業として経営する会社なので、関わったお客さん達が「社会的にすごく面白い」、「こんな商品があったから自分の人生がより幸せになった」という商品やサービスを生み出す会社になるお手伝いをしたい、という思いで会社経営をしています。

新谷哲:もう本当に伊藤健太社長らしい座右の銘です。最後のご質問になります。全国の経営者向け、これから起業する方に向けて経営者として成功する秘訣をお教え下さい。

伊藤健太:当たり前なのですけど、分かりません(笑)。成功の定義を「キャッシュフローとか利益を出すこと」と置くこと自体が、もはやドラッカーが言っていることと違います。実際に経営をやっている中にも、「ドラッカーの言っていることなんてどうでもいい」と思う部分はあります。それは、全部手段に過ぎないからです。1人ひとりが生きている目的は違うはずですが、お客さんを喜ばすとか、社会を良くする、という意味では共通する部分はあります。なので、極めて当たり前のことだと思うのですけど「手段である利益を目的にしない」こと。私が「良いな」と思う経営者は極めて自分らしい人です。「利益を出す為にどうしたら良いか」というのは、これかなり戦術戦略的な話になり、合理的な発想になります。しかし、合理性と自分らしさって本来相反する部分です。「自分らしくあること」が結果として他社との違いになり、他社と違うような商品・サービスとか会社の在り方になっていく。なので、すごく合理的な発想ばかり持ってしまうと「目的の設定が利益」になってしまいます。ですので、成功する秘訣は「自分らしくあること」に行き着くと思います。

新谷哲:なるほど。大変深いお話で、また私の反省が始まりました(笑)。

伊藤健太:いやいや、全然そんなことないです(笑)。

新谷哲:経営者の皆様にも大変参考になったのではないかと思います。伊藤健太社長、本日はどうもありがとうございました。

伊藤健太:ありがとうございます。

編集後記

伊藤健太社長のお話をお聞きまして、お若いですが、大変素晴らしい経営者だと感じました。お若いからか、考え方が今風です。マネジメントの考え方、リーダーシップの考え方がちょっと違います。逆に言えば、それぞれ各々が活躍している事業主達を結びつけて、ご自身がリーダーシップを取るという新しい形態の事業を経営し、リーダーシップを取っています。まさに、なるべくして経営者をやっていると感じさせていただきました。私自身、反省することが非常に多く、伊藤健太社長ぐらい1本筋がスッと通ったら良いと感じました。

伊藤健太氏
株式会社ウェイビー代表取締役社長

慶應義塾大学卒業後、23歳の時に病気をきっかけに小学校親友4名と資本金5万円で起業。企業支援業務をスタートさせ、年間3,000件以上の起業に関わる。日本最大規模の起業イベントや、累積4,000人以上が参加している「TERACOYA」の主催、起業支援ポータルサイト「助っ人」の運営に携わる。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、伊藤健太氏(株式会社ウェイビー 代表取締役社長)の経営者インタビューを取り上げました。

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