成功経営者インタビュー

キクタス株式会社 代表取締役 早川洋平氏 インタビュー

本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回、ご紹介する経営者は、早川洋平氏(キクタス株式会社 代表取締役)です。(2018年5月 9日 2018年5月16日 配信)

今回は、この経営者インタビュー「社長に聞く!in WizBiz」の配信をお願いしております、キクタス株式会社代表取締役の早川洋平氏にお越しいただきました。早川洋平社長は現在プロインタビュアーとしてもご活躍中で、羽生結弦、コシノジュンコ、高田賢三らトップランナーから、国内外のプロフェッショナル、戦争体験者にいたるまでジャンルを超えて取材されています。少年時代はサッカー漬けの日々だったという早川洋平社長が、広島での新聞記者時代を経て、現在の「聞くメディア」をプロデュースするキクタスの事業経営をスタート。多くのトップランナーへのインタビューを通して自らをアップデートし続ける、早川洋平社長の経営者インタビューは大変参考になります。ぜひお聞きください!

新谷哲:今回の経営者インタビュー、早川洋平社長です。早川洋平社長は実は、この経営者インタビュー「社長に聞く!in WizBiz」の配信をお願いしている、キクタス株式会社の経営者です。まずは経歴をご紹介します。新聞記者等を経て、2008年、時代や場所を超える話を聞き集め届けるべく、キクタス株式会社を設立。羽生結弦やコシノジュンコ、高田賢三等、様々なトップランナーへのインタビューや、戦争体験者にインタビュー等、ジャンルを超えて取材をする事業を経営されています。早川洋平社長、本日はよろしくお願いいたします。

早川洋平:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問ですが、ご出身は横浜ということで、小学校・中学校時代はどのようにお過ごしになりましたか?

早川洋平:一言で言うと、サッカー漬けですかね。もう寝ても覚めてもずっとサッカーばかりやっていました。

新谷哲:プロを目指していたのですか?

早川洋平:そうです。中学生になる時なのですけど、ちょうどJリーグが開幕する時でした。また2002年にはワールドカップもありましたので、「プロサッカー選手になってワールドカップに出るんだ」と思い、サッカーをしていました。

新谷哲:じゃあ結構お上手でいらしたのですね?

早川洋平:どうですかね?一応、中学ではキャプテンをやって、高校では強豪校に進んだのですけど、上には上がいますから。

新谷哲:高校もサッカーをされたのですか?

早川洋平:そうです。サッカーのために高校を選びました。

新谷哲:高校はどちらに進まれましたか?

早川洋平:日本大学藤沢高等学校です。

新谷哲:インターハイにも行かれる、サッカーの強い高校ですね。

早川洋平:さすが新谷さん、よくご存知ですね。

新谷哲:日大藤沢を選んだのはサッカーですか?

早川洋平:そうです。もうそれだけです。

新谷哲:では本当に、プロのサッカー選手になろうと思っていたのですね?

早川洋平:はい。

新谷哲:高校卒業後は大学に進まれていますが、大学はどちらを選ばれたのですか?

早川洋平:大学はそのまま、日本大学の法学部に行きました。

新谷哲:日本大学の法学部を選ばれた理由は、何でしょうか?

早川洋平:実は、横浜の公立大学を指定校推薦で受けています。成績が良かったので、「受かるよ」と言われていましたが、落ちました(笑)。そのため、附属から日本大学に上がったという経緯です。

新谷哲:日本大学って、推薦に落ちたから上がることが許される学校なのですね(笑)。

早川洋平:何だかんだ附属なのと、成績がそれなりに良かったからだと思います(笑)。

新谷哲:日本大学では法学部に入られていますが、「法律関係に進もう」と思われたから選ばれたのですか?

早川洋平:本当は高尚な話をしたいところなのですが、法律関係に進もうという気はまったくありませんでした。推薦入試で国公立に落ち、意気消沈していたことと、「とりあえずいろいろ今後幅が広がりそうだ」という理由で、法学部を選びました。

新谷哲:大学時代はどのようにお過ごしになりましたか?

早川洋平:大学は、サッカーから一転した生活を送りました。高校までは寝ても覚めてもサッカー漬けでしたが、高校でレギュラーを取れませんでした。その時点でプロになるのは厳しいと分かったので、サッカー以外のことで視野を広げたいと思い、色々なことをしました。貧乏旅行に行ったり、30種類ぐらいアルバイトをやったり、あとは人並みに飲み会に行ったりなど、サッカー以外のことをしていました。

新谷哲:卒業後は、すぐ新聞記者になったのですか?

早川洋平:そうです。

新谷哲:新聞記者を選ばれた理由はございますか?

早川洋平:サッカーと紐づいています。小学校からずっとサッカーが好きだったので、就職活動をする大学3年生ぐらいの時に「視野が狭くなるのが嫌」と考え「旅に行くと視野が広がる」と貧乏旅行に行き「旅の仕事がしたい、旅行代理店に就職する」と思いました。一般旅行業務取扱主任者(現・総合旅行業務取扱管理者)という国家資格があり、資格を取ろうと通信教育の勉強をします。途中でHISに勤めていた方にOB訪問もしましたが、「旅行好きと旅行代理店で働くのは違う」と当たり前のことを言われて、「旅の仕事はやめよう、他にどんな仕事をしたいか」を考えます。当時は、2002年のワールドカップも近かったので「やっぱりサッカーに関わる仕事がしたい」と思います。私の父は、出版社で編集者をやったことがあるので、サッカーライターを目指そうと思い、新聞社、テレビ局、出版社を片っ端から受け、運良く広島の新聞社に拾ってもらいました。

新谷哲:サッカーとマスコミでいえば、「サッカーダイジェスト」のようなサッカー雑誌がありますが、そちらを受けようとは思わなかったのですか?

早川洋平:受けようと思ったのですが、求人募集が全くありませんでした。今ならば、サッカーの記事を書くならフリーランスになることが早いと分かりますが、当時は分かりませんでした。

新谷哲:今もサッカー記者をされたいと思っているのですか?

早川洋平:結論から言うと記者をやりたいとは思いません。ただサッカーに関わる仕事は興味があります。幸運にもキクタスという会社として、自分の番組として、サッカー選手にインタビューできます。大学時代に描いていた手法とは違いますが、サッカーに関わる仕事という夢は、叶ったと思います。

新谷哲:新聞記者時代のことをお話いただきたいと思いますが、どのような仕事が中心でしたか?

早川洋平:市政記者クラブと県警記者クラブだったので、いわゆる新聞記者です。サツ周りや、夜討ち朝駆けをし、事件事故が起きたら、上司から家に電話がかかってきて「行け」と言われました。しかし新聞社に入ったのは「サッカーのフリーライターになりたい」という動機だったので、耐えられず辞めてしまいました。

新谷哲:辞めた後はどんなことをされていらっしゃったのですか?

早川洋平:辞めた後は、半年ぐらい休んでいました。僕は極端なので、休んだ後は「24時間365日、電話がかかってくる仕事」ではなく「9時~17時の公務員になりたい」と思い、地元が横浜だったので横浜市役所の公務員試験を受けようと決意しました。しかし家族に相談したら「あなた絶対に向いていないからやめなさい」と、普段、絶対に言われないことを言われます。そこで踏みとどまり、もう一度自分のしたいことを考えました。不思議なもので、新聞記者は辛かったのですが、色々な人に会い、色々な場所に行ったことで、自分の価値観を広がったので、「自分が得た情報を伝えることで、世の中もアップデートさせる」といったことに興味を持ちました。「サッカーじゃなくても良いか」と自分の幅を広げてマスコミにもう1回就職し、2年ぐらいで辞めます。その後は、某大手新聞社の系列の広告制作会社が拾ってもらいました。

新谷哲:では、広告の仕事も学ばれていたのですか?

早川洋平:そうです。

新谷哲:広告事業には、何年いらっしゃったのですか?

早川洋平:3年ぐらいです。

新谷哲:そこで学ばれたことは、何かございますか?

早川洋平:広告制作会社は、クライアントさんありきの仕事です。僕の入った会社の場合は、親会社である某大手新聞社ありきなので、取材に行っていても記事体広告が多かったです。書く記事は当然、クライアントが要求する記事を書かなければならないという、社会人に必要な部分を学ばせていただきました。もちろん取材や執筆の経験も積ませていただきましたが、そこも好き勝手にやれないという、当たり前のことを考えさせられました。

(※記事体広告とは、タイアップ記事広告という広告こと。広告なのでお金をもらっていますが、記事風に書いて宣伝をするというものです)

新谷哲:広告会社をお辞めになった後は、キクタスを起業し経営者となったのですか?

早川洋平:プロフィールだと結構割愛していますが、まだあります。広告制作会社に勤める中、いろんな有名な方にも取材いただきました。会社は編集プロダクションとしては大きな会社、ライターとデザイナーの方が20人ずつおり、お給料も上にいけばかなりよかったです。ただ、僕が上の方達を見た時に「目がキラキラしていなかった」のです。おそらく「クライアントさんを始めとした、いろんな意向に沿って取材し、記事を書いていたこと」が理由だと思うのですが、「僕には無理だ」と思いました。あと直感として「この新聞と広告のモデルは続くのか?」と疑問に感じ、会社に内緒で転職活動をしました。

地元横浜も大好きだったので「横浜でライターの仕事、取材の仕事をしたい」と企業を探します。その時に見つけた会社が、横浜にあるインターネット系の新聞社です。まだライター経験5年ぐらいでしたが、面接に行ったら「すごく欲しい」と言ってくださり、給料の話になります。その会社の母体はNPOだったので、提示された給料が生活ギリギリでした。1人なら飛び込んでいたと思うのですが、結婚していたので就職はしませんでした。その時にその母体であるNPOの女性理事が「生活が心配なら、うちの主人がやっているイベント会社に来たら?独立採算制で自分が好きなことを何やっても良いよ」と言われ、いわゆるイベント企画制作会社に飛び込みました。

新谷哲:どのようなイベントを開催する会社ですか?

早川洋平:横浜市公共事業のイベントや、大手企業からお金をもらい企画して、街全体で行うようなイベントを開催しました。

新谷哲:何年ぐらいらしたのですか?

早川洋平:そこも3年です。

新谷哲:イベント会社で学ばれたとはございますか?

早川洋平:結果として、経営者としての基礎を学びました。僕はどの会社も3年以内に辞めており、職人としてライターをやっていただけなので、まともな社会人ではありませんでした。例えば、原価が50万円のイベントを企画し、「クライアントに80万円で請求書を出すように」と経営者から指示を受けます。そのとき「原価が50万円のイベントなのに、80万円の請求書を出して良いの?」と疑問を持つレベルでした。もちろん稼げるはずもありません。完全ノルマ制なので、どんどん給料が落ちていきました。この後、キクタスを起業して経営者になった話に入りますけど、話してもいいですか?

新谷哲:はい、ぜひお願いします。

早川洋平:会社に入って2年ぐらい経ち、「色々な場所に行って、色々な人に取材したいのに何やっているのだろう?」となった時、「Podcastをやってみたい」と思いました。しかしPodcastどころか、そもそも稼げないので会社での立場も悪くなっています。しかも、ちょうど子供が生まれる時で「どうしようか?」と悩みました。本当に八方塞がりだったので、スティーブ・ジョブズの言葉じゃないですけど、「このまま人生終わって良いのか?」と自分に問うた時に、「このままじゃ嫌だ」と思います。「何の制約もなかったら何をするか」を考えた時に、「本を読むのが好き、ラジオ・Podcastが好き、インタビューが好き」と、なぜかその3つが出てきます。この3つを掛け合わせて、「本の著者にインタビューをするPodcastを始める」というアイデアが降りきたことが、キクタスを起業し経営者となるきっかけでした。

新谷哲:キクタス様を起業した当初の思いや、どんな事業を目指されて経営をしていたのかなど、お教えいただけますか?

早川洋平:ミッションはなかったです。当初始めたのは「ライフアップデート」という番組です。「人生を変えた一冊」というコーナーがあり、iTunesのランキングで1位になりました。その下に例えばBBC、オールナイトニッポンなどの大手メディアの番組があり、「これからの時代、何か面白いこと、人の役に立つことをすれば、個人や会社が関係のない世界があるのだ」と感じました。さっきのサッカーの話でいけば、大人になってからサッカーを始めてもプロリーグには所属できません。でもインターネットメディアの世界なら、僕みたい会社で駄目な人間でも、1位を取ることができます。まだ起業とか経営者になるとは考えていませんでしたが、「インターネットメディアを使って、世の中の役に立てるのではないか?」とは、感じていました。

新谷哲:その時に感じたものを、事業経営という形で実現されたのですね。現在のキクタス様の事業経営についてご説明いただけますか?

早川洋平:シンプルにお話しすると「Podcastを始めとした聞くメディアの、弊社でプロデュース・制作・配信させていただく」という事業を経営しています。その他には、私自身がプロインタビュアーをしているので、「企業から頼まれて、CMの後ろ側にインタビュアーとして入って、言葉を引き出す」という事業も経営しています。あとは、自分でいろんなコンテンツやコミュニティーも作り、それを世の中にリリースしたり、講演の依頼をいただいたりします。基本的にはPodcastも含めたメディアのプロデュース事業をメインとして、会社経営をしています。

新谷哲:今までインタビューをされた方で、「この人はすごい」という方を挙げるとすれば、どんな方がいらっしゃいますか?

早川洋平:数えきれない程いるのですが、最近でいえば高田賢三さんです。皆さんもご存知だと思いますけど、世界的なブランドを作った「ケンゾー」の創業経営者です。

新谷哲:何がすごかったですか?

早川洋平:一番すごいのは「雰囲気がすごくない」ことです。世界的なブランドを作られた経営者なのですが、誤解を恐れずに言えば「全く人を圧するようなグッとくるオーラがない」のです。上場企業の経営者の方の中には、「人を圧するオーラ」を出す方もおりますが、高田賢三さんは腰の低い謙虚な方でした。インタビューが終わった後、別の部屋に弊社のスタッフも呼んでワインを出してくれたり、後片付けを手伝ってくたりなど「世界のケンゾーに手伝わせていいのかな?」と恐縮してしまいました。いろいろお話しにインスパイアされましたが、この謙虚な部分が一番すごいと思いました。

高田賢三さんを引き合いに出しましたが、今まで経営者を始めとした、色々な業界のトップランナーの方にインタビューをしました。その中で感じるのは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるように、成功を続ける方は腰が低いです。謙虚で周りに気を遣われるから成功し続けるのだと感じます。高田賢三さんは、その謙虚な姿勢をすごいレベルで体現している方だと感じました。

新谷哲:私は前に「サイゼリヤ」の経営者である正垣会長にインタビューしましたが、高田賢三さんと同じように大変「頭を垂れる」素晴らしい方でした。経営者に限らず、経営者の皆さんは「頭を垂れる」のかもしれませんね。

早川洋平:本当にそう思います。

新谷哲:違う質問をさせていただきます。好きなもの・好きなことで「インタビュー・旅」とお答えいただきました。今回の経営者インタビューも、「インタビュー・旅・サッカー」の話題が多いですね(笑)。やはり、話をお聞きするのが好きなのですか?

早川洋平:代わり映えのしない3つで恐縮です(笑)。話を聞くのが好きというよりは「自分をアップデートしたい、磨きたい」という意欲がすごく強いです。サッカーの話に戻りますが、サッカーで「世界一になりたい」という思いがあったのですが、叶わなかったことで不完全燃焼で自分の中に残ったものがありました。その残ったものが、インタビューに引火したのだと思います。自分を磨くことは、人に会うことでしかできないと思います。しかし会うだけだと、自分のためにしかなりません。ちょっと優等生発言になってしますが、「人のためになる」ように、インタビューという形で人に会っています。

1つ思うのは、「インタビューはライフワーク」です。先日、フリーの時間が珍しく、5時間~6時間あり「ボーっと家で音楽でも聞こう」と思ったときに、「待てよ。最近、ある有名な画家の方が気になるから、画集を見よう」となり、いつの間にか画集に付箋を貼って、「インタビューでこの人に何を聞くか。こう伝えたら面白いんじゃないか」となりました(笑)。だから、インタビューはライフワークだと思います。

新谷哲:多分、インタビューが大好きなのだと思います(笑)。座右の銘は「継続は力なり」をいただきました。なぜ、これを選ばれたのでしょうか?

早川洋平:編集者をやっていた父から、ずっと言われていました。キクタスの事業経営は経営理念も何もなく始めました。自分がこれだと思うもの、好きだと思うものを信じて経営を続け、有り難いことにもうすぐ丸10年です。Podcastは、視聴者が急には伸びないメディアです。伸ばすためには地味に地道にコツコツと続けるしかなく、本当に「継続は力なり」なのです。僕は新しいものが好きなので、常にフラフラしそうになるので、ブレずに経営を続ける意味でも「継続は力なり」という言葉を大切にしています。

新谷哲:大変勉強になるお話をいただき、ありがとうございます。最後の質問になりますが、全国の経営者向け、これから起業する方に向けて、経営者として成功する秘訣・方法をお教えください。

早川洋平:経営者として成功するには、「三方よし」の場を作ることが大事だと思っています。これからの時代、何が起きるか分からないです。何かが起こった時に、自分らしく、もしくはその会社らしく経営を続けていくために必要なものが「場」だと思うのです。具体的には「三方よし」の場、僕の場合は、Podcastになります。Podcastという場で、経営者を始めとした様々なトップランナーの方にインタビューにご出演いただき、それを無料で配信しています。それにより、まず聞いた方がプラスになります。インタビューの出演者も事業をPRすることになります。当然、インタビュアーである僕自身も、魅力的な方に会って自分をアップデートすることができます。

「視聴者・出演者・僕」という「三方よし」の場を作り、その場を継続し続けていくことができれば、Podcastであれ何であれ、飛躍していくと思います。よく経営者を志望する方から、起業の相談とかを受けることがあります。その時も、「三方よし」の場についてお話ししています。その場はPodcastでなくても良いのです。ブログでも良いですし、新谷社長のWizBizさんのようにメールマガジンでも良いですし、何かイベントでも良いです。大切なのは「三方よし」を意識して場を作り、続けることです。

新谷哲:「三方よし」の場ということで、プラットフォームという話にも繋がるお話だと思います。経営者インタビューをお聞きの経営者様も、勉強になったとお感じでしょう。多分、一番勉強になったのは、私だと思いますが(笑)。早川洋平社長、本日はどうもありがとうございました。

早川洋平:ありがとうございました。

編集後記

今回は、経営者インタビュー「社長に聞く!in WizBiz」を配信いただいている、早川洋平社長のお話でした。大変聡明で、思いを持っていらっしゃる経営者です。インタビュアーの私としては、「プロのインタビュアーにインタビューする」ので、恥ずかしい面、難しかった面のある経営者インタビューでした。「継続は力なり」ということで、この経営者インタビュー「社長に聞く!in WizBiz」も長く続けたいと思います。

早川洋平氏
キクタス株式会社 代表取締役

新聞記者等を経て、2008年キクタス株式会社を設立。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。同社代表取締役社長、プロインタビュアー。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。

※本インタビューへの出演をご希望の方はこちらよりご応募ください。

本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。
今回は、早川洋平氏(キクタス株式会社 代表取締役)の経営者インタビューを取り上げました。

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